12月6日は私達夫婦の結婚記念日。そして今年は50周年、金婚式の年です。妻が健在であったらですが・・・。
事のついでに、いったい結婚記念日にはどんなものがあるのかと思って調べてみました。資料によって少し違うところはありますが、おおよそは次のようなものでした。
1年 紙婚式
2年 藁婚式
3年 革婚式
4年 花婚式
5年 木婚式
6年 鉄婚式
7年 銅婚式
8年 ゴム婚式
9年 陶器婚式
10年 錫婚式
11年 鋼鉄婚式
12年 絹婚式
13年 レース婚式
14年 象牙婚式
15年 水晶婚式
20年 磁器婚式
25年 銀婚式
30年 真珠婚式
35年 珊瑚婚式
40年 ルビー婚式
45年 サファイア婚式
50年 金婚式
55年 エメラルド婚式
60年
/75年 ダイヤモンド婚式
銀婚式はよく知っていました。そのときに改まって祝ったかどうか、したような気もしますが覚えていません。紙婚式や銅婚式というのは知っていましたが、他はまったく知りませんでした。もともと西洋の風習が入ってきたものなのですが、最初からこのように細かく決められていたのかどうかは疑問です。それぞれの記念日には、それにちなんだ品物、例えば紙婚式なら手帳などの紙製品、銀婚式なら銀製品を贈り合うというようになっていて、毎年何か贈るとなるとなかなか大変です。調べた資料の中には「電気器具婚式」などというものがあり、これなどは何かしら商売人の商魂のようにも勘ぐりたくなります。おそらく、後になって作られたものも多いのでしょう。普通は銀婚式と金婚式が意識されている程度のように思います。
それはともかくとして、やはり50年も連れ添うということはなかなかすばらしいことと思います。私たちの結婚生活は40年で終わりましたが、記念日にはもう病状が進んでいて、予定していた家族会も取り止めました。もし今日2人で金婚式を祝えたら金製品の贈り物はさておき、しみじみと来し方振り返り語り合うのにと思います。50年前という頃は、今時に比べると庶民の生活は概してつましいもので、結婚式も今で言うジミ婚が普通だったようです。私と妻は長男長女で、それぞれの家庭は豊かではありませんでしたから、妻と両親がこちらに出て来て大阪で私と両親と会い、豊臣秀吉を祭っている豊国神社の社殿で祝詞をあげてもらって夫婦の固めをし、その後で一緒に食事しただけでした。今ではあれでよかったと思っています。何よりも、金婚式までには到達できませんでしたが、苦労を分かち合ってこられたことが何よりでした。妻にはただ感謝するばかりです。
事のついでに、いったい結婚記念日にはどんなものがあるのかと思って調べてみました。資料によって少し違うところはありますが、おおよそは次のようなものでした。
1年 紙婚式
2年 藁婚式
3年 革婚式
4年 花婚式
5年 木婚式
6年 鉄婚式
7年 銅婚式
8年 ゴム婚式
9年 陶器婚式
10年 錫婚式
11年 鋼鉄婚式
12年 絹婚式
13年 レース婚式
14年 象牙婚式
15年 水晶婚式
20年 磁器婚式
25年 銀婚式
30年 真珠婚式
35年 珊瑚婚式
40年 ルビー婚式
45年 サファイア婚式
50年 金婚式
55年 エメラルド婚式
60年
/75年 ダイヤモンド婚式
銀婚式はよく知っていました。そのときに改まって祝ったかどうか、したような気もしますが覚えていません。紙婚式や銅婚式というのは知っていましたが、他はまったく知りませんでした。もともと西洋の風習が入ってきたものなのですが、最初からこのように細かく決められていたのかどうかは疑問です。それぞれの記念日には、それにちなんだ品物、例えば紙婚式なら手帳などの紙製品、銀婚式なら銀製品を贈り合うというようになっていて、毎年何か贈るとなるとなかなか大変です。調べた資料の中には「電気器具婚式」などというものがあり、これなどは何かしら商売人の商魂のようにも勘ぐりたくなります。おそらく、後になって作られたものも多いのでしょう。普通は銀婚式と金婚式が意識されている程度のように思います。
