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できることを、できる人が、できるかたちで

京都精華大学教員・住友剛のブログ。
関西圏中心に、教育や子ども・若者に関する情報発信を主に行います。

今日のぼやき ~研究者倫理的にどうなんだ? 新型コロナ対策の政府の専門家会議に「議事録なし」って?~

2020-05-29 09:35:10 | 今日のぼやき

新しく「今日のぼやき」というカテゴリーを、このブログに追加しました。さっそく1つだけ、その新しい「今日のぼやき」の方に、過去のブログ記事を移動しておきました。また、今日もこれから1つ、「今日のぼやき」を書いておきます。今朝、フェイスブックのほうには書き込んだ記事ではあるんですが。

まあ、今までもツイッターやフェイスブックに毎日ぶつぶつ言っているようなことをまとめて、こちらに転載してきましたが…。でも、他のカテゴリーにはあまり分類しづらいなぁと思うようなことを、けっこうツイッターやフェイスブックには書き込んでいます。そこで、そういう他のカテゴリーにはまとめづらいことを、この「今日のぼやき」カテゴリーにまとめて入れておこうと思います。今後とも、どうぞ末永くおつきあいください。

●以下、今日の「ぼやき」です。

あのさあ、各大学の教員たちって私も含めて、たとえば科研費申請の時期になると、「研究倫理」だの「研究費の不正使用防止」だのについて、やたらと「ガイドライン」みたいなのくばられたり、「研修」と称して長い説明を事務方から聴かされたりしているじゃん。

なおかつ、そういう「ガイドライン」読んだかどうかとか、「研修」に出席したかどうかとかチェックされて、「研修」うけてなかったら「ビデオがあるからそれ見ろ」と言われ、「ガイドライン」読んでなかったら「読め」と叱られ・・・。

おまけにそういう事前研修やった上で、細かく領収書やらレシート残すように言われたり、出張の記録とか滞在したホテルの領収書やら出せ言われたり、研究成果物の根拠になった実験記録やフィールドワークの記録やらインタビューのメモ・録音、そして収集した文献・資料とか「残せ」って言われているわけでしょ。そうやって私ら科研費も含め、研究費申請の対応とかやってるわけ。

そういう研究者というのか、科学者の日頃の倫理に照らして、この新型コロナの対策に集まってる連中の今やってることって、どうなん?

「政府に言われなかったら、会議の記録残さなくてもフリーパス」みたいな倫理観で、こんな歴史的に重要な会議に「専門家」「研究者」「科学者」としておたくら、出席しているわけ??

それって、研究者倫理というのか、科学者倫理に照らして、どうなんよ? ちゃんと研究者として、科学者として答えろよ、おたくら。

それにうまく答えられないとしたら、「おたくらはしょせん、この会議に専門家や研究者、科学者として出ているのではなくて、政府の非常勤の役人として出ているということだからな~」というしかない。

この重要な新型コロナ対応に関する会議の記録を残さない政府サイドに対しても「おたくら、しょうもないことでは科研費申請とかでやたらと「書類のこせ」というくせに」と腹もたつが・・・。

同時に、そういう記録残さない会議に「そんな会議でええんですか? それ、まちがってるでしょ」の一言も公の場で発することもできない、この会議体に出席している研究者・科学者・専門家と称する連中に対しても、「おたくら、どうにかしてるわ!」と言っておく。

<この話のもとになった新聞のネット配信記事>

コロナ専門家会議、議事録作らず 歴史的事態検証の妨げに (共同通信) 5/28(木) 19:28配信

https://news.yahoo.co.jp/articles/f9205807c30548447252b78088a56b13576b5862

 

 


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まずは医療関係者の間で「子どもへのCOVID-19感染防止策」に関する議論を詰めてほしい

2020-05-23 20:16:15 | 受験・学校

今から書くことは昨日あたりにツイッターでつぶやいたことですし、今日もフェイスブックで書きこみました。それをこちらに転載して、一部、手直しするかたちで書きますね。

まあ、こういうことを書くきっかけになったのは、うちの大学の教職課程科目でいま「学校安全論」という科目を担当していて、その授業準備のなかでのこと。

昨日から授業準備をするなかで「今年はやっぱり、学校での感染症対策の話をしておかなきゃな~」と思って、いろんな資料に目を通してみて、「あれ?」と気付いたことがありました。

