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できることを、できる人が、できるかたちで

京都精華大学教員・住友剛のブログ。
関西圏中心に、教育や子ども・若者に関する情報発信を主に行います。

年内にひとまず言っておきたいこと(その3・終) どうぞ、よいお年を

2019-12-31 14:41:38 | 私の「仲間」たちへ

まずは2つ「年内にひとまず言っておきたいこと」を、ブログ記事でまとめておきました。

となれば、あとはもうひとつ。「みなさま、どうぞ、よいお年を」というごあいさつですね。

2019年はほんと、いろんなことがありすぎて、私、くたくたになってしまいました。

なにしろ2019年の正月、家族旅行で出かけた信州松本でインフルエンザになってしまい・・・。

そこから何もかも予定がくるってしまうというのか、もう、連日のドタバタの日々。

大学での仕事は、日々の授業運営や学生対応に加えて、2018年度から継続の「学修支援センター長」業務がさらに忙しくなりますし・・・。

相変わらずいじめの重大事態対応を中心に、学校事故・事件関係での研修や講演の依頼、あるいは実際に立ちあがった調査委員会(再調査委員会)へのレクチャーなどが入ってきますし・・・。

これに加えて、大阪市解体・特別区設置構想(いわゆる「大阪都構想」)の問題や大阪府・市のチャレンジテストの問題への対応や、神戸市や加古川市のいじめの重大事態の再発防止の取り組み、そして神戸市での教員間いじめの問題への対応等々もありますし・・・。

そういうことの積み重ねで、ただでさえ2018年から引きずっていて遅れていた研究面での仕事が、ますます遅れるという状況が続いています。関係者のみなさまには、もう、ただただ謝るしかありません。

あしたからの2020年で、遅れていた研究面での仕事が少しずつでも片付いて、楽になることを願っているのですが・・・。でも、まずは目の前のことを解決して、遅れている作業ができるようにしなければいけません。

とはいえ、まずは我が家の一人娘の中学校卒業、高校受験。これが目下、私が対応すべき大きな課題ですね。無事に合格することを願うだけ、あとは、進学資金を用意するだけなのですが・・・。

ということで、前にも書いたとおり「年賀状を出さない」ということも含めて、いろいろとみなさまには不義理なことをしてしまうかと思います。どうか、このような状況にあることをご理解いただきますよう、お願いいたします。

それでは、あらためまして。どうぞ皆様、よいお年をお迎えください。

 


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年内にひとまず言っておきたいこと(その2) 子どもの「体力低下」のことと「組体操」の話

2019-12-31 13:42:55 | 受験・学校

先ほどは神戸の教員間いじめ問題関連で、「年内にひとまず言っておきたいこと(その1)」をまとめておきました。今度も神戸の話がでてくるのですが、例の「組体操」(組立体操)の問題に絡むことです。ここに、先日スポーツ庁が出した調査結果をふまえての、子どもの「体力低下」関連のニュースが入ります。以下2つのニュースと1つの新聞記事、あわせて3つの記事を示しておきます。

子どもの体力低下 背景にスマホ長時間化か スポーツ庁調査 (NHK NEWSWEB 2019年12月23日配信)

https://www3.nhk.or.jp/news/html/20191223/k10012225591000.html

神戸の小中学校運動会「組み体操」禁止 20年度以降 (神戸新聞2019年12月20日配信)

https://www.kobe-np.co.jp/news/sougou/201912/0012976052.shtml

僕らが“ちんじょう”したわけ (NHK NEWSWEB 2019年12月18日配信)

https://www3.nhk.or.jp/news/html/20191218/k10012218981000.html

この3つの記事をあえて関連づけたのには、理由があります。

まず、このところ小中学校の教員や養護教諭と話をしていると、やはり、子どもの「からだ」の育ちの面で、いろんな課題が生じていることに気付かされます。

たとえば「うまく鉄棒で前まわりや逆上がりができない」くらいなのは、まだいいほうで、先日、ある小学校の教員から「そもそも鉄棒自体を上手につかめない子どもがいる」とか、「こわくて鉄棒自体にチャレンジできない」なんて話を聴いたときには、私もびっくりしました。「えっ、鉄棒につかまるだけなのに?」というのが、私の感覚なのですが。

また、そういう話を聴くたびに、「このまんまでいいのかな・・・」「乳幼児の頃や学童期に思いっきりからだを動かして、外遊びする経験って大事なのでは?」とか、あるいは「いきなりスポーツをさせたり、トレーニングをして体力を高める前に、そもそもからだを動かして誰かとかかわることって、おもしろいことだよ」という経験を積むとか。そういうことが今の子どもには必要なのではないか・・・と思ったりします。でないと、「からだを動かすこと自体にチャレンジしてみたい子ども」が増えないように思うんですよね。

さらに、上記の記事のうち、子どもたちがサッカーのできる遊び場を確保するために、自分たちの暮らす自治体の議会におとなの手助けを得ながら「陳情」した話などを聴くと、「子どもたちの外遊びの場所や、その外遊びからさまざまなことを学ぶ機会を奪ってきたのは、実はおとなたちではないのか?」とか、「体力低下を嘆く前に、子どもたちに外遊びの場所と機会を返そうではないか」とも言いたくなります。

そして、最初のスポーツ庁の調査結果に関する記事のように、「子どもの体力低下」の理由をなんでもかんでも「ケータイ・スマホ」のせいにするのは、「どうなのか?」と思ってしまいます。いまの子どもたちの生活のなかで、どれだけからだをつかって遊べる時間や空間、仲間があるのか、子どもたちが自らからだをつかって遊ぶことをどこまで楽しめているのか、等々。こういうところをもっと掘り下げた議論が必要ではないかと思うわけです。

他方で、これだけ子どもたちの「体力低下」なるものが顕著になっているのだとすると、神戸市教委ではないのですが、「組体操」(組立体操)で骨折等の事故が起きるのを防ぎたいと思って、「一律禁止」と言いたくなってしまうのもわからなくはありません。

特に今の神戸市長のように、事故が起きてマスコミに何か騒がれたり、訴訟が起きたりするのが怖いタイプの首長さんなら、市教委に対して「お願いだから、危ないことだけやめてくれ」みたいなことをいいたくなる気持ちも、まぁ、わからなくもないところです。

今年の夏休み明けくらいからのツイッター上での神戸市長の発言を見ていると、「子どもの安全確保」というよりも、むしろ「今後も組体操を学校で続けさせていると何が起きるのか、どんな事故が起きるのかがこわくて、とにかく先回りして全部やめさせよう」という雰囲気が漂っているなと、少なくとも私は感じました。なにしろ、全部やめさせてしまえば、そこから先、組体操による事故は起きませんからね。また、毎月の学校事故の統計数字も限りなくゼロに近づけることもできるでしょう。ただ「こういう一律禁止って、別の見方をしたら『事なかれ主義』の際たるものなんですが・・・」とか、「数字さえゼロに近づけたら、なんでもいいんですか?」とも言いたいですけどね。(なお、統計的にリスク管理をすることをよしとする人びとには、この「事なかれ主義」的な対応と、真摯に現場実践の改善を積み上げて事故防止に取り組む対応との見分けがつきづらいように見受けられます。特に、統計的なリスク管理の発想からは、どっちも「数字をゼロに近づける」という意味で「いっしょだ」から、地道な改善よりも、もっと手っ取り早く「全面禁止してしまえ」という対応に結びつきがちに見えます。)

それにしても、こんな感じで、おとなの側が「危ないから」といって、子どもたちが思いっきりからだを動かすことを「あれもだめ、これもだめ」といって禁止していくと、先ほどの子どもたちの「陳情」の話ではありませんが、からだを動かして何かを学ぶ大切な経験の場や機会が失われていくことにもつながりかねません。最初の記事にでている子どもの「体力低下」の背景には、もしかしたら、おとなの側が先回りして「危ないから」と言って、あれこれ規制をかけ続けてきたことも影響しているかもしれません。

それと、首長や地方議員らの政治家、がある学校現場の特定の教育実践を取り上げて、なんらかの意図で「これを止めさせたい」と考えて、教委に働きかけるということ。これも、よく考えたらかなり「危険」なことかもしれません。

それこそ、これまでも学校現場での「性教育」や「ジェンダー教育」に関して、あるいは歴史教育の在り方に関して、いろんなかたちで右派勢力からの政治的な介入が行われてきたかと思います。他方で「組体操」(組立体操)問題では、この間、どちらかというと左派、リベラル系の人々がネット世論やマスコミを動かし、教育行政や首長の力をつかって、それを止めさせようとする議論をしてきた経過があります。

つまり左派、リベラルからなのか、右派からなのか、向かっているベクトルは別として、なんらかのかたちで世論を煽り、学校現場の教育実践に対する強力な「政治的介入」を肯定するという点では、だんだん差がなくなってきている。「それではたして、いいのかな・・・」と私などは思ってしまうわけです。

なので、私としてはこの間、重大事故防止の観点から危険な「組体操」(組立体操)の技を止めさせる必要を認識しつつも、他方で実際に事故が起きたときの調査・検証作業を行い、その結果をふまえたかたちで、各校でどのようなかたちで「組体操」(組立体操)を続けるか、やめるかを議論すべきだと思ってきました。そして今もなお、「どうしてこういう慎重な議論の積み上げができないのか・・・」と、私は思い続けています。

と同時に、学校現場の関係者が、たとえば「組体操」(組立体操)を続けるかやめるかの議論を地道に現場レベルで積み上げるのを「面倒だ」と思って、首長からの教委への要請であれ、教委自体の判断であれ、とにかく「トップダウンで指示を下ろしてくれ」という発想になっているとしたら・・・。それはそれで、また別の意味で「危ない」ですね。「みなさんは上からの指示待ちでしか仕事しないんですか?」と言いたくもなってしまいます。

