できることを、できる人が、できるかたちで

京都精華大学教員・住友剛のブログ。
関西圏中心に、教育や子ども・若者に関する情報発信を主に行います。

新型コロナウイルス感染症の対策に「地理」の視点を取り入れる必要があるのでは?

2020-03-29 23:29:09 | 国際・政治

これは昨夜思いついたことで、あれからずっと頭を離れないことなんですが・・・。

一度、都道府県や市区町村といった行政単位を離れて、鉄道や道路といった交通網と各地の地形図を念頭において、新型コロナウイルスの感染拡大の現状把握や予測をマッピングしてみたらどうなるんでしょうね?

ちょうど地震や津波、大雨・洪水や土砂災害などの被害予測をする「ハザードマップ」をつくる要領なんですが。

なにしろウイルスが人と人との密な接触によって感染するのであれば・・・。

・人口密度の高い大都市圏のほうが、人口減少地域よりも感染の危険性は高い。

・その大都市圏に向けて、鉄道や道路などの交通網を通じて頻繁に人が行き来している地域も、感染の危険度は高い。

・その大都市圏のなかでも、最も感染リスクが高いのは、人の出入りが激しいか、長時間密に接触する場所。

ということになりますよね?

また、鉄道や道路などの交通網でいうと、たとえば小さな町と町とをトンネルで結んでいるようなところは、比較的、人の行き来が少ないでしょう。紀伊半島の南部のようなところ、あるいは兵庫県の日本海側がそうですよね。

あるいは瀬戸内の島々とか、九州などの離島にも、やはり大都市圏からの人の往来は少ないでしょう。

逆に東京・名古屋・大阪の三大都市圏のような平野部で、なおかつJRや私鉄の各線が縦横に路線を通しているようなエリアは、人の行き来はその分多くなるはずです。

あるいは三大都市圏から新幹線で行き来できるエリア、それも東海道・山陽新幹線で「のぞみ」が停車する駅のある町には、三大都市圏からの人の往来があるので、それ相応の感染拡大が見込まれるかと思います(これはJRの特急停車駅でもいえるかもしれません)。

そう考えると、ウイルスの感染拡大の現状把握や予測については、実は都道府県や市区町村という行政単位よりも、長い年月をかけて歴史的に形成されてきた人の往来と交通網の様子(=人文地理的環境)、さらにその往来や交通網をつくってきた自然地理的環境から把握したほうが、より詳細に状況をつかんで、予測ができるように思うんですけどね…。

「せめて都道府県単位ではなくて、市区町村という基礎自治体単位で」の状況把握といいますか、マッピングをしたほうがいいように思うのは、私だけでしょうか…。

以上のような次第で、新型コロナウイルスの感染拡大の防止策については、たとえば自然地理、人文地理といった「地理」の視点から、行政の単位とは別の切り口で問題を考えてみることも必要ではないかと思います。

ある方からは「そのアイデアを活かして、誰かが実際にデータを集めて、マップつくったら?」「ネット上でのオープンな議論で・・・」というようなご提案もいただいたのですが、そこまでする心身の余裕は残念ながらありません。なので、この私のアイデア、「使ってみよう」と思う方はぜひ、使ってください。よろしくお願いします。

※2020年度の新学期から「社会科地歴科教育法」なる科目も担当することになって、このところ「地理」の勉強をしなおしているので、こんな感覚になっております、はい・・・。

※昨夜~今朝にかけて、ツイッターやフェイスブックに書いたことを整理して、転載しておきました。


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今日(3月29日)のプリキュアの話です。

2020-03-29 20:50:00 | プリキュア話

今日も日曜日。今朝のプリキュアの話をふりかえっておきたいと思います。

例年、だいたい3月末からしばらくのあいだのプリキュアは、その年のプリキュアたちひとりひとりのキャラクターと仲間関係の両方をていねいに描いたり、その年の舞台設定となる物語を描いたり・・・という感じですね。

今日の放送分も、ひなた=キュアスパークルに焦点をあてて、ひなたのキャラクターを描きつつ、のどか=キュアグレース、ちゆ=キュアフォンテーヌとひなたとの関係をていねいに描こうとしていました。

そのひなた=キュアスパークルのキャラクターですが、まあ、「ダンスとファッションが大好きで、そそっかしいし、思い込んだら突っ走る。でも、友だち思いの心根のやさしい子」というところでしょうか。

今日の放送分でも、たとえばひなたは自分がダンスをしている動画をネット上にアップして見せたり、のどか・ちゆをショッピングモールでの写真撮影会に連れていったり…(ちゆは最初、あまり乗り気でなかった様子でしたが)。その写真撮影会ですが、かわいい服を着て、ネイルシールを貼ったり、ヘアアクセサリーをつけたりして、「お姫様」のような感じで写真を撮る会ですね。ひなたはのどかやちゆに、ファッションやメイクのアドバイスをして、楽しそうです。どうやらのどかの家に行ったときに、病気療養をしていた頃の楽しい写真がないことに気付いたので、ひなたは楽しい写真をいっしょに撮ろうと思い、この撮影会に連れて行ったようです。

ただ、病み上がりののどかを無理にショッピングモールで連れまわしたので、のどかは疲れてしまった様子。その様子を見て、ひなたは自分がまた突っ走ってしまった…と、のどかに謝ります。ちゆには「あまり無理しない方が…」と言われたのですが、でも、のどかは「楽しいから、まだ帰らない」と言います。

そんなときに、子犬のラテ(=ヒーリングアニマル)が居なくなります。そのラテをひなたが探しているときに、シンドイーネとメガビョーゲンが現れて、ショッピングモールを壊し始めます。「わたしひとりでなんとかする!元通りにする!」と、ひなたはキュアスパークルに変身して、メガビョーゲンとたたかいはじめます。でも、今度のメガビョーゲンは宝石からつくられたようで、すごい頑丈。キュアスパークルの攻撃を弾き返してしまいます。そんなキュアスパークルに、シンドイーネは「3人でもまだまたたいしたことないのに、たったひとりで勝とうなんて、なにも考えてないでしょ?」と語りかけます。

「まただ…」と落ち込みはじめたキュアスパークルのところに、のどか・ちゆが追いついて、キュアグレース・キュアフォンテーヌに変身します。「ごめんね、またひとりで突っ走って…」と謝るキュアスパークルに、キュアグレースは「自分のことそっちのけでファッションのことアドバイスしてくれてうれしかった。楽しくて胸いっぱい」と。キュアフォンテーヌも「最初は乗り気でなかったけど、スパークルが一生懸命だったから、一緒にやってみたら、だんだんわくわくしてきた」と伝えます。

そのことばを聴いて、キュアスパークルは元気が回復。氷のエレメントをつかってキュアフォンテーヌがメガビョーゲンを固めている間に、キュアスパークルがメガビョーゲンをスキャンし、宝石のエレメントを救い出して敵を倒します。

ラストの場面では、プリキュアたち3人が「お姫さま」のような衣装を着て撮った写真ができあがります。その写真を「のどかの部屋に飾ろう」と、ひなたが言います。のどかはひなたに「ありがとう!」と。ちゆは「最初からそうしたかったんでしょ」と一言。「また3人で写真撮ろうね」というかたちで終わりました。まあ、こんな感じで、ひなた=キュアスパークルのキャラクターを描きつつ、3人の仲間関係の深まりが描かれた…というのが、今回の放送分でした。

 

 

 


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学校で起きる問題への法的対応にも、できることには限界がある(神戸・教員間いじめ問題関連)

2020-03-28 20:27:17 | 受験・学校

神戸市総合教育会議が10月17日付けで出した「今後の方向性」に「対案」を出してみる

上記は去年の10月に、神戸の教員間いじめ問題が発覚して間もない頃にブログに書いた記事です。この記事もあわせて読んでいただいた上で、これから今日のブログに書くことを参考にしてください。

