できることを、できる人が、できるかたちで

京都精華大学教員・住友剛のブログ。
関西圏中心に、教育や子ども・若者に関する情報発信を主に行います。

あれから2年

2008-08-31 18:49:48 | いま・むかし

あしたから私は、卒論ゼミの学生とともに、奈良での一泊二日の合宿にむかいます。

2年前のゼミ合宿の日は、大阪市の青少年会館条例(青館条例)を廃止し、事業を「解体」する方針を、地対財特法期限後の事業等の調査・監理委員会が打ち出した日。それからあとは、みなさんもご承知のとおり、青少年会館(青館)に集まる子どもやその保護者を含む市内各地区の人びとや、子どもの人権などにかかわるNPO団体などの反対にもかかわらず、あっという間に条例廃止・事業「解体」の方針が市長から出され、2007年3月末をもって、その方針どおりになりました。

その後、市民利用施設としての「暫定使用」という形で、2007年4月以降の大阪市内の旧青少年会館(旧青館)は、各地区住民やNPO団体などが自主サークルを立ち上げ、団体登録の上で利用するという方式が取られています。一方、青館条例廃止後も「解体」されずに残った「ほっとスペース事業」も、その多くは旧青館で引き続き実施されていますが、一部はすでに別の場所に移されています。

そして、このブログでも何度か発信したとおり、各地区で保護者や住民が自発的にサークルをたちあげ、例えば旧青館を活用して子ども会活動を開始したり、中学生や高校生対象の夜の勉強会、識字教室、和太鼓などのサークル活動、その他スポーツ・文化活動などに取り組みはじめています。また、その子ども会活動のなかには、学生ボランティアや地区の若者の協力などを得て、開始当初の週1回や月1回のペースから、やがて学期中の平日午後とか、夏休み中のお盆休みの期間以外の毎日とか、だんだん、活動回数を増やすところがでてきています。

もちろん、大阪市内のすべての旧青館所在の各地区で、こうしたとりくみがうまくいっているわけではありません。停滞中の地区もありますし、場所の確保やリーダーのスケジュールの問題、資金面の問題など、いろんな課題に直面している団体・サークルなどもあります。というか、うまくいっている団体・サークルであっても、やればやるほど、運営上の課題ばかりが次々にでてくる、というところでしょうか。

それでも、「条例廃止くらいで、地区の活動が停滞してたまるか、なにくそ!」という思いで子ども会活動を続けているおとなもいれば、「あらためて子ども会活動をするなかで、今まで青館事業があったことのありがたさが実感できた」という保護者もいます。あるいは、「こうした自主的な活動を通じて地区内の子どもや保護者、若者と知り合うことができて、各地区の教育運動の活性化につながっている」という方もいます。この状況の激変のなかで、少しずつではありますが、新たな各地区の教育・子育て運動の「芽」が育ち始めている。そんな実感を抱くことも、私の場合、徐々に増えてきたように思います。

そして、いまや大阪市内だけでなく、ここ数ヶ月の例の大阪府の行財政改革の動向を通じて、今後、大阪府下の各地区の青館についても、活動規模の縮小に始まり、やがて施設の整理・統廃合、施設設置条例の廃止などが危惧される状況が見えてきました。大阪市内の各地区や旧青館が直面している状況が、府下の各地区・青館においても見られるかもしれない。そう考えたとき、今、大阪市内の各地区の子どもや若者、保護者、地区住民などが、暫定的に利用可能な旧青館を使って、どのように自主的な教育・子育て活動を立ち上げ、それを軌道に乗せているのかを継続してフォローしていくことは、今後の各地区でのとりくみにとって、とても参考になるデータを提供するのではないでしょうか。

そう考えたときに、去年から大阪市内各地区での旧青館を使った活動について、私らがある研究プロジェクトを立ち上げて、そこで得られた知見をできるだけ情報発信するようにしているのですが、それをぜひ、市内以外のところでも有効活用してほしいな、と思います。

と同時に、「これだけ大阪市内や大阪府下の状況が様変わりしているし、条例廃止等のダメージのなかでも、そこから立ち上がって何か活動を再建しようと努力する人びとが出てきたのに、いったい、大阪で人権教育や解放教育を論じてきた人びとは、いま、どこで、なにをやっているのか? こういった各地区で粘り強く活動している人びとを支援しようとか、もっとどんなことをしてるのかを知ろうとか、そういう動きを起こす気もないのか? あんたらにとっての人権教育や解放教育とは、いったい、なんなのか?」という思いも、私としてはこの2年間のなかで、だんだん強まってきています。

そして、青館条例廃止から2年が過ぎましたが、私のなかでは、青館条例ができる前の子ども会活動の状況から、青館設置・条例制定、そして廃止・事業「解体」に至るまでの三十数年のあゆみについても、「そろそろ、私らの視点で、きちんと歴史的な検証作業を行い、何が成果で何が課題なのか、きちんとした総括をしなくちゃ」という思いも強まっています。

