「目の前の子どもの現実から出発する」ということ。また、「子どもにできるだけ近いところにいるおとなたちの状況を見つめる」ということ。
言われてみればあたりまえの話かもしれませんが、私としては、子どもの人権に関する教育や福祉、まちづくり等々の多様なとりくみは、この原則をふまえて行われるべきだろうと思っています。また、このことは、現状把握を目的として行われる各種調査や具体的な実践のあり方に関する研究はもちろんのこと、思想や歴史、理論に関する研究、政策提案の具体化に向けての研究にだって言えることだと思っています。そして、「迷ったら何度も、この原則に立ち返る」ということを意識してきました。時には、「自分が何をやったらいいのかわからなければ、現場で活動中の人たちに聞こう」という思いすら抱いたくらいです。
さて、こういう思いで、私はこの約1年くらいの間、大阪市の青少年会館条例廃止をめぐる諸問題、あるいは条例廃止後の青少年施策の問題についていろいろ動いてきました。また、条例廃止を向かえる以前も、大阪市で活動中のNPOの人や、青少年会館の現場職員、大阪市教委や大阪市教育振興公社の職員の方、地元の方など、子どもの人権にかかわる問題にできるだけ近いところで活動中の人たちと接点を持って、いろんな取り組みをしてきました。もちろん、それが十分にできたかどうかは別ですが。
ただ、あらためて最近、子どもの人権に関する問題にとりくむNPOの人たち、子ども施策の現場で働く市職員の方、地元でさまざまな取り組みをしている人たちに接していると、「この原則をふみはずさずに、この何年か、いろんな人たちと交流して、信頼関係を作ってきてよかった」と思うことが多いです。
やっぱり、彼ら・彼女らが日々、NPO活動や子ども施策の現場でつきあうなかで見えてくる子どもや保護者、住民の姿は、これからの子ども施策のあり方を考える上で、貴重な手がかりになることが多いです。そこには、行政当局がこのごろ重視している数値データではわからないような、場合によれば、その数値データの意味を問うような、そんな手がかりすら含まれています。
逆にいうと、子どもの人権の問題に関心を持って研究をしてきた人は私以外にも多々いるはずなのですが、こういった人たちに対して私はこのごろ、この大阪市の青少年会館条例廃止をめぐる諸問題や、あるいは、今後の大阪市の青少年施策のあり方などについて、「なぜNPOや市職員、地元の人々が活動している現場に出向いてきて、いっしょにものを考えようとしないのか?」という疑問がふつふつとわいてきます。
「目の前の子どもの現実から出発する」ということや、「子どもにできるだけ近いところにいるおとなたちの状況を見つめる」ということをしないで、いったい、どんな子どもの人権に関する研究ができるのだろうか・・・・、そんな疑問が今、だんだん強くなってきています。