昨年の中山道歩きで、東海道と合流する52草津宿から、53大津宿~京都三條大橋は歩いているので、東海道歩き旅は、今日の草津宿までがラストウォークとなる。
5:30にホテルを出て、JR野洲~JR草津~水口石橋(近江鉄道)と乗り継いで、6:50水口宿をスタート。昨日頑張ったおかげで、今日は距離が短い。ゆっくり歩いた。

水口宿にあった義富久酒造

水口宿を抜けると、珍しく両側に田畑が広がる開放的な景観の中に、まっすぐな一本道が続く。

1時間ほどで野洲川にぶつかる。岸辺に文政5年(1822年中)に建てられた、東海道中で最大級の常夜灯が立つ。

ここは、東海道13渡しの1つとされる横田の渡しである。現在は1km川下の横田橋を渡る。

目の前にトンネルが見えてくる。大沙川トンネルだが、川床が高く、道路の上を川が流れる天井川である。

不思議な感じたが、潜り抜けた所から上の弘法杉(樹齢750年)の根元へ上がる道があったので登ってみた。確かに用水路のような川が流れていた。
さらに、同じような由良川トンネルもあった。昔、何度も氾濫を繰り返して川床が高くなったそうだ。今のように整備されていない昔の旅人は堤防をよじ登り、浅瀬を渡ったらしい。明治になってからトンネルが掘られた。

由良川トンネルを抜けた辺りから、街道風情を感じさせる重厚な造りの家並みが続く。北島酒造もその1つである。

途中の公園にきれいな紅葉の木を見つけた。

やがて、51番目の石部宿へ入っていく。しっくい壁、むしくい窓、格子戸のある古い家民が多い。

2軒あったらしい1軒の本陣跡の説明板

やがて、右手に近江富士と呼ばれる三上山を見ながら進む。中山道のときは、左手に見て進んだ記憶がある。

間(あい)の宿だった六地蔵には、腹痛の漢方薬和中散を売っていた旧和中散本舗がある。
家康が飲んでたちまち治ったことから、彼が名付けて全国的に有名になり、旅人が列をなしたそうだ。シーボルトも求めたと伝えられる。
現在は製造は行われていないが、その「ぜさいや本舗」の立派な造りは、当時の賑わいを偲ばせる。

ここだけではないが、宿場以外の街道沿いにも、江戸時代の店の種類や名前などの札が下げられている。
昼食が食べれるところは街道沿いのはほとんどない。たまたま、近くの1本違う道路沿いにはコンビニを見つけたので、弁当を買ってイートインスペースで食べた。

目川地区は、東海道名物田楽発祥の地である。
やがて、52番目の草津宿へと入っていく。

13:10、昨年歩いた中山道と東海道との合流点へ到着。昨日頑張ったお陰で、今日は6時間半でゴール。
このあとの草津宿~大津宿~京都三條大橋までは、昨年歩いているので、江戸時代の追分「左中山道美のぢ、右東海道いせみち」と刻まれた石碑前を今回のゴール地点とした。
最終日・草津~大津~京都三条大橋は下記でどうぞ!
http://blog.goo.ne.jp/sakag8/d/20161119
なお、草津宿の説明や写真は、上記の前日のページで見られます。
JR草津駅まで歩き、駅前の近江ちゃんぽん専門店があったので、野菜大盛りちゃんぽんとビールで、とりあえず、東海道踏破の打ち上げをした。
明日からは伊勢街道へと舞台は移る。伊勢街道と東海道の分岐となる日永追分の近くのJR南四日市までJRで戻った。宿は、一昨日と同じ、素泊まり2700円の旅館みやま荘。16時には宿に着いて風呂に入った。
ブログは、移動中にほぼ打ち終わったので助かった。
5:30にホテルを出て、JR野洲~JR草津~水口石橋(近江鉄道)と乗り継いで、6:50水口宿をスタート。昨日頑張ったおかげで、今日は距離が短い。ゆっくり歩いた。

