中国迷爺爺の日記

中国好き独居老人の折々の思い

日暮れて途遠し

2012-11-19 07:30:09 | 身辺雑記

 中国の古いことばは今でも日本語の中に生きていますが、その一つの「日暮れて途(みち)遠し」は、今から2500年ほど前に中国の春秋時代を生きた呉の政治家で軍人であった伍子胥(ごししょ)のことばです。彼は司馬遷の「史記」に特に「伍子胥列伝」として挙げられ、その中にこのことばがあります。理由ははっきりしないのですが、私はこのことばに何かしら惹かれます。 

 伍子胥は初めは楚に仕えていましたが、平王に讒言によって父と兄とを殺され、呉に逃れて、後に呉の将軍となり楚の都を陥落させました。しかし父と兄の仇である平王はすでに死んでいたので伍子胥は、その遺体を引きずり出して300回鞭打ちました。凄まじい復讐の念ですが、これが「死者(屍)に鞭打つ」という慣用句になっています。この行為に対して伍子胥のかつての友である申包胥(しんぽうしょ)が使者を送って「貴君もかつては楚に仕えていたではないか。死者を辱めるのは天道がないことの極みだ」と諌めます。 

 これに対して伍子胥は使者に答えて「我が為に申包胥に謝シテ、曰(イ)エ、吾 日暮レテ途遠シ、吾 故ニ倒行シテ之レヲ逆施(ゲキシ)スト。」と言い送りました。「あえて無茶な、道義にそむくことをした」ということです。 

  「日暮れて途遠し」は「年老いてなお前途が暗く、容易に目的が達せられない」ことの譬えに使われますが、このことばを言った伍子胥の心情には、いつまでも晴れない復讐の念にさいなまれる絶望感があります。死者に鞭打って父や兄の復讐を果たしたつもりでも、実際にはそれでは晴れない暗黒の境地があります。 

 この伍子胥のことばは、一階知義・筧久美子・筧文生『中国ことばの散歩』(日中出版1980年)の中で、筧久美子氏が紹介していて、それを参考にしましたが、その中で氏は次のように言っています。 

 光明や希望とは無縁の、深い絶望がある。人間が人間に向かって「復讐を遂げる」、あるいは「復仇の成功」とは一体、どういうことなのであろうか。殺されたから、殺しかえす。それで胸がはれ、せいせいするのだろうか。もしそうだとすれば、戦争のあとしまつは大量の殺人を容認しなければおさまらなくなる、殺人とまではいかなくとも、無用のマサツで人間関係をそこなう出来ごとがあとを絶たない世の中では、復讐は陰湿な怨恨を再生産するだけだ。 

 私も年をとりましたが「年老いてなお前途が暗く、容易に目的が達せられない」という焦りなどはありませんし、まして伍子胥のように前途に絶望はありません。それでもこのことばに惹かれるのは、彼の生き方に強烈なものを感じるからかも知れません。

 

 

 

 


徒然雑草

2012-11-17 07:30:53 | 身辺雑記

11月15日

 ○野田首相は党首討論の席上で、突然明日衆議院解散を発表した。来月4日公示、16日投票だ。解散を迫り首相を「嘘つき」とまで言っていた安倍自民党総裁は虚を突かれて慌てたらしい。「それ約束ですね、約束ですね、よろしいですね、よろしいですね」と言ったらしいが無様なことだ。他の各党もかなり慌てているらしい。特に「第3極」とかを目指していた党は、どこまで候補者の準備ができているのか。選管も準備で大わらわになるだろう。ともあれ1月後には新議員が決まる。いい加減な議員はこのさい淘汰されてほしいのだが。

 

