8時半に寝たら1時半に目が覚めてやはり眠られず。5時間ペースでも特に弊害はないが、朝までが長い。
仕方ないので、5時に宿を出たまでは良かった。ところが大ポカをやらかしてしまった。前日から思い込んでいた方向へ歩き始めた。30分ほど歩いて変だなと思い、スマホで現在位置を確かめたら、なんと反対方向へ進んでいた。
案内表示板がない、国道ではない、峠に向かっているのに下っているなど…チェックポイントはたくさんあったのに、思い込みというのは凄いものだ。
結局、宿まで戻って仕切り直したのが6時だった。1時間、約4kmの無駄足になった。それでも、今日のゴールの下諏訪には14時には到着。ガイドブックより1時間速かった。
まずは、次の和田宿を目指した。
こんな茅葺きの可愛いバス停があった。
7:35、「是より和田宿」の立派な本陣石碑。「和田宿」は、1843年には、家数126軒の、本陣1軒、脇本陣2軒、旅籠28軒だったが、1861年に大火でその大半を焼失。現在残っている建物はそのときに建築されたものらしい。
それにしても、重量感溢れる出桁造り、出格子の家の連なりは壮観だ。
本陣の冠木門
和田宿の中に立つ「江戸より五十里」の一里塚。まさに、自分が歩いてきた距離だ。200km歩いたことになる。
和田宿を抜けて、国道から旧道へ。案内表示板が充実している。
いよいよ、中山道最高標高の和田峠越えとなる。
ずっと幅広の快適な自然遊歩道のような足に優しい道が続く。古道の雰囲気は感じられない。所々にクリンソウの花がさいている。傾斜も急なところはなく、一定の傾斜で登っていくので歩くペースも一定で登っていける。
途中にある復元された永代人馬施行所。江戸の豪商が幕府に千両を寄付し利子で旅人に粥、人馬に煮麦を施行したとのこと。
10:50、標高1600mの中山道最高地点、旅人が難渋した和田古峠に到着。和田宿からも、下諏訪からも11.
5kmの地点だ。
ここで、行動食を口にし、30分のんびり休憩。
かつて、ここは御嶽山の遥拝所でもあった。
画像は石小屋跡。反対側の道を下り始めて驚いた。いきなり急な谷地形の七曲がりが続く。それも、登山道より狭い道である。良くもこんな所を大名行列で登って来たものだと思われるような急斜面の細い道が続く。
急斜面をトラバースし、片側が崩れているようなところもある。人はともかく、馬は大変だったろう。
反対側から登るのは大変だと思っていたら、同年代の二人が登ってきた。おもわず、「峠を越えたら楽ですよ」と言ってあげた。
ようやく和田側のような道になったのは、2kmほど下ってからだった。
2.7kmからは、国道や舗装道路の歩きになった。長い舗装道路は足に衝撃が来るので大嫌いな歩きだ。
8kmほど下ると、諏訪神社の有名な「御柱祭」の「木落し坂」の上に到着。
道なりに下ると、その坂の下に出た。
国道と別れて、諏訪湖や下諏訪の町並みが見えてくるとゴールは近い。
「下諏訪宿」は、中山道の甲州街道との合流地。東は和田峠、西は塩尻峠に挟まれた交通・軍事上の要衝地だった。さらに、諏訪神社下社の門前町で、当時は中山道唯一温泉の湧く宿場だったこともあり、旅籠は40軒もあり、大瓶賑わった宿場だったようだ。
本陣と問屋役を務めた岩波家
今日のゴール、諏訪神社下社秋宮の神楽殿
今日の宿は、中山道から50mほど入った、築100年以上の古い旅館を改造利用したマスヤゲストハウス。素泊まり4000円だが、外国人の利用がほとんどなので、6畳間にダブルベットが入っていた。
このブログを打ち終えたので、これから温泉に入りに行って、夕食の予定。
宿のすぐ近くの銭湯感覚の菅野温泉。230円。市内のあちこちにあるようだ。
【歩数計】54184歩数、朝の間違い往復の4km分も含む。
【諸経費】パンほか290円、缶コーヒー130円、信州おやき400円、携帯電話充電器970円、宿代4000円、夕食+生ビール2杯2200円。〈計7990円〉
仕方ないので、5時に宿を出たまでは良かった。ところが大ポカをやらかしてしまった。前日から思い込んでいた方向へ歩き始めた。30分ほど歩いて変だなと思い、スマホで現在位置を確かめたら、なんと反対方向へ進んでいた。
案内表示板がない、国道ではない、峠に向かっているのに下っているなど…チェックポイントはたくさんあったのに、思い込みというのは凄いものだ。