そして、もう一点。最初の子どもの「体力低下」に関するニュース記事について、ですが。ここに体力テストの都道府県別の結果と順位の一覧表がついています。これを見て、またどこかの首長が教委に対して「子どもの体力テストの結果をよくして、順位を上げろ」と言いかねない。また、スポーツ庁長官がこの子どもの「体力低下」の結果を見て、全国の教育行政(体育・スポーツ行政といってもいいですが)に対して「もっと数値をあげろ」と号令をかけたりしかねない。このようなところから「学力テスト」だけでなく、今度は「体力テスト」で子どもたちを追いこんでいくようになるのも、「はたして、いかがなものか?」と思ったりもします。「いったいなんのための子どもの体力向上なの?」と思ってしまうわけです。

以上のような次第で、ほんと、この「体力低下」と「組体操」(組立体操)、この2つの話については、私はいつももやもやした思いがあります。「子どもたちにさまざまなチャレンジの機会をつくること」あるいは「豊かな教育実践」と、「子どもたちの安全確保」の両立。そのことにこだわる私としては、なにかにつけて、どっちか一方に振り切ったような話ができず、いつもグズグズしたものの言い方になってしまいます。

でも、どっちか一方に振り切ったような話は「わかりやすい」かもしれませんが、「危険性も伴う」ものなのかもしれません。また、「組体操」(組立体操)や「体力低下」の問題に限らず、学校現場で起きている諸問題については、こうした「もやもやした思い」や「グズグズしたものの言い方」をし続けるほうが、むしろ「さまざまな価値どうしの葛藤、矛盾を引き受けた上での誠実な応答をしている」のではないか。そんなことも、この年末、あらためて思う次第です。

多面的にものを考えれば考えるほど、ある観点から他の観点からの話をバッサリ斬るような、そんな「わかりやすさ」は出せなくなるようにも思うんですよね。なので、たとえば、マスメディアにウケるような「わかりやすさ」を追い求めた教育談義ほど、実は「用心すべきもの」かもしれませんね。


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年内にひとまず言っておきたいこと(1) 神戸の教員間いじめ問題関連

2019-12-31 11:38:24 | 受験・学校

12月28日から年末年始の休みに入って、気付けば今日は2019年の大みそかです。

新しい年を迎える前にいくつか言っておきたいことがありますので、何回かに分けてブログを書いておきます。

まずは、今年の10月から大きな問題になっている例の神戸の教員間いじめ問題に関してです。

年末に新たな動きがいくつかあったので、以下のとおり、何件か神戸新聞の記事を紹介しながら、思うところをあらためて述べておきます。

教員間暴行 教育長「ミスで処分先延ばし。加害教員にも申し訳ない」(神戸新聞NEXT 2019年12月27日付け配信記事)

https://www.kobe-np.co.jp/news/sougou/201912/0012994796.shtml

教員間暴行 給与差し止め不服審査で市教委「答弁1カ月延長を」 資料の多さ理由に (神戸新聞NEXT 2019年12月27日付け配信記事)

https://www.kobe-np.co.jp/news/sougou/201912/0012992550.shtml

教員間パワハラで32人処分 文科省初の全国調査 (神戸新聞NEXT 2019年12月25日付け配信記事)

https://www.kobe-np.co.jp/news/sougou/201912/0012987472.shtml

東須磨小問題 調査委の報告書公表「年度内に」 (神戸新聞NEXT 2019年12月20日付け配信記事)

https://www.kobe-np.co.jp/news/sougou/201912/0012976891.shtml

神戸市長が批判「言語道断」 市教委の資料提供ミス (神戸新聞NEXT 2019年12月18日付け配信記事)

https://www.kobe-np.co.jp/news/sougou/201912/0012969710.shtml

ほんとうに、この半月くらいのあいだに、矢継ぎ早に神戸の教員間いじめ問題に関連して、これだけの新聞記事が配信されているわけですが・・・。

このことに対する私のコメントを結論から先に言いますと、次の3点です。

(1)「神戸市長や市教委上層部が目論んでいた『火消し』の筋書きが、この年末には崩壊してしまった」ということ。

(2)「依然として『火消し』の枠組みばかりに議論が終始していて、当該の小学校の教育活動の再建や、神戸市の教育施策全体を見直して、たとえば教員間いじめや、教員から子どもへの暴力・暴言、そして子ども間のいじめが起きにくいような教育環境をつくっていくという話が出てこない」ということ。

(3)「あらためてもう一度、10月からこの間の「ハラスメント」調査や市長・市教委上層部の対応のあり方、マスコミ報道のあり方なども含めた、本格的な検証作業をしたほうがいいのではないか」と思うこと。

たとえば、例の加害教員と呼ばれる4人(=異議申し立てがでているので、今回はこのように表記します)に対する分限休職処分及び給与差し止めを、市教委上層部は10月末に市の条例を改正して強行したわけですが、先月からそれに対する加害教員のひとりからの異議申し立てが行われているわけですよね。また、その異議申立てを審査する市の人事委員会に対して、市教委側はここへきて書類提出の延期を求めているわけですよね。

それにしても、なぜ市教委側からここで、加害教員と呼ばれる人々の処分に関連する書類が、スッと人事委員会に出せないのでしょうか? 市長や市教委上層部は「いろいろ悩んで、慎重に検討した結果の決断だ」とこの間説明してきたわけですが、このような有様では、加害教員に対する分限処分や給与差し止めという対応の根拠そのものが怪しいということにもなりかねません。

また、その対応の根拠自体が怪しいということは、10月末の処分時に市の分限懲戒審査会が出した意見(=ほんとうにこの分限休職処分や給与差し止め措置が必要なのか、怪しい)という意見のほうが正しかった、ということにもなりかねません。

さらに、市の分限懲戒審査会が出した意見の方が正しいのであれば、現在進行中の「ハラスメント」問題に関する弁護士チームによる調査(新聞記事では「調査委員会」になっていますが)のすすめ方にも、なにかと疑義が生じてきますね。市教委側の弁護士チームへの書類提出でミスがあったとされていますが、本当は人事委員会での異議申立て審議の動きを見ているのではないか・・・と思ったりもします。

一方、上記で紹介した弁護士チームの調査についても、記事を読む限りでは、懲戒処分の妥当性を問うために、まずは、被害にあった教員から申し立てられた出来事の事実確認に追われている印象です。また、あらためて市教委側から提出された資料に基づいて、もう一度弁護士チームは事実確認作業をやり直すようですね。

ですが、この間の弁護士チームの作業では、新聞記事を見る限り、そもそも神戸市の教育界や当該の学校の運営にどういう問題があって、その問題が背景になって教員間いじめが起きて、それが継続してなかなか止められなかった・・・という、そういう議論には至っていないように見受けられます。そこが明らかにならない限り、有力な再発防止策も、当該の学校の再建策もできないでしょう。

また、このような懲戒処分に向けての事実確認作業ばかりを優先すると、当然のことながら、その当該の学校に通う子どもたちの受けた被害の把握やそれへのケア、あるいは、子どもたちや保護者、地域住民の学校再建にむけての思いの把握などが、何かと後回しになってしまいます。それでは「学校への信頼回復」と言われても、肝心のその学校に通っている子どもも、その子どもの保護者も、長年、その学校を大事に守り育ててきた地域住民も納得できないでしょう。

このような次第で、前々から私はこのブログで「教育学や心理学・精神医学の研究者などもいれて、時間をかけて調査を」と主張してきましたが、法学系(弁護士)中心での調査・検証作業の限界が、もうすでに現れているように思っています。また、法学系だけでなく、教育学や心理学・精神医学の研究者なども入れた本格的な調査・検証を実施するのであれば、たとえば、ひとまず当該の学校から加害教員と呼ばれる人々を引き離すために「転勤」させた上で、他校などで仕事をさせながら、じっくりと調査・検証作業を行うことだってできたはずです。そうすると、ますます例の分限休職処分・給与差し止めという対応には疑義がでてきます。

そう考えると、「いったい、今行われている弁護士チームの作業は、「誰に向けて、なんのため」の作業なんでしょうか? もう一度、そこから問い直してほしい」と、私はいま、あらためて願うばかりです。

そして、この間に、文科省が行った調査の結果もでてきました。他の自治体においても、いわゆる教員間のパワハラ問題で、処分をされている教員が32人もいるということですね。ということは、この間「神戸方式」の教員人事のせいで教員間いじめが起きたのだ、ということをマスメディアなどを通じてさかんに連呼してきた人々がいるわけですが、でも「ほんとうにそうなのか? 日本全国に教員間のいじめ・パワハラが起きやすい環境が形成されているなかで、神戸では今回の件のようなかたちで現れたのではないのか?」という見方もできるわけです。

このような次第で、私はもう一度、今年10月から論じられてきたこと、調査・検証されてきたことを、別の視点から点検しなおして、議論を再構築しなおすべきではないかと考えるわけです。また、その際には、例の「激辛カレー」を無理やり食べさせられている映像をマスメディアが流したことの是非や、加害教員とされる人々を「早く処分しろ」と言い続けてきた人々の側の意識の問題、さらに、そういう人々の声に煽り煽られるかのように情報発信をし続けてきた神戸市長のあり方なども、当然、問題にされてしかるべきかと思います。

