中国迷爺爺の日記

中国好き独居老人の折々の思い

ゴミから食用油

2012-01-19 10:04:45 | 中国のこと

 中国には西安の李真や謝俊麗など親しい友人が少なくないから、中国という国や政府のあり方には少なからぬ違和感を覚えても、これまで何度も中国に行き、中国の国土、歴史、文化、庶民などが好きになり、それで「中国迷爺爺」などと自称している。それでも、新聞やインタネットでの記事を見ると。いったい中国人とは何だろうかと思ってしまう事例によく出くわす。私が読んでいる新聞に、「食用油 どぶ仕込み」という記事があった、

 

 中国ではかねてから社会問題になっているらしいが、ちょっと信じられないようなことで、ゴミからとった食用油が街に出回っているという話だ。この油は「地溝油(どぶ油)と言って、記事によると作り方は、町のホテルやレストランの調理室につながる排水溝のゴミを集める。狙いは捨てられた調理油や残飯から出る油分で、この雑多なゴミを釜で4時間ほど煮詰め、浮いてくる油を掬い取る。記事を書いた記者は、浙江省のある村で製造現場を見て次のように書いている。

 

 直径2メートルほどの大釜は警察が持ち去ったが、残りかすをためた大きなかめがそのまま放置されていた。 白い気泡を立てる泥の表面を楊さん(注:近くに住む農民)がくわでほじくり返すと、黄ばんだ液体に混じってニンニク、唐辛子、菜っ葉のほかに、ストローやペットボトルのキャップなどが現れた。 

 ぞっとするような光景だが、製造していた夫婦は、1ヶ月ほど地元の警察に拘留されていたが、起訴は免れたと言う。

                                                                

                                     インタネットより

中国の公安省によると山東省のバイオディーゼル工場でこのような油は不純物を除去されて河南省の業者によって販売され、四つ星ホテルなどにも納品されたとのことだ。警察は工場の経営者らを逮捕したが、彼らは月平均500トンの地溝油を生産していたようだ。

 

もちろんこのような油は安全なものではなく、中国での医学的研究によれば、地溝油に含まれる最も危険な成分は発がん性物質のアフラトキシンであり、その毒性はヒ素の100倍にも及び、劇毒の農薬である666とDDTも基準値以上が検出されているとのことだ。

 

 私はこれまで何度も中国に行き、食事のほとんどは外食だったから、おそらく地溝油を使った料理は何度も口にしただろう。忌々しいと思うがどうしようもない。西安の李真とこの油のことでチャットしたが、李真もこのようなことには非常な不信感を持っているようで、「教育、医学、食べ物、全部問題がある。中国の歴史と文化は愛しているが人間生存に適していない。人民の命が安い」と言い、「お金があれば家族と海外に移りたい」とも言った。

 

 日本でもかつて廃油再生問題はあったようだが,すぐに根絶された。参考までに、それに関する記事を、インタネットから引用する。

 

  http://www.worldtimes.co.jp/wtop/paper/html_fr10/sr100331.html

 

 日本でも数年前に食品偽造が多発し問題になり、中にはきわめて悪質な業者があったので、徒に中国を嗤うことはできないのだが、それでもかなりの数の中国人のモラルの欠如には呆れるものがある。この地溝油のこともそうだが、官民に蔓延している賄賂や贋物、パクリの横行など これも中国4千年の歴史の産物なのか。李真のようなまじめな人間が嫌気を催すのも当然だ。

 

 ある時代小説を読んでいたら、奇矯極まる恥知らずな言動の浪人が出ていて、その男は「頭に釘が刺さったまま生まれてきたような」と書かれている。地溝油などというとてつもない有害物の製造を考えて、それで儲けようとするような輩は、頭に釘が刺さって生まれてきたとしか思えない。 

 

 

 


民主主義(3) 独裁

2012-01-18 14:25:41 | 身辺雑記

  民主主義の対比語として独裁、専制、権威主義などがある。3代世襲となっている金一族の独裁国家である北朝鮮が「民主主義人民共和国」と称しているのはブラックユーモアのようだが、今の世界には独裁国家や専制国家は少なくない。一党独裁体制の中国は「民主」ということを忌避しているようだ。 

