昨夜の雨が雪に変わってたみたいでうっすら雪化粧。
池上院
入って右手に回り進み左に上がったお墓の横が登山口。
倒れている聖天宮参道の道標を上がって直ぐの害獣除けの柵扉を開け入山。
左へ進んでみたが、どうやら山頂へは右だったようで引き返すと、扉のすぐ先左に上る道があった。
道は明瞭と思いきや羊歯に覆われた所も。
松茸山だそうで秋は入山に気をつけねば。
文化十四年二月吉日 1817年に建てられたもの。
この先で道が分岐していて歩きやすそうな右に進むが、ふと見上げると左になにやら見えて、左が正解だったのかとすぐ引き返し左へ。
聖天宮。
その奥に、筏森神社。
左手には小さな祠。
筏森神社の横をすり抜け山頂を目指す。
のろまな私の携帯GPSは着いて来ていない様子だが、おかしいなぁ広くなった山頂と思しき所へ出たものの三角点見つからず。
これは三角点じゃないよなぁ…。
わかんないので一応、筏森山(いかだもりやま)294.9m
もうちょっと北へと進んでみたが下ってるし、諦めてきた道を引き返す。
登山道は土道ではなく岩っぽいので濡れて滑りやすく一度ガッツリコケかけて焦った~。
登山口まで下りてきたところ、陰にひっそりカメムシ君が日向ぼっこ。
振り返り、左は地上院へ、右は登山口へ。
地上院の参道から。奥の方に愛宕山。多分ね、見えるんか知らんけど。
写真は夕暮れっぽいけど、朝の9時。
最短の登山道は登山口から30分で山頂へ。毎日登山できちゃう手軽さ!やらないけど。
うっかりゴアじゃない靴で登ってしまい靴下濡れてしまったのは失敗。
次は三角点確認しよう!
筏森山には、諸説言い伝えがある。
その昔、この地は湖でその真ん中にあった小高い山は『筏』を操る人の休憩場所だったとか。
伊邪那岐(イザナギ)と伊邪那美(イザナミ)の間に産まれた素戔嗚(スサノオ)の6世の孫である大国主(オオクニヌシ)が地上の平和な国造りの為、丹波にやって来たが、水は豊富にあるものの田畑が少なく人々は困っていたので、請田神社(うけたじんじゃ)、鍬山神社(くわやまじんじゃ)、餅籠神社(もちかごじんじゃ)(持籠・篭持神社とも)の3人の神様を筏森山に招き思案の末、下流の山を切り開き湖の水を保津川に水を流すことになった。
鍬を受け工事を請け負った請田神社、開削に使った鍬を積んだ鍬山神社、籠で土砂を運んだとされる持籠神社の協力により工事は完成し湖の水は減り新しい土地ができたそうな。
などなど、興味深いね。今度この三神社を巡ってみようか?ただ持籠神社は今は所在不明なので代わりに大国主が主祭神である出雲大神宮に参ってみようか。