ちょっと気になるいい事、言葉、最新技術

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海外の評価が高い日本の環境

2024-09-01 12:48:58 | 世界の動きから見えるもの
『国家ブランド指数No.1の日本 海外に評価される、知られざる本当の強み』Forbes記事。外国人から見た日本の評価、それは「自分たちの生活の、足元にある文化が、実は評価されており、さらには、自分たちの生活文化、もしくは日本にある日本の伝統文化を勉強したり、少しでも伝えられるようにしていけば、生きていく上での誇りみたいなものに繋がってくると思うんです。日本にはそういうものがすでに豊富にある環境であるということが調査を通じて分かったことです」と言う。日本には今多くの外国人が求める自然と環境があり、如何にそれにマッチした背景(情報)と工夫(魅せ方)の提供次第でさらに盛り上がる、と言うことか。

「歴史の証言」真実を見極める『語れざる昭和史』

2024-09-01 07:48:05 | 歴史から学ぶ
「歴史の証言」とは「訊くのではなく聞こえる瞬間」に語れる言葉、と著者は言う。「無名の人々の足跡こそが歴史だ」と言う言葉に賛同する。歴史は勝者が作るがその舞台を作った(消された)多くの立役者・人々が埋もれている事を知っておきたい。この本書にある「戦後の日本の歴史を造った笠井重治(影の実力者)」は、日米・日中交渉で影のフィクサー役、当時の昭和天皇、マッカーサー、周恩来など歴史を作った影にはこの人物の人脈と知力「情報」なしでは成り得なかったこと、歴代の国家主要人物から超重要視された人物だった事を知っておくべきだ。そろそろ昭和初期の真の歴史を語る人々が出てくると信じたい。
『語られざる昭和史』七尾和晃
『概要』太平洋戦争によって被害を受けた人々による証言など、これまで語られなかった記憶を集め、戦後日本の知られざる昭和の姿を描き出す
ー戦後、言い伝えがされなかった事柄・証言をまとめた本書
「戦死・死亡通知」「おがみ屋」と言う霊能者、霊媒師、祈祷師を頼り夫の生存の期待を寄せた
「大空襲」大火から逃げ生き抜いた女性。空襲で川へ向かった人々は多くが死人となった
    「火の手が背になるように一心でひたすら走り続けた」「家が燃え落ちた所へ逃げた」
「二つのピカドン」広島、長崎の2つ原爆に遭遇したがなんとか生き残った
    「川の方を見るとどんどんどんどん死んだ人間が流れてきた、まるで人間の筏だ」
「原爆孤老の悲しき唄」原爆で潰され燃焼した家には妹と弟がいた
    「弟は潰れる家から逃れようと体の上半分が燃えずに残っていた」
「敗北者たちの収容所」サイパン島での米軍の収容所待遇
    テニアンには日本人捕虜が1万5千人そのうち4千2百人が子供だった
    収容所での軍関係の仕事も強制ではなく活動し賃金ももらえた
「アマゾンに渡った我が娘」戦後多くの混血孤児が生まれた
    エリザベスサンダースホーム(1948年設立)岩崎久弥の長女沢田美喜
    日本社会の偏見からアマゾンに移住して生活させた
「帰還事業の果て」北朝鮮の夫と北朝鮮での生活苦
    北朝鮮で二人の子供を産み現地で生活、途中夫が捕縛され行方不明
    生活保護もなくどん底の生活に苦労し帰国したが子供を思い再び北朝鮮へ
「戦後、上野地下での生活」飢え死に
「夜這い」風習が消えた田舎(夜這いとは夜男が女の家へ通う習わし)
「笠井重治」1886年山梨県南巨魔郡出身、米国ハーバード卒
日米平和交渉、日中国交正常化など日本の首相田中角栄など影の力となって政治を扇動してきた超重要人物。 戦後マッカーサーへの日本の象徴である天皇の在位などを提言し、中国とのパイプから周恩来へのアプローチなど「情報屋」(米国のCIAスパイとしての噂)米中の関係正常化で裏の密使として活躍した。その後日米文化振興会などを立ち上げ様々な友好関係を築いた