それはともかくとして、やはり50年も連れ添うということはなかなかすばらしいことと思います。私たちの結婚生活は40年で終わりましたが、記念日にはもう病状が進んでいて、予定していた家族会も取り止めました。もし今日2人で金婚式を祝えたら金製品の贈り物はさておき、しみじみと来し方振り返り語り合うのにと思います。50年前という頃は、今時に比べると庶民の生活は概してつましいもので、結婚式も今で言うジミ婚が普通だったようです。私と妻は長男長女で、それぞれの家庭は豊かではありませんでしたから、妻と両親がこちらに出て来て大阪で私と両親と会い、豊臣秀吉を祭っている豊国神社の社殿で祝詞をあげてもらって夫婦の固めをし、その後で一緒に食事しただけでした。今ではあれでよかったと思っています。何よりも、金婚式までには到達できませんでしたが、苦労を分かち合ってこられたことが何よりでした。妻にはただ感謝するばかりです。
このところ少し長く歩くと、右脚の太腿の付け根が痛み、ふくらはぎや足の裏が痺れを掻いたようになり、歩くのが困難になる。しばらく休むと回復するのだが、どうにも気持ちが悪いので、かかりつけの医師に相談したら、隣の市にある関西労災病院で検査してもらうように勧められ紹介状をもらった。
この関西労災病院は妻が最後を迎えた病院で、それ以来10年間行ったことはなかった。私の家からはバスで40分ほどかかる。途中の景色はあまり変わっていなかったが思い出が深い。当時は神戸にある知的障害者に関係する団体の事務局に勤めていたので、毎日勤めが終わると電車やバスを乗り継いで病院に通った。冬のことだったから途中は暗く、侘しい思いをした。個室の病室で妻と2,3時間過ごしてから家に帰ったが、帰途は妻のいない暗く冷たい家に帰るのかと思うと、なおさら気が滅入ったものだった。
病院前でバスを降りて病院のほうを見るとすっかり新しくなっていて10年前とはまったく違った、堂々たる建物になっているのに驚いた。
ゲートはまるで公園の入り口のようで、そこから入ると病院の建物の前はきれいに整備されている。
病院内に入ると、かつての薄暗いような雰囲気とはまったく違って、明るく広々していた。妻が入院していた頃の面影はまったくなく、それゆえに感傷的になることもなくて、かえってさばさばした気持ちになった。しかし、当然のことながら行き交う人たちは来院者や車椅子の入院患者、看護師、付添い人で、やはり病院という雰囲気だ。
予約した10時前に受付を通った後は検査室巡りで、検尿から始まって採血、胸部X線撮影、四肢の血圧検査、心電図、心臓や両脚の血管のエコー検査と続いたが、検尿や採血、胸部撮影などは脚の痺れとどんな関係があるのだろうと、素人にはよく分からなかった。検査の流れは機能的でスムーズだった。すべてが終わって受付に戻ったのは11時だったが、診察は12時半からというので昼食をとることにした。院内の食堂もかつてのような、いかにも病院の食堂という雰囲気ではなく、明るく広くて、メニューの内容も品数が多かった。
診察を担当した医師はまだ若かったが実に穏やか、懇切丁寧で、検査結果と脚の状況について詳しく説明してくれた。検査の結果は、これまで考えられていた脚の動脈閉塞というよりも、脊髄のほうに原因があるのではないかということで、一度整形外科で診察を受けてはというアドバイスを受けた。いろいろな検査を担当した技師も皆人当たりがよく親切で、かつて妻が入院していた時の医師や看護師が非常に誠実な人たちで好印象を持ち、妻の死後病院長に礼状を出し、院長から行き届いた返書をもらったことを思い出した。
振り返ってみると、成人してから今日まで成人病検診のほかに、大きな病院に行った記憶はない。頑健ではないが健康でこられたのを有難く思う。妻も健康で入院したことはなかったが、この病院に入院したのが最初で最後だった。これから先、どのようのことで入院ということになるか予想もできないが、やはりこの病院のような親切な医師や職員がいるところがいい。
この関西労災病院は妻が最後を迎えた病院で、それ以来10年間行ったことはなかった。私の家からはバスで40分ほどかかる。途中の景色はあまり変わっていなかったが思い出が深い。当時は神戸にある知的障害者に関係する団体の事務局に勤めていたので、毎日勤めが終わると電車やバスを乗り継いで病院に通った。冬のことだったから途中は暗く、侘しい思いをした。個室の病室で妻と2,3時間過ごしてから家に帰ったが、帰途は妻のいない暗く冷たい家に帰るのかと思うと、なおさら気が滅入ったものだった。
