日本経団連は、営業停止の行政処分を受けたアイフルに対して3ヶ月の経団連活動自粛処分を通達した。本日の時事通信の記事である。本来は除名処分が妥当ではないのか?東証の扱いと言い、経団連の扱いと言い、ライブドアとはえらい違いである。
アイフルの株価は、先々週末から大きく窓を開けて下落し回復の兆しが見えない。投資家にとっては晴天の霹靂であろうが、こんな品性のない会社が東証1部に上場していることの方が私には疑問である。利益さえ出していれば、どんなアコギなまねをしてもいいのか?東証の上場基準を厳しく問いたい。
私は修業時代に、いわゆる金貸業を担当していたことがある。社長をはじめ会社の人たちは至ってまともな人たちであったが、出入りする人間はろくなものはいなかった。
貸金の回収を請け負う業者をサルベ-ジ屋と呼んでいた。沈んだものを引き上げるという意味であろう。人間は暴力に弱い。サルベ-ジ屋は債務者を痛めつけて半殺しの目にあわせる。半殺しの目にあった債務者は、次は殺されるかも知れないという恐怖心から、人の金を盗んだりとどんなことをしてでも金を工面してくる。
こうして回収した貸し金の半分がサルベ-ジ屋の成功報酬となる。怖い世界である。
金貸しは、銀行から金を借りて営業が成り立っている。アイフルも他の消費者金融も同じである。中には銀行の傘下にあるものもある。これは、禁止されている迂回融資そのものではないのか?
仕事柄多くのバンカ-とおつきあいするが、強いものに取り入り弱いものを遠ざける姿勢はどこも同じである。経営者の夢や熱い思いを育てて行くことはバンカ-としての大きな使命であるはずである。古き良き時代の本物のバンカ-は消えてしまったのだろうか?
さて、金を借りる側の責任はどうか?
金は命の次に大切なものである。安易に過ぎないか?サラ金で金を借りる一部の人は、返済できるあてもないのに借りる。返せないのは当然である。あげくの果てに開き直る。貸金業者のあこぎな取り立ても仕方あるまい。
昔は、娘を売り飛ばしてでも金を工面して責任を果たした。今は、最後には自己破産で庇護される。取り立て側が加害者となってしまい、借金を踏み倒す側は最後には法律で庇護される。何かおかしいし安易すぎる。借りる側の責任をもっと厳しく問うべきである。借りる側の責任が一番重いはずである。
私たちが考えるべきは、先ずしっかり働くこと、そして相応に慎ましく生きることである。今日は、横浜のクリニックに伺った。慎ましく、駅の売店で崎陽軒のチャ-ハン弁当550円を仕込んで院長と食べながら、こんなことを熱く語った。
アイフルの株価は、先々週末から大きく窓を開けて下落し回復の兆しが見えない。投資家にとっては晴天の霹靂であろうが、こんな品性のない会社が東証1部に上場していることの方が私には疑問である。利益さえ出していれば、どんなアコギなまねをしてもいいのか?東証の上場基準を厳しく問いたい。
私は修業時代に、いわゆる金貸業を担当していたことがある。社長をはじめ会社の人たちは至ってまともな人たちであったが、出入りする人間はろくなものはいなかった。
貸金の回収を請け負う業者をサルベ-ジ屋と呼んでいた。沈んだものを引き上げるという意味であろう。人間は暴力に弱い。サルベ-ジ屋は債務者を痛めつけて半殺しの目にあわせる。半殺しの目にあった債務者は、次は殺されるかも知れないという恐怖心から、人の金を盗んだりとどんなことをしてでも金を工面してくる。
こうして回収した貸し金の半分がサルベ-ジ屋の成功報酬となる。怖い世界である。
金貸しは、銀行から金を借りて営業が成り立っている。アイフルも他の消費者金融も同じである。中には銀行の傘下にあるものもある。これは、禁止されている迂回融資そのものではないのか?
仕事柄多くのバンカ-とおつきあいするが、強いものに取り入り弱いものを遠ざける姿勢はどこも同じである。経営者の夢や熱い思いを育てて行くことはバンカ-としての大きな使命であるはずである。古き良き時代の本物のバンカ-は消えてしまったのだろうか?
さて、金を借りる側の責任はどうか?
金は命の次に大切なものである。安易に過ぎないか?サラ金で金を借りる一部の人は、返済できるあてもないのに借りる。返せないのは当然である。あげくの果てに開き直る。貸金業者のあこぎな取り立ても仕方あるまい。
昔は、娘を売り飛ばしてでも金を工面して責任を果たした。今は、最後には自己破産で庇護される。取り立て側が加害者となってしまい、借金を踏み倒す側は最後には法律で庇護される。何かおかしいし安易すぎる。借りる側の責任をもっと厳しく問うべきである。借りる側の責任が一番重いはずである。
私たちが考えるべきは、先ずしっかり働くこと、そして相応に慎ましく生きることである。今日は、横浜のクリニックに伺った。慎ましく、駅の売店で崎陽軒のチャ-ハン弁当550円を仕込んで院長と食べながら、こんなことを熱く語った。