できることを、できる人が、できるかたちで

京都精華大学教員・住友剛のブログ。
関西圏中心に、教育や子ども・若者に関する情報発信を主に行います。

「いじめ防止法」の前に「学校保健安全法」の見直しを

2013-01-28 09:53:19 | ニュース
学校保健法を改正して「学校保健安全法」にしたときの、文科省の通知。
http://www.mext.go.jp/b_menu/hakusho/nc/1285251.htm
ちなみに学校保健安全法の26条では、次のとおり書いてあります。

(学校安全に関する学校の設置者の責務)
第二十六条  学校の設置者は、児童生徒等の安全の確保を図るため、その設置する学校において、事故、加害行為、災害等(以下この条及び第二十九条第三項において「事故等」という。)により児童生徒等に生ずる危険を防止し、及び事故等により児童生徒等に危険又は危害が現に生じた場合(同条第一項及び第二項において「危険等発生時」という。)において適切に対処することができるよう、当該学校の施設及び設備並びに管理運営体制の整備充実その他の必要な措置を講ずるよう努めるものとする。

で、この「加害行為」の解釈として、この文科省通知では、次のとおり書いています。

3 「加害行為」とは、他者の故意により、児童生徒等に危害を生じさせる行為を指すものであり、学校に侵入した不審者が児童生徒等に対して危害を加えるような場合等を想定していること。
 また、「加害行為」には、いじめや暴力行為など児童生徒同士による傷害行為も含まれるものと考えられること。この場合、いじめ等の発生防止については、基本的には生徒指導の観点から取り組まれるべき事項であるが、いじめ等により児童生徒等が身体的危害を受けるような状態にあり、当該児童生徒等の安全を確保する必要があるような場合には、学校安全の観点から本法の対象となること。

だから、少なくとも学校保健安全法が施行された2009年以降、学校での子どもどうしのいじめ等の「加害行為」については、その発生防止や安全確保についてどのような対応を学校設置者及び当該の学校がとったのか、法的には責任が問われてしかるべきかと。
なおかつ、この「加害行為」を文科省は不審者侵入や子どもどうしの関係で生じるものに限定していますが、その解釈を変更して「教職員から子どもへの加害行為」も含むとすれば、学校保健安全法上、子どもの安全確保や発生防止の措置をとることが学校設置者に求められることになりますよね。当然「体罰防止」に関する措置も、この観点から検討することが可能になるかと思います。

「いじめ防止法」などを新たに制定するよりも、「いままでの法令や行政指導の枠組みで、文科省や各地の教育行政は何をやってきたのか?」を総点検するほうが重要な気もするのですが・・・。
しかし誰もまだこんなこと、言ってないよね、教育学系も法学系も研究者の間で・・・??



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反体罰NPO・研究者連絡会の設立趣意書です。

2013-01-27 10:48:05 | ニュース
反体罰NPO・研究者連絡会設立趣意書

大阪市立の高校の運動部顧問による体罰が原因とされる高校生の自殺が社会に大きな衝撃を与えています。体罰問題は、我が国学校教育に潜在し続ける大きな子どもの人権問題であることはご存じの通りであります。今後、この問題に端を発した様々な報道や、教育改革論議が行われることは論を待ちません。この機会に、「反体罰」を表明する民間・市民活動団体、研究者が連絡会を設け、今後の子どもの人権問題の解決、権利保障の方策に関して社会的な発信をしていきたいと考えております。

・体罰に関する見解
1、体罰は、子どもに対し身体的、かつ社会的に優位な立場にある大人の愚劣な行為である。
2、体罰は、子どもの人権を著しく侵害する違法行為(学校教育法第11条)である。
3、体罰は、子どもの生命に危険を及ぼし、子どもの成長・発達に重大な悪影響を与える。
4、体罰は、子ども同士の人間関係に深刻なゆがみを生じさせ、いじめの構造を生む。
5、体罰の容認は、力による弱者支配の肯定であり、断固認めない。
6、体罰については国連子どもの権利委員会からも総括所見(勧告)で是正措置をとるよう、日本政府にくり返し勧告が出ているにもかかわらず、有効な措置が講じられていない。

・連絡会の運動方針
1、学校教育法第11条の徹底を学校現場に働き掛け、改悪の動きがあればこれに反対する。
2、学校、家庭、児童福祉施設、司法領域など多領域にわたり暴力行為から子どもを救済するために、公的第三者権利擁護機関(オンブズパーソン)の設置を働き掛ける。
3、国に対して、子どもの権利条約に準拠した子どもの権利基本法の制定を提言する。

2013年1月26日 時点での呼びかけ団体・研究者

呼びかけ団体(五十音順)                
 子どもを守る目@東海、全国学校事故・事件を語る会、(非)チャイルドライン支援センター、チャイルドラインながの、(非)東京シューレ、(非)日本スクールソーシャルワーク協会

呼びかけ人研究者(五十音順)              
 石田賀奈子(神戸学院大学)、伊藤 嘉余子(大阪府立大学)、井上 仁(日本大学)、内田宏明(共同代表・関東、日本社会事業大学)、金澤ますみ(大阪人間科学大学)、神原文子(神戸学院大学)、高良麻子(東京学芸大)、鈴木 力(関東学院大学)、渋井哲也(フリーライター)、住友 剛(共同代表・関西、京都精華大学)、田村真広(日本社会事業大学)、野尻紀恵(日本福祉大学)、伏木久始(信州大学)、山下雅彦(東海大学)

※あらためて、「案」の文字が取れましたので、設立趣意書をここでアップします。
 最初の呼びかけ人を内田宏明さんと務めた関係もあって、私、「共同代表・関西」に就任しました。
 どうぞよろしくお願いいたします。



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ひとりで悩んでいませんか~あなたは大切な人です

2013-01-24 18:21:47 | 受験・学校
こちらは(社)子ども情報研究センター・子ども家庭相談室からの<wbr></wbr>メッセージです。
多くの方にシェアをしていただき、広めていただければと思います
<wbr></wbr>
それが公的機関によるものであれ、民間団体によるものであれ、今
<wbr></wbr>はありとあらゆる子ども・若者の相談窓口や「逃げ場」的な機能を<wbr></wbr>持つ居場所等々について、一斉に広報・啓発する必要性があります<wbr></wbr>。それも、急いでやらなきゃいけないときです。
ありとあらゆるチャンネルを開いて、私たちが全力で子どもや若者
<wbr></wbr>を支えようとしていることを、伝えていかなきゃ・・・と思います<wbr></wbr>

