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元藩主の物見遊山:1日16km、6時間、2万歩『大名の定年後』

2024-02-28 07:39:02 | 歴史から学ぶ
@江戸時代の武士も含めて江戸は庶民の楽園であり特に開帳、祭り、歌舞伎、相撲など見物、食べ、買い物、神仏参り、病の祈願や願掛けが盛んで、「夜桜を見に行く」隠語(吉原に行く)遊楽の吉原にも側室、息子などと共に楽しんだ、とある。この書にある元藩主の江戸周りの頻繁に外出する物見遊山の回数と優雅に1日に歩く距離(平均1日@16km、6時間、2万歩)には驚愕する。「定年後の物見遊山は、経済活動を優先する社会から、遊びを生きがいとする、ゆとりの社会に変える手始めとなるに違いない」と著者の言葉。挿絵も多く掲載したこの本は当時の江戸を楽しましくれる。個人的にもこの書にあるもの含めた都内の神社仏閣(200ヶ所以上)を見学した。中でもお勧めは、寅さんで有名な柴又帝釈天の裏にある彫刻ギャラリー&庭、多くの芸術的彫刻には印象深く感銘した。
『大名の定年後』青木宏一郎
「概要」江戸時代。50歳で隠居したのち、江戸中を訪ね歩いた大名がいた。五代将軍綱吉のお側用人・柳沢吉保の孫、信鴻(のぶとき)だ。彼が物見遊山で訪れた範囲は、日本橋・浅草周辺はもちろんのこと、王子、向島、目黒方面と、日に何十キロと徒歩で歩いては、身分によらずそこに暮らす人々と交流し、ありのままの江戸を日記に書き残していた。活気に満ちた江戸の描写溢れる信鴻の『宴遊日記』を元に、その軌跡を追う!
大和国郡山藩元藩主柳沢信鴻(のぶとき)49歳で六義園にて隠居し、江戸市中を800日以上の物見遊山した記録を元にした書籍(1773~1784年) この時期は天明の大飢餓、流行病、洪水、浅間山噴火などがあった時代。庶民は寺の開帳、見世物、富籤、祭り、相撲、花見などで楽しんだ「江戸名所図会」にある浅草、吉原、上野、湯島、両国、亀戸、飛鳥山、護国寺、鬼子母神、芝居町などである。浅草には12年間で243回、湯島は124回、など両国、回向院など貧藩に出向いている。例として1日歩く距離は16km、6時間をかけ、2万歩以上かけている。多い時には六義園から目黒不動尊まで28kmを往復しており、日本橋から50kmとなる場所では1泊し共はおよそ10人程度だった、とある。
ー人形町にある歌舞伎には朝4時に起きて9時には入場、演劇が終わる午後8時まで、それから湯島等を回り帰宅は11時前後だったとある。
江戸時代の交通ルール
上りの旅をする者は左側を、下の旅をする者は右側をあると言う秩序が成り立っていた。かなり混雑しているところでもトラブルは無く諸侯などは群れを成して歩くのが好きだったようだ。雨天や雪解け後には下駄を履いており、草履は換えを持参し持ち歩いた。
ー街並み
浅草は飛鳥時代628年に漁師の兄弟が仏像を拾ったことでそれを祀ったのが浅草寺である。645年に勝海上人が観音堂を修造したのが始まりとされている。20軒茶屋(雷門から仁王門)があり茶屋には評判の美人が揃っており人気があった。金龍山浅草寺は1635年に再建されたが1945年まで300年存続した、本堂は1958年に再建されたもの。「ほおずき市、節分会、歳の市、馬市、蓑市、三社祭など縁日も多く千件以上の出店があったという。
「夜桜を見に行く」とは
吉原に行くと言う隠語で遊郭ばかりでは無く一般の庶民も多く見物に出かけており、信鴻(のぶとき)も側室、息子など5人のお供を伴って堂々と吉原に出かけたとある。
ー江戸時代の天気言葉(表現豊かな言葉)
「晴れ」には大快晴・快晴・大霽(爽やか)・蒼天・大晴・など
「曇り」には曇り・雲あり・大曇り・一面陰雲満・有雲・鰯雲・など多い
「雨」は雨・小雨・猛雨・時雨・村雨・五月雨・繊雨など多い
ー著名な場所(人気だった場所一覧)
両国広小路・回向院・亀戸天神・富岡八幡宮 など相撲や歌舞伎、遊郭のスターも「江戸三幅対」の錦絵などで人気を博していた。(歌舞伎:市川團十郎、遊郭:扇屋花扇)
上野山内・上野山下・不忍池・池之端・広徳寺・谷中・根津神社・湯島天神・神田明神・人形町・護国寺・鬼子母神・飛鳥山・王子稲荷社・増上寺・目黒祐天寺
「富籤」は江戸では3ヶ所:谷中の感応寺、目黒の龍泉寺、湯島天神で景品の一等は厨子に入った弁天像、その他は家具だったという。
「七五三」は幼児の頭髪を剃る事を止め、初めての袴を着せる儀式であった
「歌舞伎」は3つ小屋があり市村座・中村座・森田座、朝9時から午後8時まで(人形町あたり)
「凧」は子供も大人も凧揚げを楽しむ(互いの糸を斬り合う遊び)
庶民に栄えた芸術文化:浮世絵・歌舞伎・川柳・黄表紙・洒落本
上野山内での花見は盛況で夜桜見学も盛んになったがどんちゃん騒ぎは禁止
町々を仕切っていた木戸は6つ(午前6時)に開き、4つ(午後10時)に閉められた



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