3月12日付 産経新聞より
http://sankei.jp.msn.com/politics/policy/090312/plc0903120306000-n1.htm
海賊対策にひるむな 櫻井よしこ氏
ソマリア沖に跋扈(ばっこ)する海賊退治への参加は国際政治における同志諸国との連携の枠組みづくりそのものだ。自衛隊法などの信じ難くも時代遅れな規定や、チマチマとした愚かな法解釈の論議に、麻生太郎首相はとらわれてはならない。
政治が国民の信頼を失いつつあるいまだからこそ、麻生首相は、保守の政治家として立ち枯れしてはならない。働き場所で、命をかけて働かずにどうするのだ。
ソマリア沖を航行するタンカーや商船は年間2万隻、日本関連の船は2000隻だ。昨年の同海域での海賊事件は111件、815人が人質となった。海賊は船と積み荷を奪い、人質をとる。多額の身代金でロケット砲などの重火器を買い、重装備する。武器の充実に伴い、タンカーなど大型船舶をも襲撃する。
国連安全保障理事会は昨年6月に国連決議1816を成立させ、各国の海軍に、海賊制圧のために、ソマリア領海への進入と領海内での海賊行為の制圧に必要なあらゆる手段を認めた。
12月16日には決議1851も全会一致で成立させた。今度は、ソマリアの領海のみならず、領土、領空に踏み込んでの軍事作戦も可能だとした。国際犯罪の海賊行為制圧への驚くほど強い決意の表明である。結果、3月11日現在、17カ国が海軍を派遣し、8カ国が派遣準備中である。
麻生政権は今月14日、ようやく海自の護衛艦2隻を派遣する。しかし、大きな問題がある。すでに指摘されてきたことだが、各国が海軍を派遣する中で、海自は軍隊としてではなく、海上警備行動の発令を受けて警察官職務執行法に基づいて派遣される。
結果、海賊への対処は、正当防衛、武器比例の両原則が前提となる。相手が海自の艦船を攻撃してこない限り、海自が海賊を攻撃することはかなわず、攻撃された場合は、相手の武器と同レベルの武器で対処しなければならないのだ。加えて、警察官職務執行法第7条の「人に危害を与えてはならない」の規定により、海賊にけがを負わせるような船の撃沈は許されない。おまけに、守ることができるのは日本関係の船に限られる。
昨年4月、日本郵船の大型タンカー「高山」が5回にわたって海賊船の銃撃を受けた。救出したのはドイツのフリゲート艦「エムデン」だった。この例にもれず、ソマリア沖を通る年間2000隻の日本関連船舶は、諸国の海軍に守ってもらっている。海自が他国の船を守れないなどということは、到底、許されない。守らなければ、日本の名誉は未来永劫(えいごう)失われる。麻生首相はそんな事態の出来に耐えられるのか。
首相は昨年10月、海賊の脅威について、民主党の長島昭久衆院議員の指摘を受けて、極めて前向きに反応しながら、行動は起こさなかった。政府がやる気になったのは、中国政府が軍艦2隻と補給艦の派遣を発表した昨年12月だ。「大国としての責任を果たす」と宣言した中国の姿に慌てたのであろう。だが、形ばかりの派遣は、あまりにもリスクが大きい。
今回、海上保安庁では対処できないとして、海自が派遣されるわけだが、両者の違いは、船体のつくりと搭載する武器だけである。前述の正当防衛、武器使用比例原則、人的被害は許されないなどの規定をそのままにして、一体、海自にどんな働きをさせようというのか。政治家はもっと、現場の自衛官の置かれる立場についてまじめに考える必要がある。
それにしても、自衛隊法のどこにも、海自は日本関連の船しか守れないとは書かれていない。にもかかわらず、なぜ、現在の解釈が生まれたのか。根拠は34年も前の丸山防衛局長の答弁だ。自衛隊法82条は海上警備行動は「海上における人命若(も)しくは財産の保護又は治安の維持のため」としているが、右の「人命若しくは財産」について、丸山局長が「通常、日本人の人命および財産ということとされる」と答弁した。以来、法律にはない、守れるのは「日本人の人命および財産」に限るという解釈がまかり通ってきた。
一防衛局長のたった一度の答弁が日本を縛り続けてきたのだ。日本の侮蔑(ぶべつ)につながりかねないこの縛りを、なぜ、私たちは受け入れなければならないのか。
これらの矛盾は、すべて、集団的自衛権に行き着く。外国船や外国人を守るのに武力を行使すれば、集団的自衛権に抵触するとの考えが、防衛局長の答弁の根底にもあったと思われる。
だが、犯罪者集団の海賊退治は、集団的自衛権とは無関係だ。どうしても集団的自衛権に関連づけるというのであれば、集団的自衛権の解釈を変えるべきだ。国連がすべての加盟国に認めている集団的自衛権を、日本だけが行使できないとしたのも、内閣法制局長官、つまり、官僚の考えにすぎない。
首相は「官僚を使え」と語った。であれば、使うことと従うことは異なるのだと示してほしい。国民の代表として、集団的自衛権の新解釈を打ち出すのだ。
そうしてはじめて、海自の派遣は、国際社会における日本の立場の強化につながる。価値観を同じくする米国、EUなどとの連携もスムーズに進むだろう。
自民党は3月10日、海賊新法の概要を決定した。同法案の成立には、少なくとも2カ月かかる。問題がおきれば、成立しない可能性もある。だからこそ、新法を待たずに、首相が集団的自衛権の行使に踏み切ることが望まれる。就任以来、首相は保守の政治家らしいことは、まだ、何もしていない。ひとつでもやる気を見せずにどうするのだ。