いまは、新型コロナウイルス感染症への対応が何かと気になってしかたがない状況ですね。この神戸の教員間いじめの問題についても、先月末に弁護士主体の調査チームの報告書が出て、加害教員らへの懲戒処分が行われましたが…。でも、私もなんだかコロナのことが気になったので、こちらの神戸の教員間いじめ問題については、ひとまず「落ち着いてからコメントを」ということにしていました。そのことは、このブログにも書いたとおりです。

ですが昨日、加害教員らへの刑事処分に関して、重要な動きがありました。本来は兵庫県警の捜査がひと段落ついて、加害教員らが書類送検された段階からコメントしないといけないわけですが・・・。ちょうど昨日、神戸地検が「起訴猶予」という判断を示したので、そのタイミングで一度、コメントをしておきます。

以下、まずは、この事件を続けて追っている神戸新聞の記事から、この「起訴猶予」に関する記事を紹介しておきます。

東須磨小・教員間暴行 加害教諭の起訴猶予、保護者「疑問拭いきれず」(神戸新聞NEXT 2020年3月28日)

https://www.kobe-np.co.jp/news/sougou/202003/0013228346.shtml

東須磨小・教員間暴行 加害元教諭ら4人起訴猶予 (神戸新聞NEXT 2020年3月27日)

https://www.kobe-np.co.jp/rentoku/eastsuma-kyoin/202003/0013228336.shtml

教員間暴行の加害教員4人、起訴されない? 兵庫県警内でも意見割れる (神戸新聞NEXT 2028年3月12日)

https://www.kobe-np.co.jp/news/sougou/202003/0013186515.shtml

これらの記事を読みまして、私の方でいま、コメントできることは、以下のとおりです。これらの記事については、昨日~今日にかけてツイッターでつぶやいたことを整理して、以下の内容をフェイスブックに転載しました。それをこちらのブログにも転載して、あらためて加筆しておきます。

○以下、フェイスブックに書いたことからの転載

ほんと、事件発覚直後から私が言い続けてきたことにやっと気づいたか、神戸新聞の記者とそこに出てくる識者たち…みたいな記事ですね。だから法的対応はその限りでしか課題を解決しない、最初から弁護士だけでなく、教育や心理の専門家入れて調査しろと言ってきたんです、私…。

それにしても、やはり、起訴猶予でしたね。こうなりそうな予感は当初からしていました。警察・検察は懲戒処分等の「社会的制裁」を見て刑事事件の方の対応を決めることがありますので。

神戸の教員間いじめの問題については、行政は懲戒処分を行ったし、警察・検察は「起訴猶予」という判断を示したので、残るは民事での賠償等の問題になるでしょうか。法的には着々と問題解決が進んでいるようですが、でも再発防止や学校再建の課題は今後、どうなるの? そこが全然進んでいないような…。

法的な問題解決ばかりが着々とすすんでいるけど、肝心の神戸の学校や教委の「組織風土」の改善や再発防止策の実施、さらには当該の小学校の「再建」といった諸課題は、いよいよこれから本格的な取り組みの時期を迎えるわけですよ。でも、誰が何をするんでしょうかね?

「一日も早く処分しろ、懲戒免職だ」「警察につき出せ」等の声が高まり、学校や教委バッシングも起こったのがこの神戸の教員間いじめ問題。なおかつそれへの対応を優先するかのように、弁護士らの調査が行われるなど、法的な問題解決ばかりが先行してきました。でも、それでほんとうによかったのかな?

※ここから先は、ブログ記事にするにあたっての「追記」部分です。

上記の転載部分にも書きましたが、この神戸の教員間いじめの問題では、去年10月の事件発覚以来、「一日も早く処分しろ、懲戒免職だ」「警察につき出せ」等の声が高まりました。また、その流れの中で「加害教員らを教壇に立たすな、給料も払いたくない」という声も高まり、神戸市長や市教委は市議会に大急ぎで分限処分に関する条例改正を行い、去年10月末、加害教員の分限休職と給与差し止めの処分も行われました。

ですが、その際の分限処分実施に関する外部有識者らによる審議会でも、この件が刑事事件になったときには、それほど大きな処分はでないのではないか・・・という声がでていたように記憶しています(不確かな記憶で申し訳ありません)。

刑事事件としてみた場合のこの「教員間いじめ」の問題は、実は「それほど重大な問題としては扱われない」ということ。それは早い段階から、わかる方にはわかっていた話のように思うのです。なので、去年の秋ごろ頃から、マスコミは、ほんとうはそのことを指摘しておかないといけなかったように思うのですが。

それから、この「教員間いじめ」問題に限らず、子どもに関することでも、なにかと学校での事件が起きると「日本は法治国家だ」「法に基づいて厳罰を」という声がよくあがります。

でも「法治国家」である以上、この日本社会である人に刑罰を科すにあたっては「推定無罪」の原則に立っての対応が必要になりますし、また、被疑者にはそれ相応の法的な弁護権(防御権)が保障されてしかるべきだということになります。だからこそ、警察や検察は捜査のプロセスで確実に「有罪」に持ち込めるような証拠等々を入手し、起訴できるかどうか、起訴後は「有罪」まで持ち込めるかどうかまで慎重に考えて対応するわけです。なので、この点は、たとえ「こんな人たち、許すまじ。厳罰を」と求める立場の人々でも、私としては、その「法治国家」としてのルールは理解していただきたいところです。

さらに、「子どもにいじめをしてはいけないと教えるのが教師で、その教師としてあるまじき行為をしたのだから、厳罰を」というような主張をされる方も、この件ではいらっしゃるかと思います。

「教師としての面(つら)汚し」という意味で、「体面汚辱」といえばいいのでしょうか。もしそういう意識だとすると、明治期の小学校令にあったことばと意識の復活、つまり、私としては、明治時代に日本に近代学校が成立して以来の「教師聖職論」や「師表」としての教師像が、この件では復活しているような印象を受けますね。(参考までに、1900年(明治33年)の小学校令第48条の条文を書いておきます。「第四十八条 市町村立小学校長及教員職務上ノ義務ニ違背シ若ハ職務ヲ怠リタルトキ又ハ職務ノ内外ヲ問ハス体面ヲ汚辱スルノ所為アリタルトキハ府県知事ニ於テ懲戒処分ヲ行フ其ノ処分ハ譴責、減俸及免職トス」)

もう少しついでにいうと、私はこの「教師聖職論」や「師表」としての教師像については、先ほど「小学校令」ということばを出しましたが、「いったい、いつの時代の教職に対する価値意識? 教職観なの?」と思ってしまいます。

なにしろ、この「教師聖職論」や「師表」としての教師像は、日本の近代公教育における教員処分の歴史を研究した岡村達雄編著『日本近代公教育の支配装置(改訂版)』(社会評論社、2003年)で、ちょうど明治期あたりで、私たちの研究グループが論じたこととも重なります。そのくらい「古い」教職に対する価値観なんですよね。まあ、教育史的に言えば、その価値観は強まったり、弱まったりしてきたのですが・・・(教員の労働組合運動などが一定の勢力を持っている時期は、この「教師聖職論」や「師表」としての教師像は弱まります)。

私は当初から、この神戸の教員間いじめの問題に関する法的な対応については、「地方公務員法などの現行法の枠組みのもとで、加害教員らの処分は適切に行えばそれでいい」と思ってきましたが…。それは、実は「加害教員許すまじ」という声のなかに現れた人々の意識が「師表」としての教師像にもとづいているなど、「いったい、いつの時代の意識なの?」と思うくらい「古すぎる」と思ってきたからです。