ひとりで悩んでいませんか~あなたは大切な人です

誰かから、いやなこと、こわいことをされて困っていませんか?
どんな理由があっても、なぐられたり、けられたり、暴言をはかれ
<wbr></wbr>たり、おどされたり、けなされたりしていい人はいません。もし、<wbr></wbr>あなたの身にそんなことが起きたら、「やめて」「いや」「たすけ<wbr></wbr>て」と声をあげて、その場から離れていいのです。
でも、こわくて、何が起きたのかわからなくて、体が固まって、言
<wbr></wbr>葉が出ないことがあるでしょう。相手が先生だったり、親だったり<wbr></wbr>、クラスの友だちやクラブの先輩だと言えないことがあるでしょう<wbr></wbr>
そんなときは、一人でかかえないで、どうか私たちに話しに来てく
<wbr></wbr>ださい。あなたは悪くありません。また同じことが起きないように<wbr></wbr>、あなたが安心して暮らせるように、あなたの気持ちや願いを聴い<wbr></wbr>て、できることを一緒に考えます。あなたが安心して話せるように<wbr></wbr>秘密は守ります。

社団法人子ども情報研究センター「子ども家庭相談室」

*相談日  電話相談 月・火・木 10時~20時
      面接相談 木     10時~20時
*電話番号 06-4394-8754
*相談料無料

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私の考える「対応のすじ道」

2013-01-22 22:50:27 | ニュース
昨日で500回近く、今日、今の時点ですでに1200回近くのアクセスがありました。
フェイスブックやブログなどを通じて、昨日ブログに書いた私の文章を紹介してくださった方がおられたようです。
自分でも、ツイッターで昨日、いくつか自分のブログに書いたことを紹介しましたが。
あらためまして、アクセスしていただき、ありがとうございました。

さて、以下の内容は、今日の仕事の帰り道に、ツイッターでつぶやいたこと2つをつないだもの。
どちらも、フェイスブックにも転載しました。
これが今のところ、私が「こうなればいいな」と思う、大阪市の桜宮高校での悲しい出来事に対する具体的な対応のすじ道です。

と同時に、こういう観点から市教委や学校の事後対応のあり方が論じられていないこと。
また、橋下市長の主導する事後対応も、このようなすじ道から、かなりはずれていること。
そして、下記のようなこと、特に「首長主導の惨事便乗型教育改革」に自分の言動がのせられる危うさを認識しないまま、従来の学校で起きた事件・事故を論じるときのような枠組みで、「識者」が相変わらずのコメントをマスメディアを通じてつづけていること。
こうした議論の動向に正直、疑問ばかり抱く日々です。

<以下、ツイッターでつぶやいたこと>
首長主導の惨事便乗型教育改革になびかず、さりとて部活顧問擁護もせず、今までの学校の体質も温存させず。遺族や在校生の思いを聞き取り、教職員の反省や謝罪を引き出すような事実経過の調査をする。その上で子どもの人権を守る観点から再発防止策を構築し、誠実に実施する。私の思いはこれ。
しかし今、私の見たところ、私の思いに近いような線で起きた子どもの悲しい出来事に向き合い、事態の打開を図ろうとする動きは、本当に見えない。脇で見ていて、本当に歯がゆいし、つらい。


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結局、本来なすべきことが脇に追いやられただけ。

2013-01-21 20:31:55 | ニュース
桜宮高の体育系2科、募集中止 体罰問題受け大阪市教委(朝日新聞ネット配信記事2012年1月21日付け)
http://news.goo.ne.jp/article/asahi/nation/OSK201301210026.html

はっきりといいます。
なんですか、この結論?

「体育系の2学科の募集停止」というところでは、橋下市長の要求も通っているから、一応の顔がたつ。
その一方で、あらためて体育系2学科の定員を「普通科」で、「スポーツ中心のコース」に再編して集めるというのが、大阪市教委の方針。
で、入試は従来の体育系2学科志望の学生に不利にならないようにする。
これって、実質的には体育系2学科存続と、どう違うんですかね?
それで橋下市長も、市の教育委員さんたちも、自分らの両方の顔は立つかもしれない。
でも、本当にこんなことで、どっちも、いいんですかね?

要するに、橋下市長は「自分はこのたびの事件で、学科の募集停止という形での対策を打ったのだ」という、名前がほしかっただけですか?
「根深い問題を根っこから絶つのだ」とかいいながら、要は「自分の顔がたつようにしてほしかっただけ」なのですか?
これが遺族に真摯に謝罪し、自らの体罰肯定的な意見を批判した人の目指してきたことですか?
結局、あなたは事態を引っ掻き回すだけで、事実経過の検証作業なんてどうでもよかったのですかね?
でもそれって、事実関係の別の形での「隠ぺい」に他ならないのではないですか?

市教委も市教委です。
「これで実質的に体育系2学科も存続するし、よかったよかった」で済ませていいのですか?
特に事務方以上に、教育委員さんたち(教育長を除く)に、このこと、問いたいです。
きっと今後もこの橋下市長がいる限り、何か学校で子どもの悲しい出来事が起こるたびに、彼はまたこんな感じで何かと難癖つけて、大騒ぎして、市教委や学校への介入を強めてきますよ。それでいいんですか?
市の教育委員のなかには橋下市長の改革を積極的に後押しする人もいるようですが、こんな市長の施策を「追認」するだけの市教委に、今回の件でガッカリ来たという人もいるのではないでしょうか?

この入試停止のことで大騒ぎしている間に、もう何日、私たちは費やしたのでしょうか?
この時間があれば、どれだけの子どもや教職員への聴き取り作業ができたでしょうか?
また、この入試の停止をめぐる大騒ぎの渦中で、どれだけの大阪の子どもやその保護者や不安にさらされ、傷つき、苦しんだか。
どれだけの現場教職員が困惑し、中学校の校長さんたちがやきもきしてきたのか。
そして、教育長さんをはじめとする市教委の事務方だって、この入試停止の一件では本来やるべき業務ができず、市民からの苦情や問い合わせにどれだけ忙殺され、しんどい思いをしてきたか。
そのことの重みを、大阪市の教育委員も、橋下市長も、どう考えているのでしょうか。

橋下市長も大阪市教委も、お正月以来、こういうことに時間を費やす暇があったら、本来、なすべき事実経過の検証作業にエネルギーを費やすべきでした。
先ほどのブログの記事にも書いたとおり、今のところ、その検証作業がかなり停滞しています。
こんなことに費やした時間と、関係する人々の徒労感、傷つき、不安や苛立ち、怒りなどに対して、市長や市の教育委員さんたちは、どのように今後向き合っていくのでしょうか?

