中国迷爺爺の日記

中国好き独居老人の折々の思い

猫の動作

2013-01-21 07:47:49 | 身辺雑記

 最近は寒いので、我が家のミーシャはしょっちゅう私の布団に潜り込んできて、一晩中そのまま寝ているようです。 

 入って来る時はまず布団の襟元に座り、私をじっと見おろしてからそばに下りて来て、私の顔の横でしばらくもぞもぞしています。本を読んでいる時は光が遮られて邪魔なので「早く入りよ」とせかしますが、何か考えている様子をしばらくしてから布団に入ってきます。その時はずかずかと私の首や顔を踏みつけるので、肉球が冷たく、やはり動物で礼儀などそっちのけだなあとおかしく思います。 

 そんな時、短い間ですが彼女の様子を見ていると、いろいろなことに改めて気付かされます。まず無表情で、この点は犬とは違うようです。顔を見つめ合っても表情を変えません。もっとも笑ったりしたら気味が悪いのですが。それに話しかけても、横目を使うことがありません。2、3回呼ぶと顔をこちらに向けます。そうか猫は横目を使わないのか、犬はどうだったかなと考えます。 

 黙って考え込むような仕草はよくあって、玄関の外にいる時に、ドアを開けて呼んでもしばらくは黙って考えているような様子でなかなか入って来ません。ちょっといらいらして「ちっぽけな頭で何を考えているんだ」と言ったりしますが、そのうちにニャンともウンともつかない声を出して入ってきます。 

 一緒に暮らすようになって今年で14年になりますが、猫というものは未だにあまりよく理解できません。甘えることもあまりないのですが、それでもこれがいなかったら寂しいだろうなとは思います。

 

 

 

 

 

 

 

 

 


賞味期限と消費期限

2013-01-20 08:12:40 | 身辺雑記

 食べ物の「賞味期限」については、今では常識のようになっていますが、これを絶対的なものととらえる傾向があり、ちょっとでも期限が過ぎると捨ててしまうということもあるようです。ある知人の女性は友達から中国茶をもらいましたが、先月期限が過ぎていると言ってみな捨ててしまったと言っていました。いき過ぎだと思いますが、売る方にとっては神経質にならざるを得ないようで、近所のスーパーでは期限が近くなると値引きします。私がよく行く輸入食品を扱う店では、私が好きなフランスやイタリアのナチュラルチーズは期限を過ぎると半額にします、ナチュラルチーズは少々高いものですから半額になるとありがたいし、買えばどうせすぐに食べてしまうので歓迎しています。その他の食品も買って日にちがたった物は、色を見たり、においを嗅いだり、少しかじってみて、何でもなかったら食べますが、これまで中ったことはありません。 

 もう10年も前のことですが、近くのデパートで出店していたある中華料理の惣菜店が、賞味期限が切れているのに売ったというので問題になりました。私は見ていませんが、女性の社長がテレビ取材を受けた時に、なぜそういうことをしたのかと問われて、「だって美味しかったのですもの」と答えたようです。この店は神戸の商社が経営し、かなり手広く各地のデパートなどに店舗を出していたようですが、全て出店を取り消されましたし、社長の発言はひどく叩かれました。販売されたのは「ベトナム風蒸し春巻き」などでしたが、社長の指示で賞味期限を最大5か月オーバーした冷凍春巻きを調理して、販売していたようです。このことは当時大きく報じられて問題になりましたが、神戸市保健所は食品衛生法に基づく立ち入り調査で、売られた商品については事実を確認し、「好ましくない」として文書による指導を実施しています。

 しかしこの社長を弁護するつもりはありませんが、賞味期限については「美味しかった」は一理はあります。「賞味期限」、別名「品質保持期限」は、加工品や冷凍品について「正しく保存していればおいしく食べられます」という目安の時間です。これはメーカーが独自の判断で決めているもので、実際に品質に問題が出る時間の半分以下にしておくのが普通だそうです。品質に問題がなければ、期限切れでも販売することに法的な規制はありません。問題になった冷凍食品の食品としての劣化期間は正確にはどれくらいのものかわかりませんが、普通の感覚では5カ月も過ぎると品質が劣化しているのではないかと疑われるでしょう。 

