(快晴、雨、そして今日は雪です。但馬の正月天気も三色)
新年の1月1日朝一番は、先ず、仏壇のご先祖様に手を合わせ、神棚拝んで国旗を出して、それから、氏神さんの熊野神社にお参りします。
そのあとは、公民館に集まり区の新年互礼会で、「あけまして、おめでとうございます」の挨拶いたします。
区長のMさんの挨拶の中で、「ブータン王国の国民総幸福量」のお話がありました。
ヒマラヤの山麓、70万人ほどの小さな国ブータンには、隣人には自己中心的な振る舞いをしない、穏やかでやさしく、上品な人々、
物質的には決して恵まれていないブータン王国、その国民の顔つきがとてもニコニコ、いかにも幸福感に包まれていると言われています。
人の幸せ、国の幸せって、お金や物質では表せない、何か大切なものがあることを、この国は教えてくれます。
それは、人と人との結びつき、お互い助け合う人を思いやる絆、そこから生まれる安心や幸福感、東日本大震災の時に見られた人の絆の大切さ、それが幸せの根源だと挨拶されました。
人間の幸せって、お金じゃない、物でもない、親子、隣人、国も国民もお互いあっての結びつき、お互い様の助け合いの絆こそが大切だとお話でした。
幸せって事をあらためて考えてしまいました。
私も、何回かブログで取り上げて書いた事があります。
たとえば、「幸せって自分の心が決める事」だって書いた事があります。
しあわせは
いつも自分の
こころがきめる みつを
こんな名句もありますね。
「自分自身を幸福だと思わない人間は、決して幸福ではない」 サイラス
もう一つ、こんな風に思えば楽ですね。
「世の中には福も禍もなし。考えようは一つなり」 シェークスピア
みつをさんも、サイラスさんも、シェークスピアさんも、結局こう云ってるわけですね。
『今、この世で生きてることに感謝し、感謝し、幸せ者だと思う気持ちが一番幸せ、
福の事でも禍と思えば禍になり、禍の事だって福と思えば福となる、
幸せとは、自分の心が決めること』。
「親子で仕事ができる事の幸せ」って書いた事がありました。
それにつけても街の電気屋、何歳なってもエアコン工事の現役なのです。
「貧にして安んじる人は富者なり(金持ちは一見幸福そうでも分からない、たとえ貧しくとも、その分(ぶ)に安んじて幸福を幸福と感じている者が心豊かな者だ)シュークスピア」と、負け惜しみの電気屋さんではありませんが、
確かに、歳をとっても仕事が出来ること、ましてや親子で出来ること、これくらい幸せなことはありませんね。
「一生の仕事を見いだした人は幸福である。彼には他の幸福を探させる必要はない」と云った、イギリスの歴史家トーマス・カーライル、
夏目漱石や内村鑑三にも影響を与えた思想家の言葉です。
毎日仕事があることの幸せ、よ~くかみしめて味わう小さな幸せ、これが実はとっても大切なものそんなことを感じます。
只今我が家では、老後の世話をしているお方があります。
まだ入院中ですが、何度も何度も通います。これからも何年続くか分かりません。そんな時に「孝を問う」って、こんな事をブログに書いた事を思います。
二宮尊徳の金言集にこう書いてあります。
「孝を問ふ、曰く父母に事(つか)へて我無き也。孝を問ふ、曰く父母の憂いを似て、わが憂いとなす。かくの如きは、父子一体なればなり。」です。
父母ありて我あり、わが命の根本を思いいたせば、父母の憂いわ我が憂いと感じずにはおれません。
老後の幸福ってことを感じる言葉です。
幸せの方程式って、組み合わせも、答えも色々あって大変ですね。
《幸せの 足す引く掛ける 深いです》