外部監察チームのみなさん。
まずは、当該の桜宮高校で起きた悲しい出来事の調査と並行して、橋下市長と市の教育委員さんたちのこの間の動きを監察して、いったい何がダメだったか、検証してください。
私としては、そちらの作業も外部監察チームにはお願いしたいです。

あと、この橋下市長の入試停止方針を積極的に後押ししようとした、いわゆすマスメディアによく出る「識者」にも言いたい。
「あなたたちはいったい、誰の側にたって、何をコメントしてきたのか?」と。



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大阪市教委と外部監察チーム、橋下市長の関係はどうなっているの?

2013-01-21 17:48:22 | ニュース

体罰の実態解明、一向に進まず 大阪・高2自殺(朝日新聞デジタル配信記事、2013年1月21日)
http://digital.asahi.com/articles/OSK201301200024.html?ref=comkiji_txt_end

朝日新聞デジタルの記事なので、登録している方しか見ることができないかもしれませんが、一応リンクは貼っておきます。

さて、この記事によりますと、桜宮高校での子どもの自殺の原因究明作業が遅れていることの背景に、大阪市教委と弁護士主体の外部監察チームとの関係の問題や、外部監察チームの協力を求めることを市教委から市長に報告したことなどが影響しているのではないかと思われます。以下、この記事の要点をおさえながら、私なりに時系列的に調査経過を整理してみます。

・(子どもが亡くなって=以後同じ)2日後に市教委の会合が開かれ、調査に客観性を持たせるために、市教委の教育委員が「弁護士5人でつくる外部監察チームと協力して調査をすすめる」と方針を固め、市長に報告。
・4日後の12月23日に、市教委は当該の部員50人を対象にアンケートを実施。ただし、これ以降の聴き取り、アンケートの集計は行わず。
・5日後、顧問教諭に1時間程度の話を聴く。これ以後、他の教員などからの聞き取りを行わず。
・1月11日まで、調査手法をめぐって、外部監察チームと市教委の協議が続く。
・この日、義家文科省政務官が市教委が調査方針を速やかに出せていないと批判。「調整に時間かかった」という市教委に、「外部監察とはまず内部で物事を明らかにしたうえで、それが適正かチェックしてもらうこと」と一蹴される。
・1月15日から、関係教員への聴き取り開始。

ちなみに、この記事の内容がまちがっていないとすると、顧問の体罰に関する遺書の記述があったとマスコミが伝えていたり、橋下市長が遺族に面談して謝罪したり、という頃には、外部監察チームも市教委も、何か調査が具体的に動いていたわけではない、ということになりますよね。
とすれば、市長は誰からの、どんな情報にもとづいて、この間、動いていたんですかね?
特に「体育科の2コースの募集停止」や「教員の総入れ替え」などのさまざまな提案について、市長は誰から入手した、どんな情報にもとづいて動いていたんでしょうか?
また、外部監察チームから市長へ、市長から外部監察チームへ、この間、どんなやりとりがあったのか。
あるいは、市教委、市長、外部監察チームの三者の関係はどうなっていたのか?
断片的にでもつかんだ情報は、この三者の間でどのように共有されたり、協議の材料として活用されたのか?
いろんな意味で、この三者の関係には、この間、疑問がわいてきます。

というような次第で、「桜宮高校で起きた子どもの悲しい出来事」の実態解明もさることながら、「市長、市教委、外部監察チーム」の調査対応のあり方に関する実態解明、これも私としては切に希望するところです。

ついでにいうと、市教委の教育委員が、子どもが亡くなってから2日目に「外部監察チームの協力を得よう」と方針を決め、市長に報告をしていたわけですよね。とすれば、市教委はそれ以来、外部監察チームと市長の両方に気兼ねしながら動いていたわけで、市教委のこの間の対応の悪さ、調査の初動の悪さはむしろ、両者への気兼ねゆえではないのか、という見方もできます。この点についても、ぜひとも調査対応のあり方に関する実態解明として、どなたかぜひ、検証していただければ幸いです。

あと、調査に関する初動対応だけでなく、学校に今、通っている子どもへのケアについても、どのような形でそれが実施されているのかという点から、どなたか、市教委や市長などの対応の問題点を明らかにしていただければ幸いです。

<追記>

この記事に書いてあることを前提にして私が推測するに・・・。

(1)大阪市教委の事務局や教育委員は、もうかなり前から市長の意向を気にして動いている。また、市長の意向を先取りするかのように動く教育委員や事務局スタッフもいる、ということ。だからこそ、市長からのさまざまな要求も効果的に効く、ということ。

(2)子どもが亡くなってから比較的早い時期に、市長はこの件に関する情報を市教委や外部監察チームなどから入手しうる位置にあったのではないか、ということ。また、それゆえに、その入手し得た情報をもとにして策を練り、自分の政治的なパフォーマンスとしてこの件を活用する手立てを講じる余地があったのではないか、ということ。

(3)しかし、今回に限っては、その政治的なパフォーマンスとして体育系各コースの募集停止や教職員の総入れ替えなどを市長があおっても、一部の識者などは賛成したが、マスメディアも市民もその多くが反対、批判の声を挙げているということ。また、これで市教委を動かし、当該の高校の体育系コースの募集停止には成功したとしても(=自己の権力誇示には成功ということ)、市民やマスメディアは徐々に彼からは離れる(=自らへの支持拡大という政治的なパフォーマンスとしては失敗)という結果に終わりそうだ、ということ。国政政党の「共同代表」就任というときにこの結果に至るのは、実は市長にとってもかなり痛手なのでは??

 


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もう少しフェアな見方が必要なのでは??

2013-01-21 08:44:33 | ニュース

おはようございます。昨夜、連続してツイッターに書いたことを、若干の字句修正をしつつこちらに書いておきます。また、フェイスブックにも以下のこと、書いています。

みんなあまり気づいていないのだけど、大阪市の桜宮高校の件。年末に子どもが亡くなったあと年が明け、遺書の存在が分かって、部活顧問の体罰等が明るみに出るまで約半月。これって他の類似の事例に比べたらまず「隠ぺい」ができなくなってるし、事後対応のスピードとしてもそう遅くはない。
むしろ今の問題は、亡くなった子どもへの体罰等の事実が明るみに出てから、きちんと調査委をつくり、事実究明をして、問題点を明らかにして再発防止策や処分などについての方針を市教委が出す前に、次々に市長サイドから余計な提案が行われて、それが大きく取り上げられている点にあるのでは?
また、桜宮高校のことについて言えば、今の状況だと、市教委や学校現場が自ら過去を検証して「自浄作用」を発揮する前に、「発揮する力なし」と外から決めつけて、自ら主体的に問題解決をしていくチャンスそれ自体を市長が奪っている、という見方も一連の経過からはできます。
だいたい年明けのある時点から、市長は自ら解決に乗り出すと称して動き始め、次々に余計な注文を出して事態をひっかきまわし、市教委や学校の主体的な問題解決の努力をやりづらくした面もあるかと。それでいて市教委や学校の努力が足りないというのは、フェアな話ではないですね。
大阪市の桜宮高校のことだって、(下記の記事にあるような)こうした大津市のような第三者委つくって、これから春先にかけてきっちり調査して原因究明をする。その結果に基づいて再発防止策などを提示していく。その再発防止策を受けて、今後の学校運営のあり方などを見直せばいい。
http://www.chunichi.co.jp/s/article/2013012090220152.html

