この間、橋下大阪市政・松井大阪府政についていろんなマスメディアで報道が行われているのですが、当初からの疑問であり、いまだによくわからないことがひとつあります。それは、いま、いろんな改革提案が検討されている「府市統合本部」の法的な位置づけです。
これ、いま、自治体行政においてさまざまな権限を有している大阪市長と大阪府知事が、自分の部下の職員と特別顧問と称する人たちを集めて施策を検討させ、なおかつ、そこで検討の結果出た案について、市長と府知事の協議で決定を出しているという場ですよね。
つまり、この府市統合本部において現在、決めてもかまわないことというのは、あくまでも現行の法令の枠内で、なおかつ首長の権限に属するものに限られる。そういう解釈になるわけですよね。少なくとも、私はそんな感じで理解しています。
なにしろ、私の知る限り、大阪府議会や大阪市議会で、府市統合本部設置条例とか、府市統合本部で検討すべき事項に関する条例など、決まったという話は出ていないです。となると、今の府知事・市長権限でできる話の部分で、あれこれ両者が協議して、決定を出しているだけの機関、それを府市統合本部と呼んでいるにすぎないことになります。
では、次。この文科省の説明を見てください。
http://www.mext.go.jp/a_menu/chihou/05071301.htm
この説明によると、現行の教育委員会制度は首長からの独立性や政治的中立性、継続性・安定性をもって特徴づけられるわけですよね。
だとしたら、首長がたとえ「教育基本条例案をつくりたい」といっても、「それはこちらの独立性や中立性を侵すものだ」と教育委員会側が拒否したら、本来、引き下がるべきは首長の側ではないのか、ということになるのでは?
あるいは、首長が「教育基本条例」をどうしてもつくりたいと思っても、教育委員会側の主体的な協力意思がないところでは、やはり「首長が原案を議会などに出して、勝手に決める」というわけにはいかないのではないでしょうか?
さらに、もっといえば、そもそも「府市統合本部」のような、首長どうしが意思決定のスピードを上げるためにつくった協議・調整機関に、教育委員会側から誰か出て行って議論に参加するかどうかも、実は「首長からの独立性」や「政治的中立性」という観点から見れば、本来は教育委員会側の主体的な協力意思次第。
だから、「あんな内容での話し合いには応じられない」と教育委員会側が言えば、現行制度上、「府市統合本部」であろうが首長であろうが、うじうじと文句のひとつやふたついうとか、「俺こそが民意だ」とか、「いつか教育委員を罷免してやる」とか恫喝を加えることはできても、現時点では、それ以上のことを法的に求めることはできないはずではないのでしょうか?
そして、教育委員会側が全く納得していない、あずかり知らないところで勝手に作られた条例案を府議会や市議会に首長側から提出されたら、当然、提出を受けた議会側は教育委員会側に見解を求めることになるでしょう。そのときには、提出した側と同時に、教育委員会側の見解を議会側は尊重することになるでしょうし、また、この条例案の合法性なども議会で問われることになるはずです。
とすれば、この毎日新聞のネット配信記事も、読み方が変わってきますね。
http://mainichi.jp/kansai/news/20120129ddn041010012000c.html (教育基本条例案:市教委置き去り、「もう遅い」橋下市長議論拒否:毎日新聞2012年1月29日大阪朝刊ネット配信記事)
だから、首長サイドが自分の政治的スケジュールで「準備が遅い」とか「話し合いをしない」とかいうのは、それは首長の都合でしかありません。「だからどうなんですかね?」「そもそも、首長からの独立性のある機関ですから、こちらは。こちらはこちらのペースで物事を考えさせていただきます」と、教育委員会側が言い始めて、それに本格的に法的な説明を付け加えはじめたら、どうなりますかね? おそらく、危ういのは首長サイドの立場になるのでは?
そんなことを私、この新聞記事などから感じました。