ところで、神戸市長はなにかと「言語道断」とこの間の市教委事務局の対応を批判するわけですし、その都度、教育長は謝ってばかりいるわけですが・・・。

でも、その市教委事務局の対応をコントロールするべき教育長や教育委員を、議会の承認を経て任命したのは、神戸市長ご自身です。教員間いじめの問題がこれだけ大きな社会問題になり、また、その問題への対応に何かと失敗してきた教育長や教育委員がいる以上、教育長らを任命した市長ご自身の責任も今後、なにかと問われてくるのではないかと思います。

また、教育長ご自身、さらに教育委員さんたちは、これまでの自分の市教委事務局に対する「監督」の在り方に対して、何の自己批判もないのでしょうか? 謝るだけでなく、自らの在り方についても厳しく検証が必要なのではないかと思います。

そして、「加害教員(とされる人々)を早く処分しろ」と叫んできた市議さんたちは、いったい、何を考えてそのような動きをつくってきたのでしょうか。あなたがたがリードしてきた議論の結果が、この年末の状況なのですから。後先のことも考えず、かなり勢いだけで突っ走ってきたことについて、いま、冷静なふりかえり、反省が必要なのではありませんか。

なので、「市教委事務局や学校現場だけを何かと悪者にするかのような言動は、今後、つつしんでほしい。あなたも組織風土のなかにいるのですし、そういう組織風土をつくってきた側にいるのですから」と、神戸市長と市教委上層部、そして「加害教員(とされる人々)を早く処分しろ」と叫んできた市議さんたちには、この場で伝えておきたいと思います。

最後に。私の知る限り、神戸の学校現場にも市教委事務局のなかにも、地元教組にも、市議さんたちのなかにも、そして保護者や地域住民、いわゆる市民のみなさんのなかにも、この悲しい事件をきっかけに、神戸の学校現場を変えていきたいと願う人々は大勢います。そういう人々の思いや願い、知恵、努力が結集できるような、そんな枠組みを構築できるかどうか。2020年に入ったら、神戸市長と教育長、教育委員で構成される「総合教育会議」での議論が、今までのような「火消し」ばかりの議論から、「焼け跡からの再出発」に向けての議論に転換できるように。そのことを願ってやみません。そのためにも、今後は上記のような「この悲しい事件をきっかけに、神戸の学校現場を変えていきたい」と願う人々の声を、しっかりと聴いてください。「加害教員(とされる人々)を早く処分しろ」と叫んできた人々の声は、もう十分、聴いてきたはずですから。


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最近読んだ本をまとめて紹介(3004冊目~3020冊目)

2019-12-28 19:54:27 | 本と雑誌

夜になりましたので、パソコン前に座っています。

まずは最近読んだ本をまとめて紹介します。またまた著者名と出版社名等々の程度ですが・・・。

3004冊目:保阪正康『大本営発表という虚構』ちくま文庫、2019年

3005冊目:さだまさし・風に立つライオン基金編『ボランティアをやりたい! 高校生ボランティアアワードに集まれ』岩波ジュニア新書、2019年

3006冊目:井上寿一『論点別昭和史 戦争への道』講談社現代新書、2019年

3007冊目:金敬哲『韓国行き過ぎた資本主義 「無限競争社会」の苦悩』講談社現代新書、2019年

3008冊目:広中一成『傀儡政権 日中戦争、対日協力政権史』角川新書、2019年

3009冊目:川元祥一『差別の謎を解く キヨメとケガレ』にんげん出版(モナド新書)、2009年

3010冊目:山崎雅弘『中国共産党と人民解放軍』朝日新書、2019年

3011冊目:沖有人『マンションは学区で選びなさい』小学館新書、2017年

3012冊目:白井聡『戦後政治を終わらせる 永続敗戦の、その先へ』NHK出版新書、2016年

3013冊目:玉木俊明『世界史を「移民」で読み解く』NHK出版新書、2019年

3014冊目:解放・人権研究所編『ネットと差別扇動 フェイク/ヘイト/差別』解放出版社、2019年

3015冊目:奥田均編著『知っていますか?問題一問一答(第3版)』解放出版社、2013年

3016冊目:上西充子『呪いの言葉の解きかた』晶文社、2019年

3017冊目:木村泰子・小国喜弘『「みんなの学校」をつくるために 特別支援教育を問い直す』小学館、2019年

3018冊目:今野晴貴・藤田孝典編『闘わなければ社会は壊れる 〈対決と創造〉の労働・福祉運動論』岩波書店、2019年

3019冊目:今尾恵介『地図帳の深読み』帝国書院、2019年

3020冊目:国際子ども権利センター・甲斐田万智子編『世界中の子どもの権利をまもる30の方法 だれひとり置き去りにしない!』合同出版、2019年


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娘の誕生日と、仕事納めと、「年賀状は出さない」話と

2019-12-28 10:57:39 | 私の「仲間」たちへ

おかげさまでやっと昨日、うちの大学も「仕事納め」を迎えました。

各科目の授業回数確保ということで、ここ何年か、年末ぎりぎりまで授業をやるようになりました。

年明けも1月6日から授業再開で、私は担当科目の時間割の関係で、1月7日から出勤する予定です。

娘が生まれた頃はもっとゆっくりと年末年始、過ごせたんですけどねえ。

気持ち的にはあの頃と同じで、私自身は、クリスマスイブから西宮の十日戎の終わる1月11日くらいまでは、ずっと年末年始の休みだと思っているんですけどね。

でも、やっぱり大学の授業だけはどうしても休めなくて、結局、「仕事納め」ぎりぎりまで大学で仕事をしていました。

さて、その娘の話ですが、おかげさまで12月24日、無事に15歳の誕生日を迎えました。

2004年のクリスマスイブの朝に生まれたうちの娘も、気付けばもう中学3年生。

来年2月頃の高校受験がうまくいけば・・・ですが、もうすぐ高校生になります。

月日がたつのは、ほんと早いものです。

まだまだ娘が赤ちゃんだった頃の感覚が私のからだのなかにも、こころのなかにも根付いていて、今もなお何かの折に娘を見るたびに「かわいい、かわいい」「よしよし」って気持ちがよみがえるのですが。

でも、もう高校生になるお年頃ですから、そろそろ「おとな」として接していかないといけませんね。

そうそう、私が前のブログを書き始めたのも、娘が生まれる少し前、2004年の8月からです。

なので、ブログをやるのも15年を迎えたことになりますね。

よく続いているなあ・・・って、我ながら思います。

いつもこのブログを見ていただいて、ありがとうございます。

この数日忙しくてなかなか更新できていなかったのですが、マスコミで伝えられている神戸の学校の諸問題等々、いろいろと言いたいことはたまっています。

この年末年始の機会を利用して、ぼちぼち、言いたいことを書いていこうと思います。

ですが、今日くらいはゆっくりさせていただこうかとも思っています。

さすがにこの数日、授業準備に追われていて、あんまり寝てなかったりもしましたので。

先ほど久々に鍼師さんところへ行ってきて、からだのメンテナンスもしてきました。

今日はもう、無理をせず、パソコンに向かうことは控えて、一日のんびりさせていただきます。

今日の締めくくりとしてお伝えしておきたいことですが・・・。

この何年か、年賀状を出すのをやめております。

もうすぐ元旦ですけれども、この正月も、年賀状はやめます。

なんか、年賀状を書く余裕もないほど、心身ともにくたびれてるな~というのが、正直な実感。

「年賀状準備の時間の分、この年末年始、ゆっくりさせてください。失礼な話ですし、勝手なことばかり言って、ほんとうにごめんなさい。」と、この場をお借りしてお伝えしておきます。

では、これから一日、ゆっくりと家で過ごします。


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「私たちの学校、公教育を、この手でもう一度創り直す」ためにも「あきらめない、まけない」

2019-12-23 20:40:17 | 受験・学校

昨日も西宮勤労会館での講演会に、私のブログを見ておられる方が来ていました。それも地元西宮の方だけでなくお隣の芦屋や、大阪市内や神戸、明石・・・と、いろんな街から来ていましたね。

今日も午後から神戸市内で現職教員のみなさんの学習会に顔を出しましたが、そこに来ておられたみなさんも、私のブログを見ておられるとのこと。

そして、いろいろとまだ論調や情報発信の方法には課題がありますが、テレビや新聞といったマスコミ関係者のなかにも、私の書いたブログを見ている方がいるようです。

ほんとうに、みなさん、ありがとうございます。

今の私には日々の大学での仕事+すでに引き受けている学外の仕事等々だけで手一杯で、なかなかみなさんの今、活動しておられるところまで出向くことはできません。

でも、日々、今の子どもや学校の様子を見ていて、「これはなんか、おかしいやろ~」と思うこと。あるいは、その「おかしいやろ~」と思うことに対して、「ほんとうはこういう道筋で考えたほうがいいんじゃないか?」と思うこと、等々。自分の気付いたこと、思うことを発信することだけは、このブログ経由でできます。

いつも私の書いた本、『新しい学校事故・事件学』(子どもの風出版会、2017年)にサインを求められたとき、「あきらめない、まけない」ということばをそえています。もともとはプリキュアの劇場版映画のなかで、プリキュアたちの歌のなかででてきたことばなんですけどね、これ。

でも、今はほんとうに、これから先、なにがあっても「あきらめない、まけない」でいることは大事だなあって思っています。特に「私たちの学校を、私たちの手に取り戻す」ためには。

それこそ、あの教員間いじめの件で大きな社会問題になり、バッシング等々の渦中にある神戸の学校関係者や教委関係者にしてみれば、毎日「いまをしのぐ」だけで精一杯かもしれませんね。この教員間いじめの問題で学校がバッシングにさらされて、つらい思いをしている子どもたちや保護者、地域住民の方々もいると思います。