<追記>

新聞やテレビなどマスメディアがいろいろ伝えてはいますが、私たちはまだ、この桜宮高校で起きた子どもの悲しい出来事について、「いったいそこで何が、どのように行われて、子どもの死に至ったのか?」という詳しい情報を知り得たわけではありません。また、子どもの死の背景に何があったのか、その背景にあることについても、わかっていないことは多々あると思います。その段階では、断片的に知り得た事柄で「当該の学校がけしからん」とか、「あの顧問は許せない」とかいう気持ちを抱くところまでは許せても、こぶしを振り上げて「体育科の入試停止」とか「顧問を含む教員の総入れ替え」とかを言うことは、明らかに行過ぎではないかと。怒りの感情をそのままこぶしにして、子どもにぶつけて殴っているのと、こうした措置を容認することとは、あまり大差ないのではないのか。少なくとも、私はそのように考えます。

冷静に今から第三者委員会を立ち上げ、数か月調査を行い、そこで明らかになった事実経過と原因、そしてそこから導き出される再発防止策の案にもとづいて、市教委や首長から今後のあるコースの募集停止や学科の再編、あるいは教職員の異動などを提案するのなら、私としてもまだわからなくもありません。「そうしなければならない」という理由・根拠が明らかだし、その調査のプロセスで当事者の言い分も聴取して、それをふまえての結論ですから、学校側も納得する部分があるでしょう。

しかし、今の時点で、市教委側においても、市長側においても、そうした冷静な検証作業は行われているのでしょうか。そういう冷静な検証作業についての情報公開や説明はそっちのけで、今すぐにでも体育科のコースなどの募集停止、教員の異動を行って、「市長としては必要な対応をして、ケリをつけた」と言いたいだけのようにしか思えません。こういうのは、とても解決策を講じたとはいえないのではないでしょうか。おまけに、すでに府教委や府知事あたりから、別の高校の体育科の定員を増やすとか、そんな話も伝えられています。これだと、前から言っている「惨事便乗型教育改革」をやるために、市長が市教委の本来やるべき仕事にまで介入し、余計な提案を次々に出して、事態をややこしくしているとみてもいいのではないでしょうか。

「首長主導の教育改革」「教育行政における首長のリーダーシップ」を、安易に持ち上げると、ロクなことはありません。こういうことだってできてしまうわけですからね。

そして、もしかしたら今、動き始めた「教育再生実行」の動き。あそこが「教育委員会制度の抜本的改革」のモデルとして、こうした大阪の一連の動きを「実験」のように考えているのであれば、まったくもって「余計なお世話だ」というしかないですね。


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市長、もう動かないでいただきたい。

2013-01-20 21:03:19 | ニュース
これは先ほど、フェイスブックとツイッター、両方に書き込んだこと。
例の大阪市立の桜宮高校で起きた子どもの自殺に関して、彼が体育系の2コースの入試停止について要望していることに関して、です。

<以下、両方に書き込んだこと>
そもそも教委で方針を明日決めるというその裏で、先にこんな形で市長が学校に出向いて説明するというのは「越権行為」も甚だしいのでは?
また、入試中止でさまざまな迷惑を被るのは、中3生。市内各校の中3生とその保護者、そして市内の各中学校にも説明が必要なのでは?
ええ加減、余計なことをするのはやめてほしいですね。

http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20130120-00000038-mai-soci

<以上、おわり>

私はとてもではないですが、こういう市長の動き方は、その方針以前のところで容認できませんね。

この数日、彼が入試停止方針を打ち出したことについて、マスコミも批判的な論調ですし、ネット上の議論でも批判的な意見がたくさんでています。
そういうことに対する「あせり」が彼のなかにあって、「なんとしてでも、自分の思う方向に結論を導きたい」と思って、市教委の会議で方針が出る前に学校に乗り込んで・・・ということなのでしょう。

しかし、たとえ市長としてこの方針を説明することを一定「是」とするとしても、「なぜ、当該高校の現役生や教職員のみに説明するのか?」「これから当該高校の受験を考えている中3生やその保護者、市内の中学校には説明しないのか?」とか、「なぜ市教委の会議の前に先に乗り込むのか?」「その説明の場で学校側や子どもたちから異論や反論が出た場合、市長は自らの方針を撤回する余地があるのか?」等、手続き的にはいろいろと問題があるかと思います。
そこから見ても、このような市長の動き方は、「余計なことするな!」というしかありませんね。

そして、他のことでもそうですが、もう、この桜宮高校の件では、橋下市長、じたばたせずに、動かないでいただきたい。
「あなたが動けば動くほど、かえって事態が混乱して、余計な方向に話がそれる。ややこしくてしょうがない。」
私としては、そう言いたくなりますね。



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反体罰NPO・研究者連絡会立ち上げにあたってのお願い

2013-01-20 18:07:18 | 受験・学校
※このたび、下記のような会を立ち上げましたので、お知らせします。

反体罰NPO・研究者連絡会立ち上げにあたってのお願い

 大阪市立の高校の運動部顧問による体罰が原因とされる高校生の自殺が社会に大きな衝撃を与えています。体罰問題は、我が国学校教育に潜在し続ける大きな子どもの人権問題であることはご存じ通りであります。今後、この問題を端に発した様々な報道や、教育改革論議が行われることは論を待ちません。
 この機会に、「反体罰」を表明する民間団体、市民活動団体、研究者が連絡会を設け、今後の子どもの人権問題の解決、権利保障の方策に関して社会的な発信をしていきたいと考えております。
 ご賛同いただける、呼びかけ団体及び研究者を募っております。是非とも、ご検討していただきたくお願い申し上げます。

2013年1月17日

現時点での呼びかけ団体・研究者

呼びかけ団体                
 (非)日本スクールソーシャルワーク協会

呼びかけ人研究者(五十音順)              
井上 仁(日本大学)、内田宏明(日本社会事業大学)、金澤ますみ(大阪人間科学大学)、住友 剛(京都精華大学)、田村真広(日本社会事業大学)

