できることを、できる人が、できるかたちで

京都精華大学教員・住友剛のブログ。
関西圏中心に、教育や子ども・若者に関する情報発信を主に行います。

同じ経過を「子どもに寄り添って」見るのか、「おとなの事情」を介在させて見るのか?

2013-05-03 11:09:15 | インポート

こちらの新聞記事ですが・・・。

http://mainichi.jp/area/news/20130502ddf001040004000c.html

(兵庫・川西の高2自殺:いじめ、関連不明、第三者委が調査報告:2013年5月2日、毎日新聞大阪夕刊)

川西のオンブズ側の出した報告書と、県教委の第三者委の出した報告書、両方を読み比べて、何が結論の違いに至ったかを検証したいところです。

ただ、私がこの件について、これまで読んだ新聞記事や今回の新聞記事からわかる範囲でコメントするならば・・・。

(1)県教委の第三者委も川西のオンブズも、亡くなった子どもに対する高校での1学期中のいじめが、その子どもの生きる気力を奪い、無力感を抱くまでに至ったということ。そのことは両方とも認めている。

(2)また、子どもが亡くなったあとの学校の対応について、自殺を「不慮の事故」という形にしようとした点など、県教委の第三者委も「問題だ」と言わざるをえなかった。この点はおそらく、川西オンブズも同様のことを指摘しているだろう。

(3)しかし上記(1)(2)は、これまでに新聞報道などで判明していることなどからも言えることであり、川西オンブズ・県教委の第三者委、両者の見解の相違があまり生まれない部分でもある。

(4)その上で残る問題は、夏休みの終わりごろに、亡くなった子どもが自殺をほのめかすようなことを言ったり、文章やメールにして残したりしていない、ということをどう見るか。そこについて、県教委の第三者委と川西のオンブズの判断がわかれてくる。

(5)おそらく県教委の第三者委は、確たる証拠がないということから、自殺といじめとの直接的なつながりを認めることを躊躇した、もしくは、意識的に判断を回避した、ということ。それは見ようによっては「慎重で誠実な判断」ということも言える。だが、別の言い方をすれば、「県教委側は専門家のこのコメントをたてにとって、いじめがあった事実を認めるが、それと自殺とのつながりを認めない、という主張を裁判ではするぞ」ということでもある。要するに、県教委の第三者委は「おとなの事情」で、こういう判断をした、ということである。

(6)これに対してオンブズは、「最終的にこれが決めてだ、ということは見当たらない」という留保をつけながらも、「しかし、夏休み前までの深刻ないじめがなければ、はたしてこの子どもは、生きる気力を奪われたり、無力感を抱いたりしただろうか?」と考えてみたのではないか。とすれば「今のところ最終的にそう判断する決め手はないとしても、でも、いじめが何らかの形でこの子が死のうと思った背景にあったことは推測できる」と、オンブズの立場から言わざるをえない。要するに、川西オンブズの側は、「できる限り、その子どもの側に寄り添ってみる」という立場から判断をした、ということである。

さて、川西のオンブズ、県教委の第三者委、どちらのほうが、より「真相に近い」ことを判断し、自らの言葉で語っているのだろうか??

最終的な報告書を読み比べてみないとわからないのだけど、「おとなの事情」が介在しない分、私は明確に川西オンブズの側だと思うのだけど・・・。

※今週はこのほかにも、大阪市の外部監察チームが体罰問題に関する最終報告書をまとめるなど、まるで「行政サイドは連休前に出せば、マスコミは騒がないだろう」とでも思ってやってるのか・・・と思うような、重要な動きがいくつかありました。そのことについても、連休を利用して、このブログで書いていきたいです。


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ひとまず、全国学校事故事件を語る会・6月の大集会のお知らせを

2013-04-20 10:53:37 | インポート
このところ、なかなかこちらのブログにまで手が回らず、更新が遅れていて申し訳ありません。
ひとまず、全国学校事故事件を語る会の6月の大集会の案内、こちらを掲載します。
できるだけ多くのみなさんにご参加いただきたいです。
特に、教育学や心理学、法学、行政学、保育学や体育学、社会福祉学、医学など、子どもに関するあらゆる領域の研究者のみなさんには、ぜひ、2日目のシンポジウムだけでも参加していただければ・・・と思っています。
ちなみに、私も2日目のシンポジウムに出ます。
といっても、シンポジウムの最後で、全体の「まとめ」みたいな話をする役ですが。