あるいは大阪の学校関係者や保護者、地域住民のみなさん、そして子どもたちのなかには、チャレンジテストだの、教員業績給だの、あの手この手で既存の公教育、特に学校を解体する動きにさらされて、連日、つらい思いをされている方もいるのではないかと思います。

ほんとうに連日、荒れていく・こわれていくばかりの公教育、特に学校なのですが・・・。

また、いますぐ私に、その動きを食い止める策も術もありません。

でも、今日はツイッターで、こんなことをつぶやきました。

この気持ちは、どちらも、正直な今の私の思いです。

「荒れた大地は自分の身近なところにもある。外国に出かけて砂漠に井戸を掘るような仕事は自分にはできないけど、身近なところにある荒れた大地を少しずつ耕し直すことは、自分にもできそう。私は教育や子育ての領域で、京阪神というか近畿圏で、まずはそれをやろうと思う。」

「誰かに攻撃され抑圧された人々が、別の誰かを攻撃したり抑圧したりする。そんな「負の連鎖・循環」を断ち切る。これに対して、誰かに助けられ励まされた人々が、別の誰かを助けたり励ましたりする。そういう「いいことの連鎖・循環」を創り出す。神戸の学校の再建にはこれが必要。」

この後者のつぶやきは、たぶん神戸だけでなく、阪神間、大阪、京都・・・等々。いろんな場所でいま、求められていることのようにも思います。

もう一度、壊れてしまった学校、公教育のかけらやがれきを整理して、そこから「まだ使えそうなもの」や「これからも大事にしたいこと」を拾い集めて、それを手がかりにして「私たちの学校、公教育」を取り戻していく。「私たちの学校、公教育をこの手でもう一度、創り直す」ためにも、やはり「あきらめない、まけない」という気持ちだけはなくしてはいけないな、と思います。プリキュアを見習って・・・。



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おかげさまで無事に西宮勤労会館での講演会を終えました(お礼)

2019-12-23 09:32:35 | 受験・学校

12月22日(日)午後、西宮勤労会館で講演をします。

おかげさまで昨日、無事に西宮勤労会館での講演会を終えることができました。年内の講演会や研修講師の仕事は、昨日の分で終了です。

今回は日頃、私のフェイスブックを見ておられる主催者の方から「どうしても…」という話があって、この講演会をお引き受けしました。日頃の「おぶ~ちゃん」ネタがそんなに面白かったのかな~とか思うのですが…。

また、西宮市教委の後援がついた関係で、西宮市内の公立小中学校で講演会の案内が配布され、娘がその案内を持ち帰って「こんなんやるんや~。「教授の娘」っておちょくられるわ~」と嫌そうな顔をされ、妻には「あんた、またこんなことやって…。近所の他のお母さんに何言われるか…」とキツイこと言われたり…。

開始前にはそんなこともありましたが、でも、ふたをあけてみれば地元の西宮の方々だけでなく、神戸や明石の方から来た方、大阪のほうから来た方々など、40~50人くらいはいたのかな? いい感じで人が集まったように思いました。フェイスブックやツイッター、自分のブログ等々、いろんなところで告知しましたので…。「言うてみるもんやな~」と思いました。

特にテーマが「いじめ・不登校」だったので、西宮市内の不登校のお子さんと暮らしている保護者の方が何人か、参加しておられました。また、主催者からのリクエストで、西宮市内の義務教育学校開設に関する話を織り交ぜてほしいということだったので、その開設に疑問をもっておられる地元の方も参加してましたね。

まあ、いじめや不登校の話に加えて、義務教育学校の話等々も…というリクエストがあったものですから、「個別具体の話から制度改善へ」という、子どもオンブズの話をどうしてもすることになりまして。また、子どもオンブズの話をすると、これもまた、自治体の子ども施策や教育施策の話をすることになり…。

さらに、今は自治体が子ども施策や教育施策を「売り物」にして、人口増や税収増を狙って競争する環境になっていること。学力テストで競わせるだけが競争ではなくて、他の施策でも競争していること。

そんな競争的環境のなかでで開設される義務教育学校の説明会で行政当局が話す内容は、住民の呼び込みのためにええことばかりいうから「マンションポエム」みたいになること。そして、そういう「マンションポエム」にあうような実態をつくるために現場教職員が酷使され、職員室はぎすぎすするし、子どもがそこに巻き込まれて不機嫌になる…。

でも、首長は教委を巻き込みながら、まるで自分が「ブラック企業の経営者」のように、公務員(教員を含む)に「学力テストの点数をあげろ」「住民サービスをあれもやれ、これもやれ」と号令をかけ続けている…と。

また、「言う事きかない職員には辞めてもらう、出て行ってもらう」とまで首長が言いかねない環境では、「上から言われていることだけやっていればいい」という指示待ちや、上意下達の関係ばかりができてしまう。

これが結局、校内での教職員間のパワハラを助長する環境をつくっているのではないか。教職員から子どもへの暴力・暴言を助長する雰囲気をつくっているのではないか、と。不登校やいじめの問題も、こういう学校環境が生み出しているのではないか…。

あと、「子どもがしあわせを感じる学校」っていう講演テーマに関連して、「子どもの権利擁護」の観点から考えると、「肝心の子どもの話を聴かないとわからないよね」とか。「おとなが考えている子どものしあわせと、子ども自身が願うしあわせってズレているよね」とか。あと、「でも、おとなが子どもによかれと思って余計なことをしてしまう構造自体を問題にしないと、個々の保護者や教職員をひどい人だと攻めてばかりいても、何も変わらない」「だからこそ、理念や評論をするだけでなく、その次に来る話、現実を変える実務の話が大事なんだ」と。

だいたい、こんな感じの話をしておりました。

そうそう、顔見知りの方も何人か参加しておられまして…。またまた、おぶ~ちゃんをもっとおぶたにするような差し入れを届けていただきました。ありがたいことです。

最後に、おかげさまで『新しい学校事故・事件学』も12冊売れました。ありがたいことです。今後もがんばって売り続けます。


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今日(12月22日)のプリキュアの話です。

2019-12-22 10:54:07 | プリキュア話

おはようございます。今日は日曜日ですので、いつもどおり今朝のプリキュアの話を書いておきます。

さて、どうやら今日12月22日の放送分が、年内最後になる様子。また、予告編を見る限り、年明け1月5日の放送分から、いよいよ今年のプリキュアと敵たちとの最終決戦に入るようですね。ということで、今回の放送分は「年内のうちに決着をつけておきたい話」をまとめる回になりました。

それで「年内のうちに決着をつけておきたい話」となりますと、まず1つめは、ひかる=キュアスターの「トゥインクル・イマジネーション」の力が目覚めること。前々から書いてきたとおり、「トゥインクル・イマジネーション」の力に目覚めるとは、どうやら思春期くらいの子どもが、いろんな試練に出会い、仲間にささえられるなかで「自分のほんとうにやりたいこと」に目覚めることを指している様子です。いわば「思春期の自己の再統合」が、この「トゥインクル・イマジネーション」の力に目覚めることのようです。

ただ、今回のひかる=キュアスターの場合、結果を先取りしていえば「今までどおりの自分のままでいい」ということになるのですが。でも、その「今までどおりの自分のままでいい」ことに気付くためにも、やはり、思春期の頃にいろんな試練に出会って、仲間に支えられて・・・ということが必要。今回は、そんなことに気付かせるストーリーに仕上がっていました。

もう1つの話は、「異文化理解」の話。ララ=キュアミルキーやユニ=キュアコスモのように、地球以外の星で生まれ育ったプリキュアが今年の物語には登場しています。また、国際結婚カップルのもとで生まれ育ったエレナ=キュアソレイユもいます。異なる文化のもとで生まれ育った子どもたちどうしが互いを理解し、共存していくことができるのかどうか。そのことも、今回のストーリーでは「できる!」というメッセージを発するかたちで終わっています。

では、具体的に今日の物語を見ておきましょう。

まず、冒頭ではひとり、部屋で自分のトゥインクル・イマジネーションへの目覚めが遅れていることを悩んでいるひかるの姿が描かれます。他方で、ララの宇宙船でユニが今後暮らすこと(今まではあちこちを転々としていた)、まどか=キュアセレーネが留学について未だ迷い中、エレナは留学の準備に入ったことなども語られます。

部屋で悩んでいるひかるをララが迎えに行き、一緒に宇宙船にいこうとする道中で、ふたりは学校の仲間に出会います。ララは仲間たちからサマーン星のことを聴かれたり、宇宙船に遊びに行きたいと言われたり…。ララは「隠し事なしでみんなとつきあえるのは楽しい」と言います。いままでは自分は異星人だと隠して暮らしてきましたから。

他方で、いろいろと悩んでいるひかるは、遼太郎じいさんのいる天文台へひとりで出かけます。そこで冬の星座教室の手伝いをしてほしいと頼まれます。ひかるは自分が星に興味を持ったのは、星座教室に参加したことがきっかけだったことに気付きます。その最初に星座教室に参加したとき、「星座は星と星との結び方で、いろんなかたちがつくれる。見る人の自由」と、遼太郎じいさんから聴きます。それを聴いたひかるは、星に興味をもったのでした。

遼太郎じいさんとプラネタリウムを見ながら、ひかるは自分の迷いを語りはじめます。いままではひとりでも平気だったけど、ララたちと出会って、仲間が気になること。でも、仲間がどんどん何かに目覚めているのに、自分だけが進んでいなくて、何かおかしいと思っていること、等々。遼太郎じいさんはひかるに「友達ができるのはそういうこと。時には比べてしまう」「環境が変わっても、白鳥座のデネブは輝く」と語ります。その言葉を聴いて、ひかるは仲間のところへ戻ろうとします。