病院前でバスを降りて病院のほうを見るとすっかり新しくなっていて10年前とはまったく違った、堂々たる建物になっているのに驚いた。
ゲートはまるで公園の入り口のようで、そこから入ると病院の建物の前はきれいに整備されている。
病院内に入ると、かつての薄暗いような雰囲気とはまったく違って、明るく広々していた。妻が入院していた頃の面影はまったくなく、それゆえに感傷的になることもなくて、かえってさばさばした気持ちになった。しかし、当然のことながら行き交う人たちは来院者や車椅子の入院患者、看護師、付添い人で、やはり病院という雰囲気だ。
予約した10時前に受付を通った後は検査室巡りで、検尿から始まって採血、胸部X線撮影、四肢の血圧検査、心電図、心臓や両脚の血管のエコー検査と続いたが、検尿や採血、胸部撮影などは脚の痺れとどんな関係があるのだろうと、素人にはよく分からなかった。検査の流れは機能的でスムーズだった。すべてが終わって受付に戻ったのは11時だったが、診察は12時半からというので昼食をとることにした。院内の食堂もかつてのような、いかにも病院の食堂という雰囲気ではなく、明るく広くて、メニューの内容も品数が多かった。
診察を担当した医師はまだ若かったが実に穏やか、懇切丁寧で、検査結果と脚の状況について詳しく説明してくれた。検査の結果は、これまで考えられていた脚の動脈閉塞というよりも、脊髄のほうに原因があるのではないかということで、一度整形外科で診察を受けてはというアドバイスを受けた。いろいろな検査を担当した技師も皆人当たりがよく親切で、かつて妻が入院していた時の医師や看護師が非常に誠実な人たちで好印象を持ち、妻の死後病院長に礼状を出し、院長から行き届いた返書をもらったことを思い出した。
振り返ってみると、成人してから今日まで成人病検診のほかに、大きな病院に行った記憶はない。頑健ではないが健康でこられたのを有難く思う。妻も健康で入院したことはなかったが、この病院に入院したのが最初で最後だった。これから先、どのようのことで入院ということになるか予想もできないが、やはりこの病院のような親切な医師や職員がいるところがいい。
西安城壁の南門から南西に薦福寺と言う寺院があり、そこに唐代に建立された小雁塔がある。今では薦福寺よりも小雁塔の名のほうが知られているが、この寺はかつての唐の長安では最大の寺院で684年に建てられた。現在の薦福寺は小雁塔を除きほとんどが明代のものである。
小雁塔は唐の高僧義浄がインドなど30余国を回り、持ち帰った多くの経典や仏像を所蔵するために景龍年間(707~709年)に建立された。
塔は煉瓦造りで高さ43メートル。もとは15層だったが明代の1555年の大地震で上部から下部にかけて割れた。新中国になって修復されたが、塔頂部はもとの資料が無かったので今も塔頂がなく、現在は13層である。軒と軒の間隔が狭い密檐式と言われる。
境内は広々としていて閑静である。
大雄宝殿(本殿)
慈氏閣
金代の鐘
樹齢1300年の槐(えんじゅ) 龍槐(ロンフアイ)
境内の一隅には、石造物を集めた場所がある。
栓馬樁(せんばとう)。駒繋ぎである。樁(チュアン)は杭の意味。
栓馬樁の頂部
柱礎
門墩(もんとん) 墩は台座。
小雁塔は唐の高僧義浄がインドなど30余国を回り、持ち帰った多くの経典や仏像を所蔵するために景龍年間(707~709年)に建立された。
塔は煉瓦造りで高さ43メートル。もとは15層だったが明代の1555年の大地震で上部から下部にかけて割れた。新中国になって修復されたが、塔頂部はもとの資料が無かったので今も塔頂がなく、現在は13層である。軒と軒の間隔が狭い密檐式と言われる。
境内は広々としていて閑静である。
大雄宝殿(本殿)
慈氏閣
金代の鐘
樹齢1300年の槐(えんじゅ) 龍槐(ロンフアイ)
境内の一隅には、石造物を集めた場所がある。
栓馬樁(せんばとう)。駒繋ぎである。樁(チュアン)は杭の意味。
栓馬樁の頂部
柱礎
門墩(もんとん) 墩は台座。
恒例になっている年間の新語・流行語大賞が発表された。
