(国府平野は春でもないのに水ぬるむ、ポカポカ陽気の日が暮れる)
なんや気色悪いほど晴れますな~、
東京は、大雪だとニュースで大騒ぎしとるのに、ふるさと但馬はポカポカ陽気、とんでもなく晴れてばかりの毎日ですね。
帰り道、国府平野を縦断します。
遠くのスピーカーから、夕刻5時を知らせる「夕焼け小焼けで日が暮れて~、山のお寺の鐘が鳴る~・・・・・・・・・」のメロディーが聞こえてきます。
国府平野の田んぼの水も、夕日に照らされキラリと光り、春でもないのに水ぬるむ感じがいたします。
一昨日です。
おとといも晴れた良い天気でした。Mさんちに、パソコンとテレビとエアコンを配達します。
「アトムさ~ん、手を休めて休憩して下さ~い。お餅が焼けたわよ、休んで休んで、休んで食べてちょうだい」と奥さんの声です。
息子はパソコンの設定の手を休め、私は、アンテナ分配工事の手を休めて休憩をいたします。
「なんちゅう天気が良いの、いつもなら、積もった雪でガラス戸の上まで塞がって、部屋の中が真っ暗なのに、今年は不思議なくらいに雪が少なく晴れますね」と云いながら、お餅を差し出されます。
そして、「最近は、とんとお餅も作らなくなったわね。昔は、臼(うす)でペッタンコと搗(つ)いたのに」とお話されて、奥さんこんなことをおっしゃいますね。
「私ね、子供の頃のこと、友達の家に行ったの。そのお家はね、部屋の真ん中に囲炉裏(いろり)があったわ。私のところはなかったの」、
「冬の囲炉裏は炎がユラユラ、真っ赤になった炭の暖かさは良かったわ」、
「友達のお母さんが、お餅を焼いてあげようかと云って焼き始めたの」、「ところが、お餅を焼くテキ(焼き網)なんてないのよ、お母さんは、いきなり囲炉裏の灰の中に餅を入れて、それで焼いてしまったのよ」、
「焼けたわよと云って、パッパと灰を払い落とすだけ、砂糖醤油を付けて食べたことを思い出すわね」なんてお話されました。
昔は、灰なんか少しも汚いものでない、なんとも云えない、のどかなものだったと思い出話をされますね。
さらに話しは続く、「畳なんてありません。板の間にムシロの部屋です」、「すきま風で、背中は寒いが囲炉裏の炎で顔は真っ赤に暖かい、それがなんとも楽しい嬉しい、昔日の思い出だったね」とお話されますね。
囲炉裏(いろり)という言葉で思い出しました。
子供の頃に、母が唄ってくれましたこんな歌。こんな歌が、終戦直後の12月にNHKから放送されたと聞きました。
教師だった斎藤信夫さんが、作詞された「里の秋(さとのあき)」という童謡です。
しずかな しずかな 里の秋
おせどに 木の実の 落ちる夜は
ああ 母さんと ただ二人
栗の実煮てます いろりばた
明るい 明るい 星の空
鳴き鳴き 夜鴨(よがも)の 渡る夜は
ああ 父さんの あの笑顔
栗の実食べては 思い出す
さよなら さよなら 椰子(やし)の島
お舟に ゆられて 帰られる
ああ 父さんよ 御無事でと
今夜も母さんと 祈ります
外地の父さんを想い、囲炉裏ばたで、母と子が過ごす様子を唄った名曲です。
Mさんちで、お餅を頂きながら、囲炉裏の話を聞きながら、こんな歌を思い出します。あったかふるさと但馬の一日でした。
《雪国の 冬の暖ったか 囲炉裏端》