このとき、遼太郎じいさんの若いときの姿が描かれているのが、またなんともいえない味を出していましたね。ひかるの祖父母と遼太郎じいさんは幼なじみのようですが、ひかるの祖父母たちが先に結婚してしまって、ちょっと自分が置いていかれた感じがしたような、そんな場面が描かれていました。今年のプリキュアは、こういう「このおとなや敵がこんなことを語るのは、過去にこんな出来事があったからだよ」という場面を音声なくさりげなく挿入するような、そんな演出が多い気がします。

さて、仲間のもとにもどろうとするひかるのところへ、カッパードが出撃してきます。カッパードは、異星人に自分の星が奪われたことへの怒りと悲しみからゆがんだイマジネーションを創り出し、それを攻撃のエネルギーにしています。ひかるには「ぬくぬくと生きてきたお前には、この悲しみがわからない」「異星人が理解しあえるなんて、きれいごとだ」と語りながら、今まで以上のパワーで攻撃をしてきます。

ひかるはキュアスターに変身して応戦しますが、カッパードに追いつめられます。また、キュアスターを助けるために他のプリキュアもやってきますが、倒されていきます。その姿を見て、キュアスターはトゥインクル・イマジネーションを見付けられない自分を責めます。

ただ、そのなかでもララ=キュアミルキーだけは、カッパードに対して「2年3組のみんなと自分は仲良くなれた(だから、異星人どうしでもわかりあえる)。私らしくしていても、みんなが受け入れてくれた、理解しあえる」と反論します。そしてキュアミルキーが「ひかるは、ひかる」と語ったときに、キュアスターは遼太郎じいさんのデネブの話を思い出します。

「私は私、かがやいていたい」「私はみんなのことを、もっと知りたい。カッパードのことも」とキュアスターが気付いたときに、キュアスターにもトゥインクル・イマジネーションの力が芽生えます。結果的に「自分は何も変わらなくていいんだ」ということに気付いたわけですが、そこにたどりつくためには、キュアスターには迷うこと・悩むことが必要。また、「自分は何も変わらなくていいんだ」ということに気付くためには、キュアスターにはキュアミルキーや他のプリキュアといった仲間と、そして、遼太郎じいさんのような家族以外のおとなが必要だった…ということですね。

そして「あなたのことがわかったから、こわくない。みんなのことを分かってほしい」と語りかけて、5人のプリキュアの力を集めてカッパードを倒します。ただ、倒されたカッパードにキュアスターが手を差し出して握手しようとするのですが、その前にカッパードが敵のボス・ダークネストに連れ戻されます。

ということで、今回のプリキュアの話はおわりです。いよいよ年明けからは最終決戦ですね。


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12月19日の毎日放送「ミント」の特集に私のコメントがでました(神戸・教員間いじめ問題関連)

2019-12-21 23:01:40 | 受験・学校

神戸の教員間いじめ問題に関する12月19日(木)の毎日放送「ミント」の特集で、私のコメントが使われています。下記が番組ホームページの当該動画へのリンクなので、このブログからもアクセスできるようにしておきます。

【特集】“先生が先生にいじめ” 神戸市特有の人事方式… 「変な雰囲気」学校現場で一体何が? 教諭間いじめ問題(毎日放送「ミント」2019年12月19日放送)

https://www.mbs.jp/mint/news/2019/12/20/073985.shtml

さて、この情報番組の動画について、先に苦言を呈しておきたいことが2点あります。

1点目は、例のハラスメント問題の弁護士主体の調査チームが報告書提出を延期した一件もあって、急いで番組で動画を流し、なおかつネット配信しなければならなかったとはいえ…。「先日のインタビューは、今日の番組で使わせていただきました」と、せめて何か一言、番組スタッフか、取材に来られた記者さんから、こちらにも連絡がほしかったと思いました。私、この動画を見た方から連絡が入るまで、番組で流れたこと自体知りませんでした。

2点目は、どうしてもテレビ制作陣としては「絵が欲しい」と思うので「使いたくなる」のかもしれませんが…。私としては、やはりもう「激辛カレー」の動画は、どこの番組であっても「使ってほしくない」と思っています。でも、今回、上記の動画の冒頭部分では、また使われてしまいました。この点については、「もう、ほんとうに、動画を使うのは、これっきりにしてほしい」とだけ伝えておきます。たとえ事件を闇に葬られたくなかったから流したにせよ、あの動画を見ることで傷ついた子どもたちもいるわけですから。

その苦言を呈した上で、それでもなお、今回、この動画を配信した毎日放送の制作陣には、やはり「ありがとう」と感謝の気持ちを伝えておきたいとも思います。

それは、この神戸の教員間いじめの問題を扱ったテレビの情報番組ではじめて、以下のような私のコメントが流れたということ。この点は、やはり今までの報道とは一線を画したな、と思いますので。

「とにかくあの手この手で火を消そうという感じですよね。それはわかるんだけど、では消したあと、焼け野原になったところはどうやって再建するんですかって。市長と教育委員会の上層部が本来議論すべきことは、改めて神戸市の教育界として子どもの命を守る取組み、あるいは教職員の命を守る取組みは「こういうかたちでやっていきます」「今回の事件をふまえて学校をこういう風に変えていきます」というその中身を発信することなんじゃないですかね」

これまでも私のブログを継続して見ていた方にはおわかりのとおり、私は「当該の学校と子どものこと、今後、どうするつもりなのか?」とか、「神戸市の教育界の再生のことはどうするのか?」ということを中心にして、こちらのブログで情報発信を続けてきました。加害教員への処分問題や被害にあった教員のケアは、そういう問題と同時並行的に解決していくべき課題だと思ったからです。

でも、従来の神戸の教員間いじめ問題に関する報道は、先日の毎日新聞の「記者の目」など、一部の新聞報道で当該の学校や子どもの抱えている困難にふれた記事は出ましたが、テレビの情報番組でこちらの課題を真正面から取り上げたものは、少なくとも私の知る限りありませんでした。なので、やはり画期的なのです。

実際、動画をみていただいても、あるいは文字起こしをした文章を読んでいただいてもわかりますが・・・。確かに前半部分は「くどい」くらいに教員間いじめの実態を説明しているわけですが(また、そこでは例の「激辛カレー」動画も使われていて、そこが苦言を呈さざるをえないところなのですが)、後半は「それって火消でしかない」という論調で、神戸市長や市教委の対応に釘を刺すような話になっています。

また、その教員間いじめの実態についても、たとえば神戸大学の山下さんのコメントを使って、この動画では「神戸方式」以外にも教員間の年齢構成のいびつさの問題があるなど、従来の見方を修整しようと試みています。

このような次第で、テレビの情報番組においても、先日の毎日新聞「記者の目」と同様に、少し今までの論調とはちがったかたちで、神戸で起きている問題を見ていかなければいけない雰囲気が出始めました。なので「画期的」という思いや、私のコメントをつかっていただき「ありがとうございました」という思いもあるわけです。

ただ・・・。だからこそなおさら、また「激辛カレー」の動画を使った点が、私としてはたいへん、心苦しいわけです。くり返しになりますが、どの報道機関も、もう二度とあの動画は使わないでいただきたいです。どうぞよろしくお願いします。

 

 

 

 


 

 

 


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調査「越年」の報道で注目したいこと(神戸・教員間いじめ問題関連)

2019-12-17 23:09:44 | 受験・学校

今日の夕方、例の神戸の教員間いじめ問題に関連して、研究室であるマスコミの方からの取材を受けました。

そのときにふと「そういえば、例のハラスメント問題での弁護士らのチームの調査、どうなってるんですかね?」と記者さんに問いかけてしまいました。で、そのときに私から記者さんに伝えたのは、次の3点。

(1)もしかしたら年末年始の節目をねらって、弁護士らの調査チームの報告書を出すのかも? そうすれば、報告書を出したあと、神戸市役所・市教委などにいろんな問い合わせ、苦情の電話等々があっても、誰も対応できない。静かに年末年始を迎えることができる。

(2)もしかしたら、なにか思わぬ壁にぶちあたって、調査自体が難航しているのかもしれない。たとえば、当初予想していたよりも事実確認がしづらかったり、なかなか事実の裏付けとなる文書等が出てこなかったり、被害にあった教員側の主張と加害教員側の言い分とが異なる部分が多かったり・・・。

(3)もしかしたら、例の加害教員に対する分限休職処分や給与差し止め問題について異議申し立てがなされたことで、弁護士チームの出す報告書も、どこで出すか、タイミングを見ているのかもしれない。というのも、弁護士チームが報告書を出したあとで、加害教員からの異議申し立てが認められて分限休職処分や給与差し止めが見直されることになったら、弁護士チームの面子が丸つぶれになりかねないから。

その上で、取材を終えてツイッターで「あの弁護士チームの調査、どうなってるんですかねえ?」とつぶやいたら、「越年ですって」と教えてくださる方が居て・・・。そこで紹介されたのが、下記の産経新聞の記事です。

神戸教諭いじめ、調査報告は越年へ 資料送り忘れで(産経新聞2019年12月17日配信記事)

https://www.sankei.com/affairs/news/191217/afr1912170012-n1.html

この記事によると、神戸市教委から調査チーム(この記事のなかでは「調査委員会」と表記)に対して、被害教員からのいじめの内容等を書いたメモや手紙など10点の資料が送り忘れられていたことが判明。調査チームの報告書づくりの作業が年を越すことになったということです。

だから、上記の(2)のパターンで、作業が遅れているということになりますね。少なくとも上記(1)の可能性はなくなりました。

ただ・・・。この記事を読んでいて不思議だと思ったのは、報告書提出を前にして市教委からあらためて資料を調査チームに出して、それではじめて調査チームは「今まで見たこともない資料がある」と気付いたという点です。私は思わず「ええっ???」と思ってしまいました。

というのも、この記事を読んだときに、「この調査チームはいったい、12月のこの時期に市教委からあらためて資料をもらうまで、いったい、何を調べていたんだろう?」と思ってしまったわけです。

たとえば調査チームの弁護士は、被害にあった教員から事情を聴くことも当然あるだろうし、加害教員側からも、周囲にいた教員や市教委の担当者からも事情を聴くこともあるでしょうけど・・・。そのときに、「このことに関する記録やメモ、残ってませんか? 裏づけになるものがほしいので、もしも記録やメモがあったら、すぐに出してもらえませんか?」という話、必要になる都度、関係者にしてこなかったんですかねぇ?

