白鳥は哀しからずや空の青うみのあをにも染まらずただよふ (若山牧水)
経済的に苦しかった家庭に育った私が、就学支援に関する制度・施策的なものや周囲の人々の生活面での支えなどをうまく使いながら、大学・大学院へと進学し、今に至る話は、これまでの「父の死後、あらためて思うこと(その1~3)」でも書いたとおりです。
また、そんな環境で育って今に至るがゆえかと思いますが、このところは研究者というか、学問的な言説の世界に少しずつ違和感を抱き始めて、「もっとストレートに、この当事者たちの暮らす場にかかわり、当事者に問い、たずねながら、自分なりに何か考えていく道があるんじゃないか?」と思うこと。あるいは、学校や教育について考えるときに、自分が関心を寄せる人々の暮らす「生活」の場に立ち戻って、繰り返し繰り返し、問いを立て直すという作業が大事だと思うこと。このことも、前回の「あらためて思うこと」で書いたとおりです。
ただ、前回のしめくくりに私は、こんなことも書きました。
「ただ・・・・。これはなかなか、言うはたやすく、行うのはなかなか、難しいことです。また、こういうことを書いている私自身も、それがどこまでできているのか、わからない面があります。」
このことを、父の死後、あらためて強く感じるようになりました。
大学院に進学して家をでてから、私はもう15年以上の月日がたちました。大学院博士課程にいる間に結婚し、その後、川西市子どもの人権オンブズパーソンで調査相談専門員の仕事をして、今の京都精華大学に就職しました。そして、2004年の年末にははじめての子どももうまれました。その間もいろんな紆余曲折や断念したこと等もあったのですが、でも、簡単に書けば、大学院進学者として、それ相応のキャリアを積んできたわけです。
でも、そうやってキャリアを積んでいけばつんでいくほど、私はやはり、大学院を出て大学教員という職業に就き、大学という場で日々の生活時間の大半をすごすなかで身に着けていく「文化的なもの」が多々あって、それが生まれ育った実家の持つ「文化的なもの」と、かなり相容れないものになりつつあることを、何かことあるごとに実感してしまうのです。
たとえば、ほんとうに些細なことかもしれませんが、このたびの父の葬儀に際しても、たくさんの親戚の方に集まっていただきました。そのことは本当にありがたいのです。実際、ほんとうにいろんなことでお世話になりました。たいへん、ありがたいことです。
ですが・・・・、たとえば通夜の席などで親戚の方などに、今、自分が大学で何をしているのか、そのことをよく訪ねられたのですが、そういうときに「何を、どんな風に話せばいいのか?」と、戸惑ってしまう私がいます。
自分が今、どんな研究に取組んでいて、どんな社会的な活動をしているのかということを、ほんとうに親戚の方などにわかってもらうためにていねいに説明をしようとすると、いくつかの予備知識を必要とすること。その予備知識を理解してもらうために、さらにいくつかの前置き的な話をして・・・・と考えると、「まだるっこしいなぁ~」という話になりますよね。だから、こういうことをあれこれ考えてしまうと、私は自分のことについて、あまり多くのことを親戚の前では語れなくなってしまいます。ほとんど毎回、ごく簡単な説明で終わるようになっています。
あるいは、うちの親戚はほんと、何かとよく集まりを持っています。その集まりがあるたびに、「昔、○○はこのとき、~だった」という風に、母を含め、父やほかの親戚のことを、一杯ひっかけながら、あれこれ思い出話風に語る人がいます。
でも、その話を聴いていると「おや?」と疑問に思うことや矛盾を感じることが私には多々でてきて、それに対して、「その話、前に聴いたときと何かちがうよ」とか、「それってかなり記憶違いで、ほんとうは・・・・だったはずだよ」とか、「話が大げさにふくらみすぎだよ」とか、いろいろツッコミを入れたくなる私もいます。
どうしても私は「解釈や気持ちの部分はいいんだけど、せめて起きた出来事や事実は正確に伝えてよね」とか、「その人について、まちがった理解を前提にして話をすすめないでね」とか、そんな風に脇で聞いていて思うのですが、まわりの親戚たちはそんなことよりも、自分たちのこれまで抱えてきた心情だとか、その場の雰囲気の盛り上がりなどが大事なんですよね。そういう人にしてみると、何かと「それって、ちがうんじゃない?」とかいう私って、ウザイでしょうねぇ・・・・。
