中国迷爺爺の日記

中国好き独居老人の折々の思い

水仙

2012-01-09 13:32:21 | 身辺雑記

 まだ春も遠い冬のさなか、あたりには春の彩りはないが、水仙だけは寒さにもめげず花を咲かせている。その清楚で凛とした風情が好きだ。雪の中でも春の訪れを告げるので、別名「雪中花」と言う。  

 

 水仙にはさまざまな品種があるが、私は日本の各地に自生するニホンスイセンが素朴だが気品があって好きだ。原産地は地中海沿岸で、室町時代以前に中国を経由して日本に入ったと考えられているとのことだ。群生しているのも見事だが、庭の片隅でひっそり花を咲かせている姿が良い。香りも上品だ。

 

   

 

 

  http://www48.tok2.com/home/bulb/Narcissus/

 

 

 


徒然に思う

2012-01-08 13:42:56 | 身辺雑記

 歴代最年少総理と言われながら、1年で職を投げ出した元首相が、どういうものか最近よくマスメディアに顔を出している。ある隔月雑誌の表紙にも大きく写真が載っていて、「2012 日本をどうする」という特集記事の冒頭の対談に出ている。「尖閣に自衛隊を派遣せよ」という相変わらずのタカ派ぶりだが、この人はもういい加減おとなしくしていたらどうなのという気持ちになる。まだ若いから本人は捲土重来を期しているのかも知れないが、ある評論家が評した「お坊ちゃまナショナリスト」は鬱陶しい。


気になった年賀状

2012-01-07 13:15:00 | 身辺雑記

  年賀状の中に1枚、見慣れない家族の写真が印刷してあるものがあった。夫婦と2人の息子らしいのだが、夫婦のどちらかが卒業生だろうと思っても記憶がない。夫らしい人物の顔はひどく痩せていて病み上がりのようだ。

 

差出人の名前を見て、卒業生のN君だと分かり驚いた。N君は高校の生物部員だったが、高校生時代から肥満気味で、卒業以来毎年送られてくる年賀状にはたいてい写真が付いていて、どれも相変わらず太っているなと思うものだった。それがこんなに人が変ったように痩せるとはと思い、小さな文字の挨拶を見る「昨年7月に膵内分泌腫瘍という膵臓がんと診断され」とあった。

 

 調べてみると「膵内分泌腫瘍は膵腫瘍全体の2%前後で,人口10万人あたり1人以下の発生率」とあるから、比較的希な疾患のようだ。日本の悪性膵内分泌腫瘍手術例132例の術後5年生存率は76%と比較的良好だそうで、N君のものは悪性だったどうかは分からないが、多分手術は受けたのだろう。写真の側にそれぞれの新年の抱負が書き添えてあったが、N君は「体調回復 気力アップ」としてあった。

 

 気になるので電話したが息子が出てきて、昨日貧血で倒れ入院したが、肺の感染症とのことだった。年明け早々に入院とは心配だが回復するように願う。

 


琵琶湖の川魚

2012-01-06 12:51:21 | 身辺雑記

澤田ふじ子という作家の時代小説は古の京都を舞台にしているものが多くい。作品中には京ことばが溢れていて、京都やその近辺に馴染みのない向きには読みづらいかもしれないが、私は気に入っている。その作品の中に「高瀬川女舟歌」というシリーズ物があるが、その一つのある短編に、主人公の、元は武士だが、今は高瀬川のほとりで居酒屋を営んでいる男が、錦小路という、現在でもある食料品市場の川魚屋で、勧められて琵琶湖産の子持ち諸子(もろこ)を買い求め、それを店に持ち帰って串に刺して焼く場面がある。

 

 その箇所を読んだとき懐かしい思いがした、中高生の頃は滋賀県の大津に住んでいたが、当時は琵琶湖で獲れる新鮮な川魚がとても豊富だった。子持ちモロコは冬の味覚で、母がよく素焼きにしてくれた。塩焼きでもいいが、焼きたてに醤油を少したらして食べると、何とも言えないくらい美味しかった。当時はモロコ(ホンモロコ)は至って安いものだったが、今は獲れても京都の高級料亭に納められる、屈指の高級魚になっているようだ。

 

 

                                                      市場魚貝類図鑑より

  

モロコに限らず、ほかの川魚も豊富で、市内の川魚屋に行くと、コイ、フナ、オイカワ、ハス、ウグイ、ギギ(ナマズの仲間)などいろいろなものが並べられていた。琵琶湖にはアユが多いが、下って産卵するような川がない。それで稚魚や仔アユを獲る。稚魚は34センチくらいの体長で、茹で上げると真っ白で目が黒く、氷魚(ヒウオ)と言って、当時は店先に山のように盛られて売っていた。酢で和えて食べるのだが、少年だった私はそのまま食べるのが好きで、口いっぱいに入れたものだが、その美味しかったことは今も忘れられない。残念ながら これも今では高級なものになっている。体長が5センチ足らずの子ブナもあって、母がそれを素焼きにしたものを甘辛く味付けしてくれたが、これも美味しいものだった。火をおこした七輪に焼き網を乗せ、そこにまだ生きている子ブナを並べる。生きていると言っても跳ねるほどではないのだが、網に乗せてしばらくするとチュッとかキュッという声を出す。それが面白くて焼くのを手伝ったものだ。

 

魚ではないがセタシジミというのがあった。琵琶湖の水は唯一の出口である瀬田川に注ぐが、そこが大津市の瀬田で、ここで獲れるシジミ(蜆)は殻が大きく、黄色味を帯びていて、身は厚くて味噌汁に入れるとなかなか美味いものだった。当時はそれこそ山のように獲れていたが、今では琵琶湖の南湖やその下端の瀬田ではほとんど獲れなくなり、北湖でしか獲れないそうだ。だから今ではやはり高価なものになっているのではないか。