あるいは、最初に市教委に資料提供を受けたときに、調査チームの弁護士は「この事案に関連する資料類は、これ以外にありませんか? あったらすぐに、追加で出してください」という話はしなかったのでしょうか?

調査チーム側に今まで資料を渡してこなかった市教委側もさることながら、関連資料がまだ残っているかもしれない可能性(恐れ)に何ら注意を払ってこなかった調査チーム側も、私から見ると「ほんとうに大丈夫?」と思ってしまうような、そんな記事の内容だったのですが・・・。ここにひっかかるのは、私くらいでしょうか?

それとやはり、この記事は上記(2)の線でまとめられた記事ではあるのですが、私としては上記(3)の線も気になっている面がありまして・・・。

今回、関連資料で市教委が調査チームに渡してなかったものがあることが発覚したことで、調査が「越年」することになった。そのことで、加害教員側からの分限処分等に対する異議申し立ての動きを見ながら、あらためて調査チームの報告書を出す機会をうかがう余裕ができた。そんな見方もできなくはないんですよね。

「な~んか、この記事、いろいろとウラ事情がありそうだなあ・・・」と、この記事を読んで、そんなことを思ってしまった次第です。せめて関連資料の送り忘れの経過くらいは、調査チーム、きっちり調べておいてほしいですねえ・・・。


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2年前に神戸新聞の取材で語っていたこと(神戸・六甲アイランド高校の事件関連)

2019-12-15 22:14:54 | 受験・学校

このところほんと学内・学外でいろんな仕事があって、プリキュアの話くらいでしかブログの更新ができていません。

ただ昨夜、神戸・西元町で、中学校時代の後輩が営んでいるお店で知人とお酒を飲んでいるときに、たまたま神戸のある退職教員の方と同席しました。その方も私のこのブログを読んでおられたそうですし、また、その方の知り合いのあいだでも、私のブログは広く知られているようです。

あるいは、阪神間の自治体で勤務されているある現職教員の方も、例の神戸での教員間いじめ問題に関して、このブログ経由で発信されている私のコメントに救われた思いをした・・・というようなことをSNS上で語っておられました。

私のブログをそこまで大事に読んでいただいて、ほんとうに感謝しております。この場をお借りして、お礼申し上げます。

ただ、こちらとしましては、神戸の教員間いじめの問題については、マスコミ報道を見ながら「そのときそのときで、自分の思いを正直に書いただけなのに・・・」というだけです。なにしろ、あまりにも当初からマスコミ報道を契機に加害教員への処分等の問題ばかりに注目が集まり、他方で、肝心の「当該の小学校の子どものこと、教育の再建のこと、どうするの?」というくらい、いまだにそちらへの対応が不十分な印象がありますので。

ちなみに昨夜の時点で、いまだに神戸市教委の教育長は、当該の小学校に顔を出していないという情報が私のところに入りました。

ほんと、どうするんでしょうね、当該の学校の再建?? 

必要だったら私、お手伝いさせていただきますけど・・・。

冗談抜きに、これ、本気で思っています。もうすでに神戸市教委の指導主事研修や教頭職研修も手伝いましたし、調査委員会(再調査委員会)レクチャーの仕事もお引き受けしましたし・・・。後で書く「子どもの命を大事にする学校づくり」を本気で神戸市教委がやろうとするなら、私、できるだけのお手伝いをするつもりなんですけど・・・(だって、このまま、放っておけないですから・・・)。

まあ、教員間いじめ問題の話はさておき、今日は数日前に報道された六甲アイランド高校での生徒の「飛び降り」問題です。こちらの件も調査委員会が立ち上がって、問題行動に対する「厳しい」指導が行われたあとの高校生の「飛び降り」の事実経過や背景要因等々について、きっちり検証作業が行われたようです。そのことは、以下のとおり、すでに神戸新聞の記事などで伝えられているとおりです。

六アイ高生飛び降り問題 調査委の報告書要旨 (神戸新聞2019年12月11日配信記事)

https://www.kobe-np.co.jp/news/sougou/201912/0012951424.shtml 

ただ、実は私、2年前の2017年12月の末に、すでにこの六甲アイランド高校での生徒の「飛び降り」問題については、「今すぐにでも調査・検証作業を行え」という趣旨で、神戸新聞にコメントしていたんですよね。そのことは、下記のリンク先でわかります。

六甲アイランド高生転落 停学より一般的「特別指導」運用に各校苦悩 (神戸新聞2017年12月29日配信記事)

https://www.kobe-np.co.jp/news/sougou/201712/0010858366.shtml

この記事でコメントした部分を引用しますと、次のとおりです。

「京都精華大学の住友剛教授(教育学)は「指導の方法や内容の妥当性だけでなく、日ごろの男子生徒の状況や、学校が何を問題としてどのような配慮をしながら指導したのかなど、背景から丁寧に調べ、公表することが不可欠」と指摘している。」

私がすでに2年前に指摘していたことが、ようやく今年に入って動き始め、年末になって調査委員会報告書というかたちでまとまって出た、ということですね。

「だったら2年前の時点で、私の指摘したことをすぐに神戸市教委、さらには神戸市長あたりが動いて聴いてくれていたら、もっと早く調査・検証作業ができていたのに・・・」というところでしょうか。

今の時点ではどうしても調査委員会報告に注目があたりがちで、「2年前からコメントしていた」なんて話は、たぶん、このブログで自分から言っておかないと、みんなに忘れられてしまいそうなので・・・。あえて、ここで言わせていただきますね。(ほんと、何かと最近、忘れられていることが多いような、割に合わないことが多いような気がしてなりませんので・・・)

ちなみに、大貫隆志編著『「指導死」』(高文研、2013年)を読むと、子どもが学校で起こした諸問題に対する教職員側の過剰な叱責や、事実確認や反省を求めるための別室での執拗な指導などを苦にして、その当該の子どもが自死するところまで追いつめられてしまったと考えられるケースが、各地で何例も起きていることがわかります。(そのくらい「指導」という営みは、教職員側が子どもの心身の状態を常に確認しながら、ていねいなかかわりをとおして行っていかないと・・・)

大貫さん、武田さち子さんとともに、この『「指導死」』という本づくりにかかわった私としては、この六甲アイランド高校での「飛び降り」の話を最初に伺ったときから、「幸いにして命が助かったけれども、指導死につながって危険性の相当に高いケースだったのでは?」という思いを抱いていました。だからこそ「一日も早く調査・検証を」と思い、2年前にこの件が起きたその時点で上記のようなコメントをした次第です。

さらに、この『「指導死」』のなかで、私は神戸高塚高校で校門圧死事件のことにも触れましたが・・・。神戸では、もう30年近く前にも、高校生を学校での「指導」によって死なせてしまう事件が起きたわけです(こちらは県立高校での事件だったわけですが・・・)。

そう考えると、やはり今、神戸の学校に求められるのは、「子どもの命を大事にする学校づくり」ではないかと思います。阪神淡路大震災から25年目という節目を前にして、防災教育のことも、いじめ防止も、校則違反などに関する「指導」の在り方についても、神戸の学校では、まずは「子どもの命を大事にする」という視点から日頃の取り組みを見直してほしいと思います。また、教員間いじめ問題というかたちで表面化した神戸での教職員間の人間関係のつくり方も、この「子どもの命を大事にする」ということを軸につくりなおしてほしい。そのことを、強く、私としては願います。

そして、もしも今、神戸市長や神戸市教委上層部が「学力向上」に励めとか、「学力テストの結果を出せ、数字をあげろ」「順位をあげろ」とか、そういうことにこだわっているのであれば・・・。「そこにこだわるのは、最低でも、向こう十年くらいやめたほうがいい」「今は子どもの命をなによりも大事にする学校づくり、このことが神戸の学校には大事」と、私からは伝えたいと思います(もしも市長や市教委上層部が、私を総合教育会議に呼んでくれたら、それ、言おうかな?)。




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今日(12月15日)のプリキュアの話です。

2019-12-15 11:53:13 | プリキュア話

気付けばもうすぐお昼どきですね。今日も日曜日なので、今朝のプリキュアの話を書いておきます。

今年のプリキュアも、残すところあと4~5回というところでしょうか。年末年始の日曜日はおそらく放送はお休みでしょうし、また、1月末までが今のプリキュアのシリーズだと思うので。そうすると、そろそろ「終わりが近い」ということを示唆する回や内容を挟んでいく必要が生じます。

ちょうど今回の放送分が、その回。プリキュアたちのクリスマスを描きながらも、「もうすぐ今の5人のプリキュアはひとりひとり、それぞれの道を歩んでいく」ということを伝える内容になっていました。

と同時に、年が明けたら、いよいよ敵のボスが登場。プリキュアたちとの最終決戦がはじまります。今回の放送分は、その最終決戦に向けての下準備をしている面がありましたね。