一方、親戚の集まりで語られる思い出話には、私、ほかの人の話であっても、時々「聞いていられない」ようなしんどさを覚えるときもあります。また、「きっと、私が居ないところでは、私についてもその場の盛り上がりで話が大げさになったり、実際とちがう話が曲げられたりして、いろいろ言われているんだろうな・・・・。なんせ、今日もこんな調子だから」と思ってしまうことすらあります。「いっそ、親戚の集まりに呼んでくれなくてもいいや。静かに私ら一家だけ置いていてくれるほうが、よっぽどありがたい」という思いにいたることも、私にはしばしばあります。
でも、この親戚たちにとっては、こういう話し方や集まりの持ち方は、ある意味で「あたりまえ」のこと。というか、そこでこんな会話を楽しみながら、うまいものを食い、一杯飲んで、ちょっといい気分になることで、日ごろのストレスを解消している。だからこそ、きつい仕事だとか、日々のしんどい生活にもなんとか、耐えていける・・・・。そんなところもあるんでしょうね。
そして、その生活感覚の延長線上で、「今度、あの子らも集まりに呼んであげようや」と、親戚のみなさんはまさに「親切」で私に声をかけてくれたりもするわけです。ついでにいうと、この親戚の部分に「母」という言葉を入れたら、今の実家と私の関係にも、似たようなことがあてはまります。けっしてみんな悪気はなく、むしろ親切な人たち、いわば「情の濃い人たち」なんですよね。でも、その「情の濃さ」が生み出すものがやっかいというのか・・・・。
このような次第で、前々からわかっていた部分も大きかったのですが、このたびの父の死をきっかけにして、どうも言葉の使い方や会話の方法、その裏にある価値観など、実家や親戚たちと私との間にはずいぶんちがいがあることに、あらためて気づかされたわけです。
ちなみに、教育社会学の領域には「言語コード論」という研究があります。「言語コード」というのは、簡単に言えば「人がどのように話すかを決めている(目には見えない)ルール」。また、その「言語コード」には、まるでラジオのニュースで伝えられるように、それがどこで起こったかが聞き手にはっきりわかるような、そんなていねいで説明的な物言い=「精密コード」と、「限定コード」といって、お互いによく見知った者どうしの会話でよく使われるような物言いとにわけることができます。たとえば、よく見知った者どうしだと、あまり多くのことを言葉でいわなくてもわかりあえる(場合によれば「メシ、フロ」とか、単語ひとつでも用件を済ませることができる)とか、論理的な説明よりも情緒的な語り方のほうが好まれるとか、そんなことがありますよね。これが「限定コード」の使われる場面といえばいいでしょうか。そして、この「言語コード」の2つのパターンのどちらがよく強く現れるかには、社会階層のちがいに伴う生活習慣や文化のちがいなどが反映しているようです。(ちなみに、この「言語コード論」については、志水宏吉『学力を育てる』(岩波新書)の第3章を参照しました。)
大学院入学以後、この「言語コード論」の話を文献などで見聞きするたび、「ああ、これって私と実家、親戚の関係だなぁ」って思うんです。そして、私がだんだん、実家や親戚の集まりになかなかなじめない自分に気づくたびに、「学校や教育について考えるときに、自分が関心を寄せる人々の暮らす「生活」の場に立ち戻って、繰り返し繰り返し、問いを立て直すという作業」が大事だと思いつつも、「自分は誰の生活の場に、どういう形で立ち戻るのか?」という難問があるんだということにも、あらためて気づくわけです。そこが、上で「ただ・・・・。これはなかなか、言うはたやすく、行うのはなかなか、難しいことです。また、こういうことを書いている私自身も、それがどこまでできているのか、わからない面があります」と書いた理由です。
と同時に、「誰かがきちんと、実家や親戚のような生活をしている人々の思いを受け止め、学問的な世界に向けて情報発信しないと、学問的な世界に暮らす人々は自分たちに通用する言葉で自己完結して、それ以外の世界で暮らす人々にわかるようにことばを磨く努力を怠ってしまうのでは?」という思いも、父の死後、あらためて強まっているのも事実です。それはやはり、生活習慣や文化が少しずつずれはじめ、なかなかわかりあえない部分もでてきたとはいうものの、このたびの父の死をきっかけに、実家や親戚のみなさんの「情の濃さ」とか「親切さ」に触れて、何かが私のなかで芽生えはじめているからだと思います。
だから、冒頭に引用した若山牧水の短歌(これって中学か高校の国語教科書にでていませんでした? ついでに、短歌そのものも、これでまちがいないでしょうか?)のように、今の私は実家や親戚の暮らす生活の世界にも、学問的な世界にも、なんだか今まで以上に「染まらずただよふ」感じです。
今後も引き続き、このテーマについて、書き綴っていくことにします。
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