まあ、そういう「師表」としての教師像を、この21世紀に復活させたいと思うような勢力がいま、日本国内でうごめいているのかもしれませんが…。

でも、かつて教員に滅私奉公を強いたり、あるいは「御真影」と「教育勅語」を守るために、火事になった校舎に飛びこませたような、そういう価値観でもありますからね。この「師表」としての教師像って…。扱い方を間違えると、これはかなり危ない教育に対する価値観、教師像でもあるわけですよ。

ちなみに一応、いまは公立学校教職員の懲戒処分について、たとえば地方公務員法上の服務や懲戒の規定(たとえば「信用失墜行為」など)や、関連する人事院規則や各自治体の職員人事に関するルール・慣例があります。なので、まずは教職員の起こした数々の不祥事とこれに関する懲戒処分等々については、「そういう現行の公務員法制に照らしてどうなのか?」を論じてほしいところですね。その点は、この「教員間いじめ」の問題についても同様です。ほんと、いつまで「師表」としての教師像にこだわっているのか、今は21世紀だぞ…と言いたくなってしまいます。

ちなみに、この「教師聖職論」や「師表」としての教師像に基づいて、教員が行った「暴行」等の事件については重罰を科すというのは、今度は「法の下の平等」という点に照らして、加害教員を弁護する側から「他の一般市民の刑事処分と比較して、重すぎやしないか?」という話がでてくるでしょうね。

あくまでもこの神戸の教員間いじめの問題も、加害教員らは「暴行」等の事件の「被告」として、しかも「初犯」のケースとして警察・検察、そして起訴された場合は裁判所も、刑事事件として裁判をすすめて、処分の中身を考えることになると思います。もちろん一定の世論の動向等は加味した判断を示すでしょうけど…。でも、たとえば「一般市民なら懲戒処分等の事情を考慮して、社会的制裁を受けたとして起訴猶予にする」ケースであれば、やはり「教員の場合も起訴猶予」と言うケースは当然でてくるでしょう。

そして、これはくり返しこのブログで言ってきたことですが…。

「どれだけ刑事・民事の法的な手続きをとろうが、教育行政による懲戒処分が行われようが、当該の学校の再建や、類似のケースの再発防止策の実施には、直接的なつながりはない。それはそれで、教育学や心理学・精神医学等の近接領域の観点から、きっちりと何が課題でどのような防止策が必要なのかを、法的な観点からの議論とは別に論じなければいけない」ということ。そのことも、もうそろそろ認識していただきたいところです。

なにしろ、もちろん「裁判で訴えられるから」とか「懲戒処分がでるから」という理由で「悪いことはやめておこう」という「善意」の人もいるでしょうけど…。でも「今度は訴えられないようにしよう」とか「処分されない程度にやろう」とか、あるいは「ばれないようにやろう」と姑息な工作を行うケースもありますからね。

なので、類似の問題を起こさないように、あるいは起きても適切な対応を行うように、たとえば実際に現場に居る人々や行政の担当者、さらには行政上層部の意識を変え、具体的なスキルを磨く必要があるのか。また、そのためにどういう条件・環境を整えるのか。そのことについて、法的な観点からの議論とは別に、教育の実践的な議論とそのための条件整備・環境設定的な議論とともにやらなければいけない課題があるわけです。「いくら法的に緻密な議論をしてもなあ、ここができていないとねぇ…」というところでしょうか。

このような次第で、法的な枠組みでの対応には、もちろん、それ相応の可能性もありますが、同時に今の法的な対応の枠組みが成立してきた歴史的経過や、その枠組みのもとで実際に刑事司法がどのように運用されてきたのかという歴史的経過に伴って、それ相応の限界もあります。同じことは、教育行政による教職員への懲戒処分にも言えることです。

刑事司法や教育行政の外側に居る人々が「あんな教員を許せない」と憤りを感じて、「法的に対応してさっさと処分しろ」とおっしゃるのは、個人の自由です。そのことは誰にも止められません。

でも、その「法的な対応」にも可能性とともに限界があることくらいは、「もうそろそろ、みなさん、認識してくださいよ」というところでしょうか。

そして、その限界を変えていくことには、何年にもわたる時間がかかりますし、また、その「変えていきたい」と思う方向性が「はたして、ほんとうに妥当なのか?」と考えることも大事です。

ちなみに、21世紀の今、19世紀(=明治時代)的な価値観を復活させるような方向に向かうのならば、やっぱり私は「その方向、ほんとうにいいの?」と疑問を出し続けますね。

ということで、長々と書きましたが、ひとまずコメントを終えておきます。


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感染症への対応には今後、医療の専門家に加えて、ちがう領域の専門家が必要。

2020-03-28 20:21:02 | 国際・政治

昨日あたりから徐々に、ツイッター経由での情報発信を再開しています。もちろん自分の心身の状態を見ながらなので、あまり無理しないようにしているんですけどね。

さて、以下に書く内容は、新型コロナウイルス感染症への政府の対応に関して、ツイッターで今日、つぶやいたことをまとめて、整理したものです。何かの参考にしてください。

○以下、今日、つぶやいた内容を整理したもの。

ほんとTwitter見てると、心が痛みますね。感染拡大の恐れが高まるなかで、人々が外出自粛という防御策をやむを得ずとる。でも、その防御策が今度は社会や経済の動きを止め、誰かの生活を苦しくさせてしまう。後者のリスクへの対応が今後ますます大事ですね。

でも、医療中心の感染症対策の専門家には、感染拡大のリスク管理については案があっても、その対応を実施した際に生じる社会や経済の動きを止めることの対策には、きっといい案がないでしょう。ここは経済や社会保障、行政の専門家が担うべき領域ですからね。

なので、ここからは経済や社会保障、行政の専門家が感染症対策の専門家と連携して動かなきゃいけない段階。でも、いままで行政や企業のコストカットと規制緩和しかやってこなかったような専門家に、はたして社会保障の拡大や雇用安定化策、給付金支給の方策なんて考えることできるのかなあ…。

福祉国家的な施策や制度の解体をやってきた社会保障や経済、行政の専門家を、新しい福祉国家的な施策や制度の構想を練ってきた人に入れ換えて、感染症対策の専門家と連携させていくことができたらなあ。せめて古い福祉国家的な取り組みを知っている方がでてきてほしいなあ…。

 


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「家でラジオ聴きながら本を読む生活」が、どうも今の自分にはしっくりきます。

2020-03-24 20:30:26 | 悩み

このところの頭痛の件では、いろいろとご心配をおかけしています。

意識的にこの数日、パソコンやケータイへの接触、特にSNSへの接触をなるべく少なくすることと、寝る時間を増やすこと、そして家ではできるだけ「ゆるゆると過ごす」ことを続けてきました。

その効果がでてきたのかもしれませんが、この数日で徐々に頭痛は緩和されてきました。また、3日間くらいは薬を飲んでいましたけど、昨日、今日は飲まなくてもなんとか過ごせております。

ということは、よっぽどこの2~3月、SNSとの接触で心身ともに疲れていたんでしょうね。特にアタマとこころが疲れていたといえばいいのでしょうか。となると、これは「アタマとこころの『コロナ』疲れ」かもしれませんね。この2~3月、SNSなどで私が積極的に議論を追いかけていたのは、コロナの件と神戸の教員間いじめ問題の件ですからね。

「あんまりSNSにクビを突っ込み過ぎるのもよくないなあ」と、あらためて思った次第です。

なので今後もブログ経由での情報発信をメインにして、「ブログにこんなこと書いたよ」というメッセージを主にツイッターやフェイスブックでは流すかたちにしようかな、と思います。

そうそう、この数日、家でラジオを聴きながら本を読んでいると、気持ちがかなり楽になりましたね。

まず、「ラジオから誰かの声が聞こえる」というのは、なんか、ほっとします。また、SNSで流れているような速報的なニュース(たとえば政府の新型コロナ対策のこと等々)は、ラジオのニュースなどでもくり返し伝えられるので、SNSをあえて見なくても情報はある程度、つかめます。