http://sankei.jp.msn.com/politics/policy/090312/plc0903120306000-n1.htm
海賊対策にひるむな 櫻井よしこ氏
ソマリア沖に跋扈(ばっこ)する海賊退治への参加は国際政治における同志諸国との連携の枠組みづくりそのものだ。自衛隊法などの信じ難くも時代遅れな規定や、チマチマとした愚かな法解釈の論議に、麻生太郎首相はとらわれてはならない。
政治が国民の信頼を失いつつあるいまだからこそ、麻生首相は、保守の政治家として立ち枯れしてはならない。働き場所で、命をかけて働かずにどうするのだ。
ソマリア沖を航行するタンカーや商船は年間2万隻、日本関連の船は2000隻だ。昨年の同海域での海賊事件は111件、815人が人質となった。海賊は船と積み荷を奪い、人質をとる。多額の身代金でロケット砲などの重火器を買い、重装備する。武器の充実に伴い、タンカーなど大型船舶をも襲撃する。
国連安全保障理事会は昨年6月に国連決議1816を成立させ、各国の海軍に、海賊制圧のために、ソマリア領海への進入と領海内での海賊行為の制圧に必要なあらゆる手段を認めた。
12月16日には決議1851も全会一致で成立させた。今度は、ソマリアの領海のみならず、領土、領空に踏み込んでの軍事作戦も可能だとした。国際犯罪の海賊行為制圧への驚くほど強い決意の表明である。結果、3月11日現在、17カ国が海軍を派遣し、8カ国が派遣準備中である。
麻生政権は今月14日、ようやく海自の護衛艦2隻を派遣する。しかし、大きな問題がある。すでに指摘されてきたことだが、各国が海軍を派遣する中で、海自は軍隊としてではなく、海上警備行動の発令を受けて警察官職務執行法に基づいて派遣される。
結果、海賊への対処は、正当防衛、武器比例の両原則が前提となる。相手が海自の艦船を攻撃してこない限り、海自が海賊を攻撃することはかなわず、攻撃された場合は、相手の武器と同レベルの武器で対処しなければならないのだ。加えて、警察官職務執行法第7条の「人に危害を与えてはならない」の規定により、海賊にけがを負わせるような船の撃沈は許されない。おまけに、守ることができるのは日本関係の船に限られる。
昨年4月、日本郵船の大型タンカー「高山」が5回にわたって海賊船の銃撃を受けた。救出したのはドイツのフリゲート艦「エムデン」だった。この例にもれず、ソマリア沖を通る年間2000隻の日本関連船舶は、諸国の海軍に守ってもらっている。海自が他国の船を守れないなどということは、到底、許されない。守らなければ、日本の名誉は未来永劫(えいごう)失われる。麻生首相はそんな事態の出来に耐えられるのか。
首相は昨年10月、海賊の脅威について、民主党の長島昭久衆院議員の指摘を受けて、極めて前向きに反応しながら、行動は起こさなかった。政府がやる気になったのは、中国政府が軍艦2隻と補給艦の派遣を発表した昨年12月だ。「大国としての責任を果たす」と宣言した中国の姿に慌てたのであろう。だが、形ばかりの派遣は、あまりにもリスクが大きい。
今回、海上保安庁では対処できないとして、海自が派遣されるわけだが、両者の違いは、船体のつくりと搭載する武器だけである。前述の正当防衛、武器使用比例原則、人的被害は許されないなどの規定をそのままにして、一体、海自にどんな働きをさせようというのか。政治家はもっと、現場の自衛官の置かれる立場についてまじめに考える必要がある。
それにしても、自衛隊法のどこにも、海自は日本関連の船しか守れないとは書かれていない。にもかかわらず、なぜ、現在の解釈が生まれたのか。根拠は34年も前の丸山防衛局長の答弁だ。自衛隊法82条は海上警備行動は「海上における人命若(も)しくは財産の保護又は治安の維持のため」としているが、右の「人命若しくは財産」について、丸山局長が「通常、日本人の人命および財産ということとされる」と答弁した。以来、法律にはない、守れるのは「日本人の人命および財産」に限るという解釈がまかり通ってきた。
一防衛局長のたった一度の答弁が日本を縛り続けてきたのだ。日本の侮蔑(ぶべつ)につながりかねないこの縛りを、なぜ、私たちは受け入れなければならないのか。
これらの矛盾は、すべて、集団的自衛権に行き着く。外国船や外国人を守るのに武力を行使すれば、集団的自衛権に抵触するとの考えが、防衛局長の答弁の根底にもあったと思われる。
だが、犯罪者集団の海賊退治は、集団的自衛権とは無関係だ。どうしても集団的自衛権に関連づけるというのであれば、集団的自衛権の解釈を変えるべきだ。国連がすべての加盟国に認めている集団的自衛権を、日本だけが行使できないとしたのも、内閣法制局長官、つまり、官僚の考えにすぎない。
首相は「官僚を使え」と語った。であれば、使うことと従うことは異なるのだと示してほしい。国民の代表として、集団的自衛権の新解釈を打ち出すのだ。
そうしてはじめて、海自の派遣は、国際社会における日本の立場の強化につながる。価値観を同じくする米国、EUなどとの連携もスムーズに進むだろう。
自民党は3月10日、海賊新法の概要を決定した。同法案の成立には、少なくとも2カ月かかる。問題がおきれば、成立しない可能性もある。だからこそ、新法を待たずに、首相が集団的自衛権の行使に踏み切ることが望まれる。就任以来、首相は保守の政治家らしいことは、まだ、何もしていない。ひとつでもやる気を見せずにどうするのだ。