 

                                                                               市場魚貝類図鑑より

 

かつては川魚やシジミが豊富に獲れた琵琶湖も湖に面した土地が開発され、水質が悪くなったり、ブラックバスなどの外来魚が増えて、貧相な湖になってしまった。「昔はよかった」と言うと老人の繰り言になるが、少なくとも琵琶湖の川魚については「昔はよかった」と言うほかはない。


超常現象

2012-01-05 11:07:17 | 海外あれこれ

 北朝鮮の金正日総書記が急死した時、さまざまな「超常現象」が現われたのだそうだ。北朝鮮で金日成主席や正日総書記にまつわる「聖地」とされている白頭山にある湖では、総書記の死去当日に突然大音響をあげて氷が破れ、死去が発表された19日には白頭山一帯にある金総書記の名前を冠した「正日峰」の近くで、気象観測開始以来「見たこともない赤い夕焼け」が空を染めたと北朝鮮の朝鮮中央通信が伝えた。ほかにも鶴が長い間頭を垂れていた、平壌では鳩が弔問所に入りたそうに窓をつついた、青い稲妻も見られたそうだ。超常現象と死去を関連付けることで総書記と世襲三代目の権威を高める狙いがありそうだと言われている。こうまで言うかと ばかばかしく思うが、このようなことを北朝鮮の人民は真実と受け止め畏服しているのか。そうだとすると改めて気味が悪い国だと思う。


 

 


徒然に思う

2012-01-04 12:43:42 | 身辺雑記

 私が読んでいる新聞の年末の朝刊のコラムに次のような一節があった。12月中の各界の人のことばを紹介したものだが、その中の1つ。

 

 ▼映画で山本五十六を演じた役所広司さん(55)が語る。「陸軍でも海軍でも、戦争体験のない若手に強硬派が多かった。今こそ、昭和史と向き合う必要のある時代じゃないでしょうか」

 

 役所さん自身は戦後生まれだが、言っていることはもっともだ。昭和のあの時代を遠い過去のことにしてはいけないと思う。

  近頃は戦後生まれの右派言論人の中にも勇ましく軍備増強を唱え、中には核武装まで言う者がいるが、とんでもないことだ。


年賀状をやめる

2012-01-03 09:53:08 | 身辺雑記

 今年もたくさんの年賀状が来た。一枚一枚読むのだが、多くは印刷の決まり文句だ、それでも差出人の顔を思いながら読むのは楽しい。

 

 毎年あるのだが、今年も今年限りで年賀状は止めるというのが何枚かあった。還暦とか喜寿とか年齢の節目にそのように決めたのだろうが、どういう心境なのか少し寂しい気がする。年をとるほど付き合いが減るから、年賀状は友人知己とをつなぐものだろうと思うのだが、それを止めるということは、もう付き合いということが煩わしくなったのか。年賀状を出すこと自体が面倒になってしまったのか。そちらが止めると言うのなら、来年からはこちらから出さないほうがいいのかなといろいろ考える。

 

 毎年11月も終わる頃になると年賀状の文面をあれこれ考え、12月に入ると印刷をする。それが年の終わりのささやかな楽しみだから、私は元気な限り年賀状を出すのは止めにはしない。


初日の出 初詣

2012-01-02 12:19:15 | 身辺雑記

 昨日の元旦の朝は日本全国は全般的に天気が悪いところが多く、初日の出は見られるのは少なかったようだ。

 

  このあたりは晴れたが、家が建て込み初日の出は見られない。長男が高校生の頃友人のN君や妻や次男も一緒に、徒歩で30分ほどの高台に行って初日の出を見た。あまり寒くない朝でゆっくり昇ってくる太陽が美しかった。持って行った暖か茶が美味しかった。もう40年以上も前のことだ。それ以来何年も初日の出を見ることはなかったが、最後に見たのは99年(平成11)だった。そのとき妻は入院していて、私は大晦日から病室に泊まっていた。朝早く看護師が誘いに来たので、東に面して大きな窓がある広い部屋で日の出を待った。よく晴れた朝で、やがて太陽が昇り始めた。妻も私も黙って見ていたが、ふと妻に目を遣ると、初日の光を受けてじっと見つめながら目に涙をいっぱい浮かべていた。それから2か月後の2月の末に妻は逝ったのだが、今でもその時の妻の顔が忘れられない。なぜ涙ぐんでいたのだろうか。病が重いことは知らせていなかったから、自分の身を思ったわけではなかっただろうと思う。それとも何か虫が知らせるものがあったのか。ただ初日の出の美しさに感動しただけなのかも知れなかった。それ以来初日の出は見ていない。これからも見ることは多分ないだろう。

 

初詣は一度だけしたことがある。94年(平成6)の元旦の前夜にふと思いついて妻を誘い、私鉄で1駅のところにある荒神に参拝に出かけた。人出が多いため交通規制されていてだいぶ歩かされた。午前3時頃に家に帰り、やれやれと一息ついてから寝たが、少しまどろんだ時に電話で起こされた。奈良に住む妻の妹からで、引き取って入院させていた義母が亡くなったという知らせだった。それからは元旦を祝うどころではなく、早々に葬儀を営む広島に出かけた。何とも慌しい正月で、したこともない初詣などをするからこんなことになると思ったものだ。それ以来初詣をしていない。独りだし、人ごみは嫌いだから、寝正月を決め込むことにしている。