@トルストイ(1828~1910)、ドストエフスキー1821~1881)と時代が重なり合う同士であったが、若い頃のドストエフスキーは社会主義の運動で逮捕、死刑執行直前で保釈、小説家となりこの「地下室の記録」をあたかも病んだ、意地悪い男として表現、社会に間接的に抵抗していたのである。巨匠二人ともに時代の背景にある合理化一辺倒の社会主義国ロシアで「幸福、希望、夢」を追った作品は現代では理解できない厳しい規制社会だったに違いない。
「幸福、希望、夢」を若い頃からの生活、環境をこの小説に託し社会主義を批判したのだろう。
『地下室の記録』ドストエフスキー
「概要」地下室に住む中年男の告白を通じて、人間存在の矛盾と不条理に根ざした生の哲学を描く。「地下室」とは、言い換えるなら、青春時代を生きるだれもが一度はくぐりぬけなくてはならない“戦場”である……ある一つの真実を語りかけようとした。遠い将来、一個の自立した人間として大きな成熟を手にすることはできないということを。この『記録』にこめられているのは、おそらく若いドストエフスキーが身をもって経験した躓きの記憶だが、その痛々しい記憶の彼方に輝いているものこそ、人間の真実、あるいは人間の生命という聖なるオーラなのである。
ードストエフスキー
「手のつけられないほどの夢想家」
「キリスト教的社会主義」:(自らが犠牲となり過酷な試練に直面する)
ー賢い人間の息地無しの生き様-40年間の自己探索・探究。
「地下室人=一匹の鼠」:病んだ人間・底意地の悪い人間 としての記録小説
逮捕、4年間の投獄、死刑間近で保釈、小役人:小説家としての革命を「地下室人」表現
「すべての美しきで崇高なもの」を求めた生き方 (自然の法則)
意識過剰の、ノーマルかつ基本法則に従った生き方(絶望と希望が相反した状態)
「退屈凌ぎ」「惰性に押しつぶされた」「不条理な道」「人間の利益」「人間の運命」
娼婦との出会いで唯一自分から支配できたと実感する
「キリスト教の必要性」の章は削除され発行
ーチェルヌイシェフスキー
「すべての行為は利益によって説明される」「犠牲になるものはそもそも存在しない」
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