いわき・うぶすな広場だより

セカンドライフの生き方を書いています。

FMいわき「東日本大震災写真展」は今日夜8時まで。・・・いわき

2011-09-11 06:01:24 | いわきの講演会

FMいわき「東日本大震災写真展」は
9日(金)~11日(日)夜8時まで
ラトブ2F特設会場で開かれています。
震災6カ月の今日
大勢の方に見ていただきたいです。
高橋さんの本の表紙です。


本の裏です。
高橋さんのサインもいただきました。

FMいわき「東日本大震災写真展」は
9日(金)~11日(日)夜8時まで
ラトブ2F特設会場で開かれています。

今回の企画は
フォトジャ-ナリストの高橋智裕さんが
いわき市内の大震災の記録を撮影したものと
FMいわきが大震災報道で伝えたものが
展示されています。

写真展は
大震災後6カ月の今日までですので、
大勢の方に見ていただきたいです。
復興の力にしたい企画です。

いのししは
金曜日に
早速見てきました。

改めて地震のすごさに驚きました。

高橋さんの本も購入して
すぐ読んで、
信じがたい光景に
唖然とする光景も感じられました。

大震災後、
2週間後に
豊間地区などを自転車で、
3時間ほど滞在して、
凄さを見ていたものですので、
写真集で改めて、
感慨深い光景にぶつかったという印象です。

 

 

コメント (1)
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「焼き肉のタレ」「そば用かえし」を作る・・・いわき

2011-09-10 15:30:27 | 豊間そば打ち道場

韓国料理の「焼き肉のタレ」を久し振りで作りました。
月曜日に友人たちとのバーベキュー用に。
これを布でこして使用。


材料の一部です。
にんにくはいのししが。
玉ねぎは友人が作りました。


「そば用のかえし」が出来上がりました。
あくを取ってから、
約2カ月以上寝かせます。
それからだしとブレンドして、
そば用たれになります。
今回は11月の新そば用になります。


材料はこんなものを使っています。

今日は
家庭菜園後久し振りに
そば用かえし・韓国の焼き肉用たれを作りました。

そば用「かえし」の作り方とは:

材料:

醬油(濃口・本醸造特級以上のものをお勧め)・・・2
   (いのししは「チョーコー醬油株式会社のむらさき」を使っています。)

みりん                       ・・・225㏄
赤ザラメ(砂糖)                  ・・・335㏄

こいくちしょうゆのJAS規格について

標準・・・・・全窒素分(1,50%以上)
上級・・・・・全窒素分(1,35%以上)
特級・・・・・全窒素分(1,50%以上)
特級のうち
全窒素分1,65以上を特選
全窒素分1,80以上を超特選とされています。

全窒素分とは:旨みの目安のことです。


作り方:

 ①鍋に「醬油」を入れて火にかけます。
  火は中火にします。
  (強火にしますと醬油が鍋の内側に焦げ付いてしまいますので。)

 ②鍋の縁に白い泡が出てきましたなら、「赤ザラメ」を入れて、
  ゆっくりとかき回して溶かします。

 ③「赤ザラメ」が溶け切りましたなら、弱火にし、
  表面が落ち着いてきましてから、
  「みりん」を入れます。
 
 ④弱火にしたまま、しばらく置きます。
  表面が金色の格で覆われてきまして、
  泡の表面が開くようになりますと火を止めて完成です。

 ⑤これをさまして、できれば、カメを利用して、
   保存させます。
   (保存容器はいろいろ試しましたが、
    カメが一番で、今はこれを利用しています。)

 ⑥2か月以上保存してから
  「だし」とブレンドさせて使います。
  


「かえし」の役割とは:

 じっくり寝かせることで、
 醬油の角を取り、まろやかにさせる作用と、
 醬油の劣化を抑える効果もあるといわれています。
 言葉の意味は、「醬油」と「砂糖」と「みりん」を混ぜたもので、
 醬油を「煮返す」から出た言葉だといわれています。

「かえし」と「だし汁」をブレンドして、
おいしい「そばつゆ」が出来上がります。

シンプルですが、
時間はかかります。
でも味は
ひとあじ違います!!

