癌春(がんばる)日記 by 花sakag

2008年と2011年の2回の大腸癌手術
   ・・・克服の先に広がる新たな春を生きがいに・・・

山陽道17日目・高水駅~36呼坂宿~37久保市宿~38花岡宿~39徳山宿~40富田宿~41福川宿~戸田駅〈33km〉(8時間10分)

2020年12月02日 | 登山・旅行

 国道の標識にも下関の文字が目につくようになってきた。いよいよ、ゴールが近くなってきた。今日を入れてあと4日は掛かりそうな感じになってきた。予定通り歩けると、下関ゴールは12月5日になりそうである。

 今日は、宿場間の距離が短く、6つの宿場を通過した。今夜のホテルは昨日と同じ徳山駅前に取った。同じホテルに連泊したかったが、取れなくて、別のホテルにした。結果的に、最後に詳しく書くが、幸いした。

 リュックを駅のコインロッカーに預けて、ショルダーバックとサブザックで出掛けた。徳山駅から昨日のゴールの高水駅へ移動。

高水駅~呼坂宿

 6:30、まだ暗いうちにスタート。

 東の空が赤く燃え、西の空には満月。

 今朝も1℃くらいまで下がったが、昨日同様、快晴に恵まれて、昼にはポカポカして汗ばむほどだった。

スタートしてすぐのコンビニでホットコーヒーとカップ麺で暖まった。まもなく、県道から旧道へと進むと、呼坂宿となる。

36呼坂宿~久保市宿

 ここには、本陣跡の碑がたっていた。本陣の河内家は、江戸時代、代々庄屋や大庄屋を勤め、天明年間より)七左衛門が本陣を引き受けたという。

 この呼坂宿には、多くの重厚な造りの旧家が残っていて、今日の6つの宿では、一番その面影を残していた。

 宿の中に寺嶋忠三郎松蔭訣別地の碑がある。安政6年(1859)江戸送りとなった吉田松陰が5月、ここを通過したとき、郷里に帰っていた忠三郎は、久坂玄瑞からの知らせにより松陰の駕籠を見送ることができた。物々しい警戒のな中、師と弟子はただ歌を託すばかりであったという。

 吉田松陰は、この山陽道では最大の偉人扱いで、あちこちに碑が残っている。

 宿を抜けると、旧道は山の方へ向かう。国道を挟んだ山の方に、これまでも何度か目にした、端正な形をした紅葉のきれいな木が見える。北海道では目にしたことのない木で、見るたびに気になっている。

 旧道は、昔のままの自然道になり、竹林の中の細い道となる。わずか200mほどだが、竹の倒木とクモの巣が煩くて、途中で国道に逃げた。

 国道と旧道を繰り返しながら進み、久保市宿へと入って行く。

37久保市宿~花岡宿

 この宿は、特にこれといった昔の面影もなく、他の宿のような旧家も少ない。宿の中心部を過ぎると、緩やかな登りとなり、塩売峠へと続く。しかし、どこが峠なのか良く分からなかった。

 塩売峠から下ると、右下に国道を眺めながら、山の方へ向かっていく。

 竹林の中の旧道の下りもなかなか趣がある。さらに、1時間ほど旧道を進むと、次の花岡宿となる、

38花岡宿~徳山宿

 宿へ入っていくと、右手に「花岡ふるさと花だん」という公園があって、奥に花岡勘場跡」という案内がある。花岡本陣があった場所であった。江戸時代、ここは萩本藩と徳山支藩領とに分割支配され、花岡は萩本藩領に属し、統治の為の役所を勘場と呼ばれた。また本陣、番所、高札場などが置かれていたという。当時の絵図が掲示されている。中央の槇柏の木は樹齢480年というから、その当時からここに生えていたのでおろう。  

 宿の中心部の街並みの中を進み、しばらくすると、「銘酒金分銅醸造元」がある。

 しばらく旧道歩きが続く。やがて、久米地区に入る。

 旧家が少ない中に、突然大きな「防長鶴 山縣本店」の建物が目を引く。「瀬戸内の小さな酒蔵」というキャッチフレーズが憎い。

 やがて、遠石宿という間の宿がある。ここは、遠石八幡宮の門前町で栄えた宿らしい。

 その遠石八幡宮は、推古天皇時代の623年創建とのこと。

 上は醤油醸造元で、下は宿の中心部の町並みである。間の宿なのに、他の宿より、宿の雰囲気を残している。

 しばらくの間、県道歩きが続く。そのまま、徳山市街地へと入っていく。

39徳山宿~富田宿

 徳山宿の入口というわけだが、道も広いし、その面影は微塵も感じられない。

 やがて、銀座通り商店街へと入っていく。ここから駅前までが、宿の中心地だったらしい。

 ここは、毛利徳山藩の城下町である。藩庁の移転などの後、藩士の屋敷割、町屋敷割などが行われた。山陽道の宿場は現在の銀座通り沿いに置かれた。徳山駅周辺に御茶屋や目代所、高札場が置かれていたとのこと。

 徳山駅前(下の画像)を過ぎると、閑静な感じになる。

 昼になったので、目についた台湾料理店へ。台湾風棒棒鶏と小ライスを注文。これもとても美味しかった。この時点で、今日は戸田駅まで行けるメドがたった。

 徳山市街地から旧道沿いの住宅地へと入っていく。

 道ががまっすぐでなく、狭くて微妙にくねくねしている道に、旧道の面影が残る。

 たまに旧家も現れる、驚いたのは、富田川の錦鯉である。普通に生息しているのが凄い。

 やがて、富田(とんだ)宿へと入っていく

40富田宿~福川宿

 富田宿は、山崎八幡宮の門前町として賑わったらしい。その曲がり角に、「旧山陽道」の道標がある。八幡宮の前を左に曲がると、宿場を中心部のはすだが、全くその面影はない。

 宿の中心部だった地点から、前後の街並みを眺める。旧家も古市橋商家もない。

 しばらく県道歩きが続く。

42福川宿~戸田駅

 県道から右の旧道へ入っていくと、福川宿である。

41福川宿~戸田駅

 ここには、本陣跡と本陣門が残されていて、その説明もある。本陣門は天保9年(1838年)のもので、昭和48年に改修されている。

 福川宿を抜けると、夜市(やじ)川にぶつかる。橋を渡らないで、その堤防の上の道を30分以上も進む。昔も堤防の道を歩いたのだろう。

 その道が国道を横切る地点を、今日のゴールどして、5分ほど先にある、戸田(へた)駅へ向かう。

 駅に、14:45に着いたら、5分後に電車がやって来た。

 今日も宿は、徳山第一ホテル。GoTo割引で3445円なのに、地域クーポン1000円の他に、周南お楽しみクーポンが2000円分も付いてきた。結果的に、445円で泊まったことになる。昨日も同じ徳山駅前のホテルだったのにこれはなかった。

 さて、これが使える店で、2000円の夕食を食べてこよう。

 ホテルのお勧めで、宇佐川水産という大きな居酒屋へ、

 徳山の名物はふぐとのこと。そこで、「徳山ふぐカツスペシャル」(1500円)とビールの豪華な夕食にありつくことができた。ふぐの刺身も付いてきた。個室なのも良い。これがほぼタダなのだから、大満足!明日も元気に歩けそう。

 今日の歩数計 49000歩

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