こういう形で、今後も引き続き、大阪市内各地区の旧青館と、そこを使って何か活動を続けている子どもや保護者、若者、地区住民にまずは軸足を置きながら、その周辺の課題にも視野を広げて、いろんな取組みを継続していくつもりです。また、そこで見えてきた諸課題については、このブログだけでなく、雑誌記事や論文なども含め、いろんな形で発信していこうと思います。

今後ともご支援、ご協力をよろしくお願いします。

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できることを、できる人が、できるかたちで(その3)

2008-08-23 21:47:09 | 学問

今日もまた、大阪市内の旧青少年会館(青館)で活動中の子どもやおとなの様子を見ようと思って、午前と午後で1ヶ所ずつ、計2ヶ所まわってきました。

午前中にまわったところでは、地元の小学生たちを集めて、青館で何人かのおとなが「夏休みの宿題の面倒をみる」という取り組みをしていました。なかなか面白い取り組みだなぁと思って見にいったのですが、家を出るのが遅れてしまって、実際に行ってみると「早く済んだ子は帰ったよ」とのこと。それでも、小学校2年生の子が算数のプリントをしていて、「ここ、わからない」というので教えてみたり、あるいは、早く課題が済んだのでおとなと将棋をしている4年生の子の様子を脇から見たりしていました。

この会のお世話をしているおとなの話によると、宿題の量の加減か本人のまじめさかわからないのだけど、「早い子は、7月中に宿題を終わらせている」とのこと。だから「この時期にこういう会をすると、宿題ができたかどうか点検する会になるなぁ」と、笑いながら言っていました。ただそれでも、まだ宿題ができていない子もいるのと、「宿題、どうなった?」という相談会をきっかけにして、地元の子どもたちがあつまり、地域のおとなたちと交流を持つというのは、とてもいいことだなぁと思いました。

たぶん、7月中に何度か「宿題をいっしょにする会」を持ち、夏休みの最後の週あたりにも何度かこういう会を持つと、地元の子どもたちが学校を離れて交流を持ち、しかも、地元のおとなたちとも接点ができてくるのではないでしょうか。そういう方向で発展するといいですね。

そのあと、午後からは、夏休み中毎日、保護者や大学生ボランティアなどが中心になって、青館を使って子ども会活動をやってみようというところに行きました(前に行ったところとは、別のところです)。ここでは今日、大阪市の体験活動デリバリー事業を活用してものづくりを午前中とりくみ、午後からは手話サークルの方たちと交流するということに取り組んでいました。

私が行ったときはちょうど手話の方との交流の時間帯で、いつもいる部屋にはいなかったので、しばらく待っていました。そうしたら戻ってきたので、子どもや学生ボランティア、保護者の方などと話す時間が持てました。

この会のお世話をしている保護者の方の話では、「今日からは夏休み後半の活動開始だったのだけど、朝から雨が降ってたし、集まりがいまいち」とのこと。ただ、それでも、何人かの子どもが学生ボランティアや、交代でやってくる保護者とこの夏休み、前半は約3週間、後半は10日間ほど活動を続けられたら、それだけでも立派なものだなぁ~と思います。また、前半の活動が終わった日に、集まってる子どもたちが「次はいつから?」と言ったこと、これも大事ですね。前半の活動が楽しくて、「もっと続けたい」ということだったのでしょうから。

ちなみに、この会は夏休み、大阪府下の公的な野外活動施設で、子どもや保護者、学生ボランティアなどを中心にキャンプもしています。また、今は別の職場に移った元青館職員も、都合がつけば、子どもの様子を見に来ているとか。この調子でいくと、学期中の平日や土曜日も、誰かがうまく都合をつけておとなが顔を出し、子どもたちの集まる場をつくっていくことができるのではないか・・・・と思いました。ぜひ、そうなることを願っています。

ちなみに、今日まわった2ヶ所でどちらも「いいなぁ」と思ったのは、「ほっとスペース事業」で青館に出入りしている10代の若者たちと、他の活動で集まってきた小学生たちとが、何らかの形で接点を持っているということ。例えば午後にまわった青館では、敷地内の広場で小学生子どもたちが野球をしているときに、10代の若者たちもさりげなくキャッチボールをはじめて、その様子を見た子どもらが「あのお兄ちゃん、球、速いねん」という会話をしていたとか。あるいは、午前中にまわった青館でも、小学生の子どもたちが宿題をしたり、将棋をしたりする場に、10代の若者たちもいっしょに入って、おとなたちの手伝いをしているとか。

こういう形で、条例廃止後も残った市の事業なのか、自主的な地域の人びとの活動なのかというちがいはありますが、青館に集まる10代の若者たちと小学生たちとが、なんらかの形で交流できるといいですね。それはどっちにとっても、プラスになるような気がしています。

そして、この夏休みに青館をまわってみてつくづく思うのですが、「この施設、このまま眠らせるのはもったいない」ということ。特に今日見てきた2つの青館のように、まずは地元の子どもや若者、地域で何か学びたいおとなが集い、その子どもや若者、何かを学びたいおとなをサポートする人びとが地元やそれ以外のところから集ってくる。たとえ人数はそう多くなくても、こうして人びとが出入りして、何か活動を続けることで、その施設のいろんな部分が「いきいき」としてきます。また、たとえ少人数でも、ささやかな活動であっても、誰かが何かをはじめ、何らかの形で人の集まってくる雰囲気ができると、そこにまた人を求めて、活動を求めて、いろんな人たちが集まってくるのではないでしょうか。