そのことを、以下のとおり書き記しておきます。ちょっと「関西弁(というか、神戸・阪神間で暮らしてる人のことばづかい)まるだし」ですけど、お許しください。

<以下、先ほどフェイスブックに書きこんだこと(一部手を加えてます>

う~ん。「まずは医療関係者のあいだで、子どものCOVID-19の感染拡大傾向に関する知見を整理してくれ~。医療関係者どうしでしっかり議論して、見解を整理してくれ~」と、いまは声を大にして言いたい。

でないと「限りなくゼロリスクを」という路線(=「よそから『対策』とってないとツッコまれないための自己防衛も含めて)で首長や教育行政が突っ走りかねない。そうすると、どこかの首長の提案みたいに、たとえば子どもと教職員の全員に「フェイスシールドつけさせる」みたいな話がどんどんすすみ、結果的に学校現場の子どもも教職員も、それとつきあっている保護者や地域の人々も疲弊するように思うんですよ。

それこそ、たとえば「COVID-19 患者の中で小児が占める割合は少なく、その殆どは家族内感染である」という一文が、日本小児科学会予防接種・感染症対策委員会「小児の新型コロナウイルス感染症に関する医学的知見の現状」(2020年5月20日)という文書の最初に出てきます。

※なお、この日本小児科学会予防接種・感染症対策委員会「小児の新型コロナウイルス感染症に関する医学的知見の現状」(2020年5月20日)という文書は、次のページで閲覧できます(PDFファイルでダウンロード可能です)。

http://www.jpeds.or.jp/modules/activity/index.php?content_id=342

この小児科学会の文書を前提にしたら、「ほな、学校での対策よりも、家族内感染への対策のほうが重要やんか」とか、「いま、文科省がマニュアルつくって各地の学校にすすめているレベルの感染拡大防止策まで、ほんまにいるんやろうか?」という疑問もわいてきますよね。

しかし例の「3密を避ける」ことを前提とした政府の感染症対策の会議などの方向性からすると、やっぱり一定、文科省のマニュアルの求めている内容にも「一理あり」という側面もあったりするんですよねぇ。

※文部科学省が現在「学校再開」に向けて、各地の学校や教育行政当局にすすめている「マニュアル」は、こちらで閲覧可能です。

文部科学省「学校における新型コロナウイルス感染症に関する衛生管理マニュアル~「学校の新しい生活様式」~」 https://www.mext.go.jp/a_menu/coronavirus/mext_00029.htm

まあ「未知のウイルス」で、わからないことだらけでしかたがない部分もあるし、また、「限りなくゼロリスクを」という路線もわからなくもないんですが…。

でも「やらなくてもいいような過剰な対策で、子どもも教職員も、保護者も地域の人々も、みんなが疲弊する」ということは、やっぱり「回避できるなら、それに越したことはない」とも思うんですよね。

ということで、まずは「子どものCOVID-19の感染拡大防止策について、医療関係者の間での一致点というか、合意形成をまずははかってくれ~」と、私としては声を大きくして言いたくなっております。

<以上で、フェイスブックに書きこんだ内容の転載と加筆修正は終了>

その上で、こちらの画像を見てください。こちらの画像は、先ほどの日本小児科学会の「小児の新型コロナウイルス感染症に関する医学的知見の現状」という文書の6ページにある画像を、このブログに合うサイズに加工して転載したものです。

この文書自体を読めばわかりますが、日本小児科学会の委員会としてこれまでにわかっている情報を整理したところ、「学校や保育施設の閉鎖には流行阻止効果に乏しい」ことや、「教育・保育・療育・医療福祉施設等の閉鎖が子どもの心身を脅かしている」恐れが高いそうです。また、下記の図表は、そのことをふまえて作成したものです。こちらの図表については、今後、学校や保育、福祉その他の学校外の子どもの活動の関係者(現場の人や研究者、行政関係者なども含む)は、よく意識しておいたほうがいいように思いました。ということで、下記の図表を、私のブログでも紹介しておきます。

 


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今朝のぼやき ~ネット学習やICT教育推進の声に思うこと~

