山と溪を旅して

丹沢の溪でヤマメと遊び、風と戯れて心を解き放つ。林間の溪で料理を造り、お酒に酔いしれてまったり眠る。それが至福の時間。

本物の清々しさ

2006-04-15 23:19:21 | 川飯.B級グルメ
4年ぶりに岐阜の高原川に立った。あまりの寒さに、途中から釣り旅は温泉の旅に変更した。奥飛騨の平湯で露天風呂に浸かって正気を取り戻したら、あとは地酒と地元の食材を肴に酒盛りに突入である。

温泉の隣の飲み屋に入った。午後6時のことである。閉店時間を聞くと店の親父は素っ気なく8時と答える。看板にもそう書いてある。つけいる島がない、頑固そうな親父である。仕方ない、2時間で飲み明かそう。そう誓って飲み始めた。

店のメニュ-には、うまそうな定食以外には、飛騨牛のすじ煮込みと餃子しかない。ビ-ルと酒があるのだから酒の肴がないはずはない。すじ煮込みを頼んでからあれこれ聞くが口を割らない。これには参った。しかし、これでは帰れぬ。

ひょんなことから釣りの話になった。気がつけば私たちの席の前に立っている。
聞けばこの親父さん、鮎プロで渓流もやる。某ロッドメ-カ-の鮎竿のテスタ-で今年は新作の竿も出るという。鮎が解禁になると、毎日店が始まるまで川に立ち、釣った鮎は東京の割烹に卸すのだとか。

この親父さんの生き方が素晴らしい。やりたいことしかやらない。嫌いなやつとはつきあわない。かといって決して世間を狭めている訳ではない。日本中の川と釣りを知り尽くしている。好きだからである。交友関係も実に広く深い。好きな奴としかつきあわないからである。

幸せな生き方とは、好きな人とだけつきあい、好きな事だけをやり続けること。これが私の幸福論である。この頑固で我が儘な親父さんと同じである。私の生き方もまんざらではないと確信した瞬間である。

この親父さん、やっと私たちを受け入れてくれた。しぶちんの顔が笑顔に変わっている。飛騨牛の刺身がないかと聞くと、ないけど作るという。うまかった。
山菜はないかときくと、今日摘んできたといってタラの芽やら聞いたこともない地元の山菜を天ぷらにしてくれた。これも実にうまかった。

イワナの刺身が食べたいと言えば、ないけど作るという。あとは、頼みもしないのに酒の肴でテ-ブルは一杯になつた。こんなに酒の肴があるのに、なぜメニュ-に載せないのかと聞くと、食べさせたいと思う奴だけにしか食べさせたくないのだという。我が儘もここまで来たら本物で、かえって清々しい。

いつしか近くの温泉旅館の板長も加わって釣り談義が続く。閉店時間の8時はとうに過ぎ、10時になっても釣り談義は佳境に入ったままである。飲みつぶれて、ふらつく足で店を出たのは何時だったろうか?

再会を誓って記念写真を撮る。真ん中が鮎プロの頑固親父。我が儘な生き方がこの風格をつくるのか、白いあごひげが見事でした。左が某温泉旅館の板長にして釣りバカ。そして右が我が釣友Oちゃん、彼も鮎ではプロ並である。あえてフラッシュを使わなかったのは3人の頭頂部の輝きを強調したかったからのこと。これもまた見事である。

親父さん、素晴らしい出会いと楽しい夜をありがとうございました。親父さんの素敵な生き様に共感できた一日でした。

岐阜の一日は当ホ-ムペ-ジにてご覧下さい。
http://www.tax-takasaki.com/
コメント (2)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする