私が死んだあとであなたが読む物語

基本的には「過食症患者の闘病記」、と言っていいでしょう。

間違った「被災者のために」

2011年03月18日 09時10分02秒 | Weblog
東日本大地震が起きて「被災者のために」という言葉をよく耳にします。

被災者のために寄付をする。

被災者のために物資を送る。

それらはいいことだと思います。

ただ被災者のために自粛するというのは違います。

自粛しようがしなかろうが、それは被災者の人たちにとっては関係がないことです。

例えばプロ野球。

開幕を延期するかどうかで、延期した方がいいという人たちの意見には「被災者の人たちのためにも」という考え方があると思います。

細かくいえば、被災者球団の楽天イーグルスのことやナイターを実施するうえでの消費電力のことなどいろいろあるでしょうが、「こんなときなんだから被災者の人たちのために」延期すべきだという考え方はあるずです。

楽天に関しては確かに本拠地での試合ができないのでフェアじゃないため、楽天のあるパ・リーグが延期すべきだという理由はわかります。

では、セ・リーグが延期すべき理由とは何でしょう。

消費電力の問題があるなら早朝から試合をすればいいだけです。

なんでもかんでも「被災者のために」ではいけません。

私は野球に関しては無知ですが、開幕を延期したからといって被災者にとって何か実質的な効果がでるとは思えません。

そんな間違った「被災者のために」は、「被災者のせいで」と紙一重です。

被災者のことを考えたら試合なんかできないというのは、自分の精神状態がそんな状況じゃないから、という意味のはずです。

なら開幕を延期するのは、自分のため、です。

こんな状況じゃなくてもっと落ち着いた状況で開幕してほしいと思うのは、全部「自分たちのために」のはずです。

それを何食わぬ顔して「被災者のために」とすり替えてるところに違和感を覚えます。

なんでもかんでも「被災者のために」にされては困ります。

そんな間違った「被災者のために」が横行することで、まるで被災者が日本を非行動的な状況に陥れてる張本人であるかのようです。

被災者が心にショックを受け、行動力が削がれてる今、被災者でない我々こそ行動しないことの意味よりも行動することの意味に目を向けるべきではないでしょうか。

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