そして、SNSを含むネット上の文字を追いかけるよりも、本を読みこむほうが、私にとっては心身ともに楽ですね。活字と画面上の文字とは、やはりなにかちがいますね。目に与える刺激もちがっているんじゃないでしょうか・・・。

まあ、「家でラジオ聴きながら本を読む生活」って、私が中学3年生の頃(=今から35~6年前ですが)、不登校になって、家にひきこもっていたときにしていたことと、あんまり変わらないわけですが・・・。

ということで、「家でラジオ聴きながら本を読む」という生活は、今後もできるだけ継続しようかな、と思います。いまは特に自分の心身をできるだけいい状態に保って、それ相応に免疫力も維持したいですから、心身に必要以上の負荷がかからないような暮らしをしておきたいと思います。


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今日(3月22日)のプリキュアの話です。

2020-03-22 09:13:57 | プリキュア話

今日も日曜日なので、いつもどおり今朝のプリキュアの話を書いておきます。

まず、新型コロナウイルス感染症への対応ということで、3月公開予定の劇場版映画が5月16日公開と延期になりました。その関係で、例年だとこの時期のオープニングは劇場版映画の予告を兼ねたものになるのですが、再び新シリーズ放送開始のものと同じオープニング動画になりました。

それから、本編の話ですが。ここのところは3人のプリキュアの性格や家族の様子、そして3人のつながりをていねいに描く話が続いています。今回の放送分は陸上競技、それも走り高跳び(ハイジャンプ)をがんばっているちゆ=キュアフォンテーヌに焦点を当てた物語になっていました。予告編を見る限り、来週はひなた=キュアスパークルに焦点を当てて、ひなたが大好きなファッションやお買いものの話になるようですが・・・。

さて、今回放送分では、陸上競技の大会目前のちゆの様子が主に描かれます。放課後、熱心に練習に取り組むちゆの様子を、のどか=キュアグレースやひなたが「生きてるって感じ」という目で見守っているわけですが。そこへ「すこ中ジャーナル」(学校の新聞)をつくっている「ますこみちお」くんがやってきて、隣の中学校の陸上部の取材をしてきたと。どうやらちゆの持っている走り高跳びの記録を越えそうな生徒が他校にいるようで・・・。それを聴かされたちゆは、「気にならないと言えばうそになる。でも、自分とのたたかい。私のライバルは私」と答えます。そうそう、先週登場の「ますこみちお」くんはどうやら、今後もこんな感じで、プリキュアたち3人に、いい意味でも悪い意味でも「刺激」を与え、話に絡んでくるようですね。

ただ・・・。ここからちゆの走り高跳びの調子が狂い始めます。練習中に飛べなくなって「ミスするのを初めて見た」とか、ちゆ本人も妖精のペギタンに「かっこ悪いところを見せた」とか。そんなちゆのことが気になって、ちゆがやっている毎朝のランニングに、のどか・ひなたもつきあいます。

3人でいっしょに砂浜を走り、休憩をしているときに、ちゆは自分がなぜ走り高跳びを始めたのかを語りはじめます。もともとは泳ぐのが好きで、ある日海に入っていたら、水も空も青一色の世界を見た。そのときに「空を泳いでみたい」と思って、ハイジャンプを始めてみたくなったと。そして、いつもは海を見たら「また跳ぼう」と思えるので、砂浜を走っていること。ただ、今日はのどか・ひなたのおかげで、跳ぼうと思えるようになったと。そんなときに、ひなたが時計を見て「もうこんな時間、学校へ急がなきゃ!」と言います。

一方、ちゆといっしょに暮らす妖精のペギタンは、ちゆが飛べなくなったことが心配でたまりません。「なぜ跳べないのか?」を調べてみたときに、「イップス」という言葉を本で見つけます。跳べないちゆの気持ちに手当が必要・・・と思ったペギタンは、のどか・ひなたやラビリン・ニャトランのところへ。のどかたちにペギタンは「無理しちゃだめ」と言ってほしいというのですが、のどかたちはちゆを励ます横断幕をつくっていました。でも、のどかはペギタンにこう伝えます。ちゆに「無理しちゃだめ」と言ったのだけど、ちゆ本人が「それでも私は跳びたい。限界を越えたい」と言うから、「もう、自分たちにできるのは応援することだけ」と。

そしていよいよ、陸上競技大会の当日を迎えます。「限界突破」の「破」の字を間違えていたので、1文字だけ訂正した横断幕をかかげて、のどかたちはちゆを応援します。ちなみに、この横断幕の「破」の字が最初「波」になっていたのは、きっと砂浜で海を見つめて3人で語るシーンとのつながりなのでしょうかね。また、今回放送分ではなぜか、ひなた・ニャトランのコンビが「1文字まちがえる」というパターンを繰り返してましたね。ラストの場面でも「おなかすいたから、シラスが食べたい」というちゆに対して、ひなたは「DNA」と言ってしまいました。これは「DHA」というつもりだったようですが・・・。こんな感じで「かわいいのだけど、ちょっと天然なおバカ」キャラのような感じで、ひなた=キュアスパークルを描くようです。あと、海の見える温泉街で、おいしいシラスが食えるということは・・・。やはり、今回のプリキュアの舞台になっている街は、伊豆半島のどこかをイメージしているのでしょうか。

その後、いよいよちゆの跳ぶ番になったときに、メガビョーゲンが現れます。陸上競技大会はそれで中止になってしまうのですが、プリキュアたちは変身して、メガビョーゲンを追い払います。そのときに、キュアグレース・キュアスパークルがメガビョーゲンを引きつけているときに、キュアフォンテーヌが高く跳び上がり、上から攻撃を加えて退治しました。このあたりは、ちゆ=キュアフォンテーヌのハイジャンプを意識しているんでしょうね。

ラストの場面ですが、大会が中止になったあとの誰も居なくなった陸上競技場で、ちゆは自分一人でハイジャンプをします。再び跳べた姿を見て、のどか・ひなたも3人の妖精も喜びます。ちゆは「もう大丈夫、みんなのおかげ」と。そのあと、空と海の両方で青一色のなか、幼い頃のちゆが泳いでいる場面が挿入されて、今回の放送分はおわりです。

そうそう、ふと思ったのですが。もしかしたら今年は東京オリンピックの年ということで、3人のプリキュアのなかのひとりを「スポーツ大好きな子」にして、「自ら高い目標にチャレンジする」姿を描こうとしたのかもしれませんね。それが、ちゆ=キュアフォンテーヌなのかもしれません。


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卒業式おわりました&しばらくはこの「ブログ」からの情報発信をメインにします。

2020-03-21 21:32:45 | 悩み

おかげさまで昨日(3月20日)、私の勤務校・京都精華大学の卒業式・学位記授与式が無事におわりました。

もちろん、この新型コロナウイルス感染症への対策として、「全体での式典は取りやめ」「例年のゼミ・専攻単位での学位記授与のみ実施」「学位記授与後はすぐに解散、毎年恒例の茶話会等は行わない」というかたちにはなったのですが。

でもまあ、こじんまりと人文学部のゼミ単位で、担当教員から卒業する4回生ひとりひとりに学位記を手渡し、やさしく声をかけて、「これで卒業だよね~」ということをお互いに確認できたので、私としては「よかった」のではないかと思っています。

さて、ここからが本題の話です。

表題にも書いたとおり、当分のあいだ、私からの情報発信のメインは、この「ブログ」にします。ツイッターやフェイスブックも使っているのですが、そちらへの接触はできるだけ控えたいと思います。

実は卒業式をなんとか無事に乗り切ったわけですが・・・。

個人的にはここ数日、なんか頭痛がひどくて困ってました。

それも、アタマがきゅ~っと締め付けられるような感じで痛くなっては、またしばらくするとマシになる。でも、時間を置いたらまた痛くなる・・・というのをくり返してる感じだったのです。