逆にいうと、青館のなかで、今もなおメンテナンスさえすれば使える施設にカギをかけ、地元の人たちが使いたがっている調理室やプールなどに誰も触れさせようとしないというのは、はっきりいって「もったいない」。また、このような措置は、「あそこの部屋を長期間貸してくれたら、この地区で毎日、子ども会ができるのに・・・・」とか、「今、カギかけているあの調理室さえ使えれば、地元のお年寄りと子どもらで料理教室とか、いろんなことできるのに・・・・」と思っているような人の意欲だとか、活動の機会拡大を、かえってブレーキかけているのではないか、という気すらしています。そう考えたら、青館のなかでもまだ使える施設にカギをかけ、触れさせないというのは、ただ単に「もったいない」というだけでなく、「かえって、地元の人びとのなかで積極的に動こうとする人を育てていない」という風にも思えてきました。このあたりをぜひ、今後、各地区の運動体関係者や、大阪市の行政当局の方には考えてほしいなぁ、と思います。

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記憶と記録に残すということ

2008-08-13 18:03:26 | 学問

2007年3月に大阪市の青少年会館(青館)条例が廃止され、事業がばらばらに「解体」されて、早いもので、もう1年4ヶ月が過ぎた。2006年8月末、あの「飛鳥会事件」を受けて、大阪市側が青館の廃止等の方針を打ち出してからということであれば、もう2年近くになる。

この2年近くの間、友人の教育史研究者や、大阪府下・大阪市内の古手の元青館職員などとともに「やりたいな~」といいつつ、まだ十分にできていない課題のなかに、「青館事業・実践の歴史をふりかえる」という作業がある。(なお、府下の自治体では、大阪市内のように「青館」という名称ではなく、例えば児童館や青少年センターなど、他の名称で事業が営まれているケースもある。ただ、ここでは「青館」で統一しておく。)

今のところ、青館を使って、子ども会や中学生の学習会、識字教室その他、何かとにかく「やってみよう」と思う人たちへのサポートだとか、例えば人権文化センターを含む地区内拠点施設の統廃合問題など、青館の「今後」のことをどう考えるかということに追われていて、なかなかできないのだが。

さて、1970年代に大阪市内12ヶ所に設置れた青館と、その青館事業が大阪府下のほかの自治体にも広がっていく経過だとか、青館事業の「前史」ともいうべき解放子ども会のあゆみについては、私自身、まだまだ知らないことがたくさんある。

でも、今、条例廃止・事業「解体」後の大阪市内の青館で、各地区の保護者や住民たちが取り組んでいる子どもたちの諸活動は、その「前史」的な解放子ども会の頃の取り組みとよく似ている。だとしたら、解放子ども会活動のような昔の取り組みをきちんと掘り起こして、地元住民や保護者の努力で「ここまでいける」という線を一度、はっきりと示しておくのも、実際に今、活動中の人たちにとって役に立つ活動のように思うのである。

また、今がちょうど、いわゆる「団塊の世代」の引退期にさしかかっていて、大阪府下や大阪市内で青館職員として長年勤務されてきた方々も、そろそろ定年を迎える時期でもある。その人たちの経験されてきたことをあらためて聴き取り、その取り組みのなかの何が成果で、何が課題かをきちんと明らかにしておくことは、今後、大阪府下や大阪市内の子ども施策(青少年施策)を考える上で、とても有意義な作業だと思うのである。

特に、生活苦や教育に対する家庭の無理解、両親の不和、学業への不適応、非行など、生活面でのさまざまな課題を抱えた子どもに対して、青館を拠点に学校と家庭・地域社会、行政の取り組みを連携させて対応するような営みを、これら古手の職員が経験してきたのであれば、それらを「教育分野でのソーシャルワーク」という観点から位置付けなおし、きちんと評価することは、これから先のことを考えると重要なのではないだろうか。

なにしろ、学校に今、ソーシャルワーク的な取り組みのできる人材を配置しようということで、国の教育行政が試験的な事業を始めるような時期にさしかかっているのだから。また、教育と福祉の連携という視点や自治体の子ども施策の総合化という視点から、教育委員会管轄の相談機関と児童福祉管轄のそれとを統合しようという動きもあるし・・・・。

そして、なによりも、私たちの記憶のなかに、「かつて、大阪市内の青館では、このような事業に積極的に取り組んできた」ということを残すためにも、過去の青館事業・実践に関する記録類をきちんと収集・分類・整理し、「青館事業・実践の通史」と「各館別の事業・実践史」を編集・執筆していく必要があるのではないかと思う。

