
雪化粧した横津連峰の北斜面、軍川地区の山側に、苅澗川を挟んで、楢山(592,2m)と貧乏山(501.0m)が並んでいる。
珍名山として名高い貧乏山は2回目だが、隣の楢山は、林道から登れそうなので、いつでもと思っているうちに残ってしまっていた。軍川小学校の上のカリマ林道ゲートから林道や作業道を辿って、その2山を登ってきた。どちらの山も、最近大規模な植栽が進んで、林道や作業道が非常にしっかりしていた。
駒ヶ岳も横津岳も昨日初冠雪したが、日中は融けてしまったようだ。昨夜、また降ったらしく、昨日より雪も多く、標高の低いところまで白くなっていた。
まず、楢山を目指した。林道ゲートから近道しようと、その右の尾根の苅分道へ入った。ところがそれは国有林境界管理歩道で、林道には合流することはなかった。途中から一部藪漕ぎをして、植栽地の踏み跡を登り、楢山・上軍川林道を横切り、当初登ってくるはずだった楢山作業道へ合流して登頂。近道しようと思ったのに、かなり遠回りになってしまった。頂上までは20mほど笹藪漕ぎだった。
下山は、その楢山作業道を下り、カリマ林道から貧乏山へ向かった。林道から貧乏山へ繋がる苅分道ができていた。そこを辿って、突き当たりを右に曲がったら、広い植栽地の真ん中に三角点が飛び出ていた。

林道の分岐から眺める頂上。頂上は上の林の中だった。林道から右斜面を登った。

作業道から20mほど笹藪を漕ぐと林の中に三角点が直ぐに見つかった。

下りの楢山作業道から冠雪の駒ヶ岳をと大沼を眺める

楢山作業道と楢山上軍川林道の合流地点から貧乏山を眺める

貧乏山頂上から眺める駒ヶ岳

カリマ林道の下りから楢山を眺める。頂上は左奥の高いところ。
下の林道がカリマ林道、右側の尾根に楢山上軍川林道と楢山作業道の分岐が見える
前回の貧乏山の時にも書いたが、昔この貧乏山にUFO基地があったという話があり、昭和51(1976)年に小学館発行『小学四年生』の9月号と10月号にマンガで連載されたことがあった。
http://oriharu.net/jkadoh_kosaka.htm
時間が余ったので、大沼の西側にある長沼と円沼に寄ってきた。その存在は知ったいたが、実際には見たことがなかった。地図で場所は知っていたが、その入口が分からないので、大沼観光案内所で聞いた。どちらも湖畔まで車で入ることができた。

「長沼」・・・大沼国際交流センターの手前から車道が続いていた。

「円沼」・・・四季の森の別荘地への道の一番奥だった。
黒ウサギさんによると、地元の人の話で信憑性はないが、昔アイヌの人たちは、この円沼を水葬場所にしていたとか。夜には鬼火や人魂のような怪しい光が出るそう・・・・? しかし、アイヌの人たちの葬り方は水葬ではなく土葬のはずだが?
詳しい山行記録は、下記でどうぞ! (アップ完了)
http://sakag.web.fc2.com
楢山へ続く林道は、2年前メイトで行こうと思ってたけど断念してました。
詳細が分かって助かります。
沼の話ですが、私が聞いた一部の地元の人は、大沼は五湖だそうで、大沼、小沼、じゅんさい沼、そして長沼、円沼だって言ってました。
水葬の話も真実かは不明です。
ただ、住民の話だと、この界隈は内地から自殺旅行に来る人が結構いるとの事。
その後、遺族の人達が来て関係者に「こんなにきれいな所で死ねるのが救いです」みたいな事を言うそうです。
しかし、地元の人にとっては大迷惑で、鬼火もこうした事から噂が出てるんじゃないかと言ってましたね。
楢山への上の点線で記載されている楢山作業道もメイトで十分走れます。
大沼5湖の話は知っていました。
円沼と長沼訪問は、実は黒ウサギさんのブログがきっかけでした。以前から行こうと思っていたのですが・・・・。
円沼の言い伝えは初耳です。あの辺りの別荘地の人は嫌でしょうね。、
でもここは確かにちょっと不気味な雰囲気がありますね。
多分対岸の粗林と、きれいだが動きのない水がそう思わせているだけだと思いますが。
今度再訪してみようと思います。
確かに、殺風景な感じはありますね~。
エーデルワイスの時期に行ってみようと思います!
夏の時期がお勧めです。私もそのころ再訪予定です。