 

 また新大阪市長の橋下徹氏を引き合いに出すが、彼は昨年開いた政治資金パーティーで「今の日本の政治に一番重要なのは独裁。独裁と言われるくらいの力だ」と発言したそうだが、政治家を自称する者の発言としては聞き捨てならないものがある。彼はテレビタレントじみた弁護士上がりで、饒舌というほどに弁が立つし、何か失言してもあれこれ弁解したり居直ったりする。この発言にしても、衝かれたら「独裁そのものが必要と言ったのではない。それくらい強い力だ」くらいのことは言うだろうが、若手政治家としてマスコミにもてはやされ、その手腕に期待する国民も少なくない人物としては誤解を招く物言いで軽率だ。総理として期待される人物として、あるアンケートでは石原東京都知事に次ぐ人気だそうだから(位は小泉元首相)、順風満帆で、ちょっと突っ走り過ぎているのではないかとも思う。ある知人が、周囲に少し自制を促すブレーンがいないとちょっと怖いと言っていた。ある新聞の川柳欄に「すぐバカと言う橋下と慎太郎」という句があった。公の場で、バカとかクソということばを発するのは品性の問題だ。 

  

 第一次大戦後のドイツには民主憲法を持つヴァイマール共和国が誕生したが、その議会制を足がかりにしてナチスを率いるヒットラーが政権を握り、やがて全欧州を蹂躙したナチスドイツという凶悪な独裁国家となった。当時のドイツ国民は独裁者ヒトラーの激越なアジ演説に陶酔し、ヒトラーに国の命運を託して破滅へと突き進んでしまった。独裁制が倒れて民主制になるものだと思うのが今の時代だが、過去にはこういうこともあったのだ。ヴァイマール共和国が崩壊した原因は、いろいろ研究されているようだが、恐慌による社会不安などもあるが、何よりも既存政党と民主主義への失望がその原因とされている。 

 

 橋下氏は既成政党を批判し、自分の主張を通すための地ならしとして、国政選挙にも打って出ようとしているが、それがまた閉塞感に捉われていると言われている庶民に受けて人気があるようだ。民主主義をあたり前のものとして安住するのではなく、こういう制度の中からも、ともすると独裁のような強力な指導者を求める危うい風潮が生まれることを警戒しなければならないと思う。

  

 

 

 

 

 

 


民主主義(2) 民意

2012-01-17 12:20:48 | 身辺雑記

 

民主主義とは多数者の意思で物事が決定され、実行されるものだが、多数決で決まればそれで終わりというものではない。少数者であっても「いつかは自分の考えが多数になれる」という希望を持つことができることが民主主義の精神だ。そこには少数者の意見も民主主義を損なうものでない限り、尊重されるべきだという考えがある。

 

 昨秋の大阪市長選挙で「圧勝」して当選した橋下徹氏は、これは自分の考えを支持した「民意」だと意気軒昂だ。それは間違いない。対立候補に23万票ほどの差をつけたのだから、相対的には「圧勝」だろうし、彼を支持した有権者の意思表示だろう。しかし、対立候補に投じられた票も約52万票ある。私の住む市の有権者数は平成23年9月2日現在で約18万6千人だったから、この3倍近くでこれは無視できない大きな数で、これもまた「民意」であることは間違いないことで、「死に票」になったわけではないはずだ。勝った方の主張を支持したのが民意で、そうでないのは民意ではないということはない。大阪市の有権者数は約210万5千人で、橋下氏が得たのはその約36%の約75万票であることも考慮の中に入れるべきだろう。選挙で投票しなかった者にも考えがないということはない。勝った、勝ったで何でも自分の思いの儘にできると思うことには疑問がある。首長たる者は、自分への反対者の声も含めて、広く市民の考えを探る謙虚な姿勢であるべきだ。 ()

 

 