この件に関する連絡先
内田 kodomopost@jcsw.ac.jp


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先ほどツイッターでつぶやいたこと。

2013-01-19 10:32:20 | ニュース
さっき、ツイッターでいくつかのつぶやきに分割して書いたこと。こちらでまとめて書いておきます。

よく航空機事故のたとえで今回の橋下市長の桜宮高校での入試停止要求を容認する方いるんですが(それはいわゆるマスコミにでてくる「識者」もそう)、事故の起きた機体と同機種全機の運用を停止しても、減便するとか別の機種をやりくりして航空各社は事故後運行してますよね。少なくともそこには「ある機種の運用停止で、利用客にはできるだけ迷惑かけない」という各社の姿勢が出ているのではないかと。
また、航空各社が事故後ある機種全機の運用を停止するのは、まずはどこにトラブルがあるのかを総点検して、必要な補修などをするためですよね。
少なくとも航空機事故の場合、その事故のあった機体と同機種全機の運用停止・総点検と補修は行っても、別機種をやりくりしたり減便したりして、その路線の運行全体を停止するとか、その路線にお客を乗せないとか、そういう話には、たとえ重大事故があってもならないかと思うのですが。
こういう風に見ていくと、航空機事故のあとの対応をたとえにして、橋下市長の桜宮高校での入試停止要求を容認するようなコメントっていうのは、ちょっと話が飛躍しているようにも思えます。そして、そういうコメントをマスコミでする識者たちには、私は「大丈夫ですか??」と言いたくなります。
もしも航空機事故のたとえで説明するのなら、重大事故後の航空会社によるある機種の運用停止と全機の総点検・補修は、桜宮高校の入試停止ではなくて、今の桜宮高校での授業停止と子どもの自殺の背景にあることの徹底した調査、周囲の子どもへのケアということになるのではないかと。
当該のクラブの子どもや同学年の子どもなどからていねいに事情を聴き、そこで何があったかを調べること。また、当該顧問や同僚教職員から徹底した事情聴取を行うこと。そういうことのために一時的に授業を休むことが、航空機事故後のある機種の運用停止に近いのではないか。

事柄の本質を見据えず、その場の感情や、自分の学校や教育行政への不満、不信感など、勢いにまかせてコメントすることは、私もマスコミにコメントを求められる立場であるので、おおいに慎みたいです。



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「体罰」が背景にあると言われる大阪市立のある高校での子どもの「自殺」に関して

2013-01-08 23:16:55 | ニュース
http://digital.asahi.com/articles/OSK201301080022.html?ref=comkiji_txt_end_kjid_OSK201301080022
(朝日新聞デジタル2013年1月8日配信:市立高校の生徒自殺、背景に体罰か。大阪市教委調査へ)

http://www.city.osaka.lg.jp/hodoshiryo/kyoiku/0000199281.html
(大阪市教委報道発表資料:2013(平成25)年1月8日)

また悲しい事件が起きてしまいました。しかも、いま、なにかと話題の大阪市において、です。
亡くなった子どものご冥福をお祈りします。
また、ご遺族の心中、さぞかしおつらいことかと思います。お悔やみ申し上げます

さて、この件に関して、まずはいくつか、言っておきたいことがあります。
それは、次のような橋下市長(知事時代を含む)ご本人の「体罰」容認発言を含め、「この際、徹底的に、大阪市の教育界に根強く残る「体罰」肯定的な教育観に対して、きちんとモノ申す」ような、そのような強力な調査実施の体制をとっていただきたい、ということ。
また、そのためには、この当該高校で起きた子どもの自殺や、その背景にあったと考えられている「体罰」の調査に対しては、市長及び市教委からできるだけ独立し、公平・中立的な第三者委員会を立ち上げる必要があること。

http://www.jcp.or.jp/akahata/aik12/2012-10-03/2012100304_01_1.html
(しんぶん赤旗2012年10月3日付け:橋下氏、体罰あおる。「大阪市独自の指針必要」)
http://www.asahi.com/kansai/sumai/news/OSK201202060045.html
(朝日新聞デジタル2012年2月6日付け:「体罰」場合によればOK? 橋下氏ら問題提起)
http://www.asahi.com/special/08002/OSK200810260045.html
(朝日新聞2008年10月26日付け:橋下知事「手を出さないとしょうがない」体罰容認発言)

少なくとも、上記のような意識の持ち主である橋下市長の強い意向を受けて組織された調査チームには、亡くなった子どもに起きた「体罰」の深刻さを小さく見積もったり、あるいは、「体罰」と「自殺」との間に「因果関係なし」などという結論を導き出そうとするバイアスがかかりかねない危険性があります。そして、今回の子どもの自殺のような深刻な場合は問題だが、「体罰」も「ちょっとくらいならいいだろう」というような、そういう結論を出すような調査チームでは、かえって事態をこじれさせてしまう危険性もあります。
以上のようなことから、この子どもの自殺については、「徹底的に亡くなった子どもの側にたった事実経過の解明作業を行い、そこから必要な再発防止策の確立に向けて、学校や教育行政、さらには市長に対してきっちりと、厳しいことを言う」という立場に立つ調査チームを作っていただきたい。
そのためには、橋下市長に対してはっきりとものを言うことのできるような人たちで調査チームの人選を行うことを、私としては強く希望します。

なお、あわせて、2012年7月16日付けのこのブログの記事も、ここに掲載しておきます。
ほんとうに残念なことであり、悲しいことですが、大阪市内では去年7月にも2人、子どもの自殺が起きています。
それ以降の約半年間、大阪市として、市教委として、子どもの自殺防止についてどんな取り組みをしてきたのかが問われています。そのこともぜひ、橋下市長には重く受け止めていただきたいところです。
http://blog.goo.ne.jp/seisyounenkaikan/d/20120716

<追記>
下記の毎日新聞の配信記事にあるとおり、「いじめや体罰などの問題が起きた際に、市長が教育委員会に指揮命令を出せるような条例案」をつくりたいなどというのは、まさに「惨事便乗型教育改革」。亡くなった子どもも遺族も、いま、学校に通っている子どもも現場教職員も、そういうことは何も今は望んでいない。まずは、「何があってこの事態に至ったのか?」という、事実関係の解明作業ではないでしょうか。
http://mainichi.jp/select/news/20130109k0000m040060000c.html


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大阪市教育振興基本計画の改訂素案に対するコメント(3)

