この山は、松前公園(松前城跡)の裏山で、江戸時代から続く八十八ヶ所霊場巡りコースが整備されている北海道では貴重な歴史の山。
沿革の説明によれば、この霊場巡りコースは、安政6年(1859)阿吽寺の住職経範の主唱で有志が世話人となり、慶応元年(1865)完成した。山開き(5月11日)があり、たくさんの参拝者やハイカーが訪れる。
もともとは将軍山だったが、天文7年(1538)阿吽寺の奥の院として勝軍地蔵を祀ったので、この山は勝軍山と呼ばれるようになったとのこと。 ちなみに、阿吽寺は、15世紀、津軽十三湊にいた安東氏が南部氏に攻められて、その一部が蝦夷地に渡ったが、そのとき同道した多くの僧侶や修験者が建立したものという。
また、北海道で一番温暖なところにある山なので、早春の花(スプリングエフェメラルなど)がいち早く咲く山でもある。今日は、同じ春山でも昨日までの雪山登山と趣を異にする花見遊山としてこの山へ足を伸ばした。
低山の割にはアップダウンの激しいコースである。のんびり歩いて2時間ちょうどのハイキングコースだった。しかし、昨日までの疲れが残っているのか、登りは結構きつかった。
登山口
GPSトラックログ~勝軍山から北へ延びた赤線は間違って下り、戻った痕跡(前回も同じ間違いをしている)
国土地理院の地形図の登山道は、10年前と同じままでかなりいい加減である。いつになったら訂正されるのだろうか?こちらから情報提供をする必要を感じる。
◎まずは、スプリングエフェメラルを中心とした花々をどうぞ!
カタクリの斜面
キバナノアマナ
スミレサイシン
キクザキイチゲ
ヤマネコノメソウ
ニリンソウ
ミドリニリンソウ
エゾエンゴサク
白花ではないが珍しい色のエゾエンゴサク
エンレイソウ
テングスミレ(ナガハシスミレ’)
エゾムラサキツツジ
◎次に、八十八ヶ所巡りに関わる石仏等をどうぞ!
登山口をスタートすると、「同行二人橋」を渡る。その先に石仏が並んでいる。道沿いに1番から88番までの霊場巡りの石仏が安置されている。
同行二人とは、お遍路などの巡礼、霊場巡りにおいて、常に自分には弘法大師がついていてくれる、弘法大師が共にいてくれるという意味。
88ヶ所巡りの石仏とは違う石仏が並んでいるところ。
勝軍山山頂(210m)は霊場巡りのコースには入っていなくて、石祠がぽつんとあるだけ。
前回あった道もなくなっていて、藪を漕いで登った。しかし、この山頂から北側へはっきりとした道が続いているので、そちらへ下ったが、霊場巡りの石仏がない。間違ったことに気づいて戻り、藪を漕いで正規の道に出た。ここは前回も同じ失敗をしている。札幌のSaijhoさんも同じ間違いをしたという。山屋は頂上にこだわるのでこのような間違いをするようだ。素直に道を辿れば良いのだが・・・。
戻って、正規の道を少し登ると次のピークには、ベンチがあり、この山の由来となっている勝軍地蔵尊の石碑(手前)と奥に不動明王像がある。
手前にカタクリとキクザキイチゲが咲く第40番霊場の石仏
最高ピーク(220m)には多くのイチイが植えられ石仏と弁慶の下駄跡の石(右)がある。松前にも義経伝説が多い。
小さな山なのに、このような荒々し岩盤剥き出しの沢もある。
芭蕉塚~「花咲きて七日鶴見る麓かな」と彫られてる。これは文久3年(1863年)松風社一世鶴庵旭が建立したもの
岩崖の前に建つ2mもの不動明王像
◎最後に、松前公園の満開の冬桜ほかをどうぞ!
ちょうど見ごろを迎えている冬桜~現在咲いているのはこの冬桜だけだった。
冬桜のアップ
ほころび始めている関山の蕾
公園内のあちこちに咲いているツバキ
さくら餅ソフト~もち米「滋賀羽二重糯」の粉が入っているとのことで、もちもちした不思議なソフトクリームを食べて帰路に就いた。
確かに東北地方は天台宗が多いようですが、阿吽寺は安東氏に同行した僧侶や修験者が建立したということなので、安東氏が真言宗だったのでしょうね。