 賞味期限は消費期限とよく混同されますが、賞味期限とは、「劣化が比較的遅い食料品を包装状態のまま所定の環境に置いた状態で、製造者が安全性や味・風味等の全ての品質が維持されると保証する期限を示す日時」とされ、「製造日を含めておおむね5日以内に急速な品質の低下が認められる食料品については『消費期限』で表現される」となっています。2008年の農林水産省と厚生労働省の新聞広告でも、おおよそ次のように解説されています。

 「賞味期限とは 『美味しく食べられる期限』です。開封していない状態で、表示されている保存方法に従って保存したときに、美味しく食べられる期限を示しています。賞味期限内に美味しく食べましょう。ただし、期限が過ぎても食べられなくなるとは限りません。”美味しく食べられる期限”を示します。賞味期限を表示した食品は傷みにくいので、期限を過ぎても、すぐに捨てる必要はありません。」

 こういうことですから、あまり神経質になって、期限が過ぎると即廃棄というのはもったいないことです。しかし、どっと買い込んで冷蔵庫や冷凍庫に入れ、長い間放置すると当然劣化します。これは私もよくやっていたので、もったいないことをしたと反省しています。

 

 




ろうばい(蝋梅)

2013-01-19 07:40:51 | 身辺雑記

 毎年ブログに出しますが、今年も近所の家の庭の蝋梅が花をつけました。今年は昨年より花が多く、色も鮮やかです。蝋梅は妻が大好きだった花で、それで私も好きになりました。この花が咲くと、妻の命日も近いなと思います。

   

   

   

   

   


これで事が済むのか

2013-01-18 10:33:20 | 身辺雑記

 私より少し年下の女性から「こういうことどう思いますか」と尋ねられました。体罰で自殺した生徒の学校、大阪市立桜宮高校の体育科の募集を中止すると橋下市長が市教委に要請した件でした。朝のテレビのニュースで観たそうです。「無茶だと思いますよ」と答えましたら、「そうでしょう、私は学もないけれど、こんなことであの学校がよくなるとは思いません」とその女性は言い、「橋下さんは何でも自分の思い通りになると思っているんじゃないですか」と強く批判していました。 

 今更言うまでもなく、このような事件は二度と起こしてはならないもので、今後厳しく反省し改善するべきことですが、だからと言って体育科や、スポーツ健康科学科の入試を中止してどんな効果があるのでしょう。2月の入試を目前にしてこのような処置をすれば、困るのは中学校で進路指導してきた教師や受験希望の生徒、保護者です。橋下市長は「こんなところでそのまま入試をやったら大阪の恥。入試をやめて、生徒、保護者で考えないと学校なんて良くならない」と言い、最悪の場合には廃校や体育科の廃止を含めて検討する考えを示したそうですが、「廃校」まで言うとは実に短絡的で荒っぽい考え方で、これが市長かと程度の低さに呆れます。市内の中学三年生のある父親は、「大人が責任をとるなら分かるが、怒りの矛先を子供に回さないでほしい」と言ったそうです。市立中学の校長たちも、戸惑ったり憤ったりしているそうですが当然でしょう。亡くなった高校生の両親もここまでは望んでいなかったでしょう。市立中学130校で作る中学校長会は17日、「生徒・保護者に不安と動揺を与える」として、入試実施を求める要望書を市教委に提出しました。これに対し、橋下市長は「問題の重大性を分かっていない。そんな校長はいらないので、どんどん公募で替えていく」と話したそうですが、もう問答無用の横暴さで、独裁者の本質むき出しです。

 大阪市教育委員会は21日に判断するそうですが、どういうことになるのか。この卑小なワンマン市長に反論するのか、従うのか。橋下氏はよほどのことがない限り自論を撤回するとか謝罪することをしない人物ですから、この問題も居丈高に自論を押し通すかも知れませんが、彼は最初は大きく出て、その後批判を受け入れたかのように主張を後退させ、これはと思うところで「妥協」しますから、その戦法で来るかも知れません。今のところ市長は「入試をやめてこう校風、体質をいったんゼロにしないと新しい生徒を迎えるわけにはいかない」と強調していて、あくまでも考えを変えない構えだそうです。この頑固さ! 