民主主義  多数決

2012-01-16 12:40:50 | 身辺雑記

 久しぶりに「民主主義」について考えてみた。

 

  私が高校生の頃に、文部省が作った「民主主義」という教科書が使われていた。かなり大部なもので上下2巻だった。文部省が作ったと言っても、つい何年か前までは軍国主義を鼓吹していたその頃の文部官僚にそのようなものが編纂できたとは思われない。当時は米軍の軍政下にあったから、おそらく総司令部(GHQ)の指導で作ったものだろう。当時のGHQには理想主義的なリベラリストがいたらしいから、この本も米国型民主主義を日本の若者に教え込むことが目的だっただろう。米国型であろうと何であろうと、私たち日本人の多くは、そもそも「民主主義」ということば自体にまったく無知であったから、それは当時の私たちにとっては、新鮮なものに聞こえた。そして、これからは「民主主義」というもので、日本の未来は明るく開けていくなどと思わされたものだ。

 

 それから60年以上たった今、欧米先進諸国に比べると歴史はまだ浅いが、日本は民主国家だということに疑問を持つ者はいないし、民主主義ということばは常識になってしまっている。政党も与党は「民主党」、野党第1党は「自由民主党」といずれも党名に「民主」を使っていて、それに違和感を覚える者はいない。では民主主義は日本の国に根付き、揺るがないものになっているのだろうか。

 

 言うまでもなく欠陥のない完全無欠な制度というものはない。民主制もそうだが、それでも人類が長い間紆余曲折した歴史をたどってたどり着いたこの制度は、今の段階では最高のものだろう。しかし、わが国の政治などのあり方を見ると、民主主義というものが皮相的に捉えられて、形骸化している面はないだろうか。

 

 例えば民主的ということは、成員の多数決で決めるものだと言う。しかしこれには前提があって、多数決で決める前段階では成員の十分な議論が必要だと言うことだ。しかし、現実には、例えば国会でも十分に審議を尽くさないままに多数党が数の力で押し切ってしまうことは、これまでによく見られたことだし、学校のクラス会などでは発言が少ないのに、早々に「採決します」ということで、挙手をさせて決めてしまう。こういう状態は民主主義というものが正しく機能していないものだ。だから内容はそっちのけにして、民主的とは多数決で決めるものと単純に決めてしまう向きもある。そこでは多数者は少数者をどのように遇するかはなおざりに、あるいは無視されてしまう傾向がある。 (続)


小正月

2012-01-15 17:28:49 | 身辺雑記

 1月15日は小正月だ。元日を大正月というのに対してこう呼ぶ。もっとも本来は旧暦の1月15日で望(満月)の日だから、新暦では今年は2月6日になる。正月を旧暦で春節として祝う中国などでは正月最後の日で元宵節(灯節)として華やかに祝う。私は何度か上海の元宵節に行ったことがあるが、なかなか賑やかなものだった。

 

 それに比べると日本の小正月はあまり賑々しくは行われない。特に都市部では廃れているようだが、近畿地方ではこの日までを「松の内」としていて、「おめでとうございます」の挨拶も終わりだし、門松も取り払われる。全国的には7日までを松の内としていることが多いようだ。

 

       今日限りの松飾

 「どんど」とか「どんど焼き」と呼ばれる行事が今でも地方では行なわれていて、これは1月14日の夜か15日の朝に、刈り取り跡の残る田などに長い竹を34本組んで立て、そこのその年に飾った門松や注連飾り、書初めで書いたものを持ち寄って焼き、その火で餅を焼いて食べる。正月の終わりにふさわしい行事だ。民俗学的な見地からは、門松や注連飾りによって出迎えた歳神を、それらを焼くことによって炎と共に見送る意味があるとされるとのことだ。

記憶が曖昧なのだが、私の子どもの頃、母が小豆粥をこの朝に作ってくれたように思う。小正月に小豆粥を食べる風習は平安時代からあったらしいが、いつ頃に途絶えたのか。今でも東北地方の農村の一部に残っているそうだが、私の家は東北地方とは関係はない。

 

