(ハイ、このボタン押してごらん、おばあちゃん。あら~~、映ったわ不思議やわ~)
一昨日(おととい)のことです。リ~ンと電話が鳴って「テレビが映りませんや~な、画面の真ん中に “受信できません” と云う字が出て、あとは “なんやらかんやら” 字が出ますが分かりませんですや~な」、「診に来てもらえますきゃ~な」と、おばあちゃんの悲しそうな声ですね。
雪の中をぶっ飛んで行きまして、『こんにちわ~、テレビを診に来てあげましたよ~』、『それにしてもこの辺はえらい大雪だね~。国府と違って雪が山のように盛れとるやないですか』とおばあちゃんに挨拶します。
「昨日(きのう)からな、リモコンのどこを押しても映らんの」、「孫娘のムコさんにも診てもらったんだけど、映らんですや~ナ」、「息子がな~あ、アトムさんに電話して頼めっちゃと云うもんで、電話しましたんですや~ナ」と説明されますね。
テーブルの上にありますリモコンを、ソロリと持っておばあちゃんの前に置きますユックリと、『ハイ、このボタン押してごらん、おばあちゃん。この “地上” って書いてある緑のボタンだで』と、
おばあちゃんの指で押していただきますね、確か半年くらい前にもやった事、「あら~~、映ったわ不思議やわ~、どうして、どうして映るんよ、ムコさんだって出来んかったのに~」とオタオタされます気の毒ですね。
こんなリモコン押すボタン、間違え分からん説明の、出張サービス何十回も街の電気屋頑張りますね。
『それこそおばあちゃん、孫娘のムコさんって居たの、おばあちゃんと一緒に住んでるの?』と尋ねます。
古い母屋におばあちゃんが、隣の建物に息子さん夫婦、雪に埋もれたふるさとのそんな2世代のおうちです。息子さん夫婦には女の子ばかり、ところが保母さんされてる孫娘さんに、ムコさんが来られたそうですめでたいですね。
そして苗字は変えないが、ムコさんはおばあちゃんの古い母屋の二階に同居して3世代揃っての仲良し家族です。とってもニコニコ笑顔が素敵なばあちゃんは、町内勤める息子さん夫婦と、それに同じく孫娘さん夫婦に囲まれて、とっても幸せ凄いです。
今日ご来店のおばあちゃんは、結構ご高齢なのにとても元気な働き者の、ちょっと足腰不自由なおじいちゃんを、助けて高齢二人住まいのおうちです。
『ありがとうございます。都会から用事で帰ってこられる息子さんのために、ストーブ買っていただきありがとうございます』、『おばあちゃんはお歳なのに、働き過ぎじゃあないの?、体に気を付けてね』と声掛けて、『おばあちゃんのところは息子さんどうしてるんよ、跡取りさんはどうしてるのよ?』と尋ねます。
「うちは男の子が3人なんですが、皆んな都会ですや~な、私ら~が歳をとっても誰~れも跡取りが帰ってきませんや~な」、「3人とも大学に行かして都会に就職です。孫ら~も皆んな賢しこ~てええ大学に行かせてるようです」、
「息子の嫁も、うちらが田舎に帰っても次の孫らはもう田舎には帰らないから、家は継げないわなと云うのです」とおっしゃいますね。
最後におばあちゃんこんなこと、「電気屋さんはえ~ですや~な、息子さんが跡継いで」、「大学へは行けへんで~、高校でええっていう子の方が親孝行ですね、いかめ~ですや~な」としみじみと、
私は応えて云いますね。『頭はな~あ、ええころの賢さがよろしいな~おばあちゃん、ええころの賢さで電気屋するのが一番だで~、私もええころで良かったわ~。うちの息子もええころの賢さだったんでしょかね』と、
正月元旦一日の、朝刊載ってるいい記事が、曽野綾子さんの「与うる時、人は『絆』の中に立つ」という投稿記事に、絆の意味が丁寧に書いてあります読みました。
《2011年3月1日の東日本大震災以来、日本人の心に或る変化が起きて、今までと違って絆を大切に思うようになったという。そのこと自体は自然で、悪いものではない。しかしそれは今まで絆をあまり意識していなかった人間の心の希薄を浮き立たせた。》という言葉で始まって素晴らしい内容続きます。
戦後まだしばらくの頃の、人と人との関係を述べたその後に、《どの場面でも人間と人間との生の関係、改めて絆などと言わなくても、生きるということは濃厚な絆の只中にいることだった。地震や津波を体験したから、その大切さに気づいたというのでは遅すぎる。》と述べ、《そもそも絆の基本は、親と同居することだ。》と説いています。
親や、おばあちゃんとの同居が叶うことの素晴らしさ、絆の基本は親との同居であると聞かされても、都会に住む子の無念さは事情でしょうかね残念ですね。
《ええころの 分をわきまえ 同居する》