「なんか、もしかしたら、アタマのなかで悪い病気とかでてるんやないか・・・」

そんな心配がよぎったので、卒業式の前日、急遽思い立って、かかりつけの病院へ朝から出かけました。

一応、アタマだけでなく、持病のことも含めてひととおり検査してもらって、たいしたことがなく、「まあ、緊張性の頭痛でしょう」と言われて、ほっと一息。頭痛をやわらげる薬をもらって、それを飲んで卒業式前日・当日をなんとか、気分よく乗り切りました。やっぱり学生たちをニコニコしながら送り出したかったので・・・。

その上で今日なんですが、「少なくとも昼間はできるだけパソコンに向かわず、ケータイにさわらず、ましてやツイッターやフェイスブックなどのSNSにも触れずに、一日、できるだけゆるゆる、ゴロゴロとすごす」というかたちで、夕方まで過ごしてみました。すると、アタマも目も、首も肩も、すごく楽。

ところが、それで安心してしまって、夜に入ってから再びパソコンに向かうと、「あちゃ~」と思うくらい、またアタマが痛くなってきました。

やはり、どうも目の疲れや心理的なストレスが、この頭痛に何かからんでいるような気がしてきました。

そこで当面、「ひとまずできるだけパソコンやケータイ、SNSから離れる時間をキープして、目とアタマと心をできるだけ休めよう」と。

でもまぁ、そうすると言いたいこと、考えていることはいろいろとたまってくるので、当面は情報発信の窓口をこの「ブログ」に絞り込んでおこうと。

このように考えた次第です。

正直なところ、この3月に入ってからの新型コロナウイルス感染症関連の情報をSNSなどで連日、追いかけていますと・・・。なんか、気持ちが滅入りそうになりますよね。ウイルスに呼吸器やられる前に、自分のメンタルがボロボロになってしまいそうな気までしてきます。

それこそ、たとえば、いまの感染症対策の専門家たちの言っていること、政府や自治体の対応、これらに対する人々の反応等々をSNS上で見ていると、「なんか、いろんな人々のマイナスのエネルギーや感情が増幅しあって、余計におぞましい何かをつくっているような気がしてきた」感もあります。

それこそ他国での混迷を極める対応状況や、日本での「医療崩壊の危機」を含めて、連日「こんな危険性が」「あんなリスクが」とは何かと語られるわけですが・・・。他方で「いったい、私らがどうすれば『少しは安心して暮らせるようになる』のか」については、せいぜい「こまめな手洗い、手指の消毒」や「不要不急の外出は避けて」くらいの話しかでてこない。しかも「いつまで手洗い、手指の消毒を続けたらええのか?」や「不要不急の外出を自粛するのはいつまで?」なんてことが、いくらネットに接触していても伝わってこない。ウイルス感染拡大の状況がなかなか専門家にも読めないし、政府や自治体にも対応の手掛かりがないから、「こうすべきだ」とはなかなか言いづらい面もあるとは思うんです。でもねぇ「私らの生活、この先、どうなっていくのやら? いつまで辛抱すればいいのやら?」ですよ。この「見通しがたたない」というのは、ほんとうにストレスがたまります。

あるいは「惨事便乗型教育改革」ではないのですが、子どもたちの全国一斉の臨時休校や、大学等の長期間の休講こそ「チャンス」とばかりに、たとえばここへきてICT教育推進派といいますか、ネット環境をつかった遠隔授業や教材の一斉配信などを積極的に進めようと思う人たちが現れていますよね。私みたいに直接、人と人とが対面してかかわることを大事にしたり、直接的な体験のなかでの学び(日々の生活を含む)ことに関心をもったり、あるいは本を中心とした活字文化に親しむことを大事にしてきた者としては、「ICT教育がいらんとまでは言いたくないけど、でもねぇ、なんだかな~この動き。ほんと、火事場泥棒みたいでいやだな~」って思ってしまうんですよね。こちらはこちらで、SNSでいろいろとそういう動きに触れるたびに、やはりストレスがたまります。

まあ、そんなわけで・・・。新型コロナウイルス感染症への対応のことで、何かといろいろと気になってSNSを見てしまうけど、それがかえって自分の心身にストレスがかかり、ひどい頭痛になってしまうくらいなら、「もういっそ、しばらくのあいだ、なるべくSNSに触れるのは控えておこう」「その分、家や大学(研究室)でゆるゆると、本読んで過ごそう」と。そう思った次第です。

ということで、当分のあいだは自分の心身の健康を保持するためにも、家や大学(研究室)でできるだけ本や論文を読んだり、あるいは直接対面で接触可能な人とのつながりを大事にしながら、主にこの「ブログ」をメインに情報発信を続けていこうと思います。その分、ツイッターやフェイスブック等のSNSには、できるだけ触れないようにしていこうと思います。

そして、言いたいこと・考えたいことは「ブログ」中心に発信していくこと。また、この間にもしもパソコンに向かう余裕ができたら、短い論文やエッセーを何本か書いていくこと。そこに徹しようかな、と思います。今のSNSの状況を考えると、少なくとも自分にとっては「活字の世界」メインで生活しているほうが、心身ともに楽なように思いますので。

ということで、「あれ、最近、ツイッターとかフェイスブックでもの言わなくなったな~」と思われるかもしれませんが、事情は以上のとおりですので、お察しくださいませ。

<画像は卒業式の看板と、家に持ち帰ったフラワーバスケットです。卒業式のときに毎年、研究室に花を飾っているのですが、例年はそのまま入学式まで部屋に置いています。でも、入学式もどうなるかわからないので・・・。今年はもって帰ってきました。>

 

 

 

 

 


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もともと目の前の子どもにしなやかに対応してきた学校や地域は、臨時休校中もしなやかな対応なのでは?

2020-03-16 21:19:23 | 受験・学校

「臨時休校」期間中の教員たちへ ~このピンチを私たちの子ども観の転換を図るチャンスにする~

先週から知り合いの教員たちの「陣中見舞い」を兼ねて、近畿圏の臨時休校中の各地域のフィールドワークをはじめました。といっても、自宅のある西宮市内の学校を見たり、滋賀県内の学校に伺ったり・・・という感じで、まだ2校だけなんですけどね。

ただそれでも、やはりツイッターやフェイスブックといったSNSだとか、あるいはネット配信されているニュースやテレビの情報番組などからでは伝わらないことが、「現場」を見るといろいろとわかってきますね。

特に今週は臨時休校期間も3週目に入ってきて、いろんな変化が「現場」に現れ始めているように思います。

ちょっと簡単にまとめておきますと・・・(というか、ツイッターでつぶやいたことの転載ですが)。

(1)この間の「フィールドワーク」から抱いた印象では・・・。このたびの臨時休校で、もともと目の前の子どもにしなやかに対応してきた学校や地域は、やはりしなやかな対応をする傾向。でも「上からの指示」とか「規則を杓子定規に」的な対応してきた学校や地域は、やっぱりその傾向が出るようですね。

(2)あと臨時休校3週目に入って、小学生のなかには宿題も終わったしテレビもゲームも飽きたし、「ひまや~」と思ったり、「そろそろ友だちと遊びたい」「なんかちがうことしたい」という子どもがでてきたように思いました。こういう子どもたちに「しなやかに」対応できる学校や地域が求められているかと。

今の時点で「現場」を見て、私が感じたことは、この2点に絞られますね。

ちなみに、(2)のような「ひまや~」と思う子どもたちに対して、たとえば、おとなが先回りしてデジタル配信の教材を与えたりするのは、やめてほしいなぁって思います。子どもの側が「ネットで面白いもの見たいのだけど、なんか、ない?」とでも言ってくれば別ですが・・・。

