盛岡は北国だった!
北上川が街の中を流れて遠くに岩手山
太平洋戦争中空襲に遭っていない希少な城下町の象徴を見ながら
開運橋を渡ってまずは光原社へ
宮沢賢治の童話『注文の多い料理店』を出版した会社
現在は全国の民藝作品の販売や作家の展示会、ワークショップなどを展開しています。
東京駅で失われた2時間半を取り戻すべくてくてくと歩いて
石川啄木新婚の家へ
この日は定休日で中は見学できず。周囲をグルリ
平屋ですがかなり大きい作り
ここに新婚時代の啄木夫妻が愛の巣を‥と思ったら
啄木はほとんど家に帰らず放浪三昧だったとか
ちなみに借りていたのはこの家の4畳半一間だそうです。
その後ちょっと寄り道
福田パン
ガイドブックで見て美味しそうだなと
Nちゃんも感じていたらしく
行列に並んで購入。
でかいよ、わらじみたいだ。美味しかった!!
さて、道を戻ってレトロ洋館代表
旧岩手銀行本店に向かってバス移動開始
Suicaがどこのバスでも使えるようになって嬉しい
目的地の手前で降りて敷石レトロな通りに入り
ここでちょうど同じ時代を生きた二人とその関わりがあった作家学者の年表に
しばし釘付け
岩手は知識人の宝庫なのよ、原敬、新渡戸稲造、野村胡堂…
特に宮沢賢治や石川啄木と同世代の国語辞典の金田一京介先生ってば何度も啄木の借金の肩代わりやら
金銭的援助やらを惜しまなかったんですってよ、奥様
金田一先生いい人すぎる!!
石川啄木さんは繊細すぎて僻みっこで人間社会に適合できないまま亡くなったけど、
いまだに読み継がれる名作を残せたのは金田一先生あってのことだったし、こういう人物と親交を深められたことが才能だったのか…
そう考えると石川啄木をもう一度読み直してみようかと思ったのでした。
二人でしみじみと通りに戻り、てくてくと。
パッと開けた通りの向こうに
旧岩手銀行本店!
東京駅みたいだと思ったら、建築家が同じ辰野金吾氏でした
メインはこの入り口の吹き抜けドーム天井
真下にテーブルがあって、ここにスマホを置いて撮影するとドーム天井が綺麗に撮れます、と、受付のおじさまが教えてくださいました。
第二次大戦中空襲を受けなかったために明治の建物が現存しているという盛岡市
この赤煉瓦館も然り
さらに2001年まで岩手銀行本店として稼働していたそうです。
金庫室の入り口
大きな鍵は創建当時のまま
面白いのは扉の上にある小さな扉
これは、金庫内で作業中に
うっかり閉じ込められてしまった時の脱出口
実際に使われたことがあるのかどうかわかりませんが、なんとも人間臭いです。
<続く!>
盛岡はわんこそばに宮沢賢治、石川啄木…だけじゃなかった!序編はこちら