<以下、案内文>
「全国学校事故・事件を語る会」第58回(大)集会のご案内

学校事故・事件における様々な問題の改善には、「事実解明」が必須の条件です。昨年7月の大津市いじめ自殺事件の報道では、いじめの実態だけでなく、事実に向き合う学校・教育委員会の姿勢が大きな問題となり、その後、各自治体で「第三者委員会」の設置が急速に進められています。しかし、「第三者委員会」は事実を明らかにすることもできれば、事実を隠蔽し事態を鎮静化させることもできます。今回のシンポジウムでは「事実解明」に向けた「第三者委員会」のあり方についてみんなで考えていこうと思います。つきましては、下記日程で、「全国学校事故・事件を語る会」第58回(大)集会を開催します。ご参加くださいますようお願いします。

日 時 6月1日(土)13時半~2日(日)16時
会 場 兵庫県学校厚生会館 7F大集会室 神戸市中央区北長狭通4-7-34  TEL078-331-9955

日 程
1日13:30~ 交流会、18:30~懇親会(食事)費用4000円、
2日 9:30~ シンポジウム「第三者委員会のあるべき姿を問う」

備 考 一部だけのご参加も可能です。交流会、シンポジウムは参加費(500円)を集めさせていただきます。ご宿泊はパレス神戸に部屋を用意しております。(宿泊費は6000円程度) 

お問い合わせは「語る会代表世話人」 宮脇勝哉、(携帯090-4908-6844 FAX 0797-57-9640 e-mail miyawaki-katuya@mtc.biglobe.ne.jp)まで

<以上、案内文の転載終わり>

全国学校事故・事件を語る会のHP
http://homepage3.nifty.com/Hyogo-GGG-Izokunokai/index.htm


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土田光子『子どもを見る眼』から

2012-12-24 20:25:36 | インポート

昨日、所用のために、明石へ出かけました。その往復の電車のなかで、土田光子『子どもを見る眼』(解放出版社)を読みました。その中にでてきた次の一節が印象的。次年度の「生徒指導論」の参考文献にこの本、入れることにしました。どこかの一節を取り上げて、受講生に読ませようと思います。

◎学校で二度子どもを傷つけないために

例えば、いじめという事象と向き合うとき、いじめられる側にも問題があると考えるのは、自分なら跳ね返せるという立ち位置からものを考えるからだろう。しかしそういう位置にいる子どもは、いじめられないものだ。 いいか悪いかではない。事実として、死にたくなるほどの深い悲しみを抱えながら、思いを口に出すこともできず、じっと一人で耐えている子どもがあなたの目 の前にいるのだ。その哀しみに思いを馳せ、傍らに寄り添い、ともに涙を流し、しかしはっきりと、「あなたは決して悪くない」と、「あなたが悪いからいじめられたんじゃない」と、そう言い切ることもせず、被害者である子どもの発想や考え方を正そうとしたとき、子どもは、いじめを受けた傷以上の深い傷を負うことになる。

助けてくれるべき人から受けた、無理解という肩すかしや、「君にも非がある」という逆攻撃は、子どもを二度傷つけ、自尊感情を木っ端みじんに打ち砕く。

だからこそ、チームがある。教員同士が互いの個性を活かし合いながら、自分とは違う感覚をもった同僚たちと手を携えて、かけがえのない子どもたちと、丁寧に向き合いたいものだ。自分の自分らしさを武器に、しかしそれが独断と偏見に結びつくことがないよう、多様な角度から子どもたちを見つめながら、チームのなかで情報を交換し合い、ともに「子どもを見る眼」を鍛えあっていくことが求められている。

安心と協働の場である学校で、友人関係に傷ついた子どもが、教員によって二次被害を受けることだけは、細心の注意を払って食い止めなければならない。(p.137138

子どもを見る眼: 先生たちへの応援歌 子どもを見る眼: 先生たちへの応援歌
価格:¥ 1,575(税込)
発売日:2012-12-03


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日本政府の青少年施策の方針を地方自治体が裏切っていく?