たぶん、こうした作業を今から準備して、意図的にしておかなければ、人びとの記憶からどんどん、「あそこに青館があった・・・・」ということは薄れていくだろうし、そのうちに誰も青館事業があったことなど知らないという情勢を背景に、事業そのものが「なかったこと」にされかねない。ということは、1970年代から考えても約三十数年ある青館の営みや、そこでの職員の仕事、地元の人びとと青館との結びつきなども、気づけば「え? なんの話?」という話になるくらい、「なかったこと」のように社会的に位置づいてしまいかねない。

もっとも、青館そのものを「なかったこと」にしたいというのが、この間、青館条例の廃止や事業「解体」を推進した勢力の思惑かもしれないのだが、だとしたらなおさら、そういう諸勢力に対する抗議の意思表示は、「引き続き青館が使える限り、その場所を何らかの形で活用し続けて、『ここを必要とする人がいる』という事実を示す」ということと、「青館が取り組んできたことを、きちんと私たちの記憶と記録に残して、なかったことにしない」ということ。この2点に取り組むことが、抗議の意思表示として、きわめて重要になると思うのである。

もちろん、三十数年にわたる青館の取組みが何から何まで「よかった」と書くことはできないし、するべきではない。今の時点でふりかえってみれば反省すべきこと、「あの時点で軌道修正しておく、あるいは、やめておくべきこと」も次々に出てくると思う。

でも、そうした誤りや失敗も含めて書き記すことを前提に、全部ひっくるめて、青館がそこで営まれてきたことを「なかったことにはしない」ということ。このことが、何かと青館を「なかったこと」にしたい諸勢力に対する抗議の意思表示でもあるとともに、今後、各地区で子どもに関する活動やおとなの学習・文化活動を続けたりする上でも、新たな子ども施策の枠組みをつくる上でも、今後、何かと役に立つことだと思う。

そして、解放子ども会を含む子どもの地域活動の歴史を丹念にふりかえることは、敗戦後日本の教育学における「良質の遺産」を継承し、それを現代的諸課題に活かすことにもつながるのではないかと思う。そういう意味からも、青館が取り組んできたことを「記憶と記録に残す」という観点から、きちんと歴史的な検証作業に取り組むことは、今、とても重要な作業なのではないか、と思うのである。

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私らも変わらなければ・・・・。

2008-08-11 17:53:48 | ニュース

この前読んだ雑誌『論座』の2008年9月号に、石田英敬「〈笑う〉タレント知事とポピュリズム」という論文が掲載されていた。

詳しいことはこの論文を直接読む(=つまり、『論座』を買うか、図書館かどこかで見る、ということ)ことをお勧めしたいのだが、メディア論の研究者が橋下府知事就任以来の大阪府下の政治情勢を、「〈笑い〉によるむき出しの『象徴暴力』の支配、『笑いのファシズム』状態である」(p.62)とか、「福祉国家の解体期において、社会コストの削減を推進するためのスペクタクル政治の活用法がそこには見えている」(p.63)と批判する点には、私も「なるほど」と思ってしまった。

特に、この論文の次の部分については、「この間の大阪府下の政治情勢を、うまく整理してまとめているなぁ」と思う。

○以下、青字部分は、同論文のp.62~63からの引用(原文のまま)

 朝礼で、橋下に抗議の声をあげた女性職員は、すぐにメディアポピュリズムの餌食になり、ネットでは実名や映像が公開されて、集団的〈笑い〉の血祭りに上げられる。疑問をいだく議員や職員には「抵抗勢力」のレッテルが張られ、メディアによるバッシングの対象となる。

 そのようにして、経済不況にあえぐ人びとの不満は、公務員や官僚バッシングへとリサイクルされ、公的な事業の見直しは詳しい内容を伝えられることなく、有無を言わさず削減が決定され、結果として、最も恵まれない人口層が、自分たち自身への公共サービス削減に喝采を送るという構図が生まれることになる。ポピュリズムの政治とはいつもそのようなものだ。

 それだけではない。橋下知事の軌道修正を見ていると、財政再建のシナリオとアクションが、府議会与党、府幹部によって、次第に巧妙に誘導コントロールされてきている様子が顕著なのだ。喝采する大衆の思いとは別に、政界や財界が、この際、この「人気」を活用して、福祉政策の解体と事業の合理化を一挙に進めようと考えるとしても、不思議はない。

ただ、これを読んで、二点、思ったことがある。

まず1点目。そもそも、この論文では橋下行革のあり方への批判が述べられているのだが、この論文が載っている雑誌『論座』を、それこそ多くの人は買ったことも、読んだこともない。

そもそも、この雑誌の存在自体、どのくらい知られているのだろうか? もしも買った人、読んだ人がたくさんいるのなら、あるいは、その存在自体が広く知られているなら、この雑誌、近々「休刊(といいつつ、いつ復刊するかわからないから、事実上の廃刊かと思うのだが)」など迎えることはないはずだ。

それを思うと、いつの頃から、私らはテレビによくでてきて、「○○対●●」みたいな「わかりやすい、おもしろい、たのしい」図式でものを言う人たちの話ばかりを心地よく見聞きする一方で、この論文が載っているようなしんどい雑誌・本を読んだり、あるいは、小難しい話をする講演や研修などを避けたりするようになったのだろうか?

