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作家の橋田壽賀子さん(92歳)が、昨年『安楽死で死なせて下さい』という著書を出し、大きな反響を巻き起こした。
主張は「しんどくなって、動けなくなって、楽しみもなく、人の役にも立たない、人に頼らないといけなくなった時に、第三者が本人の状態や意思を確認し、そのOKをもらえれば安楽死できる。そんな仕組みがあれば、楽しく遊べるのに」とのことだった。
自分もまったく同感で、若いころから、ずっと同じことを思っていた。生まれてくるときは自分の意思はまったくない。せめて自分の人生の終わり方と終わる時期くらい、自分で選べれば良いのにと・・・。
自分の体が思うように動かせ、他人の世話にならないうちは何歳まででも生きたい。しかし、認知症や介護の必要な状態になって、他人のお世話になってまで長生きしたくないというのが本音である。これは、誰しも同じ思いだろうが・・・。
介護疲れで、相手を殺してしまうという悲惨な事件を見聞きするたびに胸が痛む。2ヶ月ほど前に長万部町出身の評論家西部邁氏が、多摩川で入水自殺したこともショックだった。氏は自分の人生は自殺で終わらせるという願望を持っていたという。
良く、理想はピンピンコロリだという。しかし、これは突然死が多い。自分の母も心筋梗塞を患って以降、8年間かなり好きなことをやり続けながら、最後は肺塞栓症で1時間も苦しまないで84歳でコロリと逝ってしまった。父は45歳で胃癌で逝っているので、両親の介護という経験はなかった。だからというわけではないが、自分も介護を受けないで逝きたいと考えている。
2回も大腸癌を患ったが運良くこうして生きているから、多分癌では死なないだろう。すぐ下の弟は61歳で心筋梗塞でわずか2日で逝ってしまった。これもピンピンコロリの部類だが、あまりにも早過ぎる。母や弟をみていると、自分にもその体質があるのかもしれない。あと数年思う存分遊んで、80歳過ぎたらそれでも良いかな?と思っているが、そう都合よくは行かないだろう。
これまで、他人にたくさん迷惑をかけて生きて来たのだから、死ぬ時くらい迷惑をかけないで逝きたい。できれば、「自分の人生は本当に楽しかった。ありがとう」と感謝の言葉を述べて死にたいと思っている・・・。「坂口、あんなことブログに書いていたけど、長い間患って、奥さんや子供たちに散々苦労掛けて死んだよな」とだけは言われたくない!
安楽死は、日本では犯罪である。しかし、橋田さんは言っている。「これからは自分で死を選べる時代にならないと、みんなに迷惑かけるし、自分もつらい。これからは70歳以上、80歳以上の人たちがたくさん出てきますからね。「患者を何が何でも生かす医療」だけじゃなくて、「患者にどういう死を迎えさせてあげたいか」、と真剣に考えるお医者様が増えないと、日本は惨めになる。かわいそうな人でいっぱいになると思います。」と。
いろいろな方の逝き方を見られてきたからこその、説得力のある想いと受け止めさせていただきました。
雪が解けたら、終活をボチボチ始めようかと思っています。
あと、お墓の維持も気になりますね、わたしなどは、海にでも散骨して欲しいと思いますが・・・
こんなことを考えれるのは、ある意味元気な証拠なのかも知れませんね。
終活というか、いろいろなことをはっきりと妻や子供たちに伝えておかなければとも思います。