癌春(がんばる)日記 by 花sakag

2008年と2011年の2回の大腸癌手術
   ・・・克服の先に広がる新たな春を生きがいに・・・

山陽道19日目・四辻駅~44小郡宿~45山中宿~厚東駅〈7時間〉(27km)

2020年12月04日 | 登山・旅行

 ゴールまであと2日の予定だが、今日も明日も距離が長いのが気になっていた。日の長いときなら、5時にはスタートできるが、今は明るくなるのが7時である。計画に甘さがあった。

 しかも、残りの距離を精査したら、今日と明日の距離が合計で70kmほどあることが分かった。実際に歩けば、1~2割増しになる。日の長いときならなんとかなるが、別に急いで帰る必要はない。

 宿は厚狭駅前に取ったが残りの行程を、3日に分けて、ラストウォークをゆったりとした日程表で楽しむことにした。そこで、今日のゴールを厚東駅にした。

 今日も、1ヶ所だけだが、昔のままの自然道の峠越えを楽しむことができた。

 午前中は日も照らなかったので、朝だけ着ていたインナーダウンは、昼まで着ていたので、日中は一番寒かったかも知れない。

四辻駅~小郡宿

 7:00、四辻駅前をスタート。国道の上の横断幕に、「ここは鋳銭司、銭のふるさと」。裏側には「維新の10傑 大村益次郎」と書かれていたが、その史跡や生家等はなかった。大村益次郎の生家は駅前付近らしい。

 国道から旧道に入ると、陶(すえ)地区となる。家並みや通りの様子に旧街道の趣が感じられる。

 地区の名前にもなっている「陶陶窯跡」の表示がある。国の指定文化財だという。往復2kmはあるが、日程にも余裕があるし、朝の源基な内なので、行ってみることに。

 入口からほ竹林の急な坂道を登っていく。

 説明板によると、陶陶窯跡は、須恵器を焼いた窯で、平安時代初期に使われたものらしい。この地方の地名を陶ということからわかるように、この地では古くから窯業が盛んに行われていた。
 現在陶地区の北側の山裾一帯には広く須恵器の破片が散布しており、各所に窯跡と見られる。
 平成5年度に窯跡の南側を発掘調査した結果、全長約6mの窯であることがわかった。

 陶地区をしばらく行くと、一里塚がある。ここから、右と左のそれぞれの所までの距離が刻まれている。

 その先に、ホテイアオイですっかり覆われている溜め池がある。

 橋を亘ると、小郡宿へと入っていく。

44小郡宿~山中宿

 狭い旧道沿いにびっしり家並みが続いている。

 左折する交差点に、江戸時代の道標が立っている。「右 京 江戸」「左 萩 山口 石見」、さらに、一面には「牛馬繋事無用」と読みやすい字で掘られている。

 左折すると、小郡宿の中心部となる。下のお宅は、本陣跡に建っている。新しい造りだが、昔はかなりの名家のような感じを受ける。

 小郡宿を抜けて、しばらく進む。次の集落は、狭い昔のままの道幅に、瓦葺きの家が並び、いかにも旧街道と家並みといった趣を感じる。

 そこを抜けると、これまた、農道のような旧道が残っている。

 嘉川地区の家並みも、なかなか趣がある。下の虫籠窓と連格子の旧家はしばらくぶりだ。

 民家の庭先に続く幅1mほどの道もある。日本最古の天下の公道も、このような形でも残っていることがうれしい。

 旧家から国道に抜けると、峠道となる。峠の手前に「おいはぎ峠」とい食事処がある。正式な峠の名前は不明だが、昔はおいはぎが出ても不思議でない、寂しい峠道だったのだろう。

 峠のは「国境石」があり、「東 周防国 西 長門国」と刻まれている。この両国ともに、江戸地代は、外様大名の毛利藩で、幕末から明治維新にかけて多くの有名人を生んだ長州藩である。

 その先で、旧道へ入っていくと「旧山陽往還道」の標柱がある。街道歩きをしている者にとっては、限りなくうれしいものである。

 京都からここまでで一度も目にしなかった庚申塚が、長門国に入った途端に目に付くようになった。このほかも含めて4ヶ所目にした。

 国道に出た所のコンビニで、昼食にカップ麺を食べて体を暖めた。

43山中宿~厚東駅

 再び、旧道へ入っていくと山中上宿へと入っていく。山中宿は1km離れた上と下の2ヶ所からなっている。上は専念寺が本陣を務めたという。

あっという間に抜けるが、人家が切れたその先に「旧山陽道MAP」が設置されていた。

 やがて、山中下宿へと入っていくが、人家が非常に少ない。しかも、中心部だったところは、国道が通っている。

 これまでの旧街道歩きで、初めての経験である。それだけ小さな宿場だったということなのだろうか? 