 かつて武家の元服の儀を小正月に行なっていたことから、1月15日を成人の日として国民の祝祭日としたが、小正月がなじみの薄いものになってしまって、今では成人の日は1月の第2月曜日となった。古いいわれを元にしたものがなくなっていくことは少し味気ないと思う。

 

 

 

 

 


ツバキ

2012-01-14 12:08:10 | 身辺雑記

 ツバキは漢字では木偏に春だが、冬から春にかけていろいろな品種が咲く。季語も「花椿」は春だが、「寒椿」は冬。私はツバキは寒いときのほうが似合うように思う。中国語では山(シャンチャア。サザンカ(山茶花)のような名称だが、中国語のサザンカは茶梅チャアメイ)。

 

我が家にあるのは園芸種のオトメツバキ(乙女椿)で、まだ現役時代にハナツバキをシンボルマークにしているある化粧品会社が寄付したのを分けてもらったもの。花言葉は「控えめな美」「控えめな愛」。

 

   

 

  一輪咲いたが、蕾はたくさんあるのでこれからしばらく楽しめそうだ。

 


上から目線

2012-01-13 12:31:36 | 身辺雑記

 旧い卒業生のK君の古希祝いのパーティーに出席した帰り、参加した同期のI君、U君と一緒にタクシーに乗った。I君は西宮市内の北部の、かつては「西宮のチベット」などと呼ばれた山あいの、冬には寒天作りをしていたほど寒冷な地区の出身で、今もそこに住んでいるが、町興しのためにいろいろ熱心に活動している。そのことで市の担当課の職員たちとも連携しているようだが、それについて「市の姿勢もずいぶん変わりました。丁寧に聴いてくれます」と言った。するとU君が「上から目線ではだめだから」と言った。「上から目線」については、たまたま次男に紹介されて、それに関する本を読んでいたので「上から目線って最近はよく言うのか」と尋ねるとU君は「そうですね」と頷いた。

 

 私が読んでいるのは、榎本博明『「上から目線」の構造』(日経プレミアムシリーズ)だが、今よく言われているらしい「上から目線」を分かりやすく解説している。この本の序章にいくつか例が挙げられているが、これはその一つ。

 

 もっと過激なやりとりが行なわれている場に、たまたま遭遇したことがある。部下の電話対応が悪かったため、お得意先の担当者を怒らせてしまい、仕事をキャンセルされてしまったということのようだった。

 「なんてことをしてくれたんだ。この損害はいくらになると思う?とても個人で弁償できる額じゃないんだよ」

「すみません。向こうがあまり横柄な態度だったんで、ついキレてしまいました」

「とりあえず上司に報告しにといけないから、始末書を書いてくれ。いろんな相手がいるけど、どんな相手でもお客さんを怒らせちゃダメだ。何を言われても聞き流せばいいんだ。分かったか。もうこんなことにならないようにしてくれよ。いいか」

「わかってますよ、あの時はついカッとなって自分を失っちゃいましたけど、理屈は言われなくてもわかってます」

「ついカッとなっちゃダメなんだ」

「わかってると言ってるでしょ。その上から目線がムカつくんですよ。ミスして落ち込んでる部下に、よくそこまで追い打ちを掛けるようなことができますね」

 

 私が上司の立場だったら、こちらのほうがキレてしまって怒鳴りつけてしまうだろうと思った。こんなのは欠陥社員ではないか。

 

 「上から目線」は、目上の者や上司、先輩について言えることもあるが、目下の者が、上司や後輩、場合によっては同輩からそれを感じ、不快に思ったり言ったりすることがあるようだ。上に挙げた例は後者だが、思っただけでなくそれを面と向かって口に出して、それが上司であってもなじるというのはよほど屈折した性格なのだろうが、この本を読んいくと、どうも特殊な例ではないようだ。

 

この本では「上から目線」について、心理学的に分析していて、第一章は「なぜ『上から目線』が気になるのか」、第二章は「『上から』に陥りがちな心理構造」で、ここはなかなか面白く、考えさせられる。最終章は「『上から目線』の正体」で結ばれている。