2013-01-06 21:58:37 | 受験・学校
前回、前々回に引き続き、大阪市教育振興基本計画の改訂素案に対して、私が送ったパブリック・コメントの「その3」を、こちらのブログに掲載します。前にも書いたとおり、もともとフェイスブックにこの「その1」から「その3」までを書きこんでいて、パブリック・コメントで送信したものからフェイスブックに転載するときに、若干、誤字脱字等の修正を行いました。原文から表記が変わっているところがありますが、趣旨は同じだという話は、これもまた、前回・前々回のこのブログの記事と同様です。
また、改訂素案については下記のページを見てほしいということも、前回・前々回と同様です。

http://www.city.osaka.lg.jp/templates/jorei_boshu/kyoiku/0000194120.html

では、以下の内容が「その3」です。これにて、コメントは完結です。

<以下、パブリック・コメントの「その3」>

第2章第3の「2 グローバル化改革」について
○「小1からの英語学習」=「グローバル化改革」という発想自体を問い直すべき。もっと「大阪らしさ」を活かした改革の道があるはず。
大阪市内には多様な国・地域から移り住んできた人たちが暮らしている。英語だけでなく、中国語、朝鮮語、スペイン語、タガログ語、タイ語、ベトナム語等々、いろんな国・地域の言葉を扱える人々が暮らしている。
もうすでに、大阪市自体がグローバルな社会構造の中に位置づいており、世界のさまざまな国や地域から移り住んできた人たちと共に生きる社会を、この大阪において作り上げていく必要に迫られている。そういう認識に立てば、英語の学習以上に、「この大阪の街で外国にルーツのある人たちと共に暮らしていく」という体験を子どももおとなも豊かに積むことこそ、まさに「グローバル化改革」といえるものであり、また、「子どもの権利条約」その他の国際人権条約などの趣旨にも沿った大阪市独自の教育と言えるものである。そして、そういう体験の基盤にたっての外国語学習でなければ、本当の意味での「グローバルな社会で活躍する人材」など、生まれようもないと思うのだが。

第2章第3の「3 マネジメント改革」について
○この「マネジメント改革」それ自体が学校現場の創意工夫や改革の意欲を削ぎかねないという、そういうことへの配慮がまるで見られない。
これは教育行政・学校活性化・職員の3つの(基本)条例制定以来のことであるが、すでにさまざまな学校現場のやる気を削ぐような教育改革を大阪市ではすすめてきたし、教員の自主的な研修活動を阻害するような対応も教育行政によってとられてきた。
それこそ、「がんばる教員個人やグループの主体的な研究活動を支援」するというのであれば、なぜ教職員組合の教研集会の会場に市立学校を使わせないのか。教員の各種自主研究団体の活動の時間を、なぜ勤務外でなければいけないようにしているのか。すべて、ここで言うことと逆ではないのか。さらに、校長などの管理職の多くを外部から任用する制度にあらためることで、現場教職員と管理職層の意思疎通を難しくしている面があるのではないのか。そして、上記のような条例制定などの一連の動きが、大阪市の教員採用試験を受験しようとする人々の意欲を萎えさせている面があるのではないのか。
誠にもって、ここでいう「マネジメント改革」というのは、この改訂素案をつくる人々にとって都合のいいマネジメントを学校でやりたいというだけ。むしろ、この改革をやればやるほど、学校現場では「笛吹けど踊らず」ということにもなりかねない。そうなれば管理職層などの権限発動で、ますます命令でなければ学校が動かず、学校はぎくしゃくするだけに終わるだろう。

第2章第3の「4 ガバナンス改革」について
○そもそも「学校選択制」導入し、地域社会の人々や保護者のつながりを崩しておいて、「学校を支えてくれ」という話はなりたつのか??
本気で大阪市の教育振興を考えるのならば、そういう人々のつながりを破壊する施策を止めることこそ、まずは考えるべきである。
この改訂素案では、保護者や地域社会に開かれた学校を作るというのだが、そもそも「学校選択制」は保護者の間の人間関係を崩したり、地域社会の人々と学校との結びつきを混乱させかねない施策でもある。そのことの危険性をよくわかっているのだろうか、この素案作成者は?
何年、何十年もにわたる形で、地元に暮らす人々が我が子を地元公立校に通わせ、そこに通った子どもが成長しておとなになり、また我が子を地元公立校に通わせ・・・という形で、地域社会の人々と学校との関係は創りあげられてきた。そういう関係を、学校選択制は、保護者と子どもに学校を選ばせるという形でたやすく壊すことができる。そのように混乱している保護者や地元住民を前にして、はたして保護者や地域社会に理解を得ての学校づくりなど可能なのか?
このことは、公立幼稚園の民営化や公立高校の再編案についても言えることである。公立幼稚園にせよ、公立高校にせよ、大阪市内でそこに子どもを通わせてきた人々、通ってきた人々が長年にわたって培ってきた人間関係があるはず。その関係を壊すのは比較的たやすいが、それを再構築することは途方もない手間暇と時間がかかるのではないのか。そして、その長い年月をかけて培ってきた人間関係こそが、実は大阪市の教育を支えてきた土台なのではないのか。そこを壊すような教育施策の実施をまず止めることこそ、大阪市の教育振興につながるのではないのか。

第2章第5の「5 学校サポート改革」について
(1)「問題行動への毅然とした対応」で挙げられている提案は、すでに実施済みのものばかり。まだ十分にやっていないのは、「学校における子どもの権利保障の充実」ではないのか?
そもそも、たとえば出席停止措置の活用や警察・こども相談センター(児童相談所)との連携、問題が生じたときの弁護士・臨床心理士などの第三者チームの派遣等、この改訂素案であらためて「問題行動への毅然とした対応」として提案されていることは、すでに文科省が生徒指導施策でこの間、十数年にわたって実施してきたものばかりである。にもかかわらず、学校内外での子どものいじめ、自殺等、さまざまな問題が生じている。そのことについて、改訂素案を作った人たちはどのように認識しているのか。過去の施策の何が不十分でここに至ったのか、その検証がまずは必要なのではないか。
また、このような提案はいずれも「問題が起きたあとの対応」に関するものであって、子どもたちの学校生活全般にわたる不安や葛藤、緊張など、問題が起きる背景にある要因に目を向けるものではない。それこそ、学校教育のあらゆる場面における子どもの権利保障の充実こそ、今まで一番取り組まれてこなかった施策ではないのか。
なお、改訂素案における「基本となる考え方」で、「一人一人の子どもを、個人としての尊厳を重んじ、その意見を尊重するとともに、自由と規範意識、権利と義務を重んじ」というのであれば、そもそも、大阪市の生徒指導施策においても、さまざまな場面で「子どもの意見の尊重」から取り組みを開始すべきであろう。また、出席停止措置や警察との連携強化を図っていくのであれば、その前提として、たとえば警察の捜査などに対する子どもの防御権(不利な自白は強要されない等)や、当事者である子どもの意見聴取などの適切な手続き保障の原則など、法的観点からの子どもの権利学習が、子ども及び学校の教職員、教育行政の関係者などに必要不可欠であると考える。しかし、この改訂素案には、そのような発想は全くない。