2009-01-18 09:30:59 | インポート

去年(2008年)12月に内閣府が出した新しい「青少年育成施策大綱」には、次のような文章がある。日本政府レベルでの青少年施策の「重点課題」として、「困難を抱える青少年」への支援があることを、あらためて強調しておきたい。

③ 困難を抱える青少年の成長を支援するための取組
青少年が様々な困難や不利な状況に直面したり、又はそのおそれがある場合、その個々の困難等の態様に応じ、関係機関が連携し、問題発生の未然防止、早期発見・早期対応及び困難克服までの切れ目ない支援を、青少年本人のみならずその家族に対しても総合的に行う。

また、新しい「青少年育成施策大綱」では、次のような文章で、「青少年教育施設等活動の場の整備」の推進が求められていることも、あらためて強調しておきたい。

③ 豊かな体験・交流のための取組
(体験・交流活動等の場づくり)
青少年が、自然体験や集団宿泊体験等の体験活動を行える青少年教育施設等活動の場の整備を推進するとともに、青少年教育施設と地方公共団体、学校、青少年団体等地域の関係機関の連携により、地域の教育力を向上させる取組を推進する。
また、自然との触れ合い、スポーツ・レクリエーション活動等を行える都市公園の整備や総合型地域スポーツクラブの育成を通じて、総合的なスポーツ活動の機会を充実するとともに、住民のニーズ等に応じた質の高い指導者の養成・確保を促す。
自然公園、河川や海岸などの水辺空間、森林を、環境学習・自然体験等の体験活動の場として利用できるよう保全・整備するとともに、地域ぐるみの活動を推進する。

さらに、具体的に「困難を抱える青少年」への支援の取り組みとして、次のような文章も「青少年育成施策大綱」に盛り込まれている。

(不登校対策)
不登校等への対応の推進を図るため、未然防止、早期発見・早期対応につながる効果的な取組や関係機関等と連携した取組を促進する。
不登校の児童生徒への学校内外における相談体制の整備を進めるなど、不登校の子ども等の教育機会について支援を図る。
また、不登校、ひきこもり、ニートなど自立に支援を要する青少年の社会性等をはぐくむため、自然体験、生活体験、社会体験等の体験活動に継続的に取り組む機会を提供する。

あるいは、小学生期の子どもたちへの取り組みとして、「青少年育成施策大綱」には次のような文章も出てくる。

ⅳ 社会的自立につながる活動機会の保障
(集団遊びの機会の確保)
放課後児童クラブ、児童館、都市公園等の設置を推進し、集団遊びの場を確保するとともに、放課後子ども教室等を通じて、地域住民の参画を得て、学習活動やスポーツ・文化芸術活動、レクリエーション等の機会を提供する取組を推進する。

(地域等での多様な活動)
子どもの心と体の健全な発展を促すため、青少年教育施設や学校、地域の青少年団体、NPO等の様々な場における、環境学習・自然体験、集団宿泊体験、奉仕体験、スポーツ活動、芸術・伝統文化体験、といった様々な体験活動や、異世代間・地域間交流等の多様な活動の機会の提供について推進する。

こういった日本政府レベルでの青少年施策の動向から考えると、どう考えても、その運営形態や維持の方法、事業の内容などには多様な意見があるとしても、児童館・青少年会館・青少年センター・野外活動センターなど、「地域社会における青少年育成の拠点になるべき公共施設」が必要不可欠だという点は、日本政府としても認めているということになる。少なくとも、私はこの「青少年育成施策大綱」からは、そのような理解を得た。

特に、子どもたちの体験活動(自然体験、社会体験、生活体験等)を充実させるような取り組みや、スポーツ・文化活動への参加、世代間交流や地域間交流の可能な施設を中心に、そこが拠点となって、障がいのある子どもや、不登校・ひきこもり経験のある子ども、ニートの状態にある若者等、何らかの「困難を抱える青少年」への支援を実施していく。その方向性が、日本政府レベルでの青少年施策からははっきりと伺えるのである。

このブログを継続してみてくださっている方にとってはあらためていうまでもないことであるが、今まで大阪市内でこのような地域社会における青少年育成の拠点機能を担ってきたのが、2007年3月末で条例廃止を迎えた旧青少年会館である。また、大阪府下の青少年会館・青少年センターや児童館、大阪市内の旧トモノス・児童館などでも、こうした機能は担われてきた。そして、野外活動センター等の青少年の体験学習施設についても、大阪市・大阪府及び府下各自治体が整備し、長年、活用してきた。