  ○フランスのボジョレ地方の新酒ワインであるボジョレ・ヌーボーが解禁された。私は、夜寝る前に小さなグラスでほんの少し飲む程度で、ワインについての知識はないが、聞くところによると軽快で渋みがほとんど無くやさしい口当たりで、初心者でも飲みやすいワインとされているようだが、ワインとしてはそんなに上級のものではないそうだ。近所の輸入ワインや食料品を扱っている店の主人は、去年はペットボトル入りのものがあったそうですよと顔を顰めていた。ただ日本はボジョレ・ヌーボーの生産量の4分の1を輸入している関係もあるのか、この時期になると「ボジョレ・ヌーボー、ボジョレ・ヌーボー」と姦しい。毎年11月の第3木曜日午前0時に販売が解禁され、世界で一番早く飲めるのは日本だとか、熱狂ぶりが馬鹿らしい。箱根の温泉地では、恒例の「ボジョレ・ヌーボー風呂」があり、参加者はボジョレ・ヌーボーが混ざった湯につかりながら、グラスで乾杯したそうだ。つまらないことをするものだ。

 11月16日

 ○衆議院が解散された。例によって議員達はバンザイをしたが、あれは何のためなのか。自民党は政権奪回の時が来たという戦いの前の鬨の声のつもりで、民主党はやけくそのバンザイなのか。中には「お手上げ」という気持ちの議員もいるかも知れない。いずれにしても終始、国民から乖離した場にいて意識もそうであるような議員達らしいふるまいに思う。議場にいるすべての議員達(共産党や社民党も含めて)がバンザイをしたのだろうか。 

 

 ○NHKの朝の番組「おはよう日本」のキャスターをしていた森本アナウンサーが電車内で20代の女子学生の下着に手を入れて胸を触ったとして、強制わいせつ容疑で現行犯逮捕された。同僚と飲酒した後での犯行のようで、本人は最初は「触った覚えはない」と容疑を否認していたようだが、送検された後の調べで容疑を認め、逃亡の恐れもないことから釈放されたようだ。

 47歳にもなり、NHKの顔ともいうべき立場なのにまったく愚かなことだ。おそらくNHKでの地位も失うのだろう。私は酔って自分を失ったことがないので、たいていの飲酒の挙句の痴漢行為の容疑者が言う「酔っていて覚えがない」ということはどこまで本当なのか分からないが、これまでに酒癖の悪い同僚達の酔態を見ると、飲酒が過ぎると酒に理性を奪われることは事実なのだろうと思う。私はアルコールに弱くて、少量でも眠くなるような下戸同然の体質で良かった。

 

 

 


徒然雑草

2012-11-15 09:54:21 | 身辺雑記

11月13日

 ○『毎日』紙の読者の投書欄「みんなの広場」に大阪府の66歳の男性が、「過激な政治家の発言が怖い」として、石原前東京都知事、安倍自民党総裁、橋下大阪市長の名を挙げている。

 そして、「『官僚支配の打破』に『現憲法の破棄』『外交安保や領土問題に毅然とした対応』。『日本再生のために国の仕組みをリセット』など実に大仰で勇ましい。日ごろからマスコミでの露出度が高い人達からの発信だけに、理屈抜きに私達国民の中に浸透しやすい。だから、なおさら怖いと感じるのだ。私たちは平和や暮らしの視点から、政治家たちの発信を検証する必要があるのではないか」と言っている。同感。

 毎朝マッサージに行っている整骨院で、今朝70代のある女性が、「戦争好きの石原も、健康保険料をどうかしようとしている橋下も大嫌いや」と吐き捨てるように言った。 

 

 ○少し寒い日だった。北海道美唄のブログ友Sさんのブログを見ると、近く雪が降るという予報のようで、冬支度も忙しいらしい。添えてあった写真を見ると紅葉、黄葉が美しい。 

11月14日

 ○石原前東京都知事が新党を結成した。「太陽の党」と言う。「立ち上がれ日本」のメンバーが構成員になっているが、政党助成金を受け取る関係から解党せずに名称変更したのだそうだ。要するに衣替えで、新党と言えるのかどうか。「第3極」結集の核になりたいらしいがどうなることか。