大賞に選ばれたのは「アラフォー」と「グ~!」の2つということで、前者はテレビドラマで広まり、後者は女性お笑いタレントの持ちネタだそうだが、私には初めて耳にした言葉で、如何に流行に疎いかということを思い知らされた。「アラフォー」は番組そのものを見ていないので何も言うことはないが、受賞発表のニュースで「グ~!」を連発するタレントを見ても、クスリともしなかったのは私の老化のせいかも知れない。
下馬評では福田前首相が退陣の記者会見のときに、ある記者に向って言った「あなたと違うんです」が有力視されていたようだが、ベストテンに入ったものの受賞は辞退された。この人が賞を受けに会場に姿を現したら案外好感を持たれたかも知れないが、あの面白みの乏しい生真面目さでは無理なことだろう。
審査員特別賞は、北京五輪で金メダルを獲得したソフトボール日本代表、上野由岐子投手の「上野の413球」だが、これも流行語だったのかと思うようなものだ。
他にベストテンに挙げられたものは、居酒屋タクシー、蟹工船、ゲリラ豪雨、後期高齢者、名ばかり管理職、埋蔵金などでどれも知っていたが、新語的なものがかなり多い。もっともどれもマイナスイメージのものが多いのは、今年の世相の現われか。
大賞に選ばれたのは「アラフォー」と「グ~!」の2つということで、前者はテレビドラマで広まり、後者は女性お笑いタレントの持ちネタだそうだが、私には初めて耳にした言葉で、如何に流行に疎いかということを思い知らされた。「アラフォー」は番組そのものを見ていないので何も言うことはないが、受賞発表のニュースで「グ~!」を連発するタレントを見ても、クスリともしなかったのは私の老化のせいかも知れない。
下馬評では福田前首相が退陣の記者会見のときに、ある記者に向って言った「あなたと違うんです」が有力視されていたようだが、ベストテンに入ったものの受賞は辞退された。この人が賞を受けに会場に姿を現したら案外好感を持たれたかも知れないが、あの面白みの乏しい生真面目さでは無理なことだろう。
審査員特別賞は、北京五輪で金メダルを獲得したソフトボール日本代表、上野由岐子投手の「上野の413球」だが、これも流行語だったのかと思うようなものだ。
他にベストテンに挙げられたものは、居酒屋タクシー、蟹工船、ゲリラ豪雨、後期高齢者、名ばかり管理職、埋蔵金などでどれも知っていたが、新語的なものがかなり多い。もっともどれもマイナスイメージのものが多いのは、今年の世相の現われか。
おバカタレント、おバカキャラというものに人気が出ているようだ。もとはある民放テレビのクイズ番組で、3人の若い女性のグループが、珍回答や不規則な発言を繰り返したことから話題を呼び、人気が急上昇したそうだ。「バカカワイイ」ということらしい。今では各局も追随し、バラエティー番組に欠かせない存在になって、タレントのジャンルとして定着していると言う。
私は一度だけそのような番組を見たことがある。何人も若いタレントが出演していたし、このような番組には疎いので、誰が言うところの「おバカ」なのか分からなかったが、たぶんこれだろうと思うのが何人かいた。観覧席のようにしつらえられたステージに並び、出された質問に答えられると下の席に降りてくるものだったが、たしかに珍回答や、こんなことも知らないのかと思うようなこともあり、かなり笑ってしまった。本当に分からないのか、そのような振りをしているのかと思うくらいの「非常識」、「無知」ぶりであっても、真剣に考え込んだ挙句に珍妙な答えをしたり、勇ましく手を挙げて答えたらとんでもない回答だったりして、妙に憎めないところがあって、なるほどこういうところが人気があるのかと思った。
人をバカ扱いにして公衆の面前で笑いものにするなど言うことは、これまでにも漫才などにはあったが、自分からバカぶりをさらけ出して、それを芸として売り物にするとはしたたかとも言えるし、このような「タレント」をもてはやす世相というものは何だろうかと考えてもしまう。それにこのような番組を楽しむ視聴者の心理は何だろう、おバカな言動を見て優越感でも感じるのかとも思ったが、案外視聴者の中にも「おバカ」はいるのではないか。
このようなおバカタレントいうものは罪のないもので、人を楽しませているからとやかく言うこともないが、これは正真正銘のバカだと思った事件があった。