ここからやや発想は飛躍するのかもしれないが、私たちはこの何年かの間に、何か目先の「わかりやすさ、おもしろさ、たのしさ」を追求するあまりに、その裏側にある「やばさ、こわさ、いかがわしさ」を見抜く、そういう批判的な意識そのものも枯渇させてしまった。そういう部分はないのだろうか?

あるいは、私らはこの間、知らず知らずのうちに、「わかりやすさ、おもしろさ、たのしさ」を無自覚的に「よきもの」にして、「むずかしいけど、大事なこと、必要なこと」を「うっとおしいもの、小うるさいもの」にして、後回しにしたり、排除したりしてきてはいなかったのだろうか?

そう考えると、一方的に橋下府知事の側ばかりを責めていられない。やはり、彼やその側近たち、さらには彼の人気にうまく便乗して何かやろうとした人たちの思惑に、簡単に乗ってしまった側にも、いろんな問題があるということになる、と思う。

「わかりやすさ、おもしろさ、たのしさ」は一方で大事にすべき価値だと思うのだが、やっぱり、「むずかしくても、大事なこと、必要なこと」は、ちゃんと勉強して、きちんと批判的に意見を言えるようになる必要があるだろう。それが特に社会や文化、政治や経済の大事な問題であればあるほど、きちんと勉強して、ものを考える時間や空間、仲間が必要なのではないだろうか。

2点目。「では、なぜテレビ的なわかりやすさ、おもしろさ、たのしさを、知らず知らずの間に私たちが受け入れてしまったのか?」と問い返したときに、やはり社会や文化、政治の動きなどについて、たとえば各学問分野の研究者など、「批判的にものを考え、意見をいう」ことを仕事としてきた人びとの「語り方」にも、問題が多々あったのではないのか、と感じてしまう。

これは自戒もこめていうのだが、例えば、何かものを語るときに、私ら研究者は、一般の人びとが聴いたことのないような横文字や専門用語、難解な術語を連発したり、一般の人びとが読んだこともないような学者の説をふりまわしたりして、今の社会や政治の動きなどに対する自らの批判的な意見を語ってきたりしてこなかったのだろうか。

そういう横文字や専門用語、難解な術語、自分らの専門領域では高名でも一般には知られていない学者の説・・・・、こういったものを用いながら、得意げに社会や文化、政治の動向などを私らが批判的に読み解いているときに、もしかしたら、それを見ている一般の人びとは、「なにやらむずかしげで、わけわからないことをしている・・・・」「いや、ちょっとあんな話にはついていけないな・・・・」という思いで見ていたのではないだろうか。

もちろん、そういう難解な術語などを使ってでしか解き明かせない社会・文化現象や、政治・経済の動向があることも、私としては重々、承知している。でも、その難解な学問的研究の成果を、せめてその内容に関心のある一般の人びとに伝えようとする工夫くらいは、もう少し、やっておくべきではなかったのか。あるいは、「どうしてそういう難解な世界に首を突っ込もうと思ったのか?」「その難解な世界をくぐりぬけて、出口をどこに見出そうとしているのか?」という、自らの取り組みの背景や課題意識、目的や成果の見通しくらいは、きちんと他の人たちにもわかるように伝えておくべきではなかったのだろうか。

そんな風に考えると、「やはり、自分たちの足元を見よう」「まずは、私らが各専門分野で研究活動を続ける中で、今の情勢に対して『おかしい』と感じていることを、きちんと、専門分野外の人たちにも伝わる言葉で発していこう」と思ってしまう。そして、「今の社会や文化、政治や経済の情勢について、批判的にものを考えてみようと思う人を、地道にこつこつ、ひとりひとり増やしていくこと」を大事に考え、「そのための学習の機会を、いろんな方法を駆使して、作っていこう」と思うのである。

本当に今の大阪府下の政治情勢や、今の行財政改革の動向に対して批判的にものを見ていくとなると、私らの側もいっぱい「変わらなければ」という部分があることを実感する。そして、その私らが「変わらなければ」という課題意識を引き受け、ナントカその課題を克服しようという動きをつくらなければ・・・・ということを、このところ、私は痛感している。これこそ、今の(特に大阪府下・大阪市内での)人権教育の課題だと思うのだが、みんな、どう考えているのだろうか?