 これを機会にいったい国会にはいくつ政党があるのかと調べてみたら17もあった。中には「改革の志士」と言う初めて知った政党もあった。衆議院に1議席だそうだ。無所属は衆院11、参院7の18名いる。

 

 ○林芙美子原作の「放浪記」の舞台の主演で有名な女優の森光子さんが亡くなった。92歳。「放浪記」の公演は2017回に達した。一昨年以降体調不良が続いていて入退院を繰り返し、昨年には点滴による栄養補給などを続けていたという。今年2月に誤嚥性肺炎で発熱し、4月に入ると胃ろうの手術を受け栄養注入を続けてきたが衰弱が進み、帰らぬ人となった。厳しい闘病生活だったようだ。

 90歳を過ぎても丈夫で元気な人ももちろんいるが、森さんのように生きていることに辛い思いをすることも少なくないのだろう。今日までに喪中欠礼挨拶状が何通か来たが皆母親で、97,96,95歳などと高齢だ。どのような状態で亡くなったのか、森さんの最後の様子と重ね、生きているとはどういうことかと改めて思った。

 

  ○先日遊説先の広島で、広島市が訴えている核兵器の廃絶は「現実には無理」「日本は平和ボケしすぎている」などと発言した橋下大阪市長に、松井広島市長は、「被爆の実相を十分理解していない人の発言」と批判し、「被爆者の話を聞いていただければ、おのずと分かるのでは」と述べた。

 これに対して橋下氏は「核廃絶を訴えても世界には響かない」と言い、日本が安全保障理事会の常任理事国ではない現状を指摘し、「広島県や広島市は、自分たちがどうプレーヤーになるか言わないと、一地域でペーパーをまとめるだけでは世界は動かない」と広島県知事や広島市長の批判に反論した。

 例によって批判されると、よほどの自分にミスがない限り発言を撤回しない彼のことだから、今回の反論も別に珍しいことではないが、それにしても驕慢な人間だと思う。毎年8月15日に、広島で行われる慰霊祭が放映されるが、おそらく彼は観たこともないだろうし、観ても「平和ボケだ」と冷ややかに思うだけだろう。広島長崎の被爆の時には生まれてもいなかったのに、その惨禍を語り伝え世界に訴えることを否定する、まったく思い上がった人物だ。

 

 

 

 

 

 

 

 


カレー現象

2012-11-14 08:49:36 | 身辺雑記

 中国文学者で河上肇の研究者として著名な神戸大学名誉教授の一階知義さんは、門下生で友人の筧久美子、文生夫妻と共著で漢語に関するエッセイ集をいろいろ出しています。私も6冊ほど持っていますが、3氏ともに漢語の古典、現代語を通じての造詣が深く、読んでいて飽きません。その一つに『漢語四方山話』(2005年岩波書店)というのがあって、その中で一階さんは表題のようなエッセイを書いていますが、おおよそこのような話です。 

 定期健診で病院に行き、医師から、この頃何か変わったことはないかと聞かれ、「大したことはないのですが、上まぶたが垂れて来て、うっとうしいのです。何が原因でしょうか」、「物が見えにくいですか」、「それほどではありません。ただちょっとゆううつなだけです」、「カレー現象でしょう。気にすることはありません」。(ここで一階さんは自問自答します)。 

 カレー現象? カレーライスの食べ過ぎというのか。まさか。食べないではないが、毎日のように食べているわけではない。それにカレー粉でまぶたが下がって来るのなら、インド人は皆まぶたが垂れているはずだ。しかし街で見かけるインド人は皆パッチリとした眼をしている。「カレー」でなく「カレイ」か。華麗現象?この年で舞い上がって華麗になるはずはない・・・

