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わたしは、ダニエル・ブレイク

2017年03月21日 | 映画

イギリス社会派映画の巨匠、ケン・ローチ監督の最新作「わたしは、ダニエル・ブレイク」(I, Daniel Blake)を見ました。複雑で理不尽な社会保障制度の前に立ち尽くす弱者の姿を描いたヒューマンドラマ。2016年、カンヌ国際映画祭のパルムドール(最高賞)受賞作です。

イングランド北東部ニューカッスル。妻に先立たれたベテラン大工のダニエルは、心臓病を患い、医師から仕事を止められます。やむなく福祉事務所を訪れますが、職員はマニュアルに乗っ取って意味のない質問を延々続けた挙句、就労可能との判断を下し、代わりに失業手当を受けるべく求職活動する(ふりをする)よう勧めます。

要領のいい人はパソコンで履歴書を作ってあちこちに応募し、求職活動をしたという実績を作ることができますが、パソコンの使い方を知らないダニエルは、手書きの履歴書をわざわざあちこちに出向いて配ったために証拠が残らず、役所からは求職活動をしていないとみなされてしまいます。

挙句に、彼のキャリアを買って雇い入れようとした会社に、ダニエルは「実は働けないんだ」と断らなければならず、雇い主を怒らせる始末。実直なダニエルは、これはまるで茶番だと匙を投げようとしますが、親切な職員に「これを逃したら、国からの援助がまったく受けられなくなってしまう」と説得されます。

日本でも、生活保護を受けるのに、システムが複雑で理解するのが難しかったり、何度も何度も質問された挙句、人間としての尊厳を損なわれて、あきらめざるを得なかったり、といった問題を耳にすることがありますが、イギリスでもまさに同じようなことが起こっていることを、この映画を見て知りました。

何かと理由をつけて、ほんとうに困っている人に福祉の恩恵を受けさせないためのシステム。40年間まじめに働き、善良な市民として税金を払い続けてきたのに、なぜこんな目にあわなければならないのか。ダニエルの叫びが心をえぐります。

ある時ダニエルは、役所で職員ともめていたシングルマザーのケイティを助けた縁から、お互いに家族のような交流を深めていきます。職がなく、食べるものにも事欠いているケイティのために、ダニエルは家の修理を引き受けます。ダニエルと接する中で、子どもたちも少しずつ落ち着きを取り戻していきます。

引っ越してきたばかりで近くに身寄りのないケイティにとって、ダニエルの親切がどれほど心に染みたことでしょう。しかしケイティもまた、明日の暮らしが見えない厳しい現実の中で、徐々に追い詰められていきます。思い余っての行動には涙があふれてしまいました。

毎日をせいいっぱい生きていても、病気や災害などの不慮の事態によって、あるいはちょっとしたボタンの掛け違いで、人間らしい生活がある日突然奪われてしまうのは誰にでも可能性のあること。そうした人たちを支えるのが国の、福祉の役割ではないのか。

映画の大半は役所とダニエルの押し問答で、ラストも決して明るいものではないのですが、それでもこの作品に救いを感じるのは、彼らを見放さず、助けようとする、数々の隣人の存在があるから。見たあとも、考えさせられ、語り合いたくなる作品でした。

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