 

 私が過去に関わったある上司はいつも、大方の者に対して「上から目線」で物を言っていた。在職中なら上司と部下の関係があるからまだしも、退職して一市民になってもその調子は続いたので、いつまで上司のつもりなのかといい気持ちはしなかった。在職中ならともかく、職を離れたら、よほど親しい関係でもない限り丁寧語を交えて話すものだが、その人にはそうところがなかった。私にはいつまでたっても「おい、○○君」だった。

 

 最悪なのは県会議員や市会議員という連中だった。私は職務上、市会議員に接することがよくあったが、大方の議員の口のきき方や態度は横柄そのもので、鼻持ちならないものがあった。しかし I君によると、近頃は議員達も、だいぶ態度が変ってきたそうだから、やっと「公僕」たる者は「上から目線」ではいけないと、あたり前のことに気づき始めたのだろうか。すべての議員達に期待はできないが、一部であってもいいことだ。

 

上に挙げた本はまだ最後まで読んでいないが、挙げられている多くの例を見ると溜息が出るようで、やはり今の社会には人をいびつな考えにしてしまうようなものがあるように思われる。

                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                     

 

 


二者択一

2012-01-12 09:28:51 | 身辺雑記

 「二者択一」を高圧的に迫られることは嫌だ。白か黒かどちらかと言われても、白でもない黒でもない灰色というものがある。どうもこういう迫り方をするのは指導的な立場にある政治家に見られて、郵政民営化か否か、大阪都構想に賛成かどうかと声高に迫る。郵政民営化とか大阪都構想というものが具体的にどんなものかを丁寧に説明することなく、じっくり考える余裕もないままに雰囲気に巻き込まれていく。日和見だと言われようとそれが嫌だ。

 

 「好き」の反対は「嫌い」と言うことになるのだろうが、「好きではない」=「嫌い」ではなかろう。好きでもないが嫌いでもないという選択肢は誰にでもある。それが曖昧だと批判されるのだろうが、曖昧さも時には必要なのではないか。何事も二者択一的に割り切れるものではない。

 

 近頃は「劇場型政治」と言ってパフォーマンスに長けて声高の者が何かリーダーシップがあるように思われているようだ。とりわけ閉塞感が強いと言われている今の世情では、声高の政治家は何かをやってくれるのではないか 、現状を打破してくれるのではないかという期待を持たせる。まして仮想敵のようなものを示してそれを叩くというようなパフォーマンスをすると喝采を受けたりする。

 

街や電車の中で、ある美容外科の広告をよく見かけるが、それには総院長とやらの人物の大きな写真があって、「わきが・多汗症は俺に任せろ」とある。言わば客になる者に向かってずいぶん高飛車で横柄な言いようだと思うのだが、日本人はこういう物言いをされると案外惹かれることがあるようだ。政治家にしても声高で高飛車、時には傲慢と思える者は「何かやってくれるのではないか」とか「リーダーシップがある」と思われて、それが二者択一的なものであっても引き込まれていくようで、危険な感じもする。

 

政治家には強いリーダーシップが求められるのは当然で、優柔不断では国民や市民の信頼は得られないが、それは「俺に任せろ」というような高圧的な姿勢、言動ではないと思う。唯我独尊的に自分の考えを押し付けたり、反対意見の者に居丈高な態度をとるのでなく、反対者や有権者を納得させるような謙虚で真摯な姿勢が望まれる。私は郵政民営化を唱えて選挙に圧勝した元首相が、委員会などで相手を指差しながら発言するのがとても嫌だった。


三代目

2012-01-11 14:58:44 | 海外あれこれ

 北朝鮮の金成日総書記が急死して以来、息子の三代目が新聞などマスメディアに取り上げられることが頻繁で、いささか食傷する。この三代目はまだ30歳前でその手腕などは未知だが、早くも偶像化されているようで、次々に称号が加えられていて、「21世紀の太陽」とか「もう1人の慈愛深い親、金正恩同志は父上だ」など、この国らしい仰々しい表現で、呼称の格上げが行なわれているという。