 家令とか下隷とかいろいろ考えたが分からずに病院を後にし、帰りの駅の長い階段で息を切らしてハッと「加齢現象」だと気がつきました。そして「これだから日本語はむつかしい。同音同義語が多すぎるのだ」として実例を幾つか挙げています。これは世界共通の現象のようですが、一階さんは漢字の国日本、中国では特に多いように思えるとして、最後に中国の少し古い諺「近世進士尽是近視」を挙げています。発音は「Jin-shi、Jin-shi、Jin-shi、Jin-shi」で、同音語が4つ並んでいます。今ふうに訳せば「近頃のインテリはみんな近視だ」となるそうです。面白いと思いました。 

 加齢現象は誰にもあります。私は上まぶたが垂れ下がっては来ませんが、いろいろなことで、これは加齢現象だろうと思うことはよくあります。脚が弱くなる、指先の力が鈍くなる、悪い歯が増えてくる、トイレが近いなど挙げればいくつもありますが、あまり気にしないことにしています。とは言っても体の変化にあまり無頓着でいると重大な異常が起こっているかも知れず、それはそれで気にはなります。厄介なことです。

 

 

 

 

 


明明

2012-11-12 20:34:59 | 中国のこと

 上海の明明からメールがありました。 

 

爺爺

 おはようございます。

 月曜日から、中国国内出張で、ばたばたしていました。

 昨日、上海に戻ってきて、会社で溜まった作業をしていて、忙しかったです。夕べ9時ごろ寝ました。

 誕生日プレゼントなど、いろいろお気を使っていただき、ありがとうございます。

 小包がまだ着いていないですが、楽しみにしております。

明明 

 

 簡単ですが要領を得た近況報告です。明明は西安の李真や謝俊麗、袁毅などと同じように、西安の外国語学院日本語科を卒業し、これも李真たちと同じく西安中国国際旅行社に就職してガイドになりました、2003年ごろから西安やその周辺に旅行する時には、いつも李真の世話で私のガイドをしてくれましたが、通訳としての力は優れていました。それにとても熱心で、意味の分からない日本語があると尋ねてメモしていました。その後数年前に志望して大阪のある商社に入り、いろいろと苦労したようですが、今ではその商社が作った上海の会社に出向いて、通訳や翻訳の仕事をしています。それで日本語の力はいっそう上がっているようです。

 李真たちも日本語がうまく、話す時はまったく気にならないのですが、メールなどに書く時には時々中国人特有の誤記や訛りが出ます。しかし明明にはそれがほとんどありません。 

 明明についての心配は、ちょっと婚期を逸しかけていることです。この11日には誕生日を迎えましたが、もうアラフォーです。日本では少なくないのですが、上海や北京などの大都会では女性は30歳を越すと、結婚の機会を見つけることはなかなか難しいようです。上海などでは親が子供の婚活を熱心にするようですが、明明の母親もやったようです。父親はイスラム教系の回族、母親は漢族で、本人は背丈もあり美人でもあるのですが、婚活状況はなかなか厳しいらしいのです。本人にもその気はありますが、今は仕事に追われているようです。日本人の男性で40歳くらいの人がいないかと考えることがあります。

 

 

 


徒然雑草

2012-11-12 07:33:03 | 身辺雑記

11月9日

 ○カナダのあるドラッグストアチェーンが11月の第1週から店内でクリスマス音楽を流し始め、まだ買い物客からどこへ行ってもクリスマス音楽がエンドレスに流れていて、店に足を踏み入れるだけでうんざりする。2カ月も続くなんて正気の沙汰じゃない」などという苦情が続出した。「苦情を受けてチェーンではクリスマス音楽を当面の間全て中止することにした。いくらキリスト教国でも11月からクリスマス音楽とは行き過ぎだと思う。洋の東西を問わず少しでも早く売ろうという商魂がたくましいが、チェーン店で働く店員からも「(1日中クリスマス音楽を聞かされ続けて)気が狂いそうになる。店員のクリスマス気分はすっかり失せる」などの投稿が寄せられたそうだ。日本でもただでさえ気ぜわしい歳末、忙しさをかき立てるようなことは自粛してほしいと思う。 