結局、宿まで戻って仕切り直したのが6時だった。1時間、約4kmの無駄足になった。それでも、今日のゴールの下諏訪には14時には到着。ガイドブックより1時間速かった。
まずは、次の和田宿を目指した。
こんな茅葺きの可愛いバス停があった。
7:35、「是より和田宿」の立派な本陣石碑。「和田宿」は、1843年には、家数126軒の、本陣1軒、脇本陣2軒、旅籠28軒だったが、1861年に大火でその大半を焼失。現在残っている建物はそのときに建築されたものらしい。
それにしても、重量感溢れる出桁造り、出格子の家の連なりは壮観だ。
本陣の冠木門
和田宿の中に立つ「江戸より五十里」の一里塚。まさに、自分が歩いてきた距離だ。200km歩いたことになる。
和田宿を抜けて、国道から旧道へ。案内表示板が充実している。
いよいよ、中山道最高標高の和田峠越えとなる。
ずっと幅広の快適な自然遊歩道のような足に優しい道が続く。古道の雰囲気は感じられない。所々にクリンソウの花がさいている。傾斜も急なところはなく、一定の傾斜で登っていくので歩くペースも一定で登っていける。
途中にある復元された永代人馬施行所。江戸の豪商が幕府に千両を寄付し利子で旅人に粥、人馬に煮麦を施行したとのこと。
10:50、標高1600mの中山道最高地点、旅人が難渋した和田古峠に到着。和田宿からも、下諏訪からも11.
5kmの地点だ。
ここで、行動食を口にし、30分のんびり休憩。
かつて、ここは御嶽山の遥拝所でもあった。
画像は石小屋跡。反対側の道を下り始めて驚いた。いきなり急な谷地形の七曲がりが続く。それも、登山道より狭い道である。良くもこんな所を大名行列で登って来たものだと思われるような急斜面の細い道が続く。
急斜面をトラバースし、片側が崩れているようなところもある。人はともかく、馬は大変だったろう。
反対側から登るのは大変だと思っていたら、同年代の二人が登ってきた。おもわず、「峠を越えたら楽ですよ」と言ってあげた。
ようやく和田側のような道になったのは、2kmほど下ってからだった。
2.7kmからは、国道や舗装道路の歩きになった。長い舗装道路は足に衝撃が来るので大嫌いな歩きだ。
8kmほど下ると、諏訪神社の有名な「御柱祭」の「木落し坂」の上に到着。
道なりに下ると、その坂の下に出た。
国道と別れて、諏訪湖や下諏訪の町並みが見えてくるとゴールは近い。
「下諏訪宿」は、中山道の甲州街道との合流地。東は和田峠、西は塩尻峠に挟まれた交通・軍事上の要衝地だった。さらに、諏訪神社下社の門前町で、当時は中山道唯一温泉の湧く宿場だったこともあり、旅籠は40軒もあり、大瓶賑わった宿場だったようだ。
本陣と問屋役を務めた岩波家
今日のゴール、諏訪神社下社秋宮の神楽殿
今日の宿は、中山道から50mほど入った、築100年以上の古い旅館を改造利用したマスヤゲストハウス。素泊まり4000円だが、外国人の利用がほとんどなので、6畳間にダブルベットが入っていた。
このブログを打ち終えたので、これから温泉に入りに行って、夕食の予定。
宿のすぐ近くの銭湯感覚の菅野温泉。230円。市内のあちこちにあるようだ。
【歩数計】54184歩数、朝の間違い往復の4km分も含む。
【諸経費】パンほか290円、缶コーヒー130円、信州おやき400円、携帯電話充電器970円、宿代4000円、夕食+生ビール2杯2200円。〈計7990円〉
9日目へ
明日は最後の信濃路、そしていよいよ木曽路ですね。
やはり中山道といったら自然豊かな木曽路と思います。
峠はありますが、碓氷峠、和田峠とは比較になりません。
道路もしっかりして(ほとんどは嫌いなアスファルト舗装)
です。
私の泊まった旅館は宿場のまん中のT字路なので、戻ったときに寄った旅館の女将さんの話では、これまでも良くいるんだそうてす。
和田峠の和田側と下諏訪側の地形と道の違いに驚きました。1級国道と1級酷道。でも、登山モードに比べたら楽なもんです。
この次はどこを歩かれるのですか・・・
1里1時間と考えれば、私のペースと同じです。
あちこちに茶屋があり、あまりここではふれていませんが、その跡地が残っています。
今、車や鉄道で移動している人たちが全部歩いていたと考えれば、街道は賑やかだったのでしょうね。
このあとは、四国遍路の逆さ打ちや今回の旅で東海道53次もやってみたくなりました。