癌春(がんばる)日記 by 花sakag

2008年と2011年の2回の大腸癌手術
   ・・・克服の先に広がる新たな春を生きがいに・・・

山陽道18日目・戸田駅~42富海宿~43宮内宿~四辻駅〈8時間10分〉(32km)

2020年12月03日 | 登山・旅行

 ゴールを、ホテルを取った新山口駅の1駅手前の四辻駅をゴールに設定してた。

 今日も、峠は4つ越えたが、昔のままの道が残っている峠は2つ。どちらも、地元の「歴史の道」として、標識等も整備されていた。また、宮内宿を含む防府市内は見所が多かった。

 徳山駅から戸田駅まで3駅移動して、6:50、スタート。昨日ほど寒くはなかった。

 戸田駅~富海宿

 スタートしたら、5分もしない内に、赤坂峠への登りとなる。峠の上には西徳山総合グランドや水道施設、電波塔などがある。

 下って行くと、桜田地区となる。ずっとまっすぐな道で、先が見通せる旧道はめずらしい。

 「戊辰戦争凱旋記念碑」とその向かいに「宮島様」がある。

 函館人としては、旧幕府軍の負け戦ばかりがクローズアップされるが、ここは長州である。新政府軍として奥州まで戦いに参加した、この付近の兵が、無事に凱旋したことの記念碑である。

 なお、「宮島様」と呼ばれているのは、水の中に柱を立てて祀られているからとか。

 やがて。国道沿いの旧道が続く。椿峠だけは、国道と合流していた。ここから、延べ3日間歩いた周南市から防府市となる。

 椿峠から旧道に入るところから、瀬戸内の海と、これから下りていく富海宿の市街地が見えた。

42富海宿~宮内宿

 富海宿へ向かう途中にポツンと、風格のある旧家があり、庭には「秩父宮殿下御仮泊之地」碑が立っていた。

 やがて、富海宿へと入っていくが、そこにも立派な旧家があった。

 

 ここにほ、「富海本陣跡の門」が残されていた。

 富海宿の町並みだが、瓦葺きの家が多くならんで、宿場の風情が残されている。

 富海宿を抜けると、今度は「橘坂」への登りとなる。ここは、標識が充実していて、地元の熱意を感じる。すぐに、昔のままの自然道となる。

 少し登って振り返ると、通過してきた富海宿やその前の海が見えた。

 峠の案内板と設置されていた。

 登っていくと「茶臼山古戦場」の説明板と、その上に「大内霊神」が祀られている。

 大内家再興を願って大内輝弘は豊後から山口に攻め込んだが、志ならず、毛利軍の追撃にあって自刃した場所である。その大内氏を祀ったのが「大内霊神」である。

 この辺りから、平坦な路となり、浮野峠へと続く。

 「浮野峠改修記念碑」が立っている。明治4年に、道幅を広く改修したらしい。

 その先に、「旧山陽道」の標識があり、そこから下に下りる道があるような感じである。ルートマップにはそんなところはない。入ってみたが、すぐに踏み跡もなくなっている。戻って、浮野峠へ向かう。

 やがて、浮野峠となり、下って行くと、これから下って行く防府の市街地が見える。自然道部分だけで30分ほど要した。

 峠の出口から下っていくと、「又兵衛屋敷(茶屋跡)」の遺構がある。

 さらに、下には、「徳地屋跡 大名休憩所」があり、そこに、2本道標が立っている。「こんぴらみち」「あじがみち」と読める。

 完全に下って終うと、防府市の市街地へと入っていく。途中から右に入る旧道がある。石垣の間にまっすぐ続いている。この両側が「周防国衛跡」である。

 旧道を挟んで残る広大な周防国衙跡の中心を通り抜けるわけだ。
 国衙の案内板や、左手には「周防国庁碑」があるが、広すぎて写真に納収めることは難しい。周防の国府は鎌倉時代に東大寺造営料国となったことから、国庁舎は国庁寺という寺として明治まで存続が存続したという。明治になって解体されてしまったというのは残念なことではある。

 その間をまっすぐ進み、左折すると、宮内宿へと肺って行き、見所が多くなる。

43宮内宿~四辻駅

 「周防国分寺」

「毛利示庭園」への道。寄ってみるだけの元気はなかった。

 「防府天満宮」と「萩往還」~山陽道と萩往還の分岐で、この辺りが交通の要所で、宮内宿の中心地だった。

 天満宮の前から、その先の街並みを写す。下の左の建物は、「山頭火ふるさと館」。「放浪の歌人」種田山頭火はここの出身である。

 「宮内本陣兄部家」も残っている。

 中心部を抜けても?味わいのある街並みが続いている。

 そこから少し入ったところに、「種田山頭火の生家跡」がある。

 宮内宿を抜けると、佐波川の堤防の上の道となる。

 北側に連なる、花崗岩が剥き出しの山が気になる。

 橋を渡って進むと、周防一宮の「玉祖神社」がある。2kmほど進んだところに、玉祖神社の常夜灯があった。

 今度は、佐野峠に掛かる。ここにも、案内標識がたくさん設置されている。

 峠のピークにはすぐ着いた。「籠場建跡」がある。峠から海が見えた。

 ここは、自然道部分だけで25分ほど要した。登りはすぐだが、下りが緩くて長かった。

 やがて、大淵地区の家並みを抜けると、農道の雰囲気となる。剣道や国道を横切って入って行った集落は、瓦葺きの家並みが続き、旧街道の雰囲気を残している。

 ゴール30分ほど前から国道歩きとなる。長沢池というが、溜め池にしては大きい。調べてみたら、やはり江戸時代に造られた溜め池らしい。

 防府市から山口市に入った。

 15:00、国道の歩道橋を今日のゴールとして、左にある四辻(よつつじ)駅へ。歩道橋に下関の標識がある。あと、2日待ってろ!

 四辻駅の隣の駅が新山口駅である。その駅前のホテルが今日の宿。GoTo割引で3250円。地域クーポン付き。

 コインランドリーがあったので、まず最初に洗濯をしてから、風呂に入った。

前日へ   翌日へ


コメントを投稿