2020-05-15 11:52:26 | 今日のぼやき

あとで黒字部分に書くことは、いったん今朝、ツイッターでつぶやいたことを、フェイスブックに転記して整理しなおしたことです。なので、人によっては「これ、どこかで見たぞ~」と思う方もいるかもしれませんが…。

でもまあ、昨今の小中学校や高校の授業のネット配信のことですとか、子どもたちにタブレットを渡してICT教育の推進とかいう話を聴くたびに、「それ、持ち上げる人は気分いいかもしれないけど…。あとあとで何か問題が起こったときに、その持ち上げた人たち、ちゃんとその問題の尻拭いまでするんですよね???」と言いたくなってしまうんですよね、私。

ほんと、あとでも書きますが…。右派からでも、左派・リベラルからでも、人権派からでもいいんですが、教育や学校のことで「新しいことやりたがる人・言いたがる人」って、私からしたら「もう、うんざり。迷惑」としか思えないんですよねえ。

だって、そういう人たちって、そのやりだした新しいことがとん挫したり、失敗したりしたら、どこかへ消えていったり、沈黙したりして、自らの言ってきたことの「後始末」をちゃんとやってるかどうかが、ほんと、怪しいわけですよ。

でもねえ、その「後始末」を学校現場の教職員も子どもも保護者も、誰かがきっちりやってほしくて、それを待ち望んでいたりするわけで…。そして、その「後始末」をする「損な役回り」ばかり私のところへまわってきて、心身ともにすり減ってしまう。「もう、うんざりだわ。だれかの後始末…」としか思えない私は、こうやって教育や学校の話に対して、どんどん、保守的になっていく次第です。

ということで、以下は今朝のツイッターやフェイスブックで書きこんだことです。

<以下の黒字部分が、そのツイッター・フェイスブックで書きこんだ内容>

ネット授業の普及に伴って、これから担当教職員の心身の負荷の問題、子どものメンタル面での諸課題、教職員側の「教えたつもり・がんばった気」と子ども側の「やったふり・わかったふり」にどう対応するか、子どものネット学習忌避等々の問題が浮上するだろうなあ。

ここから先はネット学習やICT教育を手放しで礼さんしていた人々が見落としたり、見なかったりした諸課題も浮上するだろうなあ。で、私の予想ではそういう礼さん派や推進派は、こうした諸課題に全く対応できないと思うし、沈黙して逃げると思うなあ。

でさあ、礼さん派や推進派が沈黙して逃げまくっても、現実に困ってる子どもや保護者、教職員に教育行政の担当者がいるわけ。その現実に困ってる人たちと共に、推進派や礼さん派の尻拭いをいつも私みたいなのがやらされてきたような気がする。特にこの20年近くはそんな感じかなあ。

だから右からでも、左派やリベラルでも、とにかく教育や学校でやたらと新しいこと言いたがる人や始めたがる人たちには、「失敗したときの尻拭いまでやれよ、お前ら!」と、とにかくウンザリする気分しかない。なので、年々私は教育や学校の諸課題に対しては、保守的な態度になっていくのでした。

 


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「この困難な状況にある子どもや若者たちとともに生きること」こそ、教員である我々の仕事では? 教科書や学習指導要領がそれを見えなくさせるなら、この際、捨ててしまえ。

2020-05-13 20:43:33 | 受験・学校

「この困難な状況にある子どもや若者たちとともに生きること」こそ、教員である我々の仕事では? 教科書や学習指導要領がそれを見えなくさせるなら、この際、捨ててしまえ。

以下に書いたことは、先ほどフェイスブックに書きこんだことです。結論は上記の赤字部分の内容なんですが、どうしてそういうことを思いついたのかは、この下記の内容を読んでいただければわかるかと思います。

もうこの際、学習指導要領も教科書も、全部捨ててしまえ。そんなもんがあるから、見なければいけないものが見えなくなるなら、破いて火つけて燃やしてしまえ。

今、大事なのは、目の前の子どもたちの「生きよう」という気持ち、「こんなたいへんな世の中だけど、それでも暮らして行かなきゃ」という思いに、おとなとしてどう向き合うかということ。ただ、それだけでしょ?