 

 写真を見るとこの三代目はだいぶ肥満している。国民の多くが飢餓で苦しんでいるというのにこの栄養過剰気味の肥満体は何だと思うのだが、そんなことはお構いなしなのだろう。さすがに金王朝の専制支配者だけのことはある。こんな姿を見たら国民は反感を持たないだろうかと思うのだが、どうも彼の地では「肥満は権力と富と権威の象徴であり、指導者への信頼と忠誠をもたらす手段」とされているそうで、韓国筋では、「普通の人とは違うという他者との絶対的差別化で“貴種”をイメージ付け人民に君臨するため」という見方もあるようだが、これで「民主主義人民共和国」を名乗る社会主義国家というのだから何をか言わんやだ。

 


敢闘

2012-01-10 09:21:55 | 身辺雑記

 全国高校サッカー大会は伝統校の千葉県代表校市立船橋高が優勝して幕を閉じた。この大会の我が兵庫県代表は初出場の西宮市立西宮高校(市西宮)だったが、県予選では準決勝で昨年の全国覇者の滝川2高を、決勝で神戸弘陵の強豪を破った。県ベスト4に入ったのは市西宮以外はいずれも私学で、選手を集めることでは私学には伍せない公立校としてはよく頑張った。全国大会での緒戦は優勝候補の山梨学院大付属を、続いて近畿大学付属を破ってベスト8に入ったが、第3戦目で大分高校(私学)に惜敗した。第1戦での勝利から、マスコミも数少ない公立普通科高校ということもあってか注目し始め、私が読んでいる新聞は大分に敗れた記事も、大きな見出しで「市西宮 国立届かず」「文蹴両道『国立大には行く』」として、「『公立の星』が消えた」と、試合経過とともにサッカー部の実情も次のように紹介していた。

 

 「進学を重視する学校方針もあり、普段の練習は2時間限り。グラウンドも他部との共用で、練習場所も十分ではない。3年生9人全員が1415日にセンター試験を受験する。上京してからも、深夜午前1時半まで勉強を続けてきた。部活動と勉強の両立で養った集中力が快進撃の源だった」

 

 私が教師になったのはこの高校だったが、当時を思い返すと隔世の感があると感慨深い。当時(昭和33年)は西宮市の公立高校は3校、県立2校と市立1校だった。その中で評価が高かったのは県西宮高校で、市西宮高校は低いどころか、時には侮蔑的な評価も受けていた。市内の中学生たちは多くは県西宮校を希望し、定員の都合で入れない者は市西宮に回されたから、入学生の中には「回された」と不満を持つ者が少なくなかった。そうは言っても、生徒会の役員たちや教師の努力もあって、やがては落ち着いて適応したが、残念ながら中学校の父母や教師たちの評価は低く、中学校の教師の中には「レジャーランド」などと生徒に言う者もいたらしい。勉強はあまりしないで、クラブ活動が盛んだと皮肉っていたようだ。教師も資質が低いと思っていたのか、ある中学校の3年担当の教師との進学懇談会をもったときに、席上、中学校の教師の1人が「先生方はもっと勉強してください」と発言した時には、まだ新任で、毎日一生懸命に勉強していた私は非常に腹が立ち、その時に発言した教師の顔を今だに覚えているくらいだ。

 

 しかし、私は生徒たちが好きで、授業にはもちろんのこと部活動(生物部)にも打ち込み、生徒達もそれに応えてくれたから、充実した教師生活を送ることができ、今も「あの頃に」、「市立西宮高校」の教師をして良かったと思っている。

 

 それから50年以上たった今では市内の公立高校は9校になり、市西宮校は進学ではトップ校とされるようになった。私は大学進学率だけで高校を評価するのは好きではなく、青年期にふさわしく、運動部に限らず部活動にも打ち込み成果を上げることが望ましいとかねがね思っているが、今回のサッカー部の活躍は、とても好ましいと思う。新年早々に気持ちのよいことだった。