「この機会に、子ども自身がまわりの子どもやおとなと相談しながら、一日の自分の過ごし方を、自分で決めてみる」

このたびの臨時休校の期間を、子どもたちがそういう経験のできる機会にしてほしいな、と思います。

でも、実はこの話、私の思いつきではなくて、今日のフィールドワークのときに出会った学童保育の職員さんや小学校の教員が、このことを言っていたんですよね。先ほど(1)で書いた「もともと目の前の子どもに対してしなやかに対応してきた学校や地域」という話は、ここにつながる次第です。


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今日(3月15日)のプリキュアの話です。

2020-03-15 12:04:08 | プリキュア話

今日も日曜日なので、いつもどおり朝からプリキュア見てました。まあ、そのあとたいがい「仮面ライダーゼロワン」まで続けて見るんですけどね。ゼロワンも「人工知能搭載のヒューマギアが人間と共生する社会」なんていう設定が面白くて、ついつい見てしまうんですが・・・。

それはさておき、本題です。3月に入ってからのプリキュアは、のどか=キュアグレース、ちゆ=キュアフォンテーヌ、ひなた=キュアスパークルの3人のプリキュアが出そろったので、ぼちぼち、それぞれの家庭や学校での生活を描いていくことになります。また、それぞれの家庭や学校での生活を描く中で、3人のキャラクターのちがいと仲間関係の深まりを描いていくことになるでしょう。

そして、今年のプリキュアが「ヒーリング」つまり「癒し」や「回復」を主題としているということは、前回放送分へのコメントにひっかけて書いておきました。今回はその「癒し」や「回復」の話よりも、どちらかというと学校生活の話がメインでしたけどね。

では、具体的に今回放送分はどんな展開だったか、整理しておきましょう。

(1)まず、今回放送分のプリキュアには「益子道男(ますこみちお)」という名前で、新聞部の生徒がでてきました。以前のプリキュアでも、たとえば「増子美香」「増子美代」という名前の新聞部の生徒が「プリキュアの正体を探る」みたいな活動をしていましたが…。まあ、今回も似たような展開ですね。

(2)この益子道男くんですが、「学校や街に怪物がでてくるのは、転校生が来てからではないか? 何か関係があるんではないか?」と思い、転校生・のどか=キュアグレースがどうもあやしいとにらんで、放送開始からなにかと付け回します。

(3)一方、ちゆ=キュアフォンテーヌは「走り高跳びの新記録を出す」といって、益子くんの注意を引こうとします(ちゆは陸上部です)。また、ひなた=キュアスパークルは、のどかの後をつけている益子くんに「こっちの取材はどう?」と、最近のファッション雑誌を見せようとします。そんな感じで、自分たちがプリキュアだということがバレないように、他の2人のプリキュアものどかをかばいます。

(4)それでもなお、益子くんはのどかを付け回すのですが…。森のなかでのどかが転んだときに、益子くんは「ボクの尾行のせいだ。やりすぎてしまった」「いつもしつこく取材をして煙たがられている」と謝ります。そんな益子くんに、のどかはどうして新聞部(すこ中ジャーナル)の活動をしようと思ったのか、聴いてみます。すると益子くんは、小学生のときに「雨上がりに光るクモの巣」がきらきら光るのを見て、きれいだと思って、小学校の壁新聞にそのことを書いた。それがほめられてうれしかったから、ずっと新聞を書いていると語ります。のどかはその話を聴いて「夢中になることがあるのはステキ」「自分も雨上がりのクモの巣を見たい」と思います。

(5)さて、そんな益子くんのところに、グアイワルとメガビョーゲンが現れます。そのときにのどかがいなかったので、怪物メガビョーゲンとのどかは無関係ということがわかります。でも、メガビョーゲンにメガネを飛ばされて、益子くんはしばらくまわりが見えなくなります。そこへ、変身した3人のプリキュアが現れて、メガビョーゲンを追い払います。なお、今回は先週もらった実りのエレメントボトルをつかって、キュアグレースがメガビョーゲンを退治していました。どうやらエレメントボトルには、プリキュアたちをパワーアップさせる力があるようです。

(6)ラストの場面では、益子くんがようやくメガネを見付けて、取材再開と思ったときには、プリキュアもメガビョーゲンもいない・・・というかたちになります。そこへのどかたちが現れたので、のどかたちの取材は終わりだと伝えます(まあ、今度はプリキュアを取材するということですが・・・)。と同時に、のどかたち3人がすごく仲良しなのは「当たり前すぎて記事にならない」とも伝えます。それを聴いたのどかたちが空を見上げたときに、近くの木にかかっていたクモの巣がきらりと光っていた・・・という感じで、今回の放送分はおわりです。

(7)次週予告ですが、今回の続きのような面がありますね。どうやらちゆ=キュアフォンテーヌが陸上競技の大会に出て、走り高跳びの新記録に挑戦するみたいです。そこをのどかたちが見守り、さらに益子くんが取材をして・・・という展開になりそうです。


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まずは「小さく、自分たちの手に負える範囲で」何事も動かしてみること

2020-03-14 12:13:44 | 私の「仲間」たちへ

新型コロナウイルス性の感染症への対応で、いまはなにかと各地の大規模イベントが中止や延期、規模縮小というご時世ですが。でも「だったら最大でも10人程度の小規模な学習会を、1回2時間程度の短時間で、あちこちでくり返しやってみようかな?」と思う今日この頃ですねえ。自分の本も売っていかないといけないですし…(笑)

なんか今は「人数は小規模、時間は短時間」「活動形態はすぐにはじめて、すぐにやめられるかたち」「長続きしなくてもいいや、別に単発イベントでいいじゃん」みたいな感じで、いろんな活動を継続したり、新たに始めてみる。そういうかたちで社会の活力を維持できればなあって思ったりもします。

大きい単位でまとまって人々が動くのは無理なら、自分たちで制御可能な範囲にまで小さい単位に分割して、それで動かせるものを動かす。とにかく小さくても人・モノ・お金・情報がネットだけでなく実体面でも動かないと、社会の活力維持できないし、経済も止まってくるでしょうね。

この際だから徹底的に「集権」よりも「分権」、「上への権限集中」ではなくて「下々への権限移譲」でいきたいところですね。そのほうが何かとリスクは分散されていくような気がします。どこかがダメでもどこかが動いている状態がつくれたほうが、社会全体のダメージは小さくなるでしょうし。

まあしかし、この臨時休校中にマクドナルドでタムロしている中高生を「ほめる」くらいにならないと、バーチャルな世界はさておき、人・もの・お金・情報が実体的には動かないでしょうねぇ。あの子たちはそれぞれの地域社会で、小さいながらもそれ、動かしてますからね。

あの子たちを「臨時休校中なのに、その趣旨を守らないけしからん子」と見るのか。それとも「自分のお小遣いの範囲内でいまをしたたかに生き抜き、その結果、地域経済をなんとかまわそうとしている子」と見るのか。それによって、ずいぶん今後の取り組みは変わってきますね。私は後者です。

【追記】

1:先ほどツイッターで連続してつぶやき、また、フェイスブックにも掲載した内容に修正・追記を加えて、こちらのブログ記事にもしておきました。

2:昨日、新型コロナウイルス感染症対策で、特に「緊急事態宣言」を出すような対応が可能になるように・・・という趣旨で、新型インフルエンザ感染症対策関連の法律が改正されたようですが。

でも、どれだけ法改正をしても、これまでのこの日本社会における感染症対策の基盤自体が弱かったり、あるいは、今の新型コロナウイルス感染症の対策に関する研究自体がすすまなければ、やはり当面「打つ手なし」の状況は変わらないでしょうね。

となれば、その「打つ手」が見つかるまでのあいだ、一方で感染拡大をできるだけおさえつつ、他方で、なんとか今の社会の活力を維持する方法を考えないといけません。

となればこのたびの臨時休校のように「全国一斉に」なにかをするよりも、それこそ、社会のなかで「動きを止める部分と継続する部分」を何かの基準で分けて、「ひとまず動かせる部分は動かしていく」ということが必要ではないか・・・と思います。