11月10日

 ○近頃、ウイルス感染したパソコンから遠隔操作で犯行予告が書き込まれた事件で福岡県の29歳の男性が誤認逮捕され、27日間勾留されたが釈放され不起訴となった。東京地検はこのほどこの男性に補償金を支払うと通知された。また同じく誤認逮捕された津市の28歳の男性にも補償金を支払うことを津地検は決定した。保証金は法務省規定で拘束日数に応じて支払われ、1日当たり最高1万2500円だそうだ。

 逮捕された人達の職業は不明だが、27日間も勾留されて、金銭的にも精神的にも逸失したものは少なくないはずだ。それに対して上限が1日当たり最高1万2500円だそうで少な過ぎると思う。まさか勾留中の「食費」などの諸費を差し引いたのではあるまいが。 

11月11日

 ○橋下「日本維新の会」代表は遊説先の広島市で記者団に、広島市などが訴えている核兵器廃絶については、「日本は国連の安全保障理事会の理事国でも何でもない。日本は平和ボケしすぎている。国際機関の中で無視されている中で、廃絶といっても誰ができるのか」と指摘したそうだ。よりによって原爆被爆都市の広島市でよくも言ったものだ。被爆した妻が生きていたら激しく憤るだろう。あの時の惨状も知らず、被爆者の心情を逆撫でするような彼こそボケていると思う。街頭演説で胸を張って、核廃絶を言う広嶋市民に話せるのか。ウルトラ右翼のこの人物、国政の「第3極」とか言われて少なからず調子に乗り過ぎているのではないか。 

 ○昔勤めていた高校で担任をした17回生という学年の「入学50周年記念同窓会」があり、出席した。男子69名、女子49名、合わせて118名の出席があった。旧職員も9名出席。20余名の幹事達は春から6回も集まって準備したようだが、パンフレット作成や議事進行など非常によくできていて感心し、幹事達の献身的な努力があってこそこの会があると強く思った。17回生の彼らは今年で65歳になるが、やはり500名余の中で、物故者は1割近くあり、私のクラスでも53名中5人が亡くなっていて、名簿を見ながら一人一人の顔を想い出して胸が痛んだ。この学年の担当教師も学年主任をはじめ4名が亡くなっていた。欠席の教師のコメントも添えられていたが、やはり年齢なのだろう、「入院中」、「歩行すると呼吸困難」、「字が思い通り書けなくなった」、「心臓病」とかあるので、我が身を顧みて考えさせられたことだった。

 

 

 

 

 

 


重度身体障害の少年の詩

2012-11-10 07:28:14 | 身辺雑記

 これまでにも引用してきましたが、『東京』紙のコラム「筆洗」はなかなか読ませるものがあります。最近も感動的な文を掲載していましたので、少し長くなりますが全文紹介します。 

  「<てのなかにうつくしいていねんをにぎりしめて いきていこうとおもう。うつくしいていねんは しんじつそのものです。くるしみのなかで ひかりかがやいています>▼美しい諦念を握り締めて生きる。この言葉を書いたのは十五歳の少年だ。臼田輝(ひかる)君は一歳になる直前、都内のマンション五階から落ちた。動くことも、話すこともできなくなった。母の真左子さんは「心も身体も毀(こわ)れてしまった」と思った▼数年たって、彼の目が輝く瞬間があることに気づいた。鏡を覗(のぞ)き込むように瞳を見つめなければ、気づかない光だ。十三歳で指先の微細な動きでひらがなを表示する装置に出合い、光は言葉となった▼<へいわがくればいい/うちゅうがえいえんにじかんのあるかぎり/いつのひか ちいさないのちがうまれて/そだっていくように>▼その言葉に、みんなが驚いた。真左子さんは言う。「やっと命をつないで生きている子どもたちは、喜びと悲しみは隣り合わせだと知っている。輝もすべてを受け入れていたのでしょう」▼<てのなかにあるしんじつは さいわいそのものです。のぞめばいつでもてにはいりますが だれもこのことはしりません。なぜならにんげんは つねにらくなみちのほうをこのむからです。いきるということは、こんなんとなかよくしてゆくことなのです>。輝君は十六歳で天に召された。」 