<焼き肉のたれの作り方>

材料:(4~5人の場合)

醬油・・・・・・・・・・・・・・・・50ml
水・・・・・・・・・・・・・・・・・・50ml
おろしにんにく・・・・・・・・・大さじ1
おろし玉ねぎ・・・・・・・・・・大さじ1
パイナップル(缶詰)・・・・大さじ1(梨などでもok。)
 

ごま油・・・・・・・・・・・・・・大さじ1
はちみつ・・・・・・・・・・・・大さじ2
酒又はみりん・・・・・・・・・適量
こしょう・・・・・・・・・・・・・・少々
生姜・・・・・・・・・・・・・・・・少々

これらを沸騰させないで生のまま使用します。
砂糖は使用しません。

冷蔵庫で2週間くらいは持つようです。
(早めに使うのがいいでしょう。)

今回は
しょうゆ500mlを基本に作りました。

市販のものもおいしいですが、
たまには自分で作るのも楽しいですよ。

あまった時には
これに「酢」を好みに入れますと
ドレッシングとしても使えます。

  料理は想像ですので、
楽しいですね。
時間にゆとりの時には
こうした「たれ」作りもいいものです。

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早朝から、家庭菜園で汗を。・・・いわき

2011-09-10 10:05:18 | 家庭菜園

今朝の「ゴーヤー」の収穫。
まだまだ「ゴーヤー」は健在。
おかげで、
「ゴーヤー・バナナ」が毎日・飲めます。


「きゅうり」の第2弾を解体し、土を耕しました。
人参・ミズナ・春菊を播く予定です。


「ズッキーニー」もまだ健在。

早朝から、
配偶者は草むしり。

いのししは「きゅうり」の解体。
畑を耕す。
そば用「辛味大根」4種類を播きました。
これで
「そば用辛味大根」は5種類に。

後日
もう1種類播く予定です。
11月の新蕎麦が楽しみですね。

昨日は
ヒューマンカレッジ、FMいわき東日本大地震写真展へ。

これから、
久し振りの「そば用返しつくり」を。

午後からは
明後日月曜日に友人数人で、
いのしし宅の庭で、バーベキュー。

今までの疲れを吹き飛ばそうということで。

その為の
「たれ」作りをします。
市販と自分で作ったものと。

今月中旬くらいまでは
毎日読書・レコード鑑賞三昧で、
少しのんびりします。

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FMいわきを通してみた東日本大震災・・・ベティさん・・・いわきフォーラム'90講演会

2011-09-09 08:50:41 | いわきフォーラム'90

親しみやすくわかりやすい語り口で、
放送するベティさんと同じく
わかりやすい講演中の「ベティ」さん。
週2日は
心理学の勉強で東京にとがんばるベティさん。

昨夕
いわきフォーラム'90主催
第352回ミニミニリレー講演会が
中央台公民館で開かれました。

「FMいわきを通して見た東日本大震災」

講師は
ベティさん(フリーパーソナリティ)でした。

自己紹介で、
家庭のこと。

週2回東京で心理学を学んでいる事。

アナウンサーになった動機や
養成する為の学校(東京アナウンスアカデミー・アナウンス養成科・・DJ科、)のお話。

FMいわきを立ち上げた時代のお話。

その後
本題に。

☆FMいわきの成り立ちや
  3年目にコミュニティ放送に移行したお話。
  現在では全国に200以上もコミュニティ放送局があるようですが、
  当時は少なかったが、

  基本の理念は
  「災害放送」のために作られた放送局だったと。

  今回の地震災害で、
  ようやくその理念の仕事が出来たという
                 ↓
  当たり前の仕事をしたという(しかし本当に忙しかったと。)

