あらためてこのブログが、大阪府内の青少年会館(青館)事業の関係者や、あるいは、大阪市内の旧青館で活動中の人たちに広く知られ、定期的か不定期にかわからないけど、アクセスしていただいていることが昨日、わかりました。そのことを知った上で、あらためて、お礼の気持ちをこめて、いくつか書いておきたいことがあります。
昨日は大阪人権センターで、大阪こども・青少年施設等連絡会(大阪こ青連)の研究集会がありました。今年は「青館のビジョンを見すえて~ルーツとハートをみらいへ~」というテーマのもと、午前中は「子ども会・青少年会館の原点を考える」というパネルディスカッション、午後は報告・講演「青少年会館の今、そしてこれから」という、2つのプログラムで研究集会が行われました。配布資料ではこの研究集会、こ青連の前身・大阪府青少年会館等教育施設連絡協議会(青館連)時代から数えて、今回で14回目だとのことです。そして、私は昨日、午前・午後ともにコーディネーターとして、司会進行役のようなことをさせていただきました。
限られた時間を有効に使えるようにと思いつつも、私の進め方がほんとうに下手で、午前のパネルディスカッションでは、十分に言いたいことを言い切れなかったパネラーの方もおられて、ほんとうに申し訳なく思っています。
ただ、昨日は午前中、あらためて1960年代~70年代はじめの解放子ども会の大阪府内での取り組みや、そこから生まれてきた青少年会館での諸事業とのつながりについて、当時、そこで活動されてきた方々の声を通じて知ることができました。文献から知っていたこと(名前も、取り組みも)も多々あったのですが、それを肉声を通じて聞くということは、またちがった感動を呼び起こすものです。あらためて、貴重なお話を聞かせていただいたパネラーのみなさんには、この場をお借りしてお礼申し上げます。
午後からの実践報告・講演でご協力いただいたみなさんからは、今後、大阪府内・市内の青館がどのように活用されるべきか、また、子どもや若者そして保護者や地元住民の居場所としてどうあるべきかを考える上で、貴重な事例やご意見を提供していただきました。あらためて、この場をお借りして、お礼を申し上げます。
そして、このパネラーの方をお招きするにあたって動かれたみなさんや、当日の運営などにさまざまなお力添えをいただいたみなさん、そして、終了後の打ち上げ会で使わせていただいたおいしいうどん屋さん等々、関係するみなさんにも、この場をお借りしてお礼申し上げます。
そして、当日の参加者が、主催者側の予想をはるかに超える数であったと聞きます。それだけ、青館のルーツがなんであったのか、今、何を原点として確認をして、何をなすべきかということについて、多くの人が拠り所になる話を求めている状況にあるのだと思いました。
貧困と差別の深刻な状況を前に、家庭生活でも苦労が絶えず、学校生活にもなじめず、だんだん荒れていく一方の子どもたちを前に、地元の青年のなかで何かに目覚めた人たちや、地区外から何らかのきっかけで入ってきた若者たちが、例えば学習活動や文化活動、スポーツ活動、あそびなどを通じて、その子どもたちとつながりをつくり、居場所をつくりあげていく。そして、その居場所づくりの取り組みのなかで、荒れを経験した子どもが立ち直り、学ぶことの意義に目覚めたり、やがて、同じように荒れ始めている自分の後輩たちをサポートする側にまわっていく・・・・。
家庭からも、学校からも居場所を失い、荒れていく子どもたちに、そのすぐ近くにいる年長の若者やおとなたちが精一杯かかわって、その居場所を創り出し、荒れからの立ち直りを支えていく・・・・。こうした解放子ども会の活動が、青館事業の「原点」にあったものでしょう。
私としては、経済的な格差が拡大し、それゆえに生活がますます厳しい方向に追い込まれていく家庭が増えつつある状況のなかでは、子どもや若者の社会的なセーフティーネットとして、この子ども会活動や青館事業の「原点」は、今一度再確認されてしかるべき状況にあると思います。
