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先日、盤石岳の帰りに、以前から気になっていた通称・大沼旧道を通ってみた。この道は、明治5年に無沢峠が開削されて札幌本道として開通してから、昭和39年の大沼トンネルが開通するまで国道5号線だった道路である。ちなみに、この道ができるまでは、現在の七飯発電所の横から古峠(峠下台場山の裾)を通って大沼に抜けていた。
この道は、地形図には掲載されてはいるが、すでに廃道になっていると思っていた。「いつかは歩いてみよう」との想いはあったが、まさか車で走れるとは思わなかった・・・。先日、いつもお世話になっている「黒ウサギ的こころ」で、今でも車で走行できることを知ったのがきっかけである。
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八雲からの帰りなので、国道5号線から蓴菜沼の方へ入る。そこには、明治14年の北海道巡行の際の「明治天皇蓴菜沼小休所」の碑と当時ここにあった宮崎旅館の写真とその碑の説明板が設置されている。
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そこから続く未舗装の道へと進む。予想に反して、日常的に走られているような快適な道である。
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無沢峠付近まで登っていくと、左側に「明治天皇御野立之地」の碑と説明板が立っていて、その囲いにペンキ塗りをしている人たちがいた。
宮崎旅館を発った明治天皇は、この無沢峠山頂で休憩をとられ、駒ヶ岳、大沼、小沼の景観を堪能されらしい。
しかし、その景観は全くないので、ペンキ塗りをしている人に聞いたら、「この石碑はもっと上の方にあって、当時の道も上の方を通っていたらしいので、そこからは見えたのでは?」とのことだった。説明板によると、この碑も、昭和15年に建立されたが、その後所在不明になっていて、平成15年に発見されて、現在地へ移設されたようだ。
ペンキ塗りの人に「この道、初めて走ってみたけど、こんなに良い道路だったとは思いませんでした」と話したら、今でも「駒ヶ岳噴火に備えての災害道路になっているし、林道としても利用されている」とのこと・・・納得!
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峠から下っていくと、砕石が敷かれてしっかりと整備されていた。
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こんなきれいなウルシの紅葉も・・・。
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峠下側から国道5号線に合流する地点には、確かに「町道仁山3号線(災害道路)→」と書かれた看板が設置されていた。
約5kmの道だが、思いがけなく走りやすい道路で、この道の歴史も触れることができて満足だった・・・・。それにしても、大沼トンネル工事が行われていた頃、直ぐ下の峠下に住んでいたのだが、その工事のことも記憶にないし、トンネルができるまではバスも通っていたはずだが、大沼以北へ行くときは列車しか利用していなかったので、通ったこともなかったのであろう。
今度は、無沢峠を挟んで送電線の下に存在する358ポコと三角点のある346.7ポコに、送電線の管理道を利用して登ってみたい。多分、木が混んでなければそこから明治天皇が眺めたという景観が得られるかも知れないし、当時の札幌本道の旧道部分も見つかるかも知れない?さらに、峠下側の入口の少し先からトンネルの上を通って古峠へ繋がっている林道跡(地形図に載っている)も残っているので、そこも歩いてみたいと思っている・・・。
sakagさんはハードな山行が多いので、この道は灯台下暗しだったんですね。
仰る通り、避難時のう回路や山菜採り、ハイキング等に結構使われている道でした。
以前、sakagさんがここの台場山を探訪された際に、ここも合わせて探訪されても良かったですね。
トンネル上の道は20年前ならカローラでも可だったのですが、今じゃバイクか徒歩でなければ無理な道となってしまいました。
そうそう、今度の日曜日は、この仁山3号線西側にある廃道を探訪しようと思ってます。
きじひき高原からグリーンピアまで・・・行けるかな?(笑)
峠を挟んだ2ポコとトンネルの上の道と台場山付近探訪、明日歩いてみようと思っています。
きじひき高原からグリンピアの廃道、地図に載っている横川沿いの道ですよね。バイクで走行できること祈っております。この辺り、いずれは道央道路の長いトンネルになるんですよね。測量等の車が入っているのでは?
へえ~、こんなところに「明治天皇御野立之地」の碑があるだと思ったことが記憶にあります。
それと砕石の道で車が土埃だらけになったことも。
遅くなりましたが、先日はグレートサミッツのお知らせをありがとうございました。
函館に住んでいた平成8~9年頃の話です。
札幌から函館へ帰る途中、大沼トンネルで事故があった為、迂回路として誘導されました。
その当時から十分整備されていました。
トンネルを抜けた下り坂の途中に出ますよね。
その後、行楽時の渋滞回避道路として数回利用しました。
ではでは。
グレートサミットのカメラマンコンビ、もう一人の若い方も、今は東京勤務ですが、振り出しが函館放送局で、その後室蘭放送局に勤務したいたことがあるそうです。
マンタンさんと同じクライマーで、バフィン島(どこかわかりませんが)の岩壁も登っているらしいです。
平成8~9年では、まだ「明治天皇御野立之地」碑は、あの場所にはなかったはずです。
私も、今度、行楽期の渋滞のときに利用しようと思います。
実は、高校生の頃、列車から今のトンネルの上の道をバスが通っているのを見た覚えがあるのです。
今日そのトンネルの上の道路を歩いてきたのですが、明らかに林道ではなく、車道として作られた道だということを確信したところでした。大沼公園や鹿部へ車で行くときは、その道を通っていたはずということを・・・。
七飯変電所から台場山の裾を通って小沼湖畔へ抜ける道は、札幌本道ができるまでの道でした。これは知っていました。峠下の人たちは「古峠」と言っていました。今日、その道も歩いてきました。