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<表紙の写真は、最後の1594座目となった2016年8月6日の長官山登頂時>
著者:児玉保則 編集;Ko玉さんの山を讃える仲間 発行者:西條 寧。
制作協力:北海道新聞社事業局出版センター B5版227ページ。定価:1,500+税
登山・アウトドア用品の(株)秀岳荘(白石店、北大店、旭川店)、紀伊國屋札幌本店、函館・三省堂書店(川原町)で発売中。
鶴首していた本がようやく発刊され、著者の3回忌命日(2019年5月29日)に発売されることになった。
この本は、このブログにも何度か登場している今は亡きKo玉さんこと児玉保則さんの存命中の原稿と彼の山行記録ノートを基に、西條さんを中心とした「Ko玉さんの山を讃える仲間」が編集したものである。ちなみに、Ko玉は児玉さんが生前使用していたネット上のハンドルネームである。
児玉さんは、前人未到の北海道全山1594座完登という快挙のわずか9ヶ月後に尿管がんで還らぬ人となった。この本の発刊は、西條さんがその偉業を記録として残そうと、その入院中に持ちかけて2人の共同作業での編集が始まったのである。何とか彼の存命中に発刊しようと、大急ぎで原稿を揃え、依頼原稿も集めて、おおよその体裁が整ったところで彼は逝ってしまった。
だから、この本の「はじめに」、「発刊によせて」、「著者あとがき」は、平成29年3月~5月になっているし、拙筆も含めて「山仲間からの投稿」も彼の存命中のものが掲載されている。
それから2年後の発刊となったのは、「児玉さんの存命中に間に合わなかったのなら、もっと時間を掛けて立派なものしよう」と 西條さんを中心とした「Ko玉さんの山を讃える仲間」の編集スタッフが、ある程度揃っていた原稿(特に児玉さんの山行記を中心に)に加除修正等の手を加え、校正に校正を重ねた結果である。
昨日、西條さんからこの本が直接送られてきた。早速に手にとってページをめくってみた。表紙の写真になっている長官山には、札幌での会議と重なって立ち会えなかったが、その夜に開かれた祝賀会には駆け付けることができた。その祝賀会が生前の彼に会った最後である。(入院中に見舞いに行くことになっていたが、そのときは、彼の体調が悪くて実現できなかった)
目次の構成は、転勤族だった彼の赴任地ごとに、その間に登った山の中から彼の印象に残った山を抜粋した登頂記録文が掲載されている。章項目だけ書き出すと、下記のようになっている。
第1章・網走へ転勤、第2章・札幌へ戻る、第3章・名寄へ転勤、第4章・名寄から再び札幌へ戻る、第5章・函館への単身赴任、 第6章・再び札幌へ戻る(3回目)、第7章・目標を「北海道全山登頂へ」、第8章・北海道脊梁線の縦走(襟裳岬~宗谷岬)、第9章・北海道全山登頂達成 第10章・全山登頂を振り返って、・山仲間からの投稿、・北海道全山登頂一覧表
圧巻は、最後の方に31ページにわたって掲載されている「北海道全山登頂一覧表」である。掲載順は山名の五十音順だが、登頂年月日を初め、参加メンバーの名前も載っている。凄いのは、地形図に名前が記載されている山以外に、通称のある山や、私が冗談で言った函館山の名前のある13のピークにも登っていて、それも1594山の中に入っていた。
私に関わることだけをピックアップすると、秀岳荘社長の「発刊によせて」には、私のことも紹介されていて、聞いていなかっただけに驚くとともに非常に光栄に感じる。
第5章の「函館への単身赴任」の「函館での生活のスタート」では、私とのことが詳しく書かれている。その章の中で、2人で登った「赤岳」の登頂記録文が掲載されているし、同行できなかったが「健康八流」にも私が登場している。
そのほかに、第2章には、彼と初顔合わせとなった平成16年の「ポンネアンチシ山~余別岳」が載っている。彼とはそれ以来13年間のお付き合いだった。第6章には、やはり一緒に登った「夕張中岳・小天狗」が、第7章には、彼の500m以上全山登頂に立ちあった「中尾山」も載っている。p174の祝賀会の写真のど真ん中に私も写っていた。
山仲間からの投稿では、彼からの希望で寄せた「土砂降りの大滝山~初神山」の拙文が載っている。
「北海道全山登頂一覧表」の参加メンバーから自分の名前を拾ってみたら、強烈な薮山が多く印象の強い山ばかりだったので、もっと多く登っていると思っていたが、わずか26山だった。
そのほかに、参考WEBサイトにも、拙サイト名が載っている。光栄なことである。
自分がこれまで登っている北海道の山はまだ721山である。彼の半分にも満たない。しかし、現在、道南全山219座完登まであと5座を残すだけとなっている。これは、彼が全部登った山である。せめて道南だけでも彼の後塵を拝したいと考えている。
西條さんからは「児玉さんの偉業を偲ぶ会は必ず開催しますので、ぜひとも参加してください」と連絡をいただいているので、その日を楽しみにしている。
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