だから学校のとりくみも、とりあえずいま、登校できて、目の前にいる子どもたちの様子を見ながら、その子どもが教職員という名のおとなとともに「やりたい」と思うことだけできたら、それでよし。

当分の間、学習指導要領も教科書も全部無視して、小・中学校も高校も、支援学校も幼稚園も、子どもとともに教職員が毎日、その日その日を精一杯、いっしょに生きようという取り組みをやれば、それでよし。

逆に、そういう学校運営やって困るのは「決められたことを、決められたとおりに教えなければならない」という固定観念にとらわれた「おとな」だけ。別に子どもは何も困らないんじゃないかな?

大学だって同じ。次年度入学予定の学生たちに何かたりないものがあれば、大学として責任もってリメディアル教育やればいい。

別に文科省に限らず、地方教育行政でも、学校現場でも、ひとりひとりの教育関係者がこういう「覚悟」をさっさと決めたら、9月入学がどうのとか、ネット配信授業がどうとか、そんなこと「ど~でもええ」としか思わなくなるんじゃないですか?

すでに私はその「覚悟」決めて、これから先のことを考えていきたいと思っています。(といっても、気力体力の続く範囲だけですけどね)

ついでにいうと、私、中3の約1年間、不登校ですよ。学校に行って、まともに勉強してない。もちろん、基礎的な学力形成の差っていうものもあるとは思う。

ただ、それでもその不登校の1年のあと、4年間、公立の通信制高校に行き、大学、大学院に行き、今があるわけですよ、私。

だから「たかが1年間くらい学校が休みになって、じたばたすんなよ、ほんまに。その学習の遅れを取り戻す方法くらい、どうとでもなるわ!」と言いたいです、ほんまに。

<参考> このフェイスブックの記事やブログの記事を書く前に、下記のテレビ局の配信ニュースを見ました。「しょ~もな~文科省。そこまで言うんやったら、一日も早く、教科書も学習指導要領も捨ててしまえよ。そうしたら学校現場はもっと楽に学校再開、やれるぞ」としかいいようがありません。

小中教育課程“数年かけ学習遅れ取り戻す” (日テレNEWS24 2020年5月13日10時58分配信)


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「代替授業」の準備を続けるなかで考えたこと

2020-05-10 22:39:07 | 私の「仲間」たちへ

○下記に書いた内容は、昨日~今日にかけて、フェイスブックやツイッターなどで書いたことを整理してまとめたものです。

このところ、うちの大学でもインターネット経由の代替授業をやっているのですが…。

「双方向でリアルタイムの~」なんてこともせず、あるいは「動画配信」なんてこともせず、ただ、毎回、どの科目も配布資料を「読み物化」したうえで、その「読み物化」した内容にコメントを加えるだけの課題をつくる。

私の代替授業は、そういう「古典的」な方法です。

でも、そんな「古典的」方法をとるなかでも、私の配布資料を読みこんだ学生たちのなかには、いろんな思いが芽生えるようです。その芽生えた思いをコメントとして返してくるので、私はそのコメントにまた自分の思いを書いて、学生たちとのやりとりを続けています。

そのやりとりのなかで、下記にも書きましたが、自分が教育学の研究者として、教職課程の担当教員として、もう一度「生き直し」をしようとしているのではないか…と思うこともでてきました。

そんなことをふまえて、以下の内容を書きました。

<以下、まずは昨日(5月9日)にフェイスブックやツイッターに書きこんだこと>

先ほど残る1科目の代替授業の準備終了。で、即、PDFを配信。こんな感じで自分の担当科目の配布資料を加工して「読み物」にするという作業をして、代替授業に連日、対応しているのですが…。この調子でいくと、担当各科目のテキスト本が学期末にできてしまいそうな感じです。

もともとある人に、「住友さんの講演・講義の配布資料って、そのまま手を加えたら活字(論文や雑誌記事、本の原稿等々)になりますよ」と言われたことがありまして…。ほんとうに4年ほど前に、社会科公民科教育法Ⅰの授業の配布資料を全部「読み物」化したら、テキストが1冊できあがったことがありました。あのときの経験がいま、代替授業の準備に生きております。

しかしまぁ、この調子で「読み物」化する作業を延々と続けていて、我が身が持つのだろうか。やっぱりどこかでダラダラデーやゴロゴロタイムを設けて、休まないといかんな~。

