2011年3月11日(金)の午後に東日本の太平洋岸を襲った大地震と大津波、そしてその後起きた福島県にある東京電力の原子力発電所の事故発生をきっかけにして、少なくとも私のあたまやこころ、からだのなかで、今、何かが大きく変わろうとしています。
その変化がどういうものなのかは、まだ自分のなかでもよくつかめません。それが見えてくるのは、きっとこれから先。1ヶ月先なのか、半年先なのか、1年先なのか、5年先なのか・・・・。とにかく、「これから先になって、どんな変化なのかがわかってくる」としか、今はいいようがないところです。
ただ、はっきりしていることが、いくつかあります。それは、こんなことです。
その1:この2011年3月11日を境目として、この日本社会で生きていくうえで、マスメディアや政府・自治体の流す情報や専門家の言うことに対して、それを自分のあたまとこころとからだで、一度、きちんと疑って、検討してから受け止めていくような、そんなセンスが私たちには必要とされているということ。あるいは、「今までの常識」が通用しないような状況が起きてしまっている以上、「私たちが今後、この日本社会で自分らしく生きていくうえで、何が最も大事なのか?」という次元から物事を考え直し、ひとつひとつの取り組みを立ち上げていくしかないのではないか、ということ。
その2:少なくとも、関西経済の活性化などの観点から、大阪湾岸に政治や経済の拠点施設を移そうというような、そんな構想は、全部「一から白紙にして考え直したほうがいい」ということ。それこそ、神戸空港や関西空港などは、大津波が襲ってきたときに、どんな状態になるのだろうか? あるいは、防災という観点から考えてみた場合、液状化したり津波がやってくる危険性のあるところよりも、もっと地盤の安定したところに拠点がなければ・・・・。
その3:少なくとも、「一極集中」型の組織は、一見効率がよいように思われるが、その「一極」に大地震や大津波などが押し寄せて、そこがダメージを受けてしまえば、何もかもがダメになるリスクも抱えているのではないか、ということ。そのことを前提にして考えれば、「一極集中」型の組織よりも、できるだけリスクを分散させたり、現場が現場の判断で独自に動ける・ひとりひとりの個人が自分の判断で動ける余地を残していくような、「分権」型の組織をつくっていくほうがいいのではないか、ということ。
そんなことを、今、思い始めました。
<追記> ひさびさの「つづりかたきょうしつ」
「たたかうための言葉」ですか・・・・。これを見つけるのは、なかなかの難問です。
ただ「たたかうため」ではなくて、「自分の思いを確かめて、その思いを他者につたわるためにつむぎだす」ための言葉を見つける作業は、まずは「本(誰かの書いた文章なら、本以外でも可)をしっかり読むこと」からはじまり、それを読んで感じたことを誰かと話し合うところからはじまるような気もします。その上で、話し合って感じたことを書いてみる。そうすると、何か文字になって整理されたものが出てくるようにも思います。
と同時に、「自分の思いを確かめて、その思いを他者につたわるようにつむぎだす」という営みそのものが、ある社会情勢の下では「厳しいたたかい」になることもあるように思います。それこそ、原発の危険性を今まで訴え続けてきた研究者などにしてみると、原発設置推進を唱える電力会社や、これを支える政府、マスコミなどとの「たたかい」のなかで、自分の思いや考えを確かめ、それを他者に伝えようとしてきたわけですからね。
だから要は「自分が誰に今、何を伝えたいのか・・・・」を、誰かの書いた文章を読んだり、誰かと話をしたり、誰かに向けて書いてみながら、自分なりに見つめる作業、これが一番大事なのではないか・・・・と思います。
あまりうまくいえませんが、今日はこのあたりで、ひさびさの「つづりかたきょうしつ」終わります。
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