 この問題に関連して、橋下氏は16日にこの3月の人事異動で、校長はじめ全教職員70人を移動し、総入れ替えすることも市教委に要請したようですが、これも学校体制を大混乱に陥れるだけでしょう。彼はこの不祥事は全教職員の連帯責任だと言いたいのかも知れませんが、何の関係もない教科やクラス担任、それに生徒にとっては迷惑至極なことです。しかし彼のやり方らしく翌日には、トーンダウンして「最低限、体育会系のクラブ活動顧問の入れ替えだ。春に顧問が残っているようなら、体育教師分の人件費を執行しない」と述べ、市長が権限を持つ予算執行権を盾に、人事の刷新を迫る考えを示したそうです。私は新聞報道を見る限り、当該のバスケット部と、バレー部以外の体育系クラブで体罰があったかどうかは知りません。橋下氏はそういうことを知っていてこういうことを言うのでしょうか。もし体罰などなしにクラブ顧問の責を果たしている教員があればいい迷惑です。それにお得意の「予算を執行しない」です。予算執行権が市長にあることは認めますが、彼はこの権限を振り回しすぎます。まるで脅しの手に使っているようにも思われます。 

 これまでにも橋下市長は文楽問題など自分の理解の範囲外の問題に臆面もなく口を出して失笑を買うことがありましたが、この桜宮高校の事件に関しての彼の発言は、教育についても実態にも体制にもマネジメントのあり方にも理解が低いことを示していると思います。馬の耳に念仏かも知れませんが、彼はもっと謙虚になるべきでしょう。ただし、彼の辞書に「謙虚」ということばがあればの話ですが。 

 それにしても高校生を自殺まで追い込んだ顧問はどうしているのでしょうか。自宅謹慎でもしているのか消息不明です。何の処分もしないままに3月の異動期にどこかへ転勤させるのか。こういうことを一つ一をきっちりしていくことが大切だと思います。市長はこういうことをはっきりさせるように教育委員会に求めるべきでしょう。

 

 

 

 


肌のかゆみ

2013-01-17 11:22:54 | 身辺雑記

 最近孫の手を使うことが多くなり、毎日のように肌を掻いています。高齢者が皮膚のかゆみを訴えることは多く、一般には老人性皮膚掻痒症と言われていますが、私の場合もそうなのだろうと思います。肌は年とともに水分、皮脂が減っていって、皮膚の保護能力が減り、刺激でかゆみとなるのだそうで、手足、腰、臀部、肩甲骨の部位、背中、腹部が主にかゆくなるようですが、私の場合もそうです。入浴したり、夜布団に入ったりして体が温まってくると、あちこちがかゆくなります。掻くと気持ちが良いのですが掻き過ぎると血が出たりしてよろしくありません。 

 背中がかゆい場合には手が届かないことが多く、かえってかゆみが増すように思います。かゆいところにはポイントがあって、そこに指が届かないとすっきりしません。家族がいれば掻いてもらって、ポイントに嵌ると「ああ、そこ!そこ!」とうっとり満足します。独りではそういうわけにもいかず、そこで孫の手の出番になるわけです。 

 孫の手は中国や欧米などの外国にもあって、いつ頃どのようにして発明されたのかは分かりませんが、まさに「かゆい所に手が届く」もので簡単で素晴らしいと思います。かゆいということは犬や猫にもあるようでよく掻いていますが、人間も原始の時代からかゆみには悩まされていて、木の枝を使ったりして掻いていてそれが進化して孫の手のようなものになったのだろうと想像します。 