(2)「学校運営における課題の解決を支援します」と言う前に、「課題ばかりを持ち込む教育施策そのものを止める」ことが必要では?
改定素案には「学校は校務事務の増加に伴い日常的に繁忙な状況」とあるが、その「日常的な繁忙」の多くの部分が、この間導入されている数々の教育施策から生じている部分があるのではないのか? だとすれば、その数々の教育施策を「止める」ことこそ、「日常的な繁忙」から解消される手っ取り早い道ではないのか?
学校現場の教職員が目の前の子どもや保護者、地元住民と向き合うこと、日々の教育実践とその準備に最大限のエネルギーを避けるように、まずは大阪市教委及び大阪市長が「余計な教育施策の提案をしないこと」を、きちんと教育行政基本条例等の趣旨に則り、その趣旨に沿って「教育行政が学校現場に対して余計なことをしないことの意義」を、教育振興基本計画に位置付けていくこと。これが、「学校運営における課題の解決」の「最も大きな支援」になりうるのではなかろうか。

(3)「学校教育以外でも多様な学習機会を利用できるよう支援します」というのなら、バウチャー制度の導入以前に「市政改革プラン」自体を見直すべきである。
それこそ、この数年の間に、市立青少年会館12館の廃止や市内の児童館・トモノスの廃止等、子どもが学校外で利用可能な公的施設が次々に統廃合されてきた経過がある。そこにもってきて、「市政改革プラン」でさらに、さまざまな子ども関連の施策が打ち切られたり、縮小されようとしている。そこを放置したままで、バウチャー制度だけ導入したところで、やはり大阪市の子どもにとっての学校外での学習機会、体験活動の機会は乏しくなるのではないか。「市政改革プラン」自体を大阪市の教育行政基本条例の趣旨などから見て、もう一度見直す方が先決であろう。


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大阪市教育振興基本計画の改訂素案に対するコメント(2)

2013-01-05 09:47:45 | 受験・学校
昨日に引き続き、大阪市教育振興基本計画の改訂素案に対して、私が送ったパブリック・コメントを掲載します。昨日も書いたとおり、こちらにはフェイスブックに書いたものを転載しています。誤字脱字の修正などをフェイスブックに載せる際に行ったので、実際に大阪市教委に送ったコメントとは若干、ちがっている部分があります。ただ、基本的な趣旨には違いはないので、大筋で何が問題かはわかっていただけるかな、と思います。
なお、改訂素案そのものについては、下記のページを見てください。

http://www.city.osaka.lg.jp/templates/jorei_boshu/kyoiku/0000194120.html

それにしても、改訂素案、特に第2章を読んでいて思ったのは、「文科省がこの十数年すすめてきた教育施策を大阪であらためてやろうとしてい」、という側面が強いこと。したがって、今の子どもたちの現状を見れば、「もう、こういうモデルはやめたほうがいい」と思われるような案に、いまだにしがみついている感が強いということでもあります。
そして、本気で大阪の培ってきた教育、とりわけ人権教育の伝統が大事だと思うのであれば、今こそ、「こんな改訂素案なんて、いらんわ!」と、声をあげていく必要があると思っています。

<以下、コメントの「その2」です>
第2章「第3 改革に向けた施策の内容」の「1 カリキュラム改革」

(1)まったく無意味な「新たな幼児期カリキュラム」の提案
ここで「新たな幼児期カリキュラムを編成・実施」とあるが、大阪市の「市政改革プラン」では公立幼稚園・保育所の民営化が提案されていたのではなかったか? このカリキュラムが出来上がった頃には、大阪市内には公立幼稚園・保育所は一つもないという想定が市教委にはできているのか? また、私立幼稚園・民間保育園との話し合いはどのようにすすめるつもりなのか? さらに、基本的な生活習慣の形成など、ここに書いてあるような趣旨で、今までだって幼稚園教育要領や保育所保育指針は改訂されてきたのではなかったのか??(内容の是非はひとまず置くとして)。だとすれば、このようなカリキュラム改革の提案そのものが「無意味」である。

(2)まったく無意味な「道徳教育の強化」の提案、むしろ「子どもの権利学習」の徹底の必要性があるのでは?
同様に、「幼児期から義務教育修了までに、基本的な道徳心・規範意識を培います」という提案も、この間の文科省の学習指導要領改訂の流れからすれば、同じようなことをあらためて言い換えて提案しているだけで、まったくもって「無意味」なものである。
いったい、このような提案を平気でできるのは、どのような見識なのか? 改訂素案を検討した人々の意識を問いたい。
むしろ、本気で改訂素案を作った人々に「自由と規範意識や権利と義務を重んじ、自己の判断と責任で道を切り拓き、真理と正義を求め、公共の精神を尊び、豊かな人間性と創造性をはぐくみ」たいという気持ちがあるのなら、なぜ「子どもの権利条約」を基盤にして、子どもの権利学習を大阪市内の各学校で進めようという提案ができないのか。それこそ、第2章の「基本的な考え方」で「一人一人の子どもを、個人としての尊厳を重んじ、その意見を尊重する」というのであれば、その前提になる「子どもの権利条約」の学習をすすめなければ、改訂素案自体の論理的な整合性が取れない。

(3)ICT教育も、この案なら「やめたほうがマシ」
情報化社会に対応する教育は、ただ単にタブレット端末等のIT機器やデジタル教科書等を学校に導入して、それを授業などで活用すればいいというものではない。
むしろ、機器の使用の前提となるコミュニケーションのあり方、例えば「自分は誰に何を伝えたいのか?」「誰が自分に何を伝えようとしているのか?」というようなことをじっくりと考え、自分なりに工夫して情報発信をしたり、他者からの情報発信を適切に受け止めたりするようなセンスを磨くことが重要なのではないか。そのためには、あえて「紙と鉛筆」のようなハイテク以前の道具であえて思考をしたり、「車座になってみんなで話し合って、その成果をからだとことばで何かを表現」といったことをすることが大事な時もある。
だから情報化社会に対応する教育も、まずは子どもの状態を見ながら学校現場で創意工夫をすることと、そこで得られた成果を現場教員間で交換しあう余地さえ残しておくことのほうが大事であって、「上から、無理やりIT機器を学校に入れさえすればいい」かのような発想でやっても、あまり意味はないだろう。

