@人の恩は如何に返すのが良いのか。この「雨女」では身をもって家事奉公することで償おうとしたのである。現代、情の薄い社会では「恩」を恨みで返すのが当たり前のような、人を踏み台にしてでも這い上がれと言わんばかりの社会を生み出している様は寂しい限りだ。だから人の親切も恩義らしさも自然と消え失せた薄っぺらな人間社会になっているのかもしれない。
『雨女』沢田ふじ子
「牢屋敷炎上」
京都屋敷近くで火災が発生、牢にいた三十八人が解き放たれて翌日自主的に戻って来た者のうち二人が戻っていないことがわかる。するとその一人が世帯を持とうとしていた女に去られ、賭博で人を斬った輩で、その晩は病弱な母親が住む貧そな家で、人の役に立とうと看病した。その後長屋の住人に誤解され引っ張り出されるが、その家族の進言で減刑された。
(人に親切にしたことへの報い)
「京雪夜揃酬」
古手問屋の若主人は昔は道楽者だった。継いでからは一才真面目に仕事をしていた。ある時家の前に野菜とドテラが置いてあると、主人とその妻にいざこざが起き妻と子供が出家、三行半と手切金を要求される。ドテラを置いていった人物を調べると昔賭博で着る物全て一文なしを助けたことで恩返しをしていたことが判明する。(人助けから恩を貰う)
「幼いほとけ」
中の悪い兄弟が抱える土地利権に、用心棒に腕の立つ職人があろう事か辻斬を企むが逆に捉えられ座敷牢に入れらる。狙われた主人は指示した犯人を聞き出そうとするが聞き出せず、ある時その家族と遭遇、母と子二人、子供は母親から良い事をしていれば父が帰ってくると言われ荷押しを手伝い、老婆の下駄を直し、貰った駄賃で貧乏人を助けていた。それを知った主人は座敷牢の父を説得する。「世の中銭がないと人に小馬鹿にされ苦労します。けどあったらあったで、それを後に残して死ぬのも厄介どす。」(人の欲が深いと厄介で他人の心遣いも気にしない)
「冥府への道」
酷い殺害する盗賊が大金を奪う事件があり、京都の主要口が警護された。その中に大八車に樽を載せた貧そな輩が通ろうとしたが警護の質問に答えないので捕らえられる。その樽の中には亡くなった老婆が入れられ、海が眺められる遠方に埋めようと親思いのした事が逆に疑わられたのだ。
「蟒の夜」
盗賊の頭が井戸に隠した大金を持ち去ろうとした時見張りの奉行所侍が捕縛に取り掛かった。だが、大金は既に石ころに変わり見破られた事を悟った盗賊たちはてんでに逃げようとした。かろうじて頭は逃げ切ると大雨で一軒家で雨ごもりをしようと入る。すると、目の見えない娘が快く入れてくれ、病気の母を持ち目の見えなくとも内職をする姿に昔の自分の生い立ちを思い浮かべた。それで頭はお礼にと10両の金を置いて去った。
「雨女」
ある大雨の夕刻、長屋の近くで一人の娘が倒れかかったのを見た几帳面な泥鰌入りの青年が見つけ、一人住まいの家で看病する。翌日から何処にもいく先がなく何も聴かず暫く置いて欲しいと願い出ると青年は快く引き受けた。娘は朝晩の食事の用意など掃除もしてくれて助かっていた。ある日、長屋の人とお風呂に出かけると娘が大事にしていた気がかりな布包みを開けてみると、昔父が宮大工として旅立った時の煙草と煙管が入っており仰天する。その訳を聞くと、その父が病気となり看病したのがこの娘の家で、その後亡くなるが大金はその家の遊女として買われた代金に変えたと言う事だった。その娘は家族としてその恩返しをしたいと遺品を持ちこの長屋を探していた。それを聞いた長屋の衆が青年に気の利く娘を嫁にもらえと言われてしまった。
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