私が死んだあとであなたが読む物語

基本的には「過食症患者の闘病記」、と言っていいでしょう。

精神と時の部屋

2018年12月31日 22時15分24秒 | 過食症

通常状態79日目。

先日、アルバイトが終わりました。

最終日、仕事をしながら「これが終わったら問題なく過食できるよな」なんて考えが脳裏をよぎったりもしました。

帰りのバスの中でも、過食衝動が疼くのを感じました。

でもその日は無事に終える。

 

次の日も、朝の勤行をしながら過食のことを考える。

実はバイト先で貰ってきたお菓子が家にあるんですが、それを食べたら・・・なんて想像する自分がいる。

引き寄せられる。

でもその日もまた無事に終えました。

 

行きつけのスーパーで売り切れだった皮つきピーナッツを同じチェーン店の別の店舗に行って探してみようと思い、昨日、自転車を走らせてました。

ここらの近所にはだれかピーナツ好きの人がいて、その人が大量にピーナツを買いあさっているんじゃないか、だから近所のスーパーでは在庫切れになっているんじゃないか、なんて考えて、少し遠い他店ではまだ売り切れになっていないかもしれない、なんておもったんです。

というのも、以前は近所のドラッグストアのバターピーナッツが安くてそれを買っていたんですが、そのときもよくバタピーが品切れになっていました。

てなわけで、その少し遠い他店を目指していたのですが、途中道に迷ってしまいました。

 

迷いがてら、たまたま見つけたドラッグストアに寒さしのぎも兼ねて入ってみる。

バタピーは売っていませんでしたが、お菓子や菓子パンなどが売っていました。

それらの売り場の前に立つとまた過食衝動が疼く。

引き寄せられる感覚。

でもこの感覚と対峙しているときは、1秒1秒に価値がある、意味がある。

ここでの1秒は普通のときの1分や10分にも値する。

精神と時の部屋にいる。

ここでの時間を過ごすことで強くなる、過食衝動に耐えうる精神が作られる。

通常状態に入りたての安定しているときは、これらの売り場の前に立ったって、いたって冷静でへっちゃら。

でもそれは実はあまり意味が無い。

今はフラついている。

毎日のようにやつが顔をのぞかせる。

だからこそ意味がある気がする。

やつが現れるたび、毎度毎度やっつけなきゃならない、のりきらなきゃならない。

どんだけ武装してもやつが顔をのぞかせると、全部はぎとられて素っ裸になる。

素の自分で勝たなきゃならない。

目の前の敵と対峙しながらも、もっと先を見て、もっと大きなものを見て、強い光でふっとばす。

でもそれを見失って、一対一のさし勝負になる。

そのさし勝負の裏側で、私の中で何かが育っているということだけは忘れたくない。

 

結局昨日も無事やり過ごすことができました。

でも年が明けると実家に帰る。

こんな不安定な状況で無事に実家での食生活を問題なく終えられるだろうか。

それなりにシュミレーションして、対策して乗り込むつもりです。

 

ちなみ昨日は結局、お目当ての店に辿り着いた時には閉店しており、皮つきピーナツが品切れかどうかは確認することができませんでした。

その代わり、帰りに普段あまり立ち寄らないスーパーに入ってみると、期限切れ間近のヨーグルトが半額で売られていました。

ヨーグルトは好きです。

低脂質のやつなんかだと、低カロリーでそれなりにタンパク質も摂れるので、そういった栄養面含め好きです。

それでヨーグルトを2個買って、今日はチートデイみたいな感じで、いつもよりたくさん食べました。

いつもは750カロリー程度摂取しているのですが、今日は商品に表示されている栄養素から計算すると、およそ1030カロリー摂取しました。

なんかお腹が膨れている感じがする。

ちょっと過食したときの感覚です。

でも摂取したカロリーをちゃんと把握しているので大丈夫です。

もしこれが把握できていなければ「ああもうだめだ、過食してしまっている」って思って、そのまま過食に走ってしまっていたかもしれない。

実家に帰った時は、そのパターンが怖い。

 

今日のチートデイによって体や精神が満たされて安定すればいいんですが。