ということで、もう少し詳しく中身を見てみましょう。

まず冒頭ですが、プリキュアたちがクリスマスパーティーをするところが描かれます、異星人であるララ=キュアミルキーとユニ=キュアコスモにとって、地球で迎える初めてのクリスマスです。前回まで自分が心から笑えるかどうかを気にしていたエレナ=キュアソレイユも、ちょっと元気を取り戻した感じです。

そんなプリキュアたちのところへ「宇宙船墜落」の情報が飛び込みます。それがなんと、サンタ―星人の宇宙船。このサンタ―星人は、トナカイがひくソリのような宇宙船で、あちこちの星でプレゼントを配っているのだとか。それを、地球では「サンタクロース」と呼んでいる…ということに、ユニは気づきます。

ただ、墜落時の衝撃でサンタ―星人の宇宙船が壊れ、プレゼントを運ぶロボットも故障してしまいます。そこで、プリキュアたちがサンタ―星人とともに、自分たちの住む観星町の子どもたちにプレゼントを配ります。その観星町の子どもたちのなかには、エレナの弟・妹も混じっています。

さて、プレゼントを配りながら、プリキュアたちは来年の話をします。エレナは「自分は母親のような通訳になりたいから、留学したい」と。まどか=キュアセレーネも「迷い中」といいながら、留学の話があること。そしてユニに対して、「レインボー星がもとにもどったら、どうする?」と、ひかる=キュアスターに問いかけます。ひかるは「会えなくなるのはさみしいけど、ユニの星がもどるといい」と伝えます。こうやってさりげなく、今年のプリキュアたちとの「お別れ」が近いことを伝えているわけですね。

一方、プレゼントを配っているプリキュアたちのところに、敵のボス・ダークネストが攻撃をしかけてきます。「器をわが手に」というダークネストは、ワープができるようになった妖精フワを狙ってきます。フワを守るためにひとりひとりのプリキュアがダークネストに反撃するのですが、倒されていきます。

最後にキュアスターとダークネストが一騎打ちをするのですが、キュアスターもかなり追い込まれます。そのピンチを、ララの宇宙船がAIの操縦で飛び込み、ダークネストに体当たりをして、キュアスターを救います。このあとは、妖精フワと5人のプリキュアの合体技で、ダークネストを倒します。

でも…。ここで倒れたダークネストは、実はお面をつけたノットレイ(ダークネストの手下)。ダークネストは「鎧の実験に成功した」と言います。

ラストの場面ですが、エレナの弟・妹がプレゼントをもらって大喜びしている様子が描かれます。サンタ―星人の宇宙船もロケットも修理が無事に終わり、「また来る!」といって去っていきます。ここで「メリークリスマス」と言って、今回の放送分は終わりです。

なお、次回ですが。まだ「トゥインクル・イマジネーション」の力に目覚めていないひかる=キュアスターの目覚めがテーマになるようですね。次週予告がそういう内容でした。まあ、この年末に目覚めておかないと、年明けのダークネストとの最終決戦が控えていますから・・・。


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今日(12月8日)のプリキュアの話です。

2019-12-08 10:14:59 | プリキュア話

おはようございます。今日は日曜日ですので、いつものとおり今朝のプリキュアの話を書いておきます。

今日の放送分は前回からの続きで、エレナ=キュアソレイユを中心に、彼女の課題である「本物の笑顔ってなに?」というテーマを巡って物語が展開します。

また、最近数回の放送分で気づきましたが、個々のプリキュアに対応する敵キャラの物語があって、その敵キャラの持っている悩みや課題がちょうど個々のプリキュアの課題に対応しています。前回、今回とテンジョウが登場しますが、彼女もまた「本物の笑顔」が課題だったのだということが、今回の放送分でわかりました。

さらに、今回の放送分では、「本物の笑顔」に出会うためには、時として人は「泣く」ことも「悩む」ことも「苦しむ」ことも必要だというかたちで物語が展開しました。これってまさに、思春期を迎えた子どもたちの自己肯定感の話ともつながりますね。

つまり、いろんな苦しみや悲しみ、悩みを潜り抜けたあとに、はじめて「ほんとうの自分」に出会えることもあるということ。その「ほんとうの自分」に出会えたときに、今年のプリキュアの物語では、プリキュアたちひとりひとりに「トゥインクル・イマジネーション」の目覚めが起きていると見てよいでしょう。

そして、エレナ=キュアソレイユが中心になる今回の放送回もまた、「異文化理解」がテーマになる回でしたね。エレナのアイデンティティの問題といいますか、学校生活のなかで「他の子どもたちとちがう自分」を常に意識し、「無理して笑ったりする自分」をつくるなかで、それでも国際結婚カップルの両親の笑顔が常に自分の支えだったこと。そんな両親、特に通訳の仕事をしている母親にあこがれて、異なる文化のなかで暮らしてきた人々をつないで、みんなを笑顔にしたいと願う。そんなエレナ=キュアソレイユの苦しみや悩み、そして「本物の笑顔」への思いが描かれていました。

なお、次回以降の物語展開に向けて、今回はいろいろと伏線がはられている回でもありました。特に年末年始を挟んで、敵のボスとの対決が待っています。その敵のボスとの対決につながる要素も、今回の内容には盛り込まれていました。

では、本編のストーリーをふりかえっておきましょう。

まず冒頭ですが、宇宙星空連合のトッパー長官から「ノットレイダーの根拠地の星がわかりそうだ」という連絡が入ります。その星のことを分析するために、科学技術に長けた人が集まっているグーテン星にプリキュアたちは行きます。でも、ララ=キュアミルキーが操縦する宇宙船のなかで、ひとりだけエレナ=キュアソレイユは浮かない顔をしています。

そのグーテン星なのですが、ここは天狗のように「鼻が高いとかっこいい」とされている星です。ただ、人に何かを自慢するのが鼻につくような、そんな人たちも多い星です。

実はこのグーテン星が、プリキュアたちの敵・テンジョウの出身地。鼻の低いテンジョウはこの星で、表向きはやさしく接してもらいながらも、カゲではバカにされるようなしうちをされてきました。そのことを恨んで、テンジョウはノットレイダーの仲間になり、鼻の高い天狗のようなお面をつけて生活をしてきたようです。

さて、プリキュアたちがグーテン星に現れたことを知ったテンジョウは、さっそく、一人でプリキュアたちを攻撃し始めます。すぐに変身して応戦するも、キュアソレイユ以外の4人のプリキュアは、みんな、テンジョウたちにつかまって動けなく状態にされてしまいます。でも、ひかる=キュアスターの反撃で、テンジョウのお面が壊れ、鼻の低い姿がわかってしまいます。そこでテンジョウは自分をバカにしてきた人々への恨みをエネルギーにして、自分自身を怪物ノットレイにして、キュアソレイユと対決しようとします。

「あたし、どうすれば…」と迷うキュアソレイユに対して、まどか=キュアセレーネは「大丈夫、自分を信じて」と声をかけます。その声に励まされて、キュアソレイユはテンジョウとの対決に挑みます。
テンジョウはキュアソレイユに対して、「笑顔は仮面」「やさしい顔した大人でも、仮面の下ではあわれみ、見下し、みんな笑っている」と語りかけます。

これに対してキュアソレイユは「あなたの言うとおりかもしれない。自分も笑顔をつくってきた。自分の笑顔が本物かどうかなんて考えたこともなかった」「今はあなたの本心が聴けた。あなたの気持ちがわかる、私もそうだったから」「私もみんなとちがう。私のことをどう思っているかと不安だった。でも、それを救ったのは家族の笑顔」「私は人のために自分を犠牲になんかしていない。あなたを笑顔にしたい」「みんなの笑顔が私の笑顔になる。だから、みんなを笑顔にしたい」と、テンジョウに伝えます。そのとき、トゥインクルイマジネーションの力がキュアソレイユに芽生え、他のプリキュアも封印が解けます。ここから先はいつもの5人+妖精フワの合体技がでて、テンジョウを追い払います。

ただ、去って行ったテンジョウは、再び敵のボス・ダークネストのところへ。そこでダークネストは「例の計画をはじめる」といいます。この「例の計画」と、冒頭の「敵の根拠地の星がわかる」話とが、どこかで年末年始の物語につながっていくのでしょう。予告編を見る限りでは、来週はプリキュアたちのクリスマスの物語で、そこへダークネストが攻撃をしかけてくるようですし…。

ラストの場面ですが、エレナ=キュアソレイユは家に帰り、母親といっしょに夕食の準備をします。でも、たまねぎを刻みながら、エレナは泣きだします(このあたりの演出は見事ですね)。エレナは「相手に気持ちを伝えるのは難しい。笑顔って難しい。でも、一緒に笑いあいたい」と母親に伝えます。そのとき母親は「人のために泣けるってすごいこと。泣いていい。きっといつか笑える」といって、エレナを抱きしめます。そのとき、エレナは母親に「ママのように人と人とが分かりあえる手助けがしたい。通訳になりたい」と。そこへちょうど父親と弟妹たちも帰ってきて、父母そろって「エレナの好きな道を行きなさい」と伝えます。そして弟妹たちは、自分にできる家事を手伝いはじめる…というところで、今回の物語は終わりました。


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12月5日付け毎日新聞「記者の目」に対する神戸市長のツイートを読んで思うこと(神戸・教員間いじめ問題関連)

2019-12-05 23:30:34 | 受験・学校

ちょっとここ数日、本業の大学の仕事や兵庫県宍粟市での学校事故防止に関する教職員研修など、することが多くてブログを書いている暇がありませんでした。

そんな状況のなかで、今までに神戸の教員間いじめ問題関連で読んだ新聞記事のなかでは、私が「いちばん、よく書けている」と思った新聞記事に出会いました。それが今日(12月4日)付けで配信された毎日新聞の下記の記事です。