 孫の手は今では百円ショップなどで簡単に買えます。前に中国に行ったとき、ツアーのバスがある町に停まると、物売りが押し寄せて来て、その中に孫の手を束にして持ち、売る者がいましたが、そんなものは日本では珍しくないので誰も買う者はいませんでした。見学が終ってバスに戻るとまたやって来て、「10本千円」と叫ぶので可笑しく思いました。中国の町の物売りは日本人には何でも千円と言って売るので「千円屋」と言うのだそうですが、孫の手を10本とは誰も買わないでしょう。 

 孫の手は便利なものですが、それよりもかゆいのを抑えることができたらと思います。運動不足も原因の一つらしいのですがそれは思い当たります。

 

 

 

 

 


これで良かった

2013-01-15 07:42:17 | 身辺雑記

 時々、妻以外の女性と結婚していたらどうなっていただろうと考えることがあります。もちろん想像はできませんが、いろいろと今とは変わっていることは事実でしょう。そういう時にはいつもまず、4人の孫の顔を思い浮かべます。一人一人の顔を思い出しながら考えていると、どれも可愛く満足だと思います。そうするとこの孫達がいるのは息子達がいて、それぞれ気に入った相手を見つけたからです。そしてその息子達は妻と結婚したから授かったものです。そうすると・・・、やはり妻と結婚したことは良かったのだという結論になります。 

 『毎日』紙の朝刊に「万能川柳」という欄があって、季語には捉われずに自由に詠むもので、投稿者が多くなかなかの人気のようですが、最近こんな句を見ました。 

 結婚の意味は有ったなこの子居る 

 作者の年齢は分かりませんが、我が子に満足し、そこから結婚にも満足している心境が読み取られて、その通りだと思い、心が温まりました。

 


体罰

2013-01-14 13:43:39 | 身辺雑記

 連日のように大阪市立桜宮高校バスケット部の主将だった2年生の男子生徒が、顧問の体罰で自殺した事件が報じられています。このニュースで非常に腹立たしく思うのは、顧問の教師の、事をできるだけ小さくしようとする姿勢ですし、それを鵜呑みにして簡単な事情聴取しかしなかった学校長や、その報告を受けてそれ以上の調査をしなかった大阪市教委の在り方です。 

 「業を煮やした」橋下市長が、直接この問題への対処の指揮を執るようですが、彼は教育は2万%強制だと言い、元来は体罰一部容認論者です。あるブログによると家庭でも「自分の子どもも、ぐうの音もでないほど投げ飛ばしたと自慢していた」そうです。要するに例によって先頭に立ちたがっているだけなのか、本当に学校から体罰をなくそうとしているのか疑問です。遺族宅に弔問して謝罪した市長は、記者団に「体罰についてはこれまで、中高時代、ラグビー部に所属していた経験から、『ビンタもあり得る』などと、容認とも取られかねない発言をしていたが、この日は『認識が甘かった』『前近代的だった』『猛反省している』などの言葉を何度も遺族や記者団に口にした」(YOMIURI ONLINE)とのことですが、そのことばを体罰撲滅に生かしてほしいと思います。 

 この顧問は、この生徒が自殺する前日に「8~10回たたいた」と言い、両親は「30~40回と息子から聞いた」と言っており食い違いが大きくあります。「たたいた」と言うと軽く思えるかもしれませんが要するに「殴った」のです。それに10回くらいなら体罰ではなく、30回や40回なら体罰だと言うことはありません。まして、それで生徒を自殺にまで追い込むのは犯罪行為です。この学校ではこの顧問だけでなく、他の部でも顧問が部員を殴ることがあったようで、常態化しているようです。

  大阪市教委によると、生徒は自殺する前日の練習試合で体罰を受け、試合後に顧問と教官室で面談し、「(体罰を受ける)キャプテンがしんどい」と打ち明けていましたが、顧問から「キャプテンを辞めればBチーム(二軍)行き」と迫られ、「(キャプテンを)頑張ります」と答えた際、「殴ってもええねんな」と念押しされたといいます。殴るのを当然のように言って生徒を追い詰めるこの教師は、サディストではないかと思います。 