ところが、こうした青少年育成の拠点たる公共施設が、地方自治体レベルの財政逼迫の状況下で、利用率の問題や補助金の削減等を理由に、今や、どんどん廃止・統廃合を余儀なくされている。これでは、日本政府レベルでの青少年施策の方向性が大筋ではまだ評価できるものであっても、地方自治体レベルでその方向性に逆行することばかりが行われるようになっていく。

このままでは、「青少年育成施策大綱」は「絵に描いた餅」のような状態になっていくのではないだろうか。また、日本政府が本気でこの「青少年育成施策大綱」にある取り組みを実施しようと思うのであれば、地方自治体に対して、積極的に財政支援を行うべきではないのだろうか。特に、「財源がないから」「補助金がつかないから」という理由だけで、青少年育成の拠点整備から手を引きたがっている地方自治体にたいして、日本政府として本腰を入れて青少年施策をやろうとする気があるなら、財政面からのてこ入れも必要ではないだろうか。

ところで、大阪府の補助事業としての「地域青少年社会教育総合事業」が、今すすめられている橋下知事の行財政改革の下でなくなることによって、今後、府下の各地方自治体で、社会教育・生涯学習分野での青少年施設の統廃合が行われる危険性が高まってきた。まだ詳しい情報が入っていないのでなんともいえない面があるのだが、茨木市あたりでは、すでに市内の4つの青少年センターのうち3つを廃止する方針を行政当局が示している、という。これがどこまで確かなのか、本当に実施されるのかどうかはわからないが、この間の情勢を見ていると「十分、ありうる」と思われる。

しかし、今まで述べてきたことからもわかるように、日本政府レベルでの青少年施策の方向性からすると、今こそ大阪市内や大阪府下で児童館・青少年会館・青少年センター等で取り組まれてきたことに注目し、各地方自治体はその機能の充実等に取り組むべきなのである。

そのことから考えると、やはり、日本政府が本気で「青少年育成施策大綱」の中身の実現に向けて努力するというのなら、地方自治体に対する財政面からのてこ入れ等、さまざまな働きかけをするべきではなかろうか。2兆円の定額給付金で国民ひとりひとりにお金をばら撒くよりも、よっぽど、こうした青少年育成の拠点施設の整備等に国や地方自治体の財源をつぎ込むほうがマシだと思うのは、私だけだろうか。

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昨日の話の続き

2008-03-03 19:36:13 | インポート

今日は、NPO専従スタッフの雇用形態に触れた、昨日の話の続きです。

昨日も書いたとおり、これから地方自治体行政当局が「財政難」などを理由に、人件費削減等のねらいで、正規雇用された公務員を非正規雇用の職員に置き換えたり、あるいは、その業務をNPOなどに委託するということがでてくると思います。

でも、昨日も触れたとおり、NPOの専従スタッフの雇用形態というのは、きわめて不安定。たとえば、そのNPO団体がきちんとした財源を持つのであればまだしも、行政当局からの事業委託とか、助成金の獲得とかに依存した運営をしているのであれば、その団体の専従スタッフについては、「カネ(事業)の切れ目が縁の切れ目」というようなケースと思います。また、「3年契約での事業委託」ということになれば、当然、「3年たったら専従スタッフも不要」という話がそのNPOのなかで出てくるかもしれません。

NPOの専従スタッフについて、似たような活動をしている団体の間で、それこそ「渡り職人」のように自らの腕と知恵を必要とするところへ移り歩くような、そんな人の交流が行われていれば、ある団体で切られたとしても別の団体で採用されるということもあるので、またちがうのでしょう。でも、少なくとも私の身近なところでは、NPO専従スタッフの間でそういう「渡り歩き」ができているという話は、まだ聴いたことがありません。

個人的には、たとえばこうした行政からの事業委託を請け負うNPO間で、専従スタッフの交流を促進して、ある人がある団体で経験したことが別の団体で活かされるとともに、雇用もそれなりに継続していくことができるような、そんなシステムをつくることができればいいのではないか。そうすることで、「カネ(事業)の切れ目が縁の切れ目」ということで、NPO専従スタッフの生活が脅かされることが、多少は緩和されるのではないかな、と思っています。