水口宿にあった義富久酒造

水口宿を抜けると、珍しく両側に田畑が広がる開放的な景観の中に、まっすぐな一本道が続く。

1時間ほどで野洲川にぶつかる。岸辺に文政5年(1822年中)に建てられた、東海道中で最大級の常夜灯が立つ。

ここは、東海道13渡しの1つとされる横田の渡しである。現在は1km川下の横田橋を渡る。

目の前にトンネルが見えてくる。大沙川トンネルだが、川床が高く、道路の上を川が流れる天井川である。

不思議な感じたが、潜り抜けた所から上の弘法杉(樹齢750年)の根元へ上がる道があったので登ってみた。確かに用水路のような川が流れていた。
さらに、同じような由良川トンネルもあった。昔、何度も氾濫を繰り返して川床が高くなったそうだ。今のように整備されていない昔の旅人は堤防をよじ登り、浅瀬を渡ったらしい。明治になってからトンネルが掘られた。

由良川トンネルを抜けた辺りから、街道風情を感じさせる重厚な造りの家並みが続く。北島酒造もその1つである。

途中の公園にきれいな紅葉の木を見つけた。

やがて、51番目の石部宿へ入っていく。しっくい壁、むしくい窓、格子戸のある古い家民が多い。

2軒あったらしい1軒の本陣跡の説明板

やがて、右手に近江富士と呼ばれる三上山を見ながら進む。中山道のときは、左手に見て進んだ記憶がある。

間(あい)の宿だった六地蔵には、腹痛の漢方薬和中散を売っていた旧和中散本舗がある。
家康が飲んでたちまち治ったことから、彼が名付けて全国的に有名になり、旅人が列をなしたそうだ。シーボルトも求めたと伝えられる。
現在は製造は行われていないが、その「ぜさいや本舗」の立派な造りは、当時の賑わいを偲ばせる。

ここだけではないが、宿場以外の街道沿いにも、江戸時代の店の種類や名前などの札が下げられている。
昼食が食べれるところは街道沿いのはほとんどない。たまたま、近くの1本違う道路沿いにはコンビニを見つけたので、弁当を買ってイートインスペースで食べた。

目川地区は、東海道名物田楽発祥の地である。
やがて、52番目の草津宿へと入っていく。

13:10、昨年歩いた中山道と東海道との合流点へ到着。昨日頑張ったお陰で、今日は6時間半でゴール。
このあとの草津宿~大津宿~京都三條大橋までは、昨年歩いているので、江戸時代の追分「左中山道美のぢ、右東海道いせみち」と刻まれた石碑前を今回のゴール地点とした。
最終日・草津~大津~京都三条大橋は下記でどうぞ!
http://blog.goo.ne.jp/sakag8/d/20161119
なお、草津宿の説明や写真は、上記の前日のページで見られます。
JR草津駅まで歩き、駅前の近江ちゃんぽん専門店があったので、野菜大盛りちゃんぽんとビールで、とりあえず、東海道踏破の打ち上げをした。
明日からは伊勢街道へと舞台は移る。伊勢街道と東海道の分岐となる日永追分の近くのJR南四日市までJRで戻った。宿は、一昨日と同じ、素泊まり2700円の旅館みやま荘。16時には宿に着いて風呂に入った。
ブログは、移動中にほぼ打ち終わったので助かった。
確かにすばらしかったてす。
ありがとうございました。
つきなる街道歩きを検討してみます。
これは楽しいですねー・・・学校で習った天井川は全然にたいしたことなかったので、こんな画像でレクチャーしたら子供たちは大喜びでしょうね。
ちょうど、まったくの偶々ですが、ブルーバックスの「川はどうしてできるのか」が枕頭にありまして、そこでも野洲川が天井川の一例として挙げられていました。
なんでも、この辺り(琵琶湖東岸)の湖南アルプスと呼ばれる花崗岩地帯の風化・流下が要因らしいですねー。
ところで「二日目」にありました一里塚に、「半分」とありましたが、よろしければお手すきの時にでも「半分」の意味を教えてくださーい。
さすがです。このほかの由良川トンネルや触れていませんが、草津宿の中心街の草津川トンネルもそうでした。
あのトンネルや川に使われているのは、花こう岩だそうです。
なお、一里塚の件ですが、半分でなく片方ですよね。一里塚は必ず街道を挟んで対に設置され、榎が多く植えられたそうです。しかし、今では対になって残っているものは少ないです。中山道には結構残っていました。