まさに、今こそ、この「原点」にあったことを再確認し、あらためて「一般施策」として、「どのような子ども・若者に対してでも、それを必要とする限り」実施されるべきものとして、各地方自治体の青少年施策の基本にすえてほしいと思うのです。だからこそ私は、財政難や施策見直しなどいろんな理由をつけるのでしょうけど、こうした施策の「原点」を確認して別の一般施策を立ち上げることなしに、ただ青館事業を終わらせようとか、なくせばいいとだけ言っているかのような議論に対しては、「それはまちがっている」と言いたくなるわけです。
ところで、あらためて、古い本からになりますが、こんな言葉を紹介しておきます。
子ども会は、日本の教育の切り捨てたところから出発する。そこには差別がある。解放運動がある。の子どもたちは、そこからはなれられなかった。子ども会は、子どもたちの解放運動だった。そこで、みずからの「教育」を形造ってきた。それが学校教育に、いま鋭くせまってきている。子ども会は、解放運動と教育の接点になっている。解放教育の創造は、この事実をさけることはできない。(中村拡三「子ども会」解放教育研究会編『双書・解放教育の実践1 解放運動と教育』明治図書、1970年、p.164)
解放教育の原型は、学校教育にあったのではないのではないか。解放運動が自ら形造ってきた「教育」にどう学び、どう統一・提携してきたか、ではなかったか。たとえ、このとらえ方が偏しているにしても、解放運動と教育との結合がなくては解放教育にはならない。(中村拡三「解放の学力」『双書・解放教育の実践4 解放教育の内容と課題』明治図書、1969年、p.191)
いま、大阪市内の旧青館で子ども会や保護者会、識字教室やさまざまな文化活動サークルなどに取り組んでいる人々は、まさにその解放教育の「原型」をもう一度、「できるところで、できる人が、できることから」少しずつ、とりもどそうとしている人たちではないのでしょうか。また、大阪府内の各青館などで活動を続けている人々は、多少の修正や現状への適応策を講じつつも、なんとかしてその「原型」を守り、それを地区外へと拡げようとしている人々ではないのでしょうか。そのことは、昨日の午後、実践報告として出された青年たちの活動や、保護者たちの活動を見ても、わかっていただけることかと思います。
もちろん、「原型」の残し方・とりもどし方、あるいは拡げ方には多様な道筋があってしかるべきでしょうし、そのための苦労も並大抵のものではないと思います。また、「原型」を活かしつつも、今の社会情勢にふさわしい形に活動スタイルを作り変えることは必要かと思います。特に、自治体行政の改革で使われる新たな行政運営の手法に対して、この「原型」をどういう形でふまえつつ、どう接点をつくっていくのか。あるいは、行政運営のほうを批判的に論じていくのか。そこは私たちなりに考えていかなければいけません。
しかし、大阪市内の青館条例廃止・事業「解体」から2年近くたちますが、はたしてこの間、肝心の「解放教育」や「人権教育」の「本隊」とでもいうべき研究者たちが、どこまでこうした子ども会や青館の持つ「原型」をあらためて確認しようと、現場に足を運んできたのでしょうか。私の知る限り、私の知人なども含め、ごく少数のような気がしてなりません。関心をもっていただける方ですら、どの程度いるのか・・・・という、心もとない状況です。
ですから、私としては、その「原型」を残そうとする努力や、とりもどそうとする人々の苦労を見ようともしない、知ろうともしないで、「人権教育」はさておき、これからは少なくとも「解放教育」を論じてほしくはないなと、今日、中村拡三の文章を読んでいてそう思いました。また、研究者がこの危機的状況を前に「ピンチはチャンス」というのなら、「実際に現場にまで下りてきて、子どもや若者、保護者、地元住民とともに、泥にまみれて活動をしてほしい。でなければ、ピンチをチャンスにする力すら、今のままでは根こそぎ奪われてしまうのではないか?」とすら、私は言いたいです。
そして昨日の研究集会のコーディネーターを引き受け、こなしたことによって、あらためて、過去にさかのぼって文献を読み直す作業をやってみたくなりました。もしかしたら、今の状況を打開する手がかりは、目新しい議論よりも昔の議論のほうに多々ありそうな気がしたからです。少なくとも、今日のところは、このあたりで失礼します。
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