佐々木の里の百日紅
(但馬ふるさとづくり協会転載許可済)
平成25年 第8回但馬検定(3級)問題より
【68】豊岡市出石町出身の訳詞家で、「菩提樹」、「のば
ら」、「ローレライ」などの訳詞・作詞をしたのは、誰で
しょうか。
(a)篠原無然 (b)近藤朔風
(c)青山熊治 (d)藤原東川
正解は、(b)の近藤朔風(こんどうさくふう)です。
近藤朔風は、日本気象観測所創設者としてとても有名な桜井
勉の5男として生まれました。13歳の時に、叔父にあたる
近藤家に養子に入り、東京外国語学校、東京美術学校、東京
音楽学校で学び、芸術・音楽の見識を高めます。
卒業後、「名曲新集」「西欧名曲集」などを発刊し、訳詞家
として才能を発揮します。
【童(わらべ)はみ~た~り 野なかの薔薇(ば~ら)】の
唄い出しで、誰でも知っている「野ばら」をはじめ、「菩提樹」
「ローレライ」「シューベルトの子守歌」などの訳詞・作曲を
します。これらは、特に名訳として絶賛されています。
他に、日本初のオペラの公演などに携わり、日本近代音楽の発
展に貢献しましたが、大正4年(1915)に35歳の若さで惜し
まれながら亡くなりました。
ちなみに、(a)の篠原無然(しのはらぶぜん)は、新温泉町諸
寄出身の社会教育家です。飛騨に入山し僻地(へきち)・平湯に
代用教員として勤務、地域の社会教育にとても尽力します。36歳
の時、平湯に帰る時安房峠で遭難し、飛騨の地で人生を全うしま
す。今も地元では「飛騨聖人」として、人々に尊敬されています。
(c)の青山熊治(あおやまくまじ)は、朝来市生野町出身の洋
画家です。白瀧幾野之助、和田三造とともに、生野町出身洋画家
の三巨匠と称されたとても有名な方です。帝展などで特選入選を
得て活躍が期待されましたが、46歳の若さで昭和7年(1932)に
急逝しています。
(d)の藤原東川(ふじわらとうせん)は、和田山町東河の出身の
歌人です。農民の喜びや悲しみを歌う「田園歌人」「農民歌人」
と称され、若山牧水の誌友となり歌人として活躍しました。但馬
歌壇の父ともいわれています。
『行けへん 寝れれへん 起きれれへん
あっきゃ~へん おんなれへん 分かれへん』
但馬弁らしい訛りのひとつに「~へん」という言葉があります。
「行けへん」「寝れれへん」「起きれれへん」「あっきゃ~へん」
「おんなれへん」「分かれへん」のように、言葉の尻に「へん」を
付けるのです。
「~へん」は、「ない」という否定を表す言葉なのです。
「行けへん(行かない) 寝れれへん(寝られない) 起きれれへ
ん(起きられない) あっきゃ~へん(あきません) おんなれへ
ん(おられません) 分かれへん(わかりません)」となるのです。
このうち、「あっきゃ~へん」なんて、特に但馬弁らしい訛りです。
(但馬ふるさとづくり協会転載許可済)
平成25年 第8回但馬検定(3級)問題より
【68】豊岡市出石町出身の訳詞家で、「菩提樹」、「のば
ら」、「ローレライ」などの訳詞・作詞をしたのは、誰で
しょうか。
(a)篠原無然 (b)近藤朔風
(c)青山熊治 (d)藤原東川
正解は、(b)の近藤朔風(こんどうさくふう)です。
近藤朔風は、日本気象観測所創設者としてとても有名な桜井
勉の5男として生まれました。13歳の時に、叔父にあたる
近藤家に養子に入り、東京外国語学校、東京美術学校、東京
音楽学校で学び、芸術・音楽の見識を高めます。
卒業後、「名曲新集」「西欧名曲集」などを発刊し、訳詞家
として才能を発揮します。
【童(わらべ)はみ~た~り 野なかの薔薇(ば~ら)】の
唄い出しで、誰でも知っている「野ばら」をはじめ、「菩提樹」
「ローレライ」「シューベルトの子守歌」などの訳詞・作曲を
します。これらは、特に名訳として絶賛されています。
他に、日本初のオペラの公演などに携わり、日本近代音楽の発
展に貢献しましたが、大正4年(1915)に35歳の若さで惜し
まれながら亡くなりました。
ちなみに、(a)の篠原無然(しのはらぶぜん)は、新温泉町諸
寄出身の社会教育家です。飛騨に入山し僻地(へきち)・平湯に
代用教員として勤務、地域の社会教育にとても尽力します。36歳
の時、平湯に帰る時安房峠で遭難し、飛騨の地で人生を全うしま
す。今も地元では「飛騨聖人」として、人々に尊敬されています。
(c)の青山熊治(あおやまくまじ)は、朝来市生野町出身の洋
画家です。白瀧幾野之助、和田三造とともに、生野町出身洋画家
の三巨匠と称されたとても有名な方です。帝展などで特選入選を
得て活躍が期待されましたが、46歳の若さで昭和7年(1932)に
急逝しています。
(d)の藤原東川(ふじわらとうせん)は、和田山町東河の出身の
歌人です。農民の喜びや悲しみを歌う「田園歌人」「農民歌人」
と称され、若山牧水の誌友となり歌人として活躍しました。但馬
歌壇の父ともいわれています。
『行けへん 寝れれへん 起きれれへん
あっきゃ~へん おんなれへん 分かれへん』
但馬弁らしい訛りのひとつに「~へん」という言葉があります。
「行けへん」「寝れれへん」「起きれれへん」「あっきゃ~へん」
「おんなれへん」「分かれへん」のように、言葉の尻に「へん」を
付けるのです。
「~へん」は、「ない」という否定を表す言葉なのです。
「行けへん(行かない) 寝れれへん(寝られない) 起きれれへ
ん(起きられない) あっきゃ~へん(あきません) おんなれへ
ん(おられません) 分かれへん(わかりません)」となるのです。
このうち、「あっきゃ~へん」なんて、特に但馬弁らしい訛りです。