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できることを、できる人が、できるかたちで(その2)

2008-08-11 16:29:22 | 学問

ちょうど子どもたちの夏休みも、折り返し点というべきお盆休みの時期を迎えました。大阪市内の旧青少年会館(青館)を活用した子どもや若者たちの活動も、お盆休みを迎えて「ちょっといっぷく」というところがでてきたかもしれません。

それでもたぶん、この土日あたりに、たとえばある青館を使った子ども会は、大阪府下の野外活動センターに観光バスを借りて、親子キャンプのようなことをするために出かけています。みんなでカレーライスをつくったり、キャンプファイアーをしたりと、その楽しそうな様子がブログで報告されています。また、この子ども会では、たとえば大阪市の子どもの体験活動デリバリー事業をとりいれて、手作りおもちゃづくりにも取り組んでいます。このように、保護者たちがまずは呼びかけて、夏休み中に何日か子どもが集まる日を設定し、そこに市の事業を組み入れたり、あるいは、ボランティアの協力を得て、楽しい活動づくりを行っている旧青館の子ども会があります。

また、たしか今日あたりから、別の青館を使った子ども会は、福井県のほうにある宿泊施設に二泊三日のキャンプに出かけているはず。パソコンを使って、イラスト入りの本格的なキャンプのしおりをつくっていたので、先日それを見せてもらったのですが、今年は「自分たちのことは、自分たちで責任をもってやろう!!」というテーマのもと、たとえば夏休み中の海水浴場で思いっきりあそんだり、夜は花火を楽しむ予定になっています。また、去年は、高校生たちがボランティアで参加し、夜、なかなか寝ない小学生たちの面倒を見ていたとか。このように、こちらの子ども会では、高校生だけでなく、地元の青年やおじさん・おばさん世代まで、年齢のちがいをふまえた「タテ」の人間関係が、夏休み中の活動を通じてできつつあります。

このほか、先週土曜日は、青館の子ども会活動ではなくのですが、ある青館所在の地区で開催された「まつり」を見てきました。手作りジュースなどを売る模擬店を出している人、和太鼓サークルや踊りのサークルの方、高齢者の方、障がい者施設に集まっている方たちなども含めて、地元のさまざまな人たちが「まつり」に参加していました。この「まつり」もまた、「できることを、できる人が、できるかたちで」やっているという雰囲気でしたね。

前にもこの「できることを、できる人が、できるかたちで」やっていくという話を、私はこのブログで書きました。前者の野外活動センターに行ったほうの子ども会で活動されているある方は、私のブログで書いていたこのことをヒントにして、日々の活動を考えておられるとか。

私の書いたことを参考にしていただいて、ほんとうにうれしく思うとともに、「今後、青館所在の各地区での子ども・若者の活動というのは、『できることを、できる人が、できるかたちで』はじめていくのが基本だ」ということを、あらためてこの夏休み、各地区で活動中のみなさんの様子によって、裏付けていただいたように思います。ですから、各地区で活動中のみなさんには、ほんとうに頭の下がる思いでいっぱいです。

と同時に、一定、何らかの活動がはじまり、それが定着しはじめたところでは、今度は「つないで、ひろげて、ふかめて」ということが求められると思います。

たとえば、今まで参加してくれた人が継続して活動に参加してくれるように「つなぐ」。あるいは、今まで参加してくれなかった人たちも参加できるように「ひろげる」。ただ単に集まりを持っていればいい段階から、たとえば「今月は~にチャレンジしよう」というふうに、目的意識や方向性を持った活動に「ふかめる」。こういったことが、活動が長続きしていくためには必要になってくれるでしょう。

あるいは、小学生の子どもたち対象の活動を、中学生や高校生、20~30代の若者、高齢者などの活動へと「つなぐ」とか。また、ある青館でやっていた取り組みと、別の青館でやっている取り組みとを「つなぐ」とか。他にも、保護者どおしのつながりを「ふかめる」ために、保護者だけの交流会や合宿の機会をもつとか。日々の活動をより面白くするためにも、活動の担い手になっているボランティアさんたちのレパートリーを「ひろげる」とか。活動状況をひろく、さまざまな人たちに知ってもらって、あらたなつながりを創りだすためにも、たとえば広報チラシや「おたより」的なもののつくり方を学ぶとか、ブログづくりにチャレンジするとか・・・・。

このように、「できることを、できる人が、できるかたちで」何かはじめたら、次の段階として、「つないで、ひろげて、ふかめて」という時期がやってきます。そのあたりでも、また何か、アイデアやヒントが必要なときは、遠慮なくおっしゃってください。

と同時に、今、青館を使って、子ども会など、さまざまな自主サークル活動が展開されつつあるんですが、「これをどうやって活性化するのか? その活性化のために、例えば場所の提供や活動運営のノウハウを得る機会を整備するとか、助成金を得るための情報提供を行うとか、そういった側面支援の仕事が、市民活動支援に向けての自治体行政の仕事として、引き続き、青館所在の各地区での取り組みとしてあるのでは?」という思いがあります。それこそ、社会教育・生涯学習の領域からの市民活動支援とか、あるいは、「人権のまちづくり」に向けての市民活動支援とか、いろんな切り口で、自治体行政として、こうした自主サークル活動への支援を行う方法があると思います。(それこそ、利用率低迷で悩んでいる大阪市の郊外野外活動施設とか、あるいは市内の青少年活動施設などを、こうした自主サークルがいろんな形で利用できれば・・・・、という考えもあります)。

その各地区で芽生えはじめた自主的な活動支援の部分について、大阪市としては今後、どういうことを考えているのか? 私のところへ入ってくる情報では、どうも今年度中に、大阪市では青館と人権文化センターの両方の扱いを含めて、地区内拠点施設の再編について検討をしている様子です。この動向も、たとえば「一区一館」の話とか、どういう方向になっていくのか、注意深く見守っていく必要があると思いますし、場合によれば「なんでこんな統廃合方針になるのか?」と、批判的な声をあげていかなければいけないこともあると思います。

