私が死んだあとであなたが読む物語

基本的には「過食症患者の闘病記」、と言っていいでしょう。

心に目を向ける

2010年09月10日 23時54分48秒 | 過食症

今は通常状態。

過食をしていません。

今日は過食をおさめて7日目です。

前回はこの7日目に突如、強い過食衝動に苛まれ崩壊しました。

今回はとりあえず無事でした。

今はネットゲームをやっています。

それで気持ちが落ち着いているのかもしれません。

私の場合、虚無感とともに過食衝動がやってくることが多いです。

何かに夢中になっていたり、そこに楽しさを見いだせているうちは、大丈夫なのかもしれません。

これまではなんとなく、とにかく過食という症状を治めようと考えてました。

強引に、半ば闇雲にそう考えていました。

強制的に過食できないような状況に自分を置いてほしい。

それこそ牢獄の中にでも。

でも最近は「自分の心はどうなってるんだろう」と考えるようになりました。

一説によれば。

ある気持ちを感じたくなくて過食をする。

過食しているときはその気持ちを感じなくて済む。

受け入れられないその感情が過食を引き起こしている。

だそうです。

私の感じたくない感情、受け入れられない気持ちとは一体なんだろう。

虚しい、物足りない。

そういった感情ではないかと、とりあえずはそこに落ち着きました。

これらの感情と素直に向き合い、そういったことを感じてしまう自分を、ありのままの自分なんだと認めて前進すること。

それが過食克服の方法らしいです。

言うは易しです。

大切なのは「ココロで感じること」とあります。

「ああ、いまこういう感情がここにあるな」と。

別にそれを排除しようとか、悪しきものであるとか考える必要もなく、ただそこにあるなと思う。

今、過食せずにいられるのは、虚しい、物足りないという気持ちと素直に向き合い、そんな気持ちの自分を認めているからではありません。

単純にそいうった感情を感じていないだけにすぎません。

でもそう遠くないいつか、そういった感情を感じる時がまたきそうです。

そしてその時は十中八九、過食衝動を伴っているでしょう。

理論的には、過食衝動を伴っていてるようでは、その時点でもうダメなのです。

なぜならそれは、虚しい、物足りないという感情を感じたくないと思っているからです。

過食して一時的にその感情から守られる。

そうならないために、そういった感情がすぐ目の前にあるとき、目を逸らそうとせずに向き合えるかどうか。

向き合うということが何を意味しているかはわかりませんが、私はその日が楽しみでもあり怖くもあります。