 しかし、ここには、本陣跡の標識が立っていた。

 やがて、厚東(ことう)川沿いの道となる。そこには、「船渡し場跡」と「駒の頭」の標柱がある。駒の頭とは、江戸時代にサイホン方式で両側の水田に水を引いた所のことらしい。

 その先に、なんと、旭川にある男山酒造と同じ銘柄の「男山永山本家酒造場」があってびっくり。

 やかて、山の方へ向かう。案の定、「殿様道」と呼ばれる玉木坂に掛かる。芸人のIKKOさんが喜びそうな「どんだけ道」とも呼ばれるが、これは「殿様だけ道」がなまったらしい。一般の旅人は厚東川沿いの道を通ったらしい。

 今では、自分のような旧街道歩きの人しか通らない道のぬかるみに枕木で木道を整備してくれていた。感謝である。やかて、一度切れて、田んぼの菜かを通り、再び、林の中の道となる。

「旧山陽道」の標識や一里塚跡もあり、一里塚とオカツ茶屋跡の説明文板もある。

 14:00、その「どんだけ道」を抜けて国道に出たところを今日のゴールとした。そこから5分の厚東駅へ向かった。

 厚東駅から厚狭(あさ)駅へ移動して、15:00前には、予約しておいたホテルへ。

  「エクストールインホテル山陽小野田厚狭駅前」とやたらと長い名前のホテルである。GoTo割引で3575円。地域クーポン券付き。

 このホテルは新しい上に、うれしいことに、温泉並みの大浴場がある。ゆったり浸かったのは言うまでもない。 

 今日の歩数計 40000歩。

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6 コメント

コメント日が  古い順  |   新しい順
連日の歩き旅お疲れさまです (ハマナス)
2020-12-04 21:13:19
好天に恵まれての長い歩き旅も、いよいよゴールが見えてきましたね。
連日お疲れさまです。
四国・山陽道は以前旅行で訪問したところのルポがあり、楽しく拝見しております。
ゴールでの打ち上げはフグ刺しでしょうか^^

お帰りなると間もなく年末ですね。
北海道は寒いです。
どうぞお気を付けて!
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旧道は魅力的です (てくてく人)
2020-12-04 22:47:56
毎日の快調な歩きとぶりと沢山の写真をありがとうございます。
富海宿から宮内宿、そして今日の小郡宿から中山宿までの旧道はとても魅力的です。各種標識も多いようでいいですね。巾一Mほどの旧道はほぼ見たことがありません、驚きました。「どんだけ道」には笑わされました。あと二日、大いに楽しんでください。
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ハマナスさんへ (sakag)
2020-12-05 05:37:34
お付き合いありがとうございます。
見事なほど天候には恵まれました。
一度も雨具を着なかった歩き旅は初めてです。
仕上げは、何にしようかな?徳山でふぐ刺しとふぐカツは食べたし・・・。

來シーズンのクロカンスキー大会すべて中止で、困っています。
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てくてく人さんへ (sakag)
2020-12-05 05:40:51
お付き合いありがとうございます。
あと2日、のんびりとラストウォークを楽しみます。

旧山陽道は自然道を含めた旧道がよく残っていることが一番の印象です。
次に、古い歴史がよく残っていることです。
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男山 (赤ワイン)
2020-12-05 11:38:20
永山本家酒造場「男山」と旭川の「男山」、気になりました。
が、よく分からない・・・
旭川の男山は江戸期の兵庫・伊丹の酒蔵の流れを汲むものらしく、宇部・山口の「男山」とは別系統らしいのですが、維新から蝦夷地開拓の波乱と、戦時体制での統廃合などで色々と変わってしまったようです。

ところで数日戻りますけど、「三郎」「四郎」ときて「五郎」が無いのが惜しかったっ!なんでやねん
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赤ワインさんへ (sakag)
2020-12-06 06:16:24
男山、同じ銘柄の名前があるとは思っていなかっただけに、ビックリしました。
調べていただいてありがとうございます。

五郎は、すぐ亡くなったとが?
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