(4)「カリキュラムイノベーション」は「なんのため??」
ここで「教育効果が見込まれるカリキュラムの開発・普及」というのであるが、そもそも「何に対する教育効果」なのか??
例えば改訂素案のこの部分では習熟度別授業や言語力、論理的思考力、理科教育などに関するカリキュラム開発が例示されているが、この改訂素案において学校が目指すべきものは、いわゆるテストで計測可能な「学力」を挙げることだけだったのか? それは改訂素案自らが、自らの立てた目標を、具体的なプランのところで矮小化するようなもので、ばかげているとしかいいようがない。
そもそも、改訂素案の「目指すべき目標」には、「自立した個人として自己を確立し、他者とともに次代の社会を担うようになること」とある。その「自立した個人としての自己の確立」という観点と、ここで「カリキュラムの開発」として提案されていることとの間には、何ら論理的な整合性はない。
それこそ、夏休みの短縮や学校に冷房を入れることなど、カリキュラム開発の問題とどうかかわるのか? むしろ、学校外での子どもの豊かな体験活動を育む方が理科教育の前提として重要とか、あるいは、教員の現場を離れての研修こそが理科教育の振興には大事という結論に至った場合、夏休みの短縮はマイナスにしかならないだろう。
この改訂素案が本気で「自立した個人としての自己の確立」ということを考えるのであれば、その観点に沿っての「言語力、論理的思考力」とは何か、それはどのようにすれば養うことができるのか、ということを、学校現場の教職員がさまざまな実践を通して確認していけるような条件整備こそ、この改訂素案がまずは書くべきことではないのか。

(5)「通知表改革」もなんのため??
改訂素案がそれこそ本気で「自立した個人としての自己の確立」ということを考えるのであれば、それと「学力」形成との関係こそまずは論理的に整合性を保つように、学校現場の実践を通してさまざまな検証を行うべきこと。それをふまえた「通知表改革」であればわかるが、はじめにテストのデータの活用ありきのこの提案には、何の意味もない。というか、そのような提案自体が、改訂素案を作った人たち自身が実は「自立した個人としての自己の確立」などどうでもいいと思っていて、ただ「テストで測定される学力の向上」しか考えていないことを物語っていると思われる。そして、このような発想こそ、グローバルな社会では全く通用しない学力を形成してしまうかもしれないという危惧が見られない。

(6)小中学校の「食育」を本気でするつもりなら、学校給食に関する条件整備も本気ですべきである。
それこそ、かつて大阪市内の一部の公立中学校では実施されていた給食をわざわざ「廃止」して、あらためて「弁当デリバリー事業」のようなことを開始したが、その成果はいかがなものだったのか。その検証を大阪市教委としてきちんと行ったのか。また、これから学校選択制を導入して統廃合を進める気なら、給食の実施体制についてはどうするつもりなのか。「市政改革プラン」とこの改訂素案との整合性をどうつくるつもりなのか。



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大阪市教育振興基本計画の改訂素案に対するコメント(1)

2013-01-04 21:59:15 | 受験・学校
新しい年を迎えました。今年もよろしくお願いします。
さて、今日1月4日(金)締切りの形で、大阪市教育振興基本計画の改訂素案に対するパブリックコメント募集が行われました。詳しくはこちらを見てください。

http://www.city.osaka.lg.jp/templates/jorei_boshu/kyoiku/0000194120.html

この改訂素案に対して「何も言わないままじゃいけないだろう」と思ったので、ひとまず第2章についてのみ、思いついたことを今日、書きなぐるような形で書いて、メールで送りました。以下の内容は、その書いた内容をフェイスブックにアップしたものを、こちらにも転載したものです。「その1」から「その2」「その3」まで分けて書いたので、3つにわけて今日から掲載します。今日は「その1」です。なお、実際に送ってしまったあとで誤字脱字などに気づき、文言を訂正したところがあります。実際に送ったコメントとは若干言葉がちがいますが、趣旨はほぼ同じだと思ってください。

○第2章「教育改革の推進」について
(1)子どもの権利条約の視点はどこへ???
「基本となる考え方」に「一人一人の子どもを、個人としての尊厳を重んじ、その意見を尊重する」「自由と規範意識、権利と義務を重んじ」と書く以上は、その前提として、大阪市内の子どもたちすべてに対して、「子どもの権利条約(児童の権利に関する条約)」の理念や条約の概要を周知させるべきです。
また、その条約の理念や概要は、子どもだけでなく、保護者や学校の教職員及び学校に関わる他の職種の人たち(スクールカウンセラー・スクールソーシャルワーカー)、さらには教育行政や社会教育・生涯学習関連の仕事に従事する人々にも、周知させるべきです。 ところが、この教育振興基本計画(改訂素案)については、そのような視点が全くといっていいほど見られません。
これでは、「子どもの権利条約」というグローバルな視点に立つ国際条約をふまえた大阪市の教育振興基本計画として、不適切な内容だと言えるでしょう。その点をとっても、この改訂素案をつくった人々の見識を疑います。

(2)「教育振興基本計画」は「子どもの学校教育」だけのものか??
そもそも、今回の基本計画改定の前提になっている「教育行政基本条例」では、家庭教育の振興や社会教育・生涯教育の振興に関する市教委の施策等についても定めています。だとすれば、当然ながらこの「教育振興基本計画(改訂素案)」においても、その「めざすべき目標像」や「基本となる考え方」には、学校教育及び子どもに関することだけでなく、社会教育・生涯学習の領域をふまえた理念を書く必要があるのではないでしょうか。
今の改訂素案の「目指すべき目標像」や「基本となる考え方」では、まるで「教育振興基本計画」は「子どもの学校教育のため」だけのものであり、この素案での社会教育・生涯学習関連施策は「おまけ」のような印象を受けますが、いかがでしょうか。
また、家庭教育の振興も、今の改訂素案では、たとえば学校・家庭・地域の連携など、まるで「学校教育の下請けのため」にやっていくかのような印象を受けます。もちろん、これは教育行政基本条例の趣旨を受けてのことかと思いますが、しかし、そもそも家庭教育の振興というのは、そういう「学校教育の下請け」目的で取り組むものなのでしょうか?? もしも「いい」とおっしゃるのであれば、この改訂素案を作った人々の見識を疑います。
なお、このことに関連して言うならば、そもそもこの基本計画改定の前提になっている諸条件のうち、大阪市の「市政改革プラン」で数多くの公共施設の統廃合、子育て関連施策の縮小などが提案されています。そのことによって、大阪市の社会教育・生涯学習や家庭教育振興関連の施策が大幅に後退するのではないかと私は危惧します。だとすれば、この改訂素案は、教育行政基本条例の趣旨に沿って、その後退に歯止めをかけるものでなければいけないはずです。そこを容認して振興計画を作るというのは、いったい、どういう見識なのか。この改訂素案を作った人々には「もう一度、条例から読み直せ」と言いたいです。こういう「市政改革プラン」を容認するような振興計画では、とてもではないですが、「学校教育の下請け」的な家庭・地域との連携ですら危ういのではないですか。




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