でも、正直なところ、まじめに送った「読み物」を読み込んでコメントを返してくる学生が多くて、とても励みになる。教育学研究者として、教職課程科目の担当者として、自分がなんか「生きなおし」をしているような感覚すら覚えることもあるなあ、この作業。ネットで動画配信にしなくてよかったと思う。

文章ばかりでほとんど図表のない配布資料だけど、そこで使われている「ことば」から学生が何かを感じ取って、私が配布資料で書いたことと「化学反応」みたいなものを起こして、いいことを思いつきはじめている学生が、まだ3回くらいしか代替授業やってないけど、確実に出始めている。

学生たち個々の問題意識に持続的な「化学反応」を起こす「ことば」を見付けて、それを資料にできるだけ書きこんで、投げかけていくということ。それしか今の自分の代替授業ではできないのだけど…。でも動画配信とか「見栄え」にだけこだわって中身のない授業より、はるかにましだと思う。

「学ぶこと」と「教える」ことの関係の本質は、ここだと思う。学生たちに持続的な問題意識が生まれるために、この子たちの思考の化学反応を引き起こす言葉をどうやって見つけて、ぶつけていくのか。林竹二の授業論が好きな私にとっては、そこがすべて。動画配信だの双方向授業だのは、どうでもいい。

そんな自分にとっては「どうでもいい」ネット関係の情報配信の技術習得にかける時間があれば、学生とネットで雑談したり、あるいは自分の興味関心ある領域の文献を読みこむかをして、学生たちの思考や興味関心に確実に届く「ことば」を探す努力をしていたいなぁ。

いまはもっと「学ぶこと」と「教えること」の関係の本質的なところからきちんとつかみなおすような、そんな議論をしていたいわ。バカバカしい議論につきあっている時間が惜しくてしょうがない。そう思う今日この頃です。

<以下、昨日(5月9日)に、上記とは別にフェイスブックに書きこんだこと>

当面の私は「学ぶこと」と「教えること」の本質的な関係を見つめるところからすべての議論を構築していきたい。「9月入学」移行も「オンライン授業」も含め、上記以外の話はすべて今の私には「どうでもいい話」なので一切「無視」で「相手にしません」。

子どもや学生の「学びたい」という思いに、我々が教師として何を提供できるか。そこに教育や学びの本質的な営みがかかっている。いつから私ら教師は「年間○時間授業を終わらせないかん」「そのためにはネット配信で」「9月始業もあり」とかというだけの存在になったの?

あえていま言っておく。毎日「ネットで朝礼」「出欠確認」や動画配信で授業やっているのって、家庭に「学校」がとことんまで入り込んでるのとどこがちがうのか? その恐ろしさ、わかっているのか、一部の不登校問題の関係者たち? それを手放しで喜んでどうするねん?

○最後に「まとめ」みたいに書いておきますが…。なんか上に書いたようなことにこだわりはじめて、そこに目を向け始めると、前にも書きましたが「9月入学(始業)」への移行の話とか、「オンライン授業」のための環境整備がどうのとか、そういう話がますます「どうでもよくなってきた」というのが、今の私の実感です。

それこそ、いまは熱心に各教育委員会からテレビで授業配信とか、あるいはネット配信で朝礼をやるとかがんばっていますけど・・・。「知恵のまわる子ども」は、それを上手に「受けたふり」とか「やりすごす方法」とかを、もう見つけているんじゃないですかね? 

それこそ、たとえば片方で「動画配信の授業」が映っているテレビやパソコンをつけっぱなしにしながら、手元ではニンテンドーDSやっていたりするような子や、スマホいじっているような、そんな子どもも居るのではないかと。

「子どもたちに家でそんなことをさせてしまうために、たとえば家庭でのネット学習環境の整備とか、9月入学(始業)への移行とか、まじめにおとなたちが議論しているとしたら、なにか、大きなところでピントがずれているんじゃないですかね?」と、率直に今、私としては思ってしまいますね。

ということで、今日のブログ、ここで終わります。


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「9月入学」や「ICT教育」の話の前に、いま学校の「新型コロナ」対応について考えてほしいこと

