8月18日付 産経新聞より
http://sankei.jp.msn.com/culture/academic/090818/acd0908180238000-n1.htm
忘れてならぬ占領軍情報工作 東京大学名誉教授・小堀桂一郎氏
■忘れてならぬ占領軍情報工作
今年も15日の終戦の詔書奉戴(ほうたい)記念日には、靖国神社を筆頭に全国各地で戦没者追悼行事が行はれた。この時期になると例年ながら、現代史を回顧して、国民の歴史認識の在り様に再検討を施してみたいとの衝動に駆られる。対連合国平和条約が発効してより既に57年を経過した現在、さすがにどの様な観点からの歴史研究とその成果の公表にも表向き略(ほぼ)完全な自由が認められてゐるが、それは又占領時代の洗脳宣伝工作によつて刷り込まれた日本犯罪国家史観の再生産と反復鼓吹にも同じ自由が与へられてゐるといふことでもある。
所謂(いわゆる)自虐史観の発生源である東京裁判史観の克服といふ思想闘争にも近年とみに深化と成熟の相が窺(うかが)はれ、特に、それに対する真向からの反措定(はんそてい)である『パル判決書』といふ難解な高度の専門書についての研究と懇切な紹介が普及し始めたことにより、東京裁判史観それ自体の批判的研究はもはや「終了した」、片づいたと見做(みな)されるまでの事態になつた。これは素直に喜んでよい成果である。
而(しこう)してそれだけに又、敗戦直後米軍の軍事占領下にあつた我が国で、極東国際軍事裁判といふ名の連合国の野蛮な政治的復讐(ふくしゅう)戦が我々の父達の世代を如何(いか)に深く傷つけたかといふ痛恨の記憶も亦、徐々に薄れてゆくのではないかとの懸念が浮かんでくる。
≪歴史的教訓を公的に保存≫
通称東京裁判といふこの復讐と洗脳工作の後遺症は、現に我が国の国民教育への「近隣諸国」による内政干渉といふ形で、又これに使嗾(しそう)され迎合する国内の占領利得勢力の末裔(まつえい)達による反国家運動といふ形で、依然として国民の安寧を脅しつつある。裁判の名を騙(かた)つた占領軍の情報工作の害毒とそこから今なほ我々に及んでくる余殃(よおう)は決して忘れてはならない歴史の教訓である。
幸ひにしてこの歴史的教訓を公的に保存するための記念碑的建造物が都内にある。即(すなわ)ち防衛省構内の西隅なる市ケ谷記念館である。 旧防衛庁が六本木から市ケ谷に移転する以前、つまり此処(ここ)に陸上自衛隊東部方面総監部が置かれてゐた時代にその中心的庁舎であつた市ケ谷台一号館は、元来昭和12年に陸軍士官学校本部として建築され、同16年以降大本営陸軍部、陸軍省、参謀本部等が入居し、占領中は昭和21年5月よりその大講堂が極東国際軍事裁判法廷といふ国際政治の世界史的大舞台となつた。裁判閉廷後は米極東軍司令部として使用され、昭和34年に漸(ようや)く日本に返還されてゐる。
防衛庁が市ケ谷台に移転するに当つて、この一号館は当初取壊しの予定であつたが、平成3年6月、歴史的記念建造物としてのこの建物の保存を要望する民間の運動が全国的規模で展開され、同6年1月には参議院が超党派の全会一致で保存を決議した。但(ただ)し防衛庁側の現実的要求との妥協により、現に見る通り構内西端の丘上に、旧一号館の講堂と、旧陸軍大臣室、旧便殿の間を含む、面積規模にして本館の約16分の1の部分が復元移転され、市ケ谷記念館としての永久保存、そして一般公開の途が開けたものである。
≪市ケ谷記念館に工夫を≫
旧一号館の持つ歴史的臨場感に予(かね)て感銘してゐた筆者は、規模縮小の上での移転復元といふ措置に落胆して、移築された記念館を見にゆく事を怠つてゐたが、この7月の或(あ)る日初めて見学に訪れてみた。土、日をのぞく平日のみ午前午後各一回約2時間の案内付集団行動で、精細な個人情報記載の上での事前申し込みを要し、当日は本人確認用の証明書類提示といふ入構手続の厳重には少々驚いたが、それにも拘(かかわ)らず、当日は幼児を含む家族連れの一般市民の見学者の賑(にぎ)やかさに、これは驚くといふよりむしろ感心した。思ふに東京裁判といふ歴史的不祥事件に対する市民の関心は意外なほど活溌(かっぱつ)に生きてゐるのである。迎へる側の防衛省の応対も、大臣官房広報課の担当で至つて親切であつた。
それだけに、この記念館を、旧陸軍の中枢施設に対する単なる懐古的記念物としてではなく、「極東国際軍事裁判記念館」として、市民向の開放的歴史教育施設にふさはしい内容の充実に配慮を働かせてくれぬものかと痛感する。
先ず旧大講堂には、此処が裁判法廷として使用された史蹟(しせき)であることを強く印象づける様な展示品が是非(ぜひ)欲しい。具体的に提言するならば、現在DVDで入手できる映画「東京裁判」から、2年半にわたる法廷審理の諸場面を写真パネルにして時系列的に排列(はいれつ)することである。史料の現物ではない写真ならば維持管理に重い責任が生ずるわけでもない。次に、構内での位置の辺鄙(へんぴ)を逆に活用し、正門での厳重な入構手続無しでも入館可能な専用の通用門と進入路を設けることである。その上で、できることなら裁判に関はる原史料・文書類を展示し、閲覧に供する等、工夫すべき余地は種々ある。(こぼり けいいちろう)