 心も体も毀れてしまったと思われた少年は心の中で、美しい諦念を握り締めて生きてきたのでしょう。その「美しい諦念」ということばに驚かされますし、この輝君という少年の純粋な魂の在りように感動します。ことばは出なくても豊かな感性が周囲の物事や思いを受け止めたのだと思います。奇跡のような気もします。僅か16年の短い生涯に自分の美しさを燃焼させて逝った、この少年の魂が安らかな憩いの場を見いだしたことを信じます。

 

 

 


徒然雑草

2012-11-08 10:26:35 | 身辺雑記

11月7日

 ○米国の大統領選挙は現職のオバマ氏の勝利に終わった。米国の大統領選挙は膨大な資金と長時間をかけて行われる。米国民にとっては4年に1度の政治的ショー、お祭り騒ぎらしい。日本人にはなかなか理解できないことだが、選挙戦の最中には激しいネガティーブ・キャンペーンが行われ、相手候補の欠点や裏面が暴きたてられる。選挙が終わるとケロリとして相手を讃え合うのも何だか芝居じみて滑稽に感じることがあるが、米国人の気質なのだろう。それにしてもテレビ討論なども激しいもので、それで国民の評価を問うのだから、さすがに日ごろからディスカッションやディベートで弁論力を鍛えている国だけのことはある。日本の与野党党首討論などとは規模も質も違うようだ。

 しかし大統領選挙のやり方は選挙のたびに新聞などで解説されるが、どうもよく分からない。州ごとに選挙民は候補者のどちらかを支援する「選挙人」に投票し、多数を取った方が、その州全体の候補者の獲得選挙人の数となる。ここのところがどういう歴史的背景があるのかさっぱり分からない。選挙人を選ぶのなら直接候補者に投票した方が簡単だと思うのだが、そうはいかない事情があるのだろうか。

 再選された大統領は次の選挙には出られないから、再選後の4年間は「レイム・ダック」と言われて、政策に生彩を欠くのが通例だそうだが、さてオバマ氏の場合はどうなるか。 

11月8日

 ○新設大学の不認可の問題で騒ぎを起こした田中文科相は一転して認可することになった。不認可を言ってからわずか5日の変身だ。その間でもつじつまの合わない発言をしていた。実際わけの分からない人物だ。大臣たる者もっと自分のことばに責任を持つべきだが、最近の粗製乱造のような大臣が多いと無理な注文かも知れない。そもそもこういう喧騒で唯我独尊的な人物を大臣に任命した野田首相の見識が問題だ。ともあれ、振り回された3大学は何とか来春開学ができるので一安心というところだろう。 田中文科相は問題になった3大学について、「今回(の騒動が)逆にいい宣伝になって4、5年間はブームになるかもしれない」などと語ったそうだが、軽率で懲りもしない口だ。

 

 ○新聞などの写真につけてあるコメントは作った者の主観が表われていて面白い。これは7日の衆議院文部科学委員会での質疑の最中の田中文科相の姿だが、『毎日』紙は「疲れた様子の」とあり、『産経』のネット版では「ふんぞりかえって事務方から書類を受け取る」としている。どちらとも取れるが、我々も報道写真を見るときには自分の主観に左右されて、見たり、解釈したりするのだろう。私は疲れたように見えたが、いずれにしてもこの文科相の恰好はあまり行儀の良いものではない。委員会の答弁に立つ大臣が、こんな恰好をしても咎められないのだろうか。

   

 

 


万里の長城で遭難

2012-11-08 09:03:19 | 身辺雑記

 万里の長城でトレッキングをしていた日本の女性2人と男性1人が、突然の大雪のために遭難し死亡しました。女性1人と中国人ガイド、中国人添乗員は救助されましたが、死亡した人は皆高年者で、特に男性は76歳の高齢です。 