 日本全国では、いまだに戦時中の軍隊のシゴキもどきの体罰が横行し、その多くは部活動だと言うことです。体育系の部活動で体罰が多いのはどうしてなのか、生徒が失敗したり試合に負けたくらいで、なぜそのように生徒を殴るのか理解ができません。私がかつて勤めていた高校のサッカー部は県代表になり全国大会でも健闘して注目されましたが、部員達はのびのびと学習もし、練習もしたようで、その点も評価されました。桜宮高校のバスケット部は全国での強豪校で、常に勝たなければならないというプレッシャーが顧問にあったのかも知れませんが、それを生徒に転嫁して暴力を振るうのは論外です。 

 親が子どもに暴力を振るうと「しつけのつもりだった」と弁解し、教師は「愛の鞭」「励まし」と言います。私はこの「愛の鞭」ということばには嫌悪を感じます。本当に子どもや生徒に優しい気持ち、愛を持っていたら暴力は振るえません。要するにかっとなった挙句のことなのです。私は長男が幼い頃、ちょっと反抗的な態度を取ったというだけで頬を1回平手打ちしたことがあります。長男は色白の子でしたから叩いた後が赤くなり、その顔で「お父さんはひどい」と抗議した時にはつくづく悪かったと自己嫌悪に陥ったものです。冷静にこれは「愛の鞭」だと考えながら、無抵抗な子どもや生徒に暴力を振るう人間がいたら、むしろ気味悪く思います。橋下市長が自分の子どもを、「ぐうの音もでないほど投げ飛ばした」時に冷静であったとするならば、彼は特殊な性格だと思います。 

 私は戦時中の小学生の時に、理由の分からないままに一度担任にビンタを食らったことがありますが、その時の担任の顔が忘れられず、長じるにつれてその担任の顔が醜いものに思うようになったものです。元プロ野球の投手だった桑田真澄さんは講演会等で、「体罰で技術が向上することはない。絶対に反対だ」と訴えているようです。 

 戦後70年にもなるのに体罰教師が後を絶たないのは、世間や親の一部にそれを「熱心だ」とか「熱血先生だ」、「悪い子には体罰は必要だ」として容認する声がいまだにあるからで、それが教師を甘やかし、暴力に走らせることを考えてみるべきだと思います。

 

 

 

 

 

 

 

 

 


トビ

2013-01-13 07:33:40 | 身辺雑記

 これも弟が撮った写真です。迫力がありますね。

  「鳶が鷹を産んだ」と言われ、トビはタカよりも貶められるようですが、トビもタカの仲間です。この写真を見てもなかなか風格があります。

    


大当たり!

2013-01-12 08:06:04 | 身辺雑記

 外出するときに肩に掛けているバッグの底に、昨年末に買った宝くじがありました。連続番号のもので袋に入っています。買った店の前はいつも通るのですが、「6億円出ました」という表示もないのでどうせ空くじばかりだろうと放ってあったものです。取り敢えずはその店で調べてもらいますと、何と3千円が当たっていました。3千円で10枚買ったものですから、その費用は返ってきたのですが、ほかに300円も当たっていて、結局今回は300円の「儲け」になったわけです。6億円からは程遠いのですが、それでも私にしたら3千円は大当たりです。店の女性によりますと、この店からは100万円が出たそうです。

 今回もタヌキの皮算用をしていた夢は破れましたが、まったくの「た抜きのたからくじ」にならなかったのは上出来でした。それにしてもこの日本では何人かが6億円を手にした人が現実にいるのですが、どんな気持ちだろうか、勤めていたら辞めてしまうのではないか、しかし「悪銭(?)身に付かず」と言うから、などと埒もないことを考えました。                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                             

 当たらなかったから言うわけではありませんが、何億という当たりを出すのは本当に良いことなのか、1千万くらいにして当選者を多く出した方がいいのではないかとも思いますが、それでも私には儚く消える夢でしょう。