2020-05-07 09:30:06 | 受験・学校

下記に書いていることは、5月1日(金)にツイッターでつぶやいたことを、いったんフェイスブックにまとめて手を加えたものです。こちらにも転載しておきます。

個人的には昨今はやりの「9月入学」移行の議論と、インターネットでの授業動画の配信を中心とした代替授業の話は、ほんと「ばかばかしい」としか思っていません。その理由がわかると思うので、あえてこちらに転載しておきます。

<以下、転載内容>

○あれかなあ。ICT普及と9月入学移行を柱に「惨事便乗」型の教育改革やりたがってる連中がいるような気配だなあ。まあ、コロナ対応には別に急いでやる必要ないだろうし、いまはそんなことしてる場合じゃないだろうから、無視するに限るけどね。

○そもそも生涯学習社会への移行とか言うてこの三十数年、若いうちに学べなかったことも年取ってから学べばいいと考えてきたわけじゃん。だったら9月入学の制度改革の前に、子どもや若者がこの機会にしか経験できないこと、いま考えるべき大事なことを最優先でやろうよ。

○自分が高校教員なら、各教科のワークブックやネット教材やらせていくよりも、毎月1テーマで「あなたは家にいるあいだに、人間や社会、文化、自然について何を見つめたか?」を問うていくようなレポート書かせたいなあ。もちろん体験的な活動のレポートもありで。

○その毎月1テーマで書かせたレポートの束というか、ポートフォリオの質や量、課題意識のありようで、今年は高校生の進級や卒業を判定するなあ、自分なら。また、大学入試に際しても面接時にそのポートフォリオを出させて判定資料に使ってもらうなあ。

○で、個々の生徒と3密をさけたかかわりやICT活用での接触を教員として定期的に行うなかで、高校生のポートフォリオ作成を支援して、この機会に本当にその子その子が本気で学びたいことを見つめる作業と教員として向き合いたいなあ。私が高校教員なら、そうする。

○コロナ流行で休校が続く状況は悲しい。でもその悲しみのなかで何か課題意識が子どもや若者に芽生えているなら、それを大事に育てたい。また、それは9月入学とか制度をいじらなくても、いますぐ、子どもや若者にかかわる人のアタマと心さえ変えたら始められること多数ありですよ。

○逆にいうと、従来通りの教科書や学習指導要領の中身をきっちりその学年単位で終えて、テストで学力測定して…なんていう学習観や教育観にはまればはまるほど、「9月入学で~」みたいな発想が強まるんじゃないかなあ。私みたいにそんな学習観や教育観自体を捨てちゃえば発想も変わるだろうけどね。

○そういえば3月の時点で私、全国一斉休校のどさくさにまぎれて、教職員と集まれる子どもとでフリースクールみたいなことやってしまえと言っていたかと。目の前の子どもに必要なことさえやっていれば「横並び」なんて無視。それさえ容認してくれたら、別に「9月入学」移行なんて制度改革は必要ない。


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休校中の子どもたちの声に耳を傾けてください ~セーブ・ザ・チルドレンの報告書公表に寄せて~

2020-05-05 20:59:04 | 受験・学校

セーブ・ザ・チルドレン・ジャパンが5月3日付けで、次のタイトルの報告書を出しました。

「子どもたちの声、気持ちをきかせてください! 2020年春緊急子どもアンケート 全体版報告書」

この報告書は、今年3月の一斉休校時に、セーブ・ザ・チルドレン・ジャパンの呼びかけに応じて寄せられた子どもたちのアンケートの結果をまとめたもの。1422件の有効回答をまとめて、識者コメントなどもつけたかたちで全体版報告書をまとめました。私もコメントを求められたので、短いですが、ひとこと書かせていただきます。

もちろん、一民間団体の呼びかけで集められる範囲には限界がありますが…。それでも、3月の一斉休校時に子どもたちが何を感じ、何を悩み、何に困っていたのか。その一端は、この報告書のなかから浮かび上がってくると思います。