と同時に、行政当局が事業委託費を大幅にケチって、専従スタッフなどがとても生活していけないような形でNPOに仕事を任せようとするときに、こうした「渡り職人」的にNPO間を異動している専従スタッフが核となって、NPOがお互いに連携しあいながら「そういう委託のしかたはおかしいだろ!」と声を挙げていくことができれば・・・・、とも思うのですが。

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『企業コンプライアンス』(文春新書)から

2006-10-28 23:48:11 | インポート

この間、私は、例えば企業コンプライアンス(法令遵守)論関係の本や、企業の経営戦略論の本、さらにはこの間の行財政改革の結果、労働の現場がどう変わったかを扱った本、地方自治体の行財政改革で用いられる各種の手法を批判的に検証している本などを読んでいる。

言うまでもなく、いま、大阪市の行財政改革を推進している人々は「官から民へ」と「コンプライアンス」を強調するわけだから、そのことに対するオルタナティブな発想を出すためには、こういう文献を読む必要があると考えている。

そんななかで、先日読んだ後藤啓二『企業コンプライアンス』(文春新書)を読んでいると、いろいろ気づかされることがあった。大阪市の今の行財政改革、特に青少年会館条例「廃止」方針のことや、社会教育部門の「解体」というしかない今の動向について、「コンプライアンス」論ははたしてそこまで容認しているのだろうか。この本を読んでいると、そのことがだんだん気になってきたのである。以下、特に大事な論点だと思ったところを引用(黒字)しながら、私のコメント(青字)で書いておきたい。

○まず「耐震強度偽装事件」に関して、同書p.83には次の記述がある。

「再発防止のためには、規制緩和が進み、今後益々競争が激化していくという流れのなかで、関係業界が度を越したコスト削減、あるいは違法の容認により利益を獲得していくという方針がとられないよう、制度的な対策を講じる必要がある。官と民の役割分担についても、その業務の性質に応じ、合理的に決定する必要がある。何でもかんでも民間に行わせることがよいわけではないのである。」(傍線部は引用者、以下同じ)

この引用のとおり、「コンプライアンス」論は、「民間」が「すべてよい」とは考えていない。法令違反を繰り返す、法の網の目をくぐって道義上問題のある行為を行う「民間」については、「官」が規制をすべきだと考えるのである。この点、大阪市当局はどう考えるのか?

○次に、p.128には、こんな記述がある。

「コンプライアンスについて、法令に違反しないということのみならず、企業が自主的に定めた倫理に従って行動すること、あるいは法令の趣旨・目的を理解して、それに沿って活動すること、さらに広くは、企業の道義的・社会的責任を果たしていくという活動というように法令の遵守にとどまらないもの解釈しなければならない。」

今日、出張から自宅に戻ってきて毎日新聞夕刊を見たら、社会教育施設として法的には大阪市教委所管の博物館等を、市長部局である「ゆとりとみどり振興局」に移すことを大阪市が検討中という記事が出ていて、なおかつ、毎日新聞には「脱法」という言葉まで使われていた。このような行為は、たとえ法解釈上いろんなつじつまは合わせうるとしても、上記引用部分にある「コンプライアンス」の基本精神とは大きく異なるのではないか。大阪市当局は、社会教育関係の諸法令の理念や、社会教育に対する大阪市としての道義的・社会的責任をどう考えているのであろうか。これについては、同様のことが青少年会館条例「廃止」方針についてもいえるが。

○それから、CSR(企業の社会的責任・貢献)について、p.143では次のことも言われている。

「CSRは、現在、一種のブームのような捉え方をされているが、CSRの取組みに当たっては、事業の選定と実施方法について慎重な判断が必要である。一度はじめた社会貢献活動について、業績の悪化、経営者の交代等により、途中で止めることは企業の誠実性に関わることとなり、それほど容易でない。

「コンプライアンス」論の趣旨から考えても、たとえ大阪市が財政難にあるとかいっても、「一度はじめた事業」を「途中で止めること」には、「市の行政当局としての誠実性」が問われることになりはしないのだろうか。そして、青少年会館条例「廃止」方針というのは、「コンプライアンス」論の趣旨から見ても問題が多いのではないか。

まぁ、こんな具合である。それこそ、今、大阪市の行財政改革を進めている人々は、市職員に対して「コンプライアンス」を求めているが、最もそれが必要なのは上層部であったり、あるいは、その上層部にアドバイスをしている人々ではないのか、といいたくなるのである。


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