いまは「感染症拡大の危機が迫るなかでも、ひとまず何と何と何は、この社会のなかで最低限、動かし続けなければいけないのか?」を考えるような、そんな政府の対応が必要だと思うのですが・・・。

3:そして「こういう非常事態、危機的な状況でも、それでもなおこの社会が失ってはならないものとはなにか?」とか、あるいは「こういう危機的な状況でも、人間が人間として生きていく上で何が大切なのか?」とか。そういったことを過去の文献や資料などを手がかりにして、現場を見て、自分のあたまで考え抜いて、ことばを発する営み。これこそがまさに「人文学」の営みではないかと思います。

また、たとえば医療や公衆衛生等々、感染症対策に必要なさまざまな営みも、その感染症対策のために生じる経済や社会の動きの抑制や、それに伴う損失からの補てん・回復等々の営みも、そして、これらの営みに関するマスメディア経由での情報発信の営みも…。上述した「人文学」的な視点からのさまざまな点検や修正があって、はじめて適切なものになりうるように思います。

いまこそ「この危機を乗り切るなかでも、人間が人間として生きていく上で、なくしてはならないものはなんなのか」とか、「この危機的な状況にあっても社会が失ってはならないものはなにか」とか。そういうことを考えられる強靭な知性が求められている時期はないように思います。


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3月8日放送分のプリキュアの話です。

2020-03-14 10:07:33 | プリキュア話

おはようございます。

3月8日にもプリキュアを見たのですが、コメントをまだ書いていなかったので・・・。

あらためて先ほど録画を見返して、この日の放送分へのコメントを書いておきますね。

(1)さて、シリーズのタイトル(ヒーリングっとプリキュア)からもわかるように、今年のプリキュアのメインストーリーは「癒し」や「回復」ということ。これから主人公ののどか=キュアグレースを中心に、ちゆ=キュアフォンテーヌ、ひなた=キュアスパークルのそれぞれの「回復」や「癒し」の物語が描かれると思います。

(2)ただ、「回復」や「癒し」の物語の前には、どこかに「喪失」や「悲嘆」「傷つき」の物語があるはずです。そういうまなざしで前回までの放送分を見ると、ちゆ=キュアフォンテーヌの家(温泉旅館)には父親が、ひなた=キュアスパークルの家(兄の営む動物病院、姉の営むカフェ)には両親が不在であることに気付きました。そのことが、もしかしたら今後の物語の展開の「伏線」になっているかもしれません。

(3)その上で、今回の物語について書きます。今回は、のどか=キュアグレースの「回復」の物語ですね。といっても、かつて病気で長期入院していたのどかが元気になり、中学校に通えるようになったことで、のどかの母親が職場に復帰できるようになるという話です。のどかは朝、「お母さんといっしょに出かけられるようになったのがうれしい」と語りかけます。

(4)ちなみにのどかの父親は家のリフォームを手掛けるデザイナー、母親はトラックの運転手。もともと母親は長距離トラックに乗っていたようですが、のどかの病気で一度退職。のどかが学校に通えるようになったので、地元の運送業者に再就職という設定です。また、ちゆ=キュアフォンテーヌの旅館を幼い頃から知っていたようなので、どうやらのどかの母親はこの街出身のようですね。同じ年頃の娘がいるということは、年齢的にも近いと考えると…。もしかしたら、のどかの母親とちゆの母親にも接点があるのかもしれません。

(5)さて、のどかの母親が仕事に出るようになると、家には子犬のラテ(=ヒーリングアニマル)と妖精のラビリン(=地球をお手当するお医者さん見習い)だけが残されることになります。そんなラテとラビリンの様子を見守るために、ニャトラン・ペギタンという別の妖精もやってきます。ただ、退屈していそうなラテを庭に出そうと窓を開けたら、ラテがいきなり走りだし、家の外へかけだしてしまいます。あわててラビリンたちが追いかけるのですが・・・。どうやらのどかの母親のいる運送業者に向かった様子。ラビリンがのどかたちを呼び、運送業者前で無事にラテを見付けます。ラテはどうやら、ずっと自分のことをよしよししてくれたのどかの母親に会いたかったようです。そんなのどかの母親は、妖精たちから見ていると、ラテの母親=ティアティーヌに似ているようです。

(6)一方、収穫されたイチゴの出荷のために、のどかの母親はイチゴ農園までトラックで出かけていたのですが、そこにダルイゼンとメガビョーゲンが現れます。「お母さんをたすけたい」というのどかたちがかけつけ、プリキュアに変身して、メガビョーゲンを退治しようとします。このとき、ダルイゼンとメガビョーゲンは、イチゴ農園の土を蝕んでいき、それに変身後のキュアグレースが足をとられてうごけなくなります。「なぜそんなことするの?」と問うキュアグレースに、ダルイゼンは「俺は人間じゃないから人の心はない」「俺は(土が蝕まれているほうが)居心地がいい、自分さえよければいい」と語りかけます。でもまぁ、プリキュア3人でメガビョーゲンを退治して、ダルイゼンも去っていくのですが。

(7)メガビョーゲンとダルイゼンが去ったあと、プリキュアたちは「実りのエレメントボトル」を手に入れます。妖精さんたちの話では、花・水・光の3つのボトル(=プリキュアの変身に必要なボトルでもありますが)以外のボトルは見たことがないと。この「実りのエレメントボトル」も、プリキュアたちの持っている「お手当」道具の入ったバックにしばらく入れておくことになりましたが・・・。いまでボトルは4つ。どうもそのバックにはあと5つ、ボトルが入りそうです。

(8)ラストの場面では、のどかの母親がちゆ、ひなたに対して、「のどかが学校に復帰して、仲良しの友達が早くできたことがうれしい」と語ります。また、ラテの母親・ティアティーヌが「ビョーゲンズの気配が消えた。ラテもいい人間にめぐりあえた」と喜んでいる姿も描かれます。

(9)来週は予告を見る限り、どうやら毎年のプリキュアで必ずといっていいほど出てくる話。「自分たちの正体が学校でバレないように、どうするか?」という物語のようですね。のどかがいろいろと疑われるようですが・・・。まあ、こんな感じで、しばらくは穏やかな物語が続きそうです。


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今後の拙著『新しい学校事故・事件学』の入手方法について(重要なお知らせ)

2020-03-09 21:30:19 | 本と雑誌

拙著『新しい学校事故・事件学』(子どもの風出版会、2017年)の販売に関する重要なお知らせなので、今後もこのブログ記事は何度もツイッターやフェイスブック等のSNSで流す予定です。

急な話で申し訳ありません。3年前のちょうど今頃に出版した拙著『新しい学校事故・事件学』ですが、来月以降、Amazonなどのネット通販経由や書店からの入手、さらに出版社への直接注文等々の対応が困難になります(2020年3月いっぱいであれば、ネット通販等での入手は可能です)。

実は、この本を出した出版社(子どもの風出版会)が、この2020年3月末をもって「店じまい」をすることになりました。もともと経営者兼編集者の方おひとりで営んでおられた出版社だったのですが、「健康上の理由」でこの3月末で「店じまい」したいという連絡が今年1月末、私のところに入りました。

その後、この経営者兼編集者の方と交渉しまして…。『新しい学校事故・事件学』の在庫540冊を、私が買いとることで話がまとまりました。また、それ以外の残りは、「店じまい後」も経営者兼編集者の方が引き続き、お手元に残すということです。

このような次第ですので、今後、拙著『新しい学校事故・事件学』を必要とされる方は、直接、住友まで連絡をしてください。お手元に届くまで日数がかかりますが、私の方から直接、送付させていただきます。

