私が死んだあとであなたが読む物語

基本的には「過食症患者の闘病記」、と言っていいでしょう。

思いやりオンライン

2010年06月01日 22時48分01秒 | Weblog

ここんとこずっと家に閉じこもってオンラインゲームをしていました。

昔やったことのあるファイナルファンタジーXIです。

現実逃避にちょうどいいのがそれでした。

眠くなったら仕方なく寝ますが、それ以外はオンラインゲーム。

1年くらい続いたでしょうか。

ある日、家のテレビが壊れたんです。

画面が急にプツーンっと真っ暗になってそれっきり。

テレビも見れませんが、ゲームができません。

五日間くらいゲームをせずにすごしました。

五日たってテレビを買いに行きました。

都会の真ん中の家電量販店。

人が多い。

リアルの人が。

オンラインゲームをしてるとはいっても、普通に買い物とかは行きますし、外には出ます。

でもその日はいつもと違いました。

それはただ単に、近所のスーパーとは違って都会で人が多いってことだけかもしれません。

刺激的?

なんかもう別にいいやって思えてきました。

人通りの多い街を歩きながら、こんなのも悪くないって思えてきました。

探り探りなんですがオンラインゲームの興味がそがれてる感じがしました。

そして昨日、オンラインゲームをやめました。

月々のゲーム料金も払う気になれず、月が変わるタイミングでやめました。

なんでやめたの?って訊かれたらなんて答えたらいいんだろう。

そんな急激につまらなく感じるようになったわけでもないのに。

慧眼?

もともと敢えて自分から飛び込んだ現実逃避です。

もといた世界が見えたときにとるべき当然の行為といえば当然の行為です。


意味のない時間を過ごしたかと訊かれれば、決してそういった要素ばかりとも言えません。

ゲームの中では一人でできないことがたくさんあります。

いい武器をとったり、ミッションやクエストを進めたり。

何かにつけて他者の力が必要になります。

同じ目的の人とともにやるパターン。

それを目的としていない他者に単純に協力してもらうパターン。

そのどちらかのパターンで目的を達成。

いずれにしても一人じゃできない。

ゲームの中の世界で、あれをしたい、これがほしい、などの欲求がうまれます。

ゲームの中で私もそれなりにコミュニティを築きました。

そこで感じたのは人に協力を乞うことの難しさです。

断られるんじゃないだろうか。

断られたって別に何を失うわけじゃないし、乞うだけ乞えばいいのです。

でもそう簡単にできない。

そもそもなんで武器をほしくなったりミッションやクエストを進めたくなるのでしょうか。

そうすることで劇的にゲームがおもしろくなるわけでもありません。

それは単純に他者との比較です。

あの人が持っている武器を私も持ちたい。

あの人がクリアしたミッションを私もクリアしたい。

誰かが手に入れた武器や誰かがクリアしたミッションを、自分が持てていなかったりクリアできていないことに拒絶反応が生じてくる。

ねたみってやつです。

そして入手した武器やクリアしたミッションをまだそうでない人に自慢したい。

それが結果、他者のそういった目的への協力を疎ましく感じさせたりする。

自分はいつも協力してるのに、だれも協力してくれないと感じたりする。

ゲームの中ではせめていい人でありたいと思いました。

でも、ゲームの中くらいせめて自分中心であらせてくれとも思いました。

ゲームを始めたばかりの入門者にはいろいろ協力してあげたいという感情は常に偽りなくありました。

それは、その人の力になってあげたいとか、その人の喜びを自分の喜びに感じるからとかではなく、単純に自分の力をその人へ誇示してることの優越感です。

他者への協力は、いつか自分に返ってくるかもしれない借りを作る行為。

心の底から他者のために動けたことなんてなかったかもしれない。

心の奥で競争してました。

他者が成長することを快く思ってなかったり。

超えられるのが嫌だったり。

協力するにしたって、おとなしく自分から協力を乞うたりせずにいる人に対しては前向きになれるのに、ガツガツ協力を乞う人へはそうでなかったり。

またこんなこともありました。

私にとって興味のないことに取り組んでる人へは協力的になれて、私が興味があって、でもまだ発展途上であることに私よりも後から取り組んでる人へは非協力的だったり、その人の動きが妙に気になったり。

すべての人が私に協力的で、私が他者への協力をせずに済むことが理想になってきたりします。

そのくせ、誰かが「手伝ってください」と何度も何度も叫んでるのに、なんでこうもみんな手伝わないんだろうって思ったりもしました。

みんなが協力的であればいいだけの話なのにって。

みんな他者のために時間を割くより自分のために時間を使いたいって思ってる。

それがわかるから、他者へ協力を乞うのが難しかったりするのです。

思いやりってこうも難しいのか。

楽しかったことって実はそんなになかったりして。

うれしい瞬間は全部、他者が私のために協力してくれる、とわかったとき。

まあすべてゲームの中の話です。

今ではそんなしがらみにいなくて済む。

私がいなくなった世界でみんなせっせと時間を費やし成長してる。

リアルにおいて、他者の成功を自分の成功のごとく、心の底から喜んだことが一度でもあっただろうか。

心を通じ合わせることが必要です。

心を通じ合わせることが自分を妬みから解放してくれる。

今のところ、それ以外に手は見つかりません。

ゲームの中で一人だけ、無条件に成功を喜べるかもしれないと思えた人がいました。

その人はとてもいいひとで思いやりのある人でした。

いつの時代もどの世界でも、そういった人が心を通じ合わせるに値する人なのかもしれません。



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