何らかの技術、知識を持った特技がある人は世の中にたくさんいると思います。
美容師、医者、料理人、マジシャン、スポーツ選手、ミュージシャン、プログラマー、
レーサー、栄養士、トレーナー、パティシェ、整体師、パチプロ、ソムリエ、税理士・・・
パッとおもいつくだけでもこんな感じの人たちです。
まだまだこれら以外にも100くらい挙がるかも知れません。
これらの人たちは常に自分の技術への追及とその一般化のハザマで
悩んでいるハズだと院長は考えるのです。
技術者として自分が満足するまで高めていった技術や知識がそのまま
一般の人からの評価につながるわけではないということです。
趣味の世界ならまだしも、その専門技術を商売にしている人にとって
これは避けられない問題なのです。
わかりにくいと思うので、たとえ話を使って説明してみます。
非常によく勉強し、日々技術の修練に努める美容師がいるとします。
様々な技術を知り、研究し尽くした結果、ドライカットというカット技術が自分の
極めるべきカット技術であると結論付け、その技術の向上に努めてきたとします。
そのカットは職人的に非常に難易度が高いわりに、世間的な認知度が低く、
カットの作業自体がなんとなく地味に見えるため、さほど一般ウケしません。
その一方、美容師の間では当たり前とされてる簡単なカット技術で、
優秀な美容師の間では少し時代遅れとすら思えるようなカット技術を
さもすごいことのように見せる美容師が、その際立ったキャラのためか、
たまたまテレビでもてはやされ、カリスマ美容師として成功を収めている。
技術的にははるかに難易度が高いドライカットにこだわった美容師さんは結局
そのカットを正当に評価されることなく、店をたたむことになりました・・・
以上は実話ではない、架空のたとえ話です。
技術者として自分がこだわっているものと一般の人が求めるものに差が生じるのは良くあること。
技術者としては何の思い入れもないような技が一般にはウケることも多々あります。
また逆にどんな技術でも、すごそうに見せることの出来る技術者もいます。
職人が自己を高め、技術を追求することをおろそかにするのはどうかと思いますが
それを評価するのが一般の人である以上は一般の人の目にどう写るか?を
想像出来ない職人は苦しい思いをし続ける可能性が高い。
院長が趣味として作り続けているカレーも生業にするとしたら、どの辺で折り合いを
つけるべきか?そんなことを時々考えます。
院長のカレーに対する想いやこだわりは食べる人には届きません。
そんなのうっとおしいだけだし。
食べる人は金を払うわけで、単純な旨さを評価します。
「本場の流儀では・・」とか「肉と魚と豆でそれぞれ水は使い分けてます」とか
声高に訴えてもそんなんもん伝わりませんし、力の入れ所がズレてます。
院長自身はそれほど思い入れや作り甲斐を感じていないが、
旨いことにかけては鉄板中の鉄板。わかりやすくて単純にウケる。
そんなカレーを作ったりもする。
いつの日か院長のカレー作りが趣味で終わらなくなったときに、院長の武器になってくれる
これはきっとそんなチキンカレー。
美容師、医者、料理人、マジシャン、スポーツ選手、ミュージシャン、プログラマー、
レーサー、栄養士、トレーナー、パティシェ、整体師、パチプロ、ソムリエ、税理士・・・
パッとおもいつくだけでもこんな感じの人たちです。
まだまだこれら以外にも100くらい挙がるかも知れません。
これらの人たちは常に自分の技術への追及とその一般化のハザマで
悩んでいるハズだと院長は考えるのです。
技術者として自分が満足するまで高めていった技術や知識がそのまま
一般の人からの評価につながるわけではないということです。
趣味の世界ならまだしも、その専門技術を商売にしている人にとって
これは避けられない問題なのです。
わかりにくいと思うので、たとえ話を使って説明してみます。
非常によく勉強し、日々技術の修練に努める美容師がいるとします。
様々な技術を知り、研究し尽くした結果、ドライカットというカット技術が自分の
極めるべきカット技術であると結論付け、その技術の向上に努めてきたとします。
そのカットは職人的に非常に難易度が高いわりに、世間的な認知度が低く、
カットの作業自体がなんとなく地味に見えるため、さほど一般ウケしません。
その一方、美容師の間では当たり前とされてる簡単なカット技術で、
優秀な美容師の間では少し時代遅れとすら思えるようなカット技術を
さもすごいことのように見せる美容師が、その際立ったキャラのためか、
たまたまテレビでもてはやされ、カリスマ美容師として成功を収めている。
技術的にははるかに難易度が高いドライカットにこだわった美容師さんは結局
そのカットを正当に評価されることなく、店をたたむことになりました・・・
以上は実話ではない、架空のたとえ話です。
技術者として自分がこだわっているものと一般の人が求めるものに差が生じるのは良くあること。
技術者としては何の思い入れもないような技が一般にはウケることも多々あります。
また逆にどんな技術でも、すごそうに見せることの出来る技術者もいます。
職人が自己を高め、技術を追求することをおろそかにするのはどうかと思いますが
それを評価するのが一般の人である以上は一般の人の目にどう写るか?を
想像出来ない職人は苦しい思いをし続ける可能性が高い。
院長が趣味として作り続けているカレーも生業にするとしたら、どの辺で折り合いを
つけるべきか?そんなことを時々考えます。
院長のカレーに対する想いやこだわりは食べる人には届きません。
そんなのうっとおしいだけだし。
食べる人は金を払うわけで、単純な旨さを評価します。
「本場の流儀では・・」とか「肉と魚と豆でそれぞれ水は使い分けてます」とか
声高に訴えてもそんなんもん伝わりませんし、力の入れ所がズレてます。
院長自身はそれほど思い入れや作り甲斐を感じていないが、
旨いことにかけては鉄板中の鉄板。わかりやすくて単純にウケる。
そんなカレーを作ったりもする。
いつの日か院長のカレー作りが趣味で終わらなくなったときに、院長の武器になってくれる
これはきっとそんなチキンカレー。