 一行は東京都のある旅行社が企画した「世界遺産 万里の長城 グレートウォール・100キロトレッキング」という8泊9日のツアーに参加し、7日間で100キロ余りを歩く計画だったそうです。時期と言い場所と言いいささか無謀な計画だという感じがしますが、この旅行社は、2009年に北海道のトムラウシ山で8人が遭難死亡したツアーも企画していました。 

 参加者は皆高齢ですが、このツアーに参加するだけの体力に自信があったのでしょう。しかし中国の北にある万里の長城のある山は険しく、寒さも厳しいのですが、寒さに対する備えは十分にできていたのでしょうか。一行は強風や腰まであるような積雪の中を深夜まで現場付近を歩いていたらしく、強い不安感にとらわれただろうと思います。最後にどんな思いをしたのかと痛ましく思います。 

 かつてある知人に、万里の長城で初日の出を迎えるという旅行社の企画があるがどんなものだろうと聞かれたことがありますが、私はすぐに止めた方がいいと言いました。寒さはこちらで想像する以上のものでしょうし、元旦が晴天とは限らないからです。私の意見もあってか知人は取り止めたようですが、その時も旅行社というものはいい加減な企画をするものだと思ったものでした。 

 中高年者の登山、トレッキングは盛んなようです。近くのJRや私鉄の駅には休日ともなると山歩きをする中高年者の姿が多く見られます。脚が悪い私は若い頃のことを思い出して羨ましくなります。女性の姿も多く、この人達はこうやって山歩きに慣れ、自信をつけて、だんだん程度の高い山を目指すのでしょうが、やはり若い頃から登山をしていないと、思いがけない危険に遭遇すると適切な対処ができないこともあるかと思います。山を軽く見ないことです。

 


明明の電話

2012-11-07 07:41:13 | 身辺雑記

 久しぶりに上海の邵利明(明明)から電話がありました。日系の企業に勤めていますが、毎日なかなか忙しいようです。いろいろ話をしている中で、反日暴動のことを聞きましたが最近は静かになっているようです。何週間か前に外灘(ワイタン)の近くの料理店で食事をしていた日本人たちが、中国人の男たちに因縁をつけられ、殴る蹴るの暴行を受けた話をしましたが明明は知りませんでした。あのようなことをするのは生粋の上海人ではなくて地方から出てきた者が多いそうだがと言いますと、明明は、それもあるだろうけれどヤクザのような者が絡んでいるのではないかと言いましたが、そんなこともあるのかと何となく納得した気持ちになりました。 

 反日で日本の物は買わないそうだがと聞くと、皆買っていますよ、日本の物は質が良いから、私もユニクロへ行ってよく買いますと言いました。暴力事件のことでも日本の政府(マスコミのことでしょう)は大きく拡大して言っているとも言いました。当たっていないことでもないのかも知れません。日本のある全国紙のインタネット版を見ますと、反・嫌中国感情を掻き立てるような記事が毎日のように載っています。このような新聞は中国と仲良くしようなどとはまったく考えていないのでしょう。 

 今のところ上海に限らず中国の都市では騒ぎは起こっていないので、中国の当局者も煽ることはしていないようです。明明に限らず西安の李真など良識ある中国人にとってもあのような暴挙は不愉快なことのようです。それにしてもあの一連の暴動で何億かの損害を被った日本の企業などに対して中国政府は、日本に責任があるとして補償しないようですが、普通の常識は通じない国だとつくづく思います。日本の政府も腰が引けたような態度ではなく、粘り強く毅然として対応すべきです。 

 明明は上海に行く前は大阪のある商社にいて、そこから今の会社に派遣されているのですが、しきりに日本に行きたい、大阪に行きたいと言っていました。上海は物価が高く、特に家賃はひどい値上がりで住みにくいようです。それで思い出したのか、チョコレート菓子や塩ラーメンなどが食べたいとねだられました。まあ、年の小さな娘か大きな孫にねだられたようなものです。