25歳の無職の男が、自分が開設しているブログに文部科学省の幹部10人を「1週間以内に自宅で刺殺する」とブログに書き込んだとして逮捕された。この男は東大卒らしいが、このようなことをした動機を「理想を持って勉強してきたが、教科書の内容と違う現実があると知り、文科省に詐欺をされたと思い脅迫した」と供述したようだ。「詐欺教育に対する天誅だ」とも言ったらしい。大学を卒業しても思うような就職もできなかった不満が鬱積していたのかもしれないし、先ごろ世間を騒がせた厚労省の元事務次官と家族の殺傷事件に影響されたのかもしれないが、それにしても、教科書の内容と違う現実があるから詐欺教育だと言うのはあまりにも短絡的で馬鹿げた幼稚な考えだ。「理想を持って勉強してきた」と言うが、どんな理想を持っていたのか。「天誅」というのも他人を見下した傲慢さだ。おそらく中学、高校時代には学習成績はそれなりによくできたのだろうが、それはただ教科書や参考書の記述内容をひたすらに覚えこむような学校生活だったのではないか。学習以外にも必要な心身の発達段階に応じた教育が乏しかったか、欠落していたのではないか。
詐欺教育だと文科省の幹部を殺すような発想はきわめて特異なものだろうが、ただただ学校や学習塾での成績だけを目安にして有名校への進学を競うような風潮が過熱するほど、歪んだ可愛げのない人格が作られる可能性はあると思う。「おバカ」には可愛いところがあるが、「バカ」はどうにも始末に負えない。
私は一度だけそのような番組を見たことがある。何人も若いタレントが出演していたし、このような番組には疎いので、誰が言うところの「おバカ」なのか分からなかったが、たぶんこれだろうと思うのが何人かいた。観覧席のようにしつらえられたステージに並び、出された質問に答えられると下の席に降りてくるものだったが、たしかに珍回答や、こんなことも知らないのかと思うようなこともあり、かなり笑ってしまった。本当に分からないのか、そのような振りをしているのかと思うくらいの「非常識」、「無知」ぶりであっても、真剣に考え込んだ挙句に珍妙な答えをしたり、勇ましく手を挙げて答えたらとんでもない回答だったりして、妙に憎めないところがあって、なるほどこういうところが人気があるのかと思った。
人をバカ扱いにして公衆の面前で笑いものにするなど言うことは、これまでにも漫才などにはあったが、自分からバカぶりをさらけ出して、それを芸として売り物にするとはしたたかとも言えるし、このような「タレント」をもてはやす世相というものは何だろうかと考えてもしまう。それにこのような番組を楽しむ視聴者の心理は何だろう、おバカな言動を見て優越感でも感じるのかとも思ったが、案外視聴者の中にも「おバカ」はいるのではないか。
このようなおバカタレントいうものは罪のないもので、人を楽しませているからとやかく言うこともないが、これは正真正銘のバカだと思った事件があった。
25歳の無職の男が、自分が開設しているブログに文部科学省の幹部10人を「1週間以内に自宅で刺殺する」とブログに書き込んだとして逮捕された。この男は東大卒らしいが、このようなことをした動機を「理想を持って勉強してきたが、教科書の内容と違う現実があると知り、文科省に詐欺をされたと思い脅迫した」と供述したようだ。「詐欺教育に対する天誅だ」とも言ったらしい。大学を卒業しても思うような就職もできなかった不満が鬱積していたのかもしれないし、先ごろ世間を騒がせた厚労省の元事務次官と家族の殺傷事件に影響されたのかもしれないが、それにしても、教科書の内容と違う現実があるから詐欺教育だと言うのはあまりにも短絡的で馬鹿げた幼稚な考えだ。「理想を持って勉強してきた」と言うが、どんな理想を持っていたのか。「天誅」というのも他人を見下した傲慢さだ。おそらく中学、高校時代には学習成績はそれなりによくできたのだろうが、それはただ教科書や参考書の記述内容をひたすらに覚えこむような学校生活だったのではないか。学習以外にも必要な心身の発達段階に応じた教育が乏しかったか、欠落していたのではないか。
詐欺教育だと文科省の幹部を殺すような発想はきわめて特異なものだろうが、ただただ学校や学習塾での成績だけを目安にして有名校への進学を競うような風潮が過熱するほど、歪んだ可愛げのない人格が作られる可能性はあると思う。「おバカ」には可愛いところがあるが、「バカ」はどうにも始末に負えない。