喜多院から南へ5分ほど歩くと、「中院」に着きます。
ここの枝垂れ桜も有名ですが、ちょうど見頃で、綺麗でした。
ちょうどお昼の時間だったせいか、思った以上に人は少なく、ラッキー!!

<中院>
平安時代、淳和天皇の勅許で円仁(慈覚大師)が建立し、当初は無量寿寺仏地院と呼ばれていて、もともと、中院を中心に、北院(喜多院)と南院(現在は廃寺)の三支院で構成されていました。
当初の中院は喜多院の隣にある仙波東照宮の場所にありましたが、寛永10年(1633年)の東照宮建造の折、現在の場所に移ったそうです。


枝垂れ桜を下から見上げてみます。


この中院、案外知られていないのは、狭山茶(河越茶)の発祥の地であること!!
境内にはその起源を記した石碑も建てられています。
無量寿寺建立の際、円仁(慈覚大師)が京都(比叡山)より、茶を伝え境内で茶の栽培を始めたそうで、その後、川越藩領の狭山丘陵で茶の栽培が広まりました。
狭山茶は元は「河越茶」といわれ、30年ほど前までは境内に茶畑が残っていたそうです。(ウィキペディアなどより)


赤い花はミツバツツジでしょうか。

また、中院は、島崎藤村の義母・加藤みきの墓があり藤村は頻繁に訪れた事でも有名です。
ちなみに、島崎藤村の妻となった加藤静子は、ここ川越の出身だそうです。


そろそろお腹もすいてきたので、再び喜多院へ戻ることにします。
ここの枝垂れ桜も有名ですが、ちょうど見頃で、綺麗でした。
ちょうどお昼の時間だったせいか、思った以上に人は少なく、ラッキー!!

<中院>
平安時代、淳和天皇の勅許で円仁(慈覚大師)が建立し、当初は無量寿寺仏地院と呼ばれていて、もともと、中院を中心に、北院(喜多院)と南院(現在は廃寺)の三支院で構成されていました。
当初の中院は喜多院の隣にある仙波東照宮の場所にありましたが、寛永10年(1633年)の東照宮建造の折、現在の場所に移ったそうです。


枝垂れ桜を下から見上げてみます。


この中院、案外知られていないのは、狭山茶(河越茶)の発祥の地であること!!
境内にはその起源を記した石碑も建てられています。
無量寿寺建立の際、円仁(慈覚大師)が京都(比叡山)より、茶を伝え境内で茶の栽培を始めたそうで、その後、川越藩領の狭山丘陵で茶の栽培が広まりました。
狭山茶は元は「河越茶」といわれ、30年ほど前までは境内に茶畑が残っていたそうです。(ウィキペディアなどより)


赤い花はミツバツツジでしょうか。

また、中院は、島崎藤村の義母・加藤みきの墓があり藤村は頻繁に訪れた事でも有名です。
ちなみに、島崎藤村の妻となった加藤静子は、ここ川越の出身だそうです。


そろそろお腹もすいてきたので、再び喜多院へ戻ることにします。