村の神社の神様って?、ご神体って?、何でしょうか

2009年10月10日 | 季節(秋)
              (ソバの花が満開、ソバ畑の向こうに府中小学校)

今日は秋祭りの宵宮です。
えっ、写真が違うって、実はそうなんです。夕刻、神主さんがお参りに来られた時写しました。
ところがどういう訳か、撮影画質の設定を最高にしていたため、撮った写真がブログには載り切れません、時間がありません。
仕方ありませんから、ちょっと前にFさんの牛舎前から撮ったソバ畑の写真でごまかしてしまいます。

当番隣保の面々と地区のお宮さん、熊野神社にて神主さんと一緒に、榊を供えかしわ手を打ちます。
その後、境内の籠り堂で隣保の方に祭り準備、ご苦労様と挨拶し、明日の本祭りの無事をお願いいたします。
お酒をいただき、夜食のおむすびをいただきながら、歓談のひと時を過ごします。

そんな時、Wさんが問われます。
「お宮さんのご神体って見たことありますか、何が祀ってあるのかな?」です。
私は、『いや~、見たことありませんね~、知りませんね、石ころか、玉か、剣か、それとも鏡かな」と応えます。
その時、隣保で一番長老のYさんが解説です。
「村の神社の出来た生い立ちは、土地の有力者か、豪族か、はたまた朝鮮半島からの渡来人か、当時の国造りや治世でとっても偉大な功績のあった人が亡くなった後に、その徳を偲んで村に祠を造り、代々お祭りして敬った事から村の神社が成立したのよ。」、
「そもそも神様とは姿はないのです。徳とか心とか、目に見えないものが神様の存在の真の姿で、ご神体に鏡が置いてあっても、鏡は神様ではないんです。」、
「鏡は、それを見る者に自分の心を映して、正しき行いをしているか問うものであって、鏡の後ろの目に見えない空気のような存在が神様なんです。」とお話、

聞いてた皆は、「へ~、そうですか、神様は仏像のように姿を表わさないのですか、神様は空気ですか、心ですか」と、Yさんの解説に感心しきり、籠り堂の善男達は酒を飲み飲み、夜が更けていきます。