  災害放送につきましては、
  先輩に教えていただいていたこともあり
  マニュアル・フォーマットに沿った情報が放送できたのでは。
  その放送後
  視聴者から新たな言葉で帰ってくるのに
感動したと。
  (がんばるぞ!!等の言葉で。)

☆ベティさんの災害放送はどのようにして始まったのか。

  オフの日で、イタリアンの店で遅いランチ中。
    床ににワインが真っ赤に→どんどんワインが割れていく状態に異常な事態と判断。
   お店の的確な誘導で、駐車場から→そこもだめで道路へ避難。

  そこから必死でスタジオへ→CDなどが散乱のスタジオ。
    それから必死の放送が1ヵ月半に及ぶとは・・・・

  一気に情報が入り始めるが人出がなくなかなかまとめられない状態に。

  放送には最低は4人の人数が必要なのです。
   技術・ミキサー・ディレクター・情報を取る人などで。
  しかし
  残ったのは最終的に8名のスタッフ。
   これで24時間回すのは不可能なのですが、
   スタジオに寝泊まりしながら、
   1カ月半以上がんばり続けられた。
  病気にはならなかったそうです。
  それだけ緊張が続いたのですね。

  それらの中での様々なお話が。

  ある避難所でのお爺さんのお話として。

  おじいさんの伝えたいこととはの質問に対して。

  子どもたちを守ってくれとのお話。
   (子どもたちのことを考えると眠れないと。)

メディアにはいろいろあるでしょうが、
地元のメディアとして、
やれることはやって、
身近な情報
水・ガソリン・お店の開店情報など
役立てられたのではないかと振り返られました。

反省点は今後に生かしていきたいと。

最後に
震災前から心理学の勉強をなされていて、
心理学には64もの分野があり
その中の「カウンセリング心理学」を学んでいるそうですが、

「人間の弱さと強さを震災として経験した」ので、
それを踏まえた心理学を深めたいと
話されていました。

 ベティ様
 お忙しい中、
 震災中の災害放送の表側と裏側を話されて、
 貴重なお話しありがとうございました。


 

 

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「忌野清志郎」さん甦る!!・・・いわき

2011-09-08 06:12:43 | 家庭菜園

忌野清志郎さんが
雑誌のスクラップから甦りました。
2005年・BE-PAL3月号より
愛車の自転車で沖縄で。
死の4年前ですか?


1972年2月ですから今から約40年前ですか。
「初期のRC・サクセッション」の復刻版を聴いてみました。

40年来たまった
本や雑誌・レコード(懐かしい)の整理を、
試験後、畑の草むしりを含めて、
昨日で8日かけて一応終了。

本人はOKのつもりですが、
配偶者からは×。
まだまだとの声。

今後も整理を続けますとの一言。

整理をしますと
いろいろの物が出てくる。
そのひとつが、
上記の写真の
2005年・BE-PAL3月号より
忌野清志郎さんが
雑誌のスクラップから甦りました。

好きな自転車の愛車に乗った
沖縄の写真が、
雑誌の次のページに載っていました。

亡くなったのは2009年5月2日ですから、
今年で60歳の還暦なのですね。
(1951年4月2日~2009年5月2日)

生かせておきたい音楽家とでした。
現在の原発事故をどのように見ているのでしょうか!!

悲しみの目で、
先見性が当たってしまったなと・・・・

そんなわけで、
初期の
「初期のRC・サクセッション」
夜、久し振りで聴いてみました。

あの「ぼくの好きな先生」も入っています。
あの独特な声もすでに萌芽が表れているのです。

試験後
片付けが済んでから、持っている1960~70年代の
フォーク等などの初期を聴こうと思っていましたら、
忌野清志郎さんが一番先に聴くことになりました。

今日は
「なるほど歴史塾」
「フォーラム'90」
と大忙し。

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