なお、本の代金(定価より2割引き程度で、お安くさせていただきます)と送料をご負担していただくことになります。その点につきましては、ご連絡いただいたときにあらためてお伝えします。また、1冊、2冊…という単位でなく、10冊、20冊…というまとまった冊数を送付するご要望につきましても、手元に残っている範囲内であれば、対応させていただきます。

最後になりましたが、おかげさまでこの3年間で、初版2000刷のうち約1300冊、拙著『新しい学校事故・事件学』をみなさんのお手元にお届けすることができました。この間、拙著を読んでいただいたみなさんに、この場をお借りしてひとことお礼申し上げます。

また、今後も拙著『新しい学校事故・事件学』は、引き続き在庫冊数がなくなるまで、地道にこつこつと、学校事故・事件の被害者家族や遺族、支援者のみなさんや、重大事故・事件の未然防止や事後対応に関心のある学校・教育行政の関係者、研究者・専門職のみなさん、マスコミ関係者などに、お届けする作業を続けていきたいと思います。どうぞよろしくお願いいたします。

※連絡先は、下記のとおりです。<アット>の部分は@に、<ドット>の部分は.に変換してメール連絡してください。

京都精華大学 住友剛 tsuyokun<アット>kyoto-seika<ドット>ac<ドット>jp

 

 


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最近読んだ本を紹介(3038冊目~3054冊目)

2020-03-09 20:54:21 | 本と雑誌

なにかと新型コロナウィルス感染症のことが気になる昨今ですが・・・。

ひとまず、また最近1か月ほどのあいだで読んだ本がたまってきたので、タイトルや著者名程度ですけど、このブログで紹介しておきます。

やはり「感染症」のことが気になるので、タイトルに「ウィルス」「感染症」「病」等々、どうしてもその関係の本を読んでしまいますね。

3038冊目:栗田隆子『ぼそぼそ声のフェミニズム』作品社、2019年

3039冊目:内田樹・えらいてんちょう(矢内東紀)『しょぼい生活革命』晶文社、2020年

3040冊目:大川繁子『92歳の現役保育士が伝えたい親子で幸せになる子育て』実務教育出版、2019年

3041冊目:美馬達哉『<病>のスペクタクル 生権力の政治学』人文書院、2007年

3042冊目:山崎雅弘『戦前回帰 「大日本病」の再発』学研、2015年

3043冊目:石弘之『感染症の世界史』角川ソフィア文庫、2018年

3044冊目:村瀬秀信『4522敗の記憶 ホエールズ&ベイスターズ涙の球団史』双葉社(文庫)、2016年

3045冊目:アンヌ・モレリ(永田千奈訳)『戦争プロパガンダ10の法則』草思社文庫、2015年

3046冊目:中屋敷均『ウィルスは生きている』講談社現代新書、2016年

3047冊目:岡田晴恵『正しく怖がる感染症』ちくまプリマ―新書、2017年

3048冊目:辻田真佐憲『空気の検閲 大日本帝国の表現規制』光文社新書、2018年

3049冊目:NHK「ETV特集」取材班(著)・荻野富士夫(監修)『証言治安維持法』NHK出版新書、2019年

3050冊目:多湖淳『戦争とは何か 国際政治学の挑戦』中公新書、2020年

3051冊目:東大作『内戦と和平 現代戦争をどう終わらせるか』中公新書、2020年

3052冊目:中村光博『「駅の子」の闘い 戦争孤児たちの埋もれてきた戦後史』幻冬舎新書、2020年

3053冊:山本多津也『読書会入門』幻冬舎新書、2019年

3054冊:池上正樹『ルポ「8050問題」高齢親子“ひきこもり死”の現場から』河出新書、2019年


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少し落ち着いてから、あらためてコメントします(神戸・教員間いじめ問題関連)

2020-03-05 23:56:11 | 受験・学校

今後必要なのは冷静な検証を通した「遅い」情報発信です(神戸・教員間いじめ問題関連)

今は新型コロナウィルス性肺炎の感染拡大防止のことで、マスメディアも何かと報道がそちらに集中していますよね。

また、子どもたちのことでいえば、例の安倍総理大臣からの全国一斉の臨時休校「要請」があって、この数日、それへの対応で各地の教育行政、そして学校現場がふりまわされている感があります。

もちろん、教職員や教育行政の担当者だけでなく、子どもも保護者も、あるいは学校給食の業者や地域の人々等々、いろんな人々がこの臨時休校「要請」にふりまわされているわけですが・・・。

※なお、この臨時休校「要請」をめぐる全国各地の動向や、政府の動き、各界からの声明や意見書などについては、「教職員のための『一斉休校』要請についての情報サイト」を見てください。私も少しだけ、このサイトの運営のお手伝いをしています。 http://www.227kyukou-yousei.com/

でも、そういうドタバタのさなかに、「とにかくいったん、決着をつけたい」と言わんがばかりに、神戸市教委は例の教員間いじめ問題に関する懲戒処分を行いました。2月28日付けでの実施なので、「予定通り」といえばいいでしょうか。処分内容も、加害教員のなかの特に程度の重い人2名を免職等、事前にマスメディアから流れていた情報とほぼかわらないものだったように思います。

ただ、この教員間いじめ問題に関する処分内容などについて、いろいろと言いたいことはあるのですが・・・。上記のような臨時休校「要請」をめぐる状況や、私の大学での本務等々との関係で、なかなかブログを書く時間がとれません。

ひとまずあと3日くらいは、本業の大学での仕事との関係で、落ち着いてブログを書いたりすることができなさそうです。次の日曜日、いつものプリキュアへのコメントあたりから徐々にブログ更新も再開していきたいと思いますので、今しばらくお待ちください。そのときには神戸の教員間いじめ問題へのコメントなども書くことになると思います。


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「臨時休校」期間中の教員たちへ ~このピンチを私たちの子ども観の転換を図るチャンスにする~

2020-03-03 08:40:01 | 受験・学校

今まで多くの教員が、子どもは学校にいるのが当たり前、授業受けるのは当然、教えることが私らの仕事と考えてきたかと思う。でも今回の臨時休校は、そんな教員にとって当たり前のように思ってきたことが、ある日突然災害ではないかたちで、あっけなく崩れることをつきつけた。

これは大学でも同じだけど、我々教員の仕事は、目の前に子どもや学生が居て、はじめて成り立つ。目の前に今日もこの子たちが居てくれることが、どれだけ尊いか。そこから教員はやりなおそう。実施経過は納得しないが、今回の臨時休校が、いまの教員の子ども観の大事な転換のチャンスになればと思う。

我々教員が「教える」こと「授業」することにばかりこだわっていられたのは、何があってもそこに子どもや学生が居て、その子たちを日々送り出している家庭や代替的養育があるから。その大事さ、尊さを、「教える」「授業」にばかりこだわり続けてきた教員には、この際実感してほしい。

勉強苦手な子、かかわり方にいろんな配慮の必要な子等々。いろんな子がいてもいい。でも「この子たちがひとまず目の前に居る」という事実から、我々教員の仕事は立ち上がるということ。ここにいま、立ち返ってほしい。

ついでに言うと「教える」「授業」にこだわるだけの教員は、そのうちに臨時休校期間中に配信されたデジタルコンテンツに置き換えられるかもしれない。「そっちのほうが面白い」とか言われて…。いまは何よりも、子どもや子育て中の人々と教員のつながりを保たないといけない時期かと思う。

今日からうちの娘も、臨時休校期間。起こさなくていいのは楽。でも本人は昨夜も「授業がいい」と語っていた。教員に会える、仲間がいる。そのことが大事。スマホで見ることができるデジタルコンテンツだけでは満足しない。暇潰しに見ているだけ。そういう子どもがいることを、教員は忘れてはいけない。

※今朝、ふとんのなかからツイッターで連続ツイートしたことに手を加えて、こちらに掲載しておきました。


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