詳しいことは上記の報告書及びセーブ・ザ・チルドレン・ジャパンのホームページ(ブログ)の紹介記事で確認してください。

それにしても、3月の全国一斉休校のときもそうですし、この4月以降のあらためての緊急事態宣言以後の休校もそうですが・・・。

おとなたちは、この約3ヶ月近く、常に自分たちの都合と不安感ばかりが先走って、子どものことを無視するかたちで施策を動かそうとしてきてはいなかったか。

たとえば、今もなお「学校に一日も早く学校に通えるようになって、友だちに会いたい、教職員と話をしたいと思っているような、そんな子どもたちの声を聴くことはこの間、各地でしてきたのだろうか? 「どうして家にずっといなくちゃいけないの?」という疑問を持っている子どもたちに対して、なぜ休校措置が必要なのか、外出自粛が大事なのか、そういう説明をていねいにしたおとながどれだけいるのだろうか? 入学式や卒業式を延期したり、取りやめにしたところでは、子どもたちになぜそうするのか、ていねいに学校側や行政側から説明したのだろうか?

あるいは、政治家や行政施策を考える人たちは、自分たちのやりたいことに都合のいい子どもの声ばかりを聴いて、自分たちに都合のいい施策ばかりを考えていないのか?

たとえばネット配信のでの授業実施も、そういう方法をとっても「別に困らない」子どもの側ばかりを向いて実施しようとしているのではないのか? 今の時点でもなお、まだ新年度の教科書が届いていないとか、自分の学級担任が誰なのか、顔も見たことがないとか、クラスのなかまが誰なのかわからないとか、そういう子どもたちのことには、学校として、あるいは教育行政としてどこまでの対応をしようとしているのか?

学校給食がなくなって食事に困っている子どもと家庭もすでに各地に増えているのかもしれないし、また、学童保育はすでに長期にわたる子どもと家庭への支援で、相当にスタッフたちが疲弊しているのではないかと思ったりもします。家庭内での子どもの虐待の発生についても、さまざまな懸念があるところです。そういう生活困難な状況にある子どもと家庭に対して、いったい政治家や行政施策を考える人々は、どこまでの支援を準備できたのだろうか?

さらに、たとえ学校が再開されたとしても、分散登校などのかたちでいわゆる「三密を避ける」かたちで当面、運営せざるをえないでしょうし…。また、たとえ学校が再開されたとしても、また感染拡大が起きそうになったら、しばらく休校再開とせざるをえなくなる。

そんな状況にもかかわらず、「9月入学」の是非とか、学習指導要領の内容や時間数の消化にこだわって夏休みや土日を無くそうとか、「あさって」の方向ばかりむいた施策を考えようとしている首長ほか一部の政治家と、それに追従する人々もいる。

私としては「そんなことよりも、今年学べなかったことは来年以降、さまざまな学習機会で学べるようにすればいいだけでしょ? 高校・大学や社会教育・生涯学習の場など、あらゆる機会を通じて、学び直しニーズ、学び足りないニーズを全面的に支えられるような体制を整えましょうよ」としか言いようがない。

「いったい、あなたがたはどっちに向いて施策を考えているのか? それこそ15歳や18歳で人生が決まらずに、生涯にわたって学習機会を整備していこうと考えて『生涯学習体系への移行』といってきた、この約30年の教育改革はなんだったのか? あなたがたはいまだに15歳や18歳で人間の学びのすべてが決まる社会をつくろうとしているのか?」と、「9月入学制」等々にこだわっている政治家等には一言、この際、言っておきたいです。

そして、これだけ困難な現状のなかでも、目の前の子どもに何ができるかを真剣に考え、模索し続けている現場教職員がいる。ストレスとジレンマを抱えながらも、日々、子どもの暮らしを支えている学童保育や保育所などのスタッフもいる。市区町村や都道府県レベルで、何か子どもと家庭に対して有効な施策は打てないかと悩み続けている行政職員もいる。そういった人々に協力したい研究者や専門職、地域の人々もいる。なぜ、こうしたおとなたちの力を、いま、目の前の子どもたちの抱えている悩みの前に結集していこうとしないのか。

ここで本来、政治家のするべきことは、テレビを通じての「対策やってます」アピールでもなく、ましてや「9月入学制」とか「学習指導要領の内容や時間数の消化」とかにこだわることではなくて、いま、おとなたちのもっている力を結集して、子どもたちの抱えている諸課題をひとつひとつ、ていねいに解決すべきことなのではないかと思う。

