(アトムの表紙の字体がちょっと変更なって、ATOMからアトムへ顔いっぱいに)
《自分の適性に生きて、喜びをもってきょうの日の仕事に徹する。それが勇気のある人だと私は思うのです。一つのことでも、こんな仕事はという、とざされた考え方もあれば、こんな仕事をすることが出来ると考える、ひらかれた心もある。前者は運命につぶされ、後者は運命に従って運命に優遇される人なのです。あなたはどこまでも後者でなければなりません。》・・・・、
これは松下幸之助氏の言葉の一つ、「運命に優遇される人」について語ったお話しの、ほんの一節の言葉です。
もう一つ、
《もっとも私は “運” というようなものを否定するわけでもない。むしろそういうものがお互い人間の上には、目に見えなくても働いているのではないかと考える。
私自身の経営については、このように考えてやってきた。すなわち物事がうまくいったときは “これは運がよかったのだ” と考え、うまくいかなかったときには “その原因は自分にある” と考えるようにしてきた。つまり、成功は運のせいだが、失敗は自分のせいだということである。
物事がうまくいったときに、それを自分の力でやったのだと考えると、そこにおごりや油断が生じて、次に失敗を招きやすい。実際、成功といっても、それは結果の話であって、その過程には小さな失敗というものがいろいろある。それらは一歩過てば大きな失敗に結びつきかねないものであるが、おごりや油断があると、そういうものが見えなくなってしまう。
けれども、“これは運がよかったから成功したのだ” と考えれば、そうして小さな失敗についても、一つひとつ反省することになってくる。反対に、うまくいかなかったときに、それを運のせいにして “運が悪かった” ということになれば、その失敗の経験が生きてこない。自分のやり方に過ちがあったと考えれば、そこにいろいろ反省もできて、同じ過ちはくり返さなくなり、文字どおり「失敗は成功の母」ということになってくる。
そして、そのように “失敗の原因はわれにあり” という考えに徹するならば、そうした原因を事前になくしていこうという配慮ができるようにもなる。だから、それだけ失敗も少なくなって、どういう状況下にあっても経営が順調にいくという姿になってくるわけである。》・・・・、
このお話しの一節でも、「運」について「物事がうまくいったのは、運がよかった」と思いなさい、「うまくいかなかったら、自分に原因があるのであって、運が悪かった」と思ってはいけませんと幸之助氏はとらえています。
もっとはっきり言っておられます。
《私はこう思っている。人間は、見方によれば、90パーセントまでは運命によって決められている、と言ってよい。残り10パーセントを自分の意志で左右することができるのだ》とも、
色々な人から「成功の秘訣」とか、「金儲けのコツ」とか、億万長者になるやり方、人使いの上手な方法」とか質問されたときに答えておられますね。
《世の中には、そんな秘訣とか、コツとか、それさえ心得ていれば何でもできるという当意妙法なんて、絶対にありえない、と考えている。
私に言わせると人間万事、世の中すべては、天の摂理で決まるのが90パーセント、あとの10パーセントだけが、人間のなしうる限界だと思うのである。こんなことを言うと、「おまえは運命論者」だと決めつけられそうだが、私の言うパーセント天の摂理論は、世間でよく言う「運命論」とは、ちょっとニュアンスが違うのである。
つまり、私の言いたいことは、「絶対に無理をしない」ことなのである。宇宙大自然に逆らわず、むしろ宇宙や大自然にとけこんで、これと一体になりきってしまう。これが人間のほんとの姿であり、その結果あらわれてくるものが、世の中で言う成功とか成就とか、あるいは億万長者ということになるのではなかろうか。》とお話ししてます。
「運」とか、「運命」とか、「自然の摂理・天地自然の理(ことわり)」について、松下幸之助氏ほど意識して生き方や仕事の進め方に取り込んだ経営者はないでしょう。
アトムの語源でもありますATOM(原子)は原子という物質の元(源)、アトム電器と云う名前は、商売の根本原理を追求し、原理原則を貫(つらぬ)こうという一念で付けたもの、経営理念のベースとなっています。
経営理念のベースでもある天地自然の理(ことわり)は、物、人、お金は自然の摂理に従って、「全ての人(物・金)は、自分が一番大切である。その一番大切である自分を大切にしてくれる人を大切にする。その大切にしてくれるところに、物や金は集まる」という考えにも幸之助氏の「運」とか「運命」についてのお話しは相通じるものですね。
《運命は 思いようです 良くもなる》