神戸教諭いじめ 残念な事後対応 「制裁」より児童のケア先に=春増翔太(神戸支局) (2019年12月5日付け毎日新聞配信)

実際にリンク先をクリックして、記事を読んでいただければいいかと思いますが…。

記事の趣旨は、加害教員への給与停止等の「制裁」が優先されて、なによりも大事な当該の学校の再建や子どもたちへのケアが後回しになっていないか、というものです。また、実際に当該の小学校では、子どもや保護者からも「これから学校をどうすればいいか、話し合いたい」という趣旨の意見があることも、この記事では紹介されています。なので、私としては、これまでこのブログで訴えてきたことがきちんと記者さんに伝わったこと、ブログで書いたことの趣旨をふまえた取材が学校現場でも行われた…という印象を受けました。

ですが、こういう記事がでると「おさまりがつかなくなる」のが、今の神戸市長のようですね。

今日はこの記事に対して、次のようなつぶやきをツイッターでしていました。

今朝の毎日新聞で、春増翔太記者は、加害教員への分限休職処分が「法令の原則に反する」と。「久元市長はどこまで考えたのか」と。考えに考え抜いたのですよ。その論拠は詳しく明らかにしている。春増記者さん、法的な疑問点は、是非とことん私に訊いて下さい。次回の定例記者会見でお待ちしています。久元喜造(神戸市長) (@hisamotokizo)  https://twitter.com/hisamotokizo/status/1202384218229104642?s=20

これを読んで、私が感じたこと(=すぐにツイッターでつぶやいたことでもありますが)は、以下のとおりです。

考え抜いて取り組んだ結果が、この程度なんですね。わかりました。

○神戸市長の3つの痛いところ。1、加害教員の分限休職と給与支給停止条例の法的問題。2、当該の学校、特に子どもへのケアや支援の不足という問題。3、世論を煽り煽られするなかで1を優先し2を後回しにした市長判断の問題。これを毎日新聞の記者さんは指摘したわけですね。なるほどなるほど。

○なおかつ今朝のTwitterで神戸市長は、あらためて1の加害教員の休職処分問題で毎日新聞の記者さんに反論して世論を煽ることで、2の当該の学校や子どものケア問題と、3の世論を煽り煽られしてきた自分の判断の問題をごまかそうとしていますね。なるほどなるほど。よくわかります。

○要は神戸市長、ボクは世論も後押ししてるし、考え抜いて法的にもつじつまあうようにしたのだから、問題ないでしょと言いたいわけですね。でもね、その結果がいまの神戸・須磨の学校の状況。それをどう考えるの?というのが、毎日新聞の記者さんの指摘。問われているのは市長の一連の対応です。

○当該の学校、特にそこに通う子どもの問題は後回しで、加害教員の処分問題への対応に邁進してきた神戸市長や市教委上層部の動き方。これを指摘した毎日新聞にきちんと応答すべきなのは、市長や市教委上層部の側。あなたたちが今度は問われる番です。あなたたちも組織風土の一部ですから。

○なお、このように特定の記事や記者さんを取り上げて、首長が名指しで批判し、世論を盛り上げるやり方そのものが「いじめ」的ですね。かつて橋下流政治で大阪がやったことの二番煎じのように見えます。自省と自制を求めます。

ひとまず今日のところは、ブログに何か書くのは、このあたりでとどめておきます。なお、例の校長らのボーナス増額停止の問題へのコメントもありますし、また、阪神淡路大震災から25年目の節目を前にして、震災のことを考えるのをやめようとしているかのような動きも、神戸にはちらちらと見受けられるようになってきました。そういったことをひっくるめて、また後日、ブログでコメントをしたいと思います。


 




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今日(12月1日)のプリキュアの話です。

2019-12-01 09:43:32 | プリキュア話

おはようございます。

今日も日曜日なので、いつもどおりプリキュアを見ました。さっそくコメントをさせていただきます。

今年のスタートゥインクルプリキュアも、残すところあと数回。年明け1月末までの放送ですから、そろそろ全体の「まとめ」みたいな話がでてきますね。

また、どうもこの10月11月あたりの物語の展開を見ていますと、「異文化理解」をテーマとした今年のプリキュアの物語には、さらに伏線的に「親からの心理的自立」というテーマも隠されていたような気がします。その「親からの心理的自立」の達成の象徴が、プリキュアたちひとりひとりの「トゥインクル・イマジネーション」の目覚めということなのでしょう。

一方、その「異文化理解」と「親からの心理的自立」という二重のテーマが交錯して、複雑な様相を示しているのが、国際結婚カップルの下で生まれ育ったエレナ=キュアソレイユ。その複雑な様相ゆえに、エレナ=キュアソレイユの「親からの心理的自立」の物語を描くのには、ちょっと時間をかけているようですね。なにしろ、先週のまどか=キュアセレーネの自立話から伏線をはって、今回は問題を投げかけて、途中まででおわる。そして予告編を見る限りでは、次週に本格的にエレナ=キュアソレイユの自立が達成される…という展開のようです。

そして、ひとりひとりのプリキュアに、誰か特定の敵キャラが対応していて、それが個々のプリキュアが乗り越えるべき親の問題を示すという構図。これもこの10月11月ではっきりしてきました。今回もエレナの物語なので、テンジョウが登場。そのテンジョウがエレナの母親のため息から怪物をつくりだして、エレナ=キュアソレイユと対決させていましたね。また、次回の予告編を見ると、キュアソレイユとテンジョウの対決が描かれていました。

ということで、先に今回の物語の要点を書いておいたので、次はストーリー展開をふりかえっておきましょう。

まずは冒頭の場面。留学すべきかどうかを一から考え直すというまどか=キュアセレーネの話を聴いて、他のプリキュアたちはびっくりします。でもまどかは、自分の今の笑顔があるのは、エレナがあとおししてくれたおかげだと言います。そして、エレナ自身は自分の進路をどうしたいのか、高校進学をどうするのかと、まどかはエレナに問いかけます。

次の場面では、エレナの家が描かれます。久々に通訳をしている母親が家に居て、料理をしているのですが、急に仕事が入ってしまいます。そこから私が代わるといって、エレナは弟や妹のために料理をすることになるのですが。

ここでまた場面が変わって、中学校での三者面談の場面が描かれます。担任からエレナに「やりたいことはないのか? 家でよく話し合ってみなさい」と言われます。エレナの母は「何か、迷っていることがあるんじゃないの?」と言うのですが、エレナは大丈夫と答えます。

そんなところへララ=キュアミルキーとひかる=キュアスターがドーナツを持って現れます。エレナの母は「家のことは大丈夫だから、あなたの好きなようにしなさい」といって、エレナを送り出します。ただ、エレナは「あたしの好きなことって…」と、何か迷いがあるようです。

さて、ララの宇宙船に集まってプリキュアたちがドーナツを食べているときに、ひかるはどのドーナツから食べようかと迷います。でも、結果的には「両方食べる」ことにして「悩んだ分おいしい」と言います。これが今週、次週の物語を考える上でのキーワードですね。

また、ドーナツを食べているときにエレナはまどかに正直な気持ちを打ち明けます。エレナは「自分がこれからどうしたらいいのかわからないのが正直な気持ち」だと。ただ、エレナは「プリキュアになっていろんな星に行って、いろんな人に出会った。そういう経験を無駄にはしたくない」とも言います。そんなエレナに、まどかは「エレナの笑顔が見たい。悩むことは迷い道ではない」と言葉をかけます。

さて、買い物をして家に急いで帰ろうとするエレナの母のところへ、テンジョウが現れます。テンジョウはエレナの母のため息から、怪物ノットレイをつくりだします。エレナの母は、「エレナは家族のためにがんばりすぎている。あの笑顔は本物じゃない」と、ため息まじりにつぶやいたのです。

テンジョウが現れたので、当然、プリキュアたちも集まってきて変身します。変身後のキュアソレイユに対して、テンジョウは「お前の笑顔こそが母親を苦しめていた」「笑顔はうわべだけの仮面。そんなもので人はつながれない。くだらないものを守っている」と語りかけます。その言葉が、キュアソレイユを追いつめていきます。

そこへキュアセレーネが登場し、テンジョウに対して「私はキュアソレイユの笑顔で救われた。私たちはソレイユが守りたいものを信じている」ときっぱりと言い切ります。それに勇気を得たキュアソレイユは、「私は笑顔を守る。だから負けない!」と言って、ソレイユシュートという自分の技を怪物ノットレイ(=母からつくったもの)にぶつけます。そしてプリキュア5人と妖精フワの合体技で、ひとまずテンジョウたちを追い払います。

テンジョウたちが去って我に返った母は、家に帰っていきます。その母を追って、他のプリキュアたちと離れて、エレナも家に帰ります。ただ、エレナは玄関の前で家族の声を聴くと、落ち込んでいた自分の気持ちを奮い立たせて、無理に笑顔をつくろうとする。ここで今回の物語は終わりました。

まあ、こんな感じで、「笑顔が大事だ」と思うエレナは、母親の本心に触れて、あらためて「本当の笑顔とはなんだろう?」と思うようになりました。

どうやら次回のテンジョウとキュアソレイユの対決も、「本当の笑顔」をめぐる対決になるようですね。また、それは母親の前でこれまで見せてきた、無理を重ねてきたエレナ自身を一度、崩して、あらためてエレナが自分で輝いて、笑えるようになるという、そういうかたちで親からの心理的自立を達成する物語になるのではないか…と思います。

ということで、ひとまず今日のプリキュアの話、おわります。

 


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