その力を結集するヒントは、全部、あのセーブ・ザ・チルドレン・ジャパンが集めてくれた報告書のなかにあるし、また、日々、目の前の子どもたちとのかかわりのなかにある。私はそう信じています。

今の時点で、私の立場から言えることは、これだけです。でも、これが今の正直な気持ちです。


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近況報告&最近読んだ本をまとめて紹介(3073冊目~3090冊目)

2020-05-02 12:22:25 | 本と雑誌

気付けばもう5月2日ですね。「緊急事態宣言」がでていて、なおかつ延長が検討されている状況下ですが、一応「ゴールデンウィーク」の真っ最中です。家の外はいいお天気で、本来であればちょっとお出かけでもしたい気分ですが…。でも、基本的には「ステイ・ホーム」でいたいと思います。

ちなみに現在、私は「在宅勤務」中。家から各科目の授業の課題などをネット配信して、学生たちにやってもらうスタイルで仕事をしています。でも、この「在宅勤務」っていいのか悪いのか…。どこまで仕事で、どこから休みなのか、なかなか区切りがつきません。その分、メンタル面がキツイなぁって思います。

そのメンタル面がキツイということでいえば…。私もちょっとこの1週間くらい、どっと心身の疲れがでたのか、少々バテ気味。先週末あたり(4月24日~26日)が特に最悪な状態で、なかなかふとんから出られなかったりもしてまして…。その間、ブログの更新なども途切れてしまいました。ただ、おかげさまで、ようやくこの2~3日、回復傾向です。

そうそう、プリキュアも気が付いたら収録のストックがなくなったようでね。どうやら、この前の日曜日(4月26日)からは再放送をしているようですしねえ…。今後、プリキュアの放送を含めて、はたして新型コロナウイルスの感染拡大への社会的対応がどうなっていくのか。いろいろ気になってしかたがありません。プリキュアのようなアニメや、仮面ライダーのような特撮もののテレビ番組があるおかげで、きっと「ステイ・ホーム」中の生活でなんとか救われている子どももいるだろうし、保護者も「ありがたい」って思っているケースもあると思うんだけどなあ…。

さて、またまた最近読んだ本がたまってきたので、いつもどおり本のタイトルや著者名程度ですけど、紹介していきますね。

3073冊目:桃崎有一郎『「京都」の誕生 武士が造った戦乱の都』文春新書、2020年

3074冊目:川田稔『木戸幸一 内大臣の太平洋戦争』文春新書、2020年

3075冊目:高橋典幸編『中世史講義【戦乱編】』ちくま新書、2020年

3076冊目:渡邊大門『明智光秀と本能寺の変』ちくま新書、2019年

3077冊目:山之内幸夫『山口組の平成史』ちくま新書、2020年

3078冊目:小林健治『解放同盟「糾弾」史―メディアと差別表現』ちくま新書、2015年

3079冊目:飯島渉『感染症の中国史 公衆衛生と東アジア』中公新書、2009年

3080冊目:川北稔『砂糖の世界史』岩波ジュニア新書、1996年

3081冊目:保阪正康『昭和史の本質 良心と偽善のあいだ』新潮新書、2020年

3082冊目:竹内薫『わが子をAIの奴隷にしないために』新潮新書、2019年

3083冊目:岩田健太郎『予防接種は「効く」のか? ワクチン嫌いを考える』光文社新書、2010年

3084冊目:熊谷達也『七夕しぐれ』光文社文庫、2009年

3085冊目:高橋伸夫・内田和子・岡本耕平・佐藤哲夫編『現代地理学入門 身近な地域から世界まで』古今書院、2005年

3086冊目:砂崎良(著)・井田仁康(監修)『リアルな今がわかる日本と世界の地理』朝日新聞出版、2020年

3087冊目:内田樹『サル化する世界』文藝春秋、2020年

3088冊目:和田春樹『韓国併合110年後の真実 条約による併合という欺瞞』岩波ブックレット、2019年

3089冊目:猪瀬浩平『ボランティアってなんだっけ?』岩波ブックレット、2020年

3090冊目:清水透『インディオの村通い40年 <いのち>みつめて』岩波ブックレット、2020年


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