ですが、各拠点施設がどういう形で残るかどうかは別として、青館条例廃止後もそこにひきつづき住民がいて、子どもがいて、保護者や若者、高齢者がいて、いまや、動ける人たちから始める形で、すでに青少年育成に関して何らかの活動がはじまっている地区があります。大阪市としては、こうした地区内で活動中の人々の実情をきちんとふまえて、その人たちの活動の芽をさらに伸ばすような形で、具体的な施策を検討し、実施していただきたいと思います。

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動き始めた人々への支援の必要性

2008-08-09 10:04:36 | 学問

私はこの夏休みの間に、どのくらいまわれるかわからないのですが、条例廃止・事業解体から2年目を迎えた大阪市内の旧青少年会館(以後「旧青館」と略)を訪問して、今、そこで活動中の子どもや若者、地元の人たちの様子を見てこようと思っています。また、すでに2ヶ所まわってきて、今後、予定ではあと3ヶ所くらいまわってこようと考えています。

すでに見てきたところのうち、ある地区では、旧青館の部屋をきちんと確保して、毎日、地元の小中学生などを集めて子ども会活動をやっていました。そこには夏休み開始時から、平日の昼間、15~20名くらいの子どもが通ってきて、午前中は夏休みの宿題などに取り組み、午後はいっしょに映画を見たり、近所のプールに出かけたり、外で遊んだりしています。また、夏休み中には2泊3日でキャンプに行こうと計画を立てたり、あるいは、地域の祭りで模擬店を出そうと考えたりと、夏休みらしい楽しい企画もあるようです。

この子ども会では、地元の高校生たちがリーダーになって小中学生の面倒を見る一方で、地元のおとなたちが交代で有給休暇をとったり、仕事の合間を見て子どもたちとつきあっています。そして、学期中の平日午後も、高校生ボランティアや地元のおとなたちがかかわる形で、旧青館になんらかの形で部屋を確保して、子どもたちの活動が毎日、続いているとのことでした。また、この子ども会の運営にあたって、地元の学校ともいい形で協力関係ができているという話も聴きました。

このような取り組みは、かつて旧青館が事業として行ってきた「子どもの広場」活動を、地元の人たちが中心になって取り戻したかのように見えます。また、運営にかかわる財源や常時活動できる場所、活動の手伝いをするスタッフの確保などにメドがたてば、この地区では、たとえば学童保育的な活動を行うNPO団体などを立ち上げ、そこが中心になって子ども会を運営するという道もあるのではないか、と感じました。

あるいは、別の地区では、旧青館の部屋を3日間借りて、地元の中学生たちの勉強会が行われていました。集まっている人数はそれほど多くなかったのですが、高校生や大学生のボランティアに、中学生たちが、夏休みの宿題のわからない点などを聞きながら、熱心に勉強をしていました。

この中学生たちの学習会も、ただ単に学校の授業についてけるように勉強をするというだけでなく、たとえば地域の祭りで模擬店を出すとか、体験活動や社会見学的なものを企画するとか、いろんなことを考えているようです。また、学期中も平日夜に週2回程度、学習会を行っていますし、今後は人権学習の場としてもいろんな活動ができないか、検討中だということでした。大阪では府知事の提案などもあって今、「夜スペ」が話題になっていますが、こういう自主的な地元レベルでの取り組みもいいんじゃないでしょうか?

このように、大阪市内の旧青館を活用して、地元のおとなたちの動ける人々が中心になって、子どもや若者の活動がはじまっています。こういう「動き始めた人々への支援」というのが、これから、とても重要になってくるのでないかと思います。

たとえば、直接子どもたちとかかわる際のスキル・ノウハウの向上という観点から、高校生や大学生ボランティアの研修会や、中学生の学習活動のサポートにあたるスタッフ自身の学習会を開くとか。あるいは、保護者が運営の中心になっているのであれば、その保護者たちの意見交換の会を行うとか。他にも、日々の活動状況をインターネット上で配信するためのブログ作成や、活動記録をとるためのデジカメ写真の講座とか、毎月の活動案内チラシをつくるスキル向上の講座も考えられます。また、子どもたちがみんなで取り組めそうなあそびや工作、演劇、音楽その他の諸活動について、「具体的にこんなプランがあるよ」ということを学べる機会も必要でしょう。そして、毎年の活動状況について、地区間・団体間でお互いに情報交換をするような場も必要でしょうし、子ども会や保護者会を母体にNPO団体を立ち上げたいとかいう人には、その団体の立ち上げ方や運営の方法などを学べる機会も必要でしょう。

このように、実際に動き始めたおとなたちや、そこで活動中の子ども・若者たちを見ていると、「あっ、これこそ、社会教育・生涯学習の施策とか、青少年施策が引き受けるべき課題だ!」とか、「こういうのは、『人権文化のまちづくり』の施策に位置付けて、人権文化センターが取り組んだり、区民センターなどの講座でやってみたらいいんではないか?」と思うような、そんな課題を見つけることができます。

大阪市の行政当局の方にはぜひ、旧青館で活動中の子どもや若者、地元のおとなたちの様子を見ていただきたいし、そこで熱心に活動しているおとなたちの声や要望を受け止め、必要な施策の実現に向けて、努力していただきたいと思います。また、地元運動体関係者の人たちも、旧青館で活動中の人たちとかかわるなかで見えてきた課題をできるだけ引き取り、運動での取り組みに活かしていただければ、という風に思います。

でも、行政当局の人たちや運動体関係者以上に、私は、旧青館で活動中の子どもや若者、地元のおとなたちの様子を、まずは地元の学校関係者と、大阪近辺で「人権教育」や「人権施策」なるものに関心を持つ研究者たちに見ていただきたい。また、こうした人たちに、ぜひとも旧青館で活動中の人たちの話を聴いていただきたい。このところ、そういう思いが強くなっています。

大阪近辺で「人権教育」や「人権施策」なるものに関心を持ち、ほんとうに困難な状況にある人びとに対して連帯の意志を示し、「共にこの状況を乗り越えて、何か、新しい花を咲かせよう」と願うのであれば、「研究者や現場の教員にできることも、いろいろあるんじゃない? それを旧青館の現場を見るところから、地元の人たちといっしょに考えたらいいんじゃない?」という風に、少なくとも私は思います。また、そう思うからこそ、この夏休み中に、まわれる機会は限られていても、旧青館で活動中の人たちとの交流をやってみよう、と思うわけです。

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大阪市教委の重点プラン

2008-08-08 22:01:51 | 受験・学校

久々の更新になります。ようやく夏休みに入って、おちついて自分のやりたいことのできる時間が取れるようになりましたので、再び大阪市・大阪府の子ども施策(青少年施策)について、思うところをブログで発信していこうと思います。

さて、先ほど大阪市教委のホームページを見ていたら、次のような案内が出ていました。

http://www.city.osaka.jp/kyouiku/press/h20/press080731.html

今年から4年間の、大阪市教委としての教育改革の重点プランを検討するのに際しての、いわゆるパブリック・コメント募集ですね。来月5日まで募集ということなので、このブログを見ている人たちは、積極的に意見を述べるといいと思います。

特に、大阪市内の旧青少年会館(旧青館)で活動中の人たちとか、旧青館所在の各地区で教育・子育て運動などをやっている人たちは、これをきちんと読み込んで、積極的に意見を言っていく必要があると思います。

というのも、このプランの47ページ「まちの「ちから」で子どもをはぐくむ」には、「さまざまな社会教育資源の活用」という項目があります。ここには、図書館・美術館・博物館、青少年教育施設、民間企業などの「社会教育資源」が大阪市内には豊かにあるという前提にたって、次のような文章がでてきます。

「学校の教育活動を展開する上で、これらの豊かな社会教育資源を有効に活用することは、より専門的、具体的な授業を可能とし、子どもの興味・関心や学ぶ意欲を高め、地域への愛着や関わりを深めるなど、さまざまな教育的効果が期待できる。」

しかし、よく考えてみてください。そもそも、子どもの社会教育というのは、学校教育の「下請け」なのでしょうか? 子どもの社会教育には、子どもの権利条約(児童の権利に関する条約)の31条に定める「休息・余暇、遊び、文化的・芸術的生活への参加」の諸権利保障という、大事な役割があるのではないでしょうか? そのことに対する考慮だとか、理解が、この文章にはまるで見られません。

しかも、今や、博物館や美術館に関する行政施策は、「ゆとりとみどり振興局」の仕事に属しているのでは? それこそ、博物館や美術館を教育機関としてではなく、集客施設として位置付けた上で、観光施策のなかに位置付ける形で、この間、大阪市は行政改革を行ってきたのではないのでしょうか? そのことについて、大阪市教委は、どのように今、理解しているのでしょうか?

さらに、学校との連携をはかりながら、人権保障の観点から、地域社会に根ざした子どもの社会教育施設として、今まで大阪市内の旧青館が行ってきた取り組みについて、大阪市教委としては今、どのように考えているのでしょうか? それこそ、子どもたちの体験活動だとか、学校での授業についていけない子どもたちへの補習的な取り組みだとか、ドロップアウトしそうな子どもたちの居場所づくりなど、いろんなことに旧青館事業は取り組んできたのではなかったのでしょうか?

今、とりあえずパッと見開いたページで、気づいたことだけを指摘したのですが、この大阪市教委の重点プランには、私としては「???」と、疑問のつくような部分がいくつかあります。それも、「そもそも、いったい大阪市教委としては、大阪市政改革全般の状況について、どういう情勢判断ってこのプランをつくっているのか?」という、同じ市の行政内部でのすり合わせの部分で、私などは疑問を感じてしまうわけです。

こういったことを、どんどん、